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臆病な調香師は、震える手で物理無双する。~「使えない」と勇者パーティーから追放されたのに、うっかり最強スパイスでドラゴンを挽肉にして、冷血公爵様に溺愛されました~  作者: 月影 朔
第1章:追放と覚醒、そして最強の顧客

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第13話:今日から名前は…。

「……ククッ、深呼吸の時間だぜ?」


私の投げつけた特製ブレンド、『脳蕩けの甘い誘惑メルト・ダウン・パピー』が、直撃した深淵の魔狼(ヴォルグ)の鼻先で弾け飛ぶ。


視界を埋め尽くすほどの、毒々しいまでに鮮やかなピンク色の煙。 それはただの煙ではない。魔力を媒介にして、脳の快楽中枢を直接殴りつける、超高濃度の「多幸感爆弾」だ。


「グルァッ……!?

な、なんだこれは……!?」


ヴォルグの動きがピタリと止まる。 影の刃を作り出そうとしていた魔力が霧散し、その巨体がぐらりと揺らいだ。


「鼻につく……いや、違う……!

甘い、甘すぎる……!

脳が……焼ける……ッ!?」


ヴォルグの悲鳴が、テレパシーとして頭の中に響く。 だが、それは苦痛の叫びではない。抗いがたい快感に理性をレイプされる、戸惑いと恐怖の叫びだ。


「逃がすかよ。肺の空気を全部入れ替えるつもりで吸い込みな!」


私はニヤニヤと笑いながら、さらに『調香師の戦帯アルケミスト・バンドリア』から扇を取り出し、煙をヴォルグの方へとパタパタ扇いだ。


「や、やめろ……!

我は、影……実体なき……王……あぐぅッ!?」


ヴォルグは必死に後ずさろうとする。 だが、彼自身が持つ「鋭敏すぎる嗅覚」が仇となった。 一度感知してしまった香りは、脳髄にこびりついて離れない。 さらに『死神の果実(グリム・フルーツ)』の強制誘引効果が、彼をその場に釘付けにする。


「嫌だ……我の……高貴な精神が……ドロドロに……!」


ヴォルグの六つの赤い複眼が、焦点定まらずにぐるぐると回り始めた。 口元からは、溶解液(アシッド)ではなく、大量のヨダレがだらしなく垂れ落ちる。


「おいおい、もう限界か? Sランクの魔獣だろ? もっと根性見せろよ」


「黙れ……! 我は……屈しな……い……! 人間ごときに……尻尾など……!」


ヴォルグは前足で地面を踏ん張り、必死に首を振る。 そのプライドの高さは称賛に値する。


だが、私の作った『禁断のまたたびフォービドゥン・キャットニップ』の濃度は、ドラゴンの脳味噌すらお花畑に変えるレベルだ。


「――おすわり」


私は冷酷に言い放った。


「……ッ!?」


その言葉に、ヴォルグの体がビクリと跳ねる。


「我は……深淵の……王……だぞ……ぐぬぬ……!」


耐えようとする意志と、本能的な服従心。 その拮抗は、わずか数秒で決着がついた。


「わ、わんっ!?」


情けない鳴き声と共に、ヴォルグの膝が折れた。 ズシン、と巨大な体が地面に崩れ落ちる。


それだけではない。 あろうことか、あの災厄級の魔獣が、ゴロンと仰向けに転がり、無防備な腹を晒したのだ。


「くぅ~ん……」


白目を剥き、舌を出し、完全にキマってしまっている。 痙攣する後ろ足が、空しく空を蹴っていた。


「へっ、一丁上がりだ。ざまぁみろ」


私は勝利を確信し、鼻を鳴らした。 その瞬間。


グラリ、と視界が大きく歪んだ。


(あ……やば……)


スパイスによる過覚醒状態。その反動が一気に押し寄せてくる。 極度の興奮状態から、急速に「日常」へと引き戻される感覚。 ジェットコースターで急降下するような浮遊感と共に、私の意識は「臆病な調香師」へと切り替わった。


「……え?」


ティアの瞳から、獰猛な光が消え失せる。 代わりに宿るのは、いつもの怯えと困惑の色。


「……あ、あれ? 私、なんで扇なんか持って……」


ぼんやりと周囲を見渡す。 半壊した街並み。血を流して倒れているラインハルト様。 そして目の前に転がっている、巨大な黒い毛玉。


「……ひっ!?」


思考が追いついた瞬間、心臓が飛び跳ねた。 な、なにこれ? 目の前にいるの、さっきの怖い狼さん!? なんで白目むいてひっくり返ってるの!? もしかして死んでる!?


「いやぁぁぁぁ!! ごめんなさいごめんなさい!! 私なんかがあの、生意気にも攻撃しちゃって!! し、死なないでぇぇぇ!!」


私はパニックになり、その場に土下座した。 またやってしまった。 ドラゴンの時に続き、今度は伝説の魔獣を殺してしまったかもしれない。 これはもう、国家反逆罪とかで処刑コースだ。


「許してください! ほんの出来心だったんです! 命だけはご勘弁をぉぉ!」


地面に額を擦り付けて謝り倒す。 すると。


「……ハッ、ハッ、ハッ」


頭上から、荒い息遣いが聞こえてきた。 恐る恐る顔を上げる。


そこには、仰向けのまま顔だけこちらに向け、だらしなく舌を出して尻尾(影でできている)をブンブンと振っているヴォルグの姿があった。


「……え?」


(……ママ?)


頭の中に、甘えたような声が響く。 さっきまでの尊大で恐ろしい声とは違う、完全に幼児退行したような声だ。


(いい匂い……もっと、嗅ぎたい……ママ……)


「マ、ママじゃないです! 私はティアです!」


私は全力で否定しながら、後ずさる。 しかし、ヴォルグはズリズリと背中で這いながら、私に擦り寄ってきた。 巨大な顔が、私の目の前に迫る。


「ひぃっ!? た、食べないでぇ!」


私は思わず目を瞑って身構えた。 だが、襲ってくる気配はない。 代わりに、ザラリとした感触が頬を撫でた。


「……へ?」


目を開けると、ヴォルグが私の頬をペロペロと舐めていた。 影でできた舌はひんやりとしていて、不思議な感触だ。


「わんっ!(撫でて!)」


「……ええと……?」


この状況が理解できない。 さっきまで「恐怖を伝染させてやる」とか言っていたドSな魔獣が、今は完全にお腹を見せて「撫でて」と要求してきている。


「もしかして……薬が効きすぎちゃった……?」


脳蕩けの甘い誘惑メルト・ダウン・パピー』。

その名の通り、彼の理性を完全に溶かしてしまったらしい。 あんなに怖かった外見も、今ではただの「甘えん坊の大きなワンちゃん」にしか見えなくなってきた。


「……よしよし?」


私は震える手で、ヴォルグの鼻先をそっと撫でた。


「わふぅ……♪」


ヴォルグは恍惚の表情を浮かべ、目を細める。 尻尾の振りが激しくなり、バシバシと地面を叩く音が響く。


「……あんなに怖かったのに、中身はわんちゃんだったんですね」


私は安堵のあまり、へなへなと座り込んだ。 よかった、殺されずに済んだ。 それどころか、なんだか懐かれてしまったみたいだ。


その時、背後から足音が近づいてきた。


「……ティア」


「ら、ラインハルト様!?」


振り返ると、傷だらけのラインハルト様が、剣を支えにして立っていた。 その顔色は悪いが、瞳は優しく私を見つめている。


「ご、ごめんなさい! 私が勝手なことをしたせいで、こんな……!」


「謝る必要はない。

……見事だ、ティア。あの災厄級魔獣を、まさか『手懐ける』とはな」


「て、手懐けたわけじゃ……たまたま、マタタビが効いただけといいますか……」


「謙遜するな。物理攻撃が通じぬ相手に対し、嗅覚を利用して精神を掌握する。

……君の発想と技術は、やはり天才的だ」


ラインハルト様は、足元でゴロゴロしているヴォルグを見下ろし、呆れたように、しかしどこか誇らしげに微笑んだ。


「それにしても……この無様な姿はどうだ。かつて国を滅ぼしたとされる『深淵の魔狼』が、君の前ではただの愛玩動物か」


「あ、愛玩動物だなんて……でも、なんだか可愛いかも……」


私はヴォルグの黒い毛並み(実体化した影)を撫でながら、ふと呟いた。


「この子、名前なんて言うんでしょう?」


(……名前……? 我の名はヴォル……)


ヴォルグが正気を取り戻しかけた瞬間、私はポーチに残っていた微量のスパイスの香りを漂わせた。


「ふぁ~……名前……なんでもいい……わん……」


即座に堕ちた。 思考放棄が早すぎる。


「そうですね……黒くて、わんちゃんみたいで、可愛いから……」


私は少し考えて、ポンと手を打った。


「今日からあなたの名前は、『ポチ』です!」


その瞬間。 周囲で様子を伺っていた騎士たちが、一斉にズッコケた。


「ポ、ポチ……ッ!?」 「あの災厄級魔獣が……ポチ……!?」 「いやいやいや、さすがにそのネーミングは……!」


騎士たちがざわめく中、ラインハルト様だけが大真面目に頷いた。


「素晴らしい名前だ。簡潔で、呼びやすく、この駄犬の本質を捉えている」


「ほ、本当ですか? えへへ、よかったぁ」


ラインハルト様に褒められて、私は嬉しくなった。 私の足元では、新しく「ポチ」と名付けられた魔獣が、「わんっ!(悪くない!)」と尻尾を振っている。


(ポチ……ポチか……。ママがくれた名前……大事にする……)


テレパシーの声も、なんだか嬉しそうだ。 こうして、公爵領を恐怖に陥れた『深淵の魔狼』討伐戦は、誰も予想しなかった「ほのぼの(?)」とした結末を迎えたのだった。


「さて、ポチ。お家に帰ろうか」


「わんっ!」


私が立ち上がると、ポチも嬉しそうについてくる。 その巨大な背中を見ながら、私はふと思った。


(……これ、屋敷で飼ってもいいのかな? エマさんに怒られないかな……?)


新たな不安が頭をよぎるが、ラインハルト様が「私が許可する」と言ってくれたので、とりあえず甘えることにした。

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