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苦手な方はご注意ください。

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いつかの未来の旦那様へ、

「アルシェリア公爵令嬢、俺のそばで国を支えていく将来を約束していただけますか?」


 桐の花の時季でした。

 公爵邸をご訪問なさった第二王子様が、さわやかな笑顔で私に微笑みかけます。


 だから、私もつられて笑みをこぼしました。


「丁重にお断りさせていただきます、セドリック殿下」

「えっ」


 呆気にとられた殿下が目を丸くします。


「な、何故?」


 何故って――。


 すべての始まりは、いえ、終わりは数刻前。

 ただしそれは私の主観時空の出来事で、殿下にとっては10年後の未来の話。


  ◇  ◇  ◇


 氷月花の季節のことでした。


 王妃として、国家に身を捧げる激務の日々。

 しかしこれが私の望んだ道ですから、弱音を吐き出したくなる夜があっても、誇りに思って生きてきました。


 ある雪降る晩、第一王妃の寝室へと帰るまでは。


 そこに、奇異な生物がいたんです。二匹も。


「君は本当にいじらしいな、レシュノルティア嬢」

「セドリック陛下ぁ、お慕いしております」


 軟体動物のように手足を絡め、互いの体を貪り合う一対の雌雄が、私のための寝室にいました。


「陛下……? これは、どういった了見でしょうか」

「ア、アルシェリア……!」


 セドリックはひどく狼狽した様子でした。

 平静を欠いた様子で身振り手振り、「これは、違うんだ」だの「君はきっと誤解しているだけだ」だの、見苦しいにもほどがある言い訳を並べます。


 対する私は、どうなのでしょう。

 彼に向けるのは、怒りの激情の眼差し?

 それとも、胃の底冷えするような冷視?


「というかぁ」


 耳障りな、甘ったるい声が室内に響きました。


「旦那の心を引き留めておけない王妃様が悪いんじゃないんですかぁ?」


 彼女の一声を皮切りに、セドリックの態度は一変しました。


「そ、そうだ! アルシェリア、俺の心を繋ぎ止めておけない君が悪いんだ!」

「私が……?」

「毎日毎日、書類とばかり向き合って。俺のことはいつも後回しじゃないか!」

「セドリック。それは、あなたの分の仕事まで、私が一身に引き受けているからよ。私との時間を大切にしたいなら、あなたも真面目に政務と向き合って――」

「ああ、君はいつもそうだ! そうやって俺を非難するばかりで、優しい言葉の一つくれやしない! 君の態度が俺の心をどれだけ傷つけているかわかろうともしない!」

「セドリック!」

「俺のすさんだ心を癒してくれたのはレシュノルティア嬢だ!」


 きっと、私と彼は破綻していたんです。


「もともと、アルシェリアのことなんか愛してなんていなかった」


 とっくの昔に。

 あるいは初めから。


「君をパートナーに選んだのは、君の家を派閥に取り込み、兄上を王太子の座から蹴落とすためだ。だけど兄上は死んだ。君との婚約なんてなくとも、俺が王だったんだ!」


 陛下が私ににじり寄りました。

 悪鬼羅刹の表情で、激しい怒りをあらわにして。


「俺の生涯最大の不幸は、君をパートナーに選んでしまったことだ!」


 言葉が通じない。

 まったく理性的じゃない。

 感情のままに身をゆだねる、まるで獣。


 うそ寒い恐ろしさを覚えた私は、その場を逃げ出しました。

 しかし。


「どこへ行くつもりだアルシェリア!」

「痛……っ」


 あっという間に追いついた陛下が私の髪をむんずと掴み、引き留めました。

 引き留めて、力任せに、顔を壁に叩きつけました。


 つつ、と額を熱い液体が滴り伝っていきました。

 雪降る夜の、凍てつくような冷たさが、傷口をいっそうズキズキと激しくいたぶります。


「もううんざりだ」


 廊下の窓に手を伸ばし、陛下は勢いよく開け放った。


 悍ましい獣の雄叫びのような風が、花弁雪を乗せて屋敷になだれ込みました。


 彼は力任せに私を開いた窓にねじ込んで。

 私は精一杯抵抗したけれど、ほんのわずかな延命にしかならなくって。


「……っ」


 ふわり。

 身の毛もよだつ浮遊感が、私の体を蝕みました。


 永遠にも思える、一瞬の出来事。

 目も覚めるような鮮明な死の予感と、過ぎ去った日々が脳裏をよぎり。


 激痛が、全身を襲いました。


 痛い。辛い。苦しい。

 それなのに、声も出ない。


 首をねじれば、おかしな方向に折れ曲がった関節が目に飛び込んできます。


 冬の寒空が身に染みました。

 まるで体温とともに、生気を奪っていくかのよう。


(どうして)


 熱い雫が目じりからしたたり落ちて、それすらも氷に変えてしまうような寒夜。


(どうして、こんなことになってしまったの)


 胸の奥底からこみ上げてくるのは、激しい衝動。


(どこで間違えたの)


 否が応でも、理解させられます。

 凍てつく夜は、確かに私を死の世界にいざなっていて、だけど、私は、私の魂は、死にたくないと叫んでいると。


 ずっと、私は私を騙していたんです。


 私個人の願望も欲求も、すべてに蓋をして、それでも国家に貢献しているという事実をよりどころにして、「自分は幸せなんだ」と言い聞かせていたんです。


 ――全然、幸せなんかじゃない。


 私の幸福は、ここになかった。

 幼き日の私は何も見えていなかった。


 初めからわかっていたら、こんな道、選ばなかった。


「――」


 私の人生、後悔ばっかりだ。


  ◇  ◇  ◇


 懐かしい香りに目が覚めます。


(桐の花……)


 幼いころ、風が爽やかな季節になると、爺やが部屋に飾ってくれていた花の名前を思い出しました。

 薄紫色の、鈴のような花を咲かせる、大好きな花。


「お嬢様、アルシェリアお嬢様」


 懐かしい声がします。


「……爺や」


 私が妃入りする前に、不慮の事故に巻き込まれてしまった、大事な大事な使用人。


「そう、私は、死んでしまったのね」


 もう二度と会えないと思っていた爺やと、また会えた。

 予期せぬサプライズに、私は、長らく忘れていた感情を取り戻しました。


 その心の揺れ動きの名前は、きっと、幸福。


 生前しばらく忘れていた大切なものを、死後になってようやく思い出すなんて、皮肉なものですね。


 思わず、自嘲気味な笑みがこぼれる私と対照的に、爺やは怪訝そうな表情を浮かべるだけでした。

 死後の世界に来るには早い、なんてお叱りを受けてしまうのかしら。


「お嬢様、お気を確かに。これからセドリック第二王子殿下と謁見ですぞ。気の抜けた態度で応対しては、悪評が広まってしまいます」

「……へ? 第二王子、殿下? 王位は、セドリックが継承したはずでは……」

「なんと恐ろしいことを!」


 爺やは慌てて私の口を押え、一部始終を目撃していた影が周囲のどこにも無いことを確認し、胸をなでおろしました。


「よいですかな、お嬢様。陛下がご壮健で、しかも第一王太子殿下もいらっしゃるのに第二王子殿下が王位を継ぐと口走るなどご法度」

「……爺や?」


 先ほどから、何か話がかみ合っていない気がします。


(というか、それ以外にも強烈な違和感が……)


 声の調子や、目線の高さが、私の知る私よりも随分幼い気が……。


「へ?」


 そんな折、私は、姿見に映った私自身の姿を目撃しました。

 鏡の向こうで驚愕の表情を浮かべるその姿は、遠い記憶にかすかに残る私自身に他ならなくて――。


(ど、どういうこと!? どうして、幼いころの私が鏡の中に!?)


 これは凍土で死に体の私が、死の間際に見ている夢?

 それとも、長い悪夢から覚めたようやく醒めたところ?


 それは無いでしょう。


 思い出すだけで全身から汗が吹き出しそうになる臨死体験は、決して妄想や夢の類ではありませんでした。

 あれは、間違いなく、私の実体験。

 無数のターニングポイントの果てにたどり着いた、私という物語の末路。


「ひょっとして、私が、願ったから?」


 後悔ばかりの人生を、やり直したいと。


(……これが、死に体の私が凍土の上で見ている夢だとしても、構わない)


 現実の私が死に絶えるまで、私は私を生きてやる。


(今度こそ、後悔しない選択を!)


  ◇  ◇  ◇


 セドリック陛下が、いえ、セドリック第二王子殿下が、記憶通りにやってきて、私の確信はいっそう強まりました。


(あなたの都合のいい人形になんてなってあげない)


 婚約の申し出を断ったときの彼の表情は、往年の鬱憤が晴れるようでした。


 あんな目にあわされて、それなのにセドリックに強く出られる私に自分で驚きましたが、きっと、そばに爺やがいてくれるという安心感が、私を強くしてくれているのです。


「何故、婚約の申し出を断るか、とお伺いになられましたね、セドリック殿下」


 この時期の私は夢見る乙女だったのです。

 初めての告白に、舞い上がっていたのです。


 側室ですらない娘を第一妃の寝室に招き入れる浅慮さも、聞き分けの無い子どものような癇癪持ちの性格も、何も知らずに浮かれる無邪気な子供だったのです。


 彼に王座は相応しくない。

 彼に王位を継承させてはいけない。


「まず、第一に、勢力図の問題がございます」


 私の実家は公爵家だけあり、社交界には強い影響力を持っています。


「公爵家がセドリック殿下と懇意にすると、フェリクス第一王太子殿下との間に軋轢が生まれ、第一王子派と第二王子派で国を内分しかねません」


 セドリックに「殿下もよくご存じでしょう」と付け加えると、彼は苦虫を噛み潰した様に眉をひそめました。


「確かに、アルシェリア嬢の言い分はもっともだ。だが俺は、君を――愛してしまったんだ」


 ひどく狼狽した様子で取り繕う彼は、10年未来まで彼を見てきた私からすれば、嘘八百を並べているのが明らかでした。

 たった一つだけ、証明された真実があったとするならば、遠い未来で彼が放った言葉、『もともと、アルシェリアのことなんか愛してなんていなかった』が事実だったことだけ。


「第二に、先ほどの『俺のそばで国を支えていく』という発言には、王太子の座を簒奪しようとする野心が窺えました」

「そ、それは、言葉の綾で」

「だとしても、相手に不信感を抱かせる不用意な発言をされる殿方に好意的になれない心情は、想像に難くないはずです」


 内心で、セドリックの足りない頭でもと付け加えました。

 彼はバツが悪そうに眼を反らし、

「何が『夢見る無邪気な少女』だ、話が違うじゃないか」

 とつぶやきました。


(ああ、殿下にしては素晴らしい策だったと評価していましたのに、これも誰かの入れ知恵でしたのね)


 きっと、フェリクス第一王太子殿下が王位を継ぐと不都合な人がセドリックをそそのかしたのでしょう。


「第三に」


 あるいはこれは私の決意表明。


「私は決めたのです。私は私を幸せにするために生きるのだと」

「アルシェリア嬢……っ」

「お引き取りくださいませ、セドリック殿下。私の人生に、殿下は必要ありません」


 私は心からの笑顔を彼に向けました。


 彼の顔色は、まるで死体のように真っ青でした。


  ◇  ◇  ◇


 セドリックが「また後日改めさせてもらう」と捨て台詞を残して去る姿にこぼれた言葉は「二度と顔を見せるな」でした。


「お嬢様、大変ご立派でしたぞ!」


 爺やが珍しく、喜色を満面に浮かべています。


「爺や、叱らないの?」


 特大のストレスが去って、少し冷静さを取り戻した後になって振返ってみると、彼を突き放した時の私は感情的になりすぎていた、と思います。


 あれでセドリックは王家の血を受け継いでいる人間。


 ……人間?

 この際、人でなしを人間の枠にはめて問題無いかはいったんさておきましょうか。


 王家に連なるものを追い返すのは、流石にやりすぎだったかもしれない、と反省します。


「あの無礼者には、先ほど程度の態度でよろしいのです」

「……そう、なの?」

「ええ。お嬢様がすっぱりと第二王子殿下を斬り捨てられたとき、この爺や、胸がすく思いでしたぞ」


 私は内心で複雑な思いになりました。


(そんなこと、前回(・・)は一言も言わなかったのに)


 思考に重ねるように、自ら訂正するのなら。


(ううん、言わなかったんじゃない。言えなかったんだわ)


 きっと、私が舞い上がる姿を見て、セドリックの身分もあって、諫めるに、諫められなかったのです。


(彼の暗愚さも見抜けずに無邪気に喜ぶ私を、かつての爺やは、どんな思いで見守ってくれていたのでしょう)


 胸がちくりと痛みました。

 未来に生きていた時は気づかなかった後悔が、いまになって私を苛みました。


 もう二度と、爺やにそんな思いをさせたくありません。


「さ、お嬢様。殿下の訪問が予定より早く終わりました故、スケジュールに余裕ができました。せっかくの余暇、羽を伸ばされてはいかがですかな」

「いいえ、爺や。私、急いで片付けないといけない仕事があるの」


 遠くない未来に起こる、この時代の人間には回避できない悲劇。

 だけど、未来から来た私なら、私だけが回避できる惨劇。


「手伝ってくれるわよね、爺や」


 爺やは、子どもの成長に驚かされる親のように目を丸くして、それから、穏やかな表情と声音でこう告げました。


「もちろんですとも。この身は常に、お嬢様とともに」


  ◇  ◇  ◇


 後年、第一王太子であるフェリクス殿下は呼吸不全で死没なさったことを、私ははっきりと覚えています。

 どうして覚えているかというと、その不審な死を解明し、対策すべく、徹底的な調査を行ったからです。


「確か、この本棚に……」


 私は王立図書館に足を運んでおりました。

 未来の記憶を頼りにすると、ここにフェリクス殿下を暗殺した不届き物の記録があるはずなのです。


「お嬢様? 調べものでしたらわたくしも微力ながら」

「ありがとう爺や。でも、もう見つけたわ」


 記憶の通りにそれはありました。


「アルシェリアお嬢様、これは?」

「表紙の通りよ」


 その書の名前は、『侵略的外来種100選』。

 本来の生息地から離れて移動してくると、その土地の生態系に甚大な被害を及ぼすリスクがある生物を記したリストです。


 その内の一頁に、私の探している生物は載っていました。


「この昆虫よ」


 それは、体長僅か数ミリの小さな侵略者。


「ほう、『強力な毒針を持ち、刺されれば人ですら死ぬこともある』……恐ろしい昆虫ですな」

「その恐ろしい昆虫が、遠くない未来、貨物船にまぎれて本国へと紛れ込むわ」

「なんですと?」


 爺やが眉をひそめ、口元に手を寄せじっくりと思案していました。


「なるほど……本来の生息地は、つい先日、貿易協定を取り交わしたばかりの島国。ありえないことではないでしょうな」


 私は内心で爺やを称賛した。

 仔細を話さずとも、理解に至る思考力、その速度ともに、素晴らしい頭脳だと改めて痛感したからです。


 これがセドリックだったら、話し合いの場を設けるまでに数日かかってしまう。


「被害が拡大してからでは遅いの。犠牲者が出る前に、この昆虫の侵略をなんとしてでも防ぎたいの」


 フェリクス殿下も、その犠牲者でした。


(前回は、食い止めることができませんでした。……ですが、今回は、今回こそは)


 彼には、王になってもらわなければいけない。

 でなければ、私は安心して生きていけない。


「ご立派な志です、お嬢様。しかし、現実問題としては」

「いくら私が訴えても、正しく脅威を理解できない者を動かすのは容易ではない、と?」

「……僭越ながら。尊い理念を説いたところで、徹底した駆除は難しいかと」


 よく知っています。

 なにせ、暗愚な王に代わり、王国を支えてきた知識と経験が私には蓄積しているのですから。


「でも、心配いらないわ。するのは、それほど難しいことじゃないから。必要なものは、大きく二つだけ」


 一つは、遠くない未来に本国を襲撃する昆虫のサンプル。

 そしてもう一つは。


「そう、ワサビよ」


  ◇  ◇  ◇


 それから数週間。


 前回は必死になって食らいついた英才教育も、いまとなってはすべてが既知。

 空いた時間を活用して、私は研究に没頭しました。


「フ、フフフ。ワサビが、目に染みる」

「お嬢様、御者が不審がっております。その不気味な笑みをお抑えくださいませ」

「わ、わかっていま……フフフ」


 わかっていても、笑いが止まりませんでした。


 前回の私は、この外来生物の根絶に非常に手をこまねきました。

 数年間にわたって少なくない予算を割り振って、駆除に助成金を出し、それでも根絶は難しかったことを覚えています。

 その苦労が、もう少しで消滅する。


(それにしても、この夢はいつ終わるんでしょう)


 願わくは、遠い未来まで、ずっと、ずっと。


  ◇  ◇  ◇


 私は爺やとともに、王宮へと馳せ参じていました。

 目的は一つ。

 今後数年にわたって王国を苦しめる、虫害への対策となる画期的な発明品のお披露目のためです。


 しかし、そういう時に限って厄介事というのは降りかかってくるものです。


「やあやあ、アルシェリア嬢。待っていたよ」


 耳障りな声がして、私はひどくげんなりしました。


「……セドリック第二王子殿下。どうしてここに?」


 遠い未来で私をこき下ろし、殺した張本人。

 いつかの配偶者が、私の前にのうのうとその顔を見せたからです。


「私が取り付けた約束は、陛下との対談だったはずですが」

「わかっている。みなまで言うな。あの時の謝罪に来たのだろう?」

「はぁ?」


 この、人と形容するのも受け入れがたい何かの言葉をどうにか翻訳するに、これはこういっているらしい。


 ――日に日に彼への恋慕と罪悪感が大きくなっていった。

 ――陛下との面会というのは建前で、本当は彼に会うために王城へ赴いた。


「違います」

「はは、まったく。君は素直じゃないな。もっと正直な方が可愛いよ?」

「余計なお世話です」


 どうして、彼とはこうも話がかみ合わないのでしょう。


 いえ。わかっているのです。


 彼は、私と会話していないのです。

 自分の言いたいことを、一方的にぶつけてくるばかりで、私の声に耳を傾けようとしないのです。


「アルシェリア嬢……」

「気安く触れないでください」


 伸ばされた彼の手を払い――。


「このアマ……っ! 優しく接してやったら、図に乗りやがって……! 俺は、この国の第二王子だぞ!」


 激昂する彼を、私は冷めた面持ちで眺めていました。

 また始まりました。彼の癇癪です。


「おい守衛! この不届き者を捕えろ!」

「え、ええっ!?」


 彼に目を付けられてしまった守衛さんが、わかりやすく狼狽する。


「なんだ、俺に歯向かう気か? 貴様も逆賊か? 一族郎党皆殺しが好みか?」

「い、いえ! 決してそのようなことは!」

「だったらやれ!」


 私は彼に同情した。


「あの、その、えーと、そういうことですので」


 捕縛用の縄をもって、どうしたものかと、泣きたい気持ちがにじんでくるほどやつれた守衛さんが歩み寄ってきました。


 爺やに目配せしても、何も言わずに頷くだけでした。

 ここは、大人しく捕まるのが吉、ということでしょう。


 なにせ、お咎めを受けるべきがどちらなのかは、すぐに明らかになるのですから。


 なんなら、あえて冤罪で捕まることで、セドリックの非を大きくしようという魂胆もあるのかもしれません。


「ごめんなさいね。彼の癇癪に巻き込んでしまって」

「い、いえ! あの」

「さ、あなたの仕事を遂行して。後で陛下に事情は説明しておくわ」

「……重ね重ねのご厚意、痛み入ります。それなのに、このような仕打ち……誠に申し訳ございません!」


 守衛さんが男泣きしながら、私を縛り上げようとして――。


「彼女たちを捕える必要はないよ」


 ――待ったの声がかかりました。


「嫌がるご令嬢に無理やり迫り、挙句、身分を使った強権執行かい?」


 声の主の足音は、王宮内から近づいてきました。

 やがて白日の下に姿を現した人物に、私は目を丸くしました。


「同じ王族として、弟の暴走を見過ごすわけにはいかないな」


 私の前に現れたのは、私の知る歴史ではもう、決して会えない、セドリックのお兄様。


(フェリクス、第一王太子殿下……!)


 彼は私のそばまで歩み寄ると、まず第一に、騎士の礼をしてみせました。


「アルシェリア・ローレライ公爵令嬢、私はフェリクス・フォン・セントルシアと申します。弟のセドリックの度重なる無礼、真に申し訳ございませんでした」


 だから、私は一瞬、言葉と思考力を失いました。


「フェリクス殿下! おやめください! 王族が、そのように頭を下げるなどあってはなりません」

「王族とは言えど、アルシェリア嬢は公爵家のお方。礼節を重んじるのは本来当然のこと。それをわきまえぬ愚弟の行為を振り返ればこの程度では済まないだろう」

「……っ、でしたら、お詫びの言葉を受け取らせていただきます。今回の件は、不問とさせていただきます。これで殿下も頭を下げる理由がないはずです」


 それを聞いて、フェリクス殿下は「それはよかった」と朗らかな笑みを浮かべました。

 してやられた、と痛感しました。


「ま、待て! 話はまだ終わってな――」

「セドリック。私は彼女を案内せねばならない。これ以上私の手を煩わせるな。大人しくしていろ。いいな?」

「~~っ」


  ◇  ◇  ◇


 セドリックを置き去りにして、王宮を、フェリクス殿下のエスコートで応接間へと向かっています。


「噂以上に強かなお方なんですね」

「噂がどういったものか、聞かせてくれるかい?」

「『フェリクス殿下がいれば国は安泰だ』と」


 遠い昔に聞いた言葉をそのまま伝えると、彼はカラカラと笑って見せた。


「噂というのは怖いね。私は、ただの懸命に生きる人間に過ぎないのにさ」


 どうぞ、と言って彼が応接間の戸を開く。


(王妃になった未来では、数えられないくらい足を運んだこの場所だけど、問合せ側としてやってくるのは、初めてかもしれないわね)


 慣れ親しんだ部屋で、しかし慣れない席に案内されて腰かけると、その向かいにフェリクス殿下が腰を下ろした。


「さて。陛下との謁見を希望と聞いたが、あいにく陛下は隣国で会談中でね」

「あら? 受け取った手紙には、今日が指定されていたのですが」


 玉璽の印の入った手紙を取り出して、フェリクス殿下に差し出しました。

 すると、殿下は頭を抱えて低く唸りました。


「……あの、愚弟」

「あっ」


 察する、というものです。


(もしかして、これってセドリックの偽造文書……)


 そう考えると、今日、私が王宮を訪ねることをセドリックが知っていて、待ち構えていたことにも納得がいきます。


 玉璽を拝借するなんて重罪です。

 たとえ王子であろうと決してしてはいけません。

 妥当な処分と言えば、廃嫡、でしょうか。


「申し訳ない。王家に手違いがあったみたいだ。私が対応できることなら対応させていただくが、どうだろう」


 本当は陛下に聞いてほしかったのですが、再度謁見の申請から行っていては次にいつ会えるかわかりません。

 それに、セドリックの妨害が入らないという保証もありません。

 ここは、フェリクス殿下に話をするのが最も早いでしょう。


「では、お言葉に甘えて。まず、こちらの資料をご覧ください」


 私は、事前に王立図書館から借りていた『侵略的外来種100選』の、渦中の虫の頁を開きました。

 少し前に貿易協定を結んだ島国に生息しており、貨物船にまぎれて到来する恐れを説明しようとして、しかし、不要になりました。


「……っ、そうか。これか!」


 突然、殿下が勢いよく立ち上がったからです。


「港での連続不審死の件だろう? 私の耳にも入っている。私も調査したが、その正体がなかなか掴めず……」

「お、お待ちください!」


 いま、フェリクス殿下は何とおっしゃりましたか。


「港での、連続不審死……? ひょっとして、もう既に被害が?」


 殿下が眉をひそめます。


「知っていて、調査に乗り出したんじゃないのか?」

「いえ……」


 厳密に言うと、知っていたのは事実です。

 ただし、それは私が知る未来の話。

 そしてそこに記された公の文書では、最初の被害まで数か月の猶予があったのです。


 故に、知らなかったのです。

 実際には、これほどまで早い段階から被害が生まれていたなんて。


「ということは、君は知識からこうなることを予測して、事前に動いていたということか……末恐ろしいな」


 ……殿下は、勘違いなさっているようでした。


(違う、違うんです)


 私は未来で見てきただけなのです。

 実際には、殿下の想像しているような、事件を予測する力なんて大したことありません。


(けれど、「私は未来を見てきました」なんてバカげたこと、言ったとしても信じてもらえるはずが無いわ)


 何故知っているのか。

 その説明を、納得できる形で話すのは困難を極めます。


「買い被りですよ」


 乾いた笑みしか、浮かべられませんでした。


「君がどうして謙遜するのか、ここでは追求しないでおくよ。ただ、これだけは言わせて欲しい。君のおかげで原因を突き止めることができた。対策は私たちでも考えてみることにするよ」

「あ、それなのですが」


 忘れていました、大事なことを。


「殿下、こちらをご覧ください」


 私は二つの密閉容器を取り出して、おもむろに殿下の前に提出しました。

 ガラス製のその容器の中に潜む虫を見て、殿下が息を呑みました。


「これは」

「南国にて捕獲した後、取り寄せたものです。右の容器と左の容器で異なる部分がお判りですか?」

「……中の昆虫の、生死だ」


 殿下のおっしゃったとおり、私から見て右の容器の昆虫は元気に生きており、左の容器の昆虫は死に絶えている。


「では、どうしてそのような差が生まれたと思われますか?」


 殿下には採取した場所、日時、渡航経路から経過日数まで、可能な限り条件を合わせた、無作為に抽出した個体であると説明いたします。


「……わからない。お手上げだ」


 殿下はしばらく悩んだのち、降参なさりました。


「正解はですね、これです」


 私はさらに、追加でもう一つの密閉容器を取り出しました。

 その容器の中には、緑色の植物が保管されています。


「これは……ワサビ?」

「ええ、ワサビです」


 どうやら、長年私の頭を悩ませたこの外来昆虫は、ワサビの辛味成分が大の苦手らしいのです。


「中の昆虫が死滅している方の容器の内側は、すり潰したワサビでコーティングしておいたんです。すると、私の手元に届くころには見事全滅していた、というわけです」


 殿下は目を丸くして話を聞いて、険しい顔をして、私に問いかけました。


「アルシェリア嬢、君は、どこでこれを知ったんだ?」


 その目には疑いの色がにじんでいました。

 私が事件を手引きした可能性を含めて思案していらっしゃるのかもしれません。


 そのくらい頭が回る方が、向いているのでしょうね。

 民を治める、王としては。


 口八丁で、その場をやり過ごす自信はございます。

 伊達に、セドリックの代理として各国の首脳陣と会談をこなしてきたわけではないのです。


 ですが、誤魔化したところで、殿下はきっと「誤魔化された」ことを見抜いてしまうでしょう。


 ですから、ここはあえて、こう言いましょう。


「さあ。どうでしょう。答えがわかったら、いずれ教えてください」


 殿下は私がそう答えるのを、全く想定していなかったようで、初めて手品を見た子どものように、あどけなさの残る顔で驚きをあらわにしました。


「ははっ、そうくるか……うん。わかった。いつかたどり着いてみせるよ、その答えに」

「楽しみにしていますね」


 いかにワサビがこの外来昆虫に効果的かを力説し、私は殿下の部屋に大量に設置することを要求しました。

 殿下はそこまでしなくても、と顔を引きつらせていましたが、私の知る歴史であなたはこの外来昆虫に殺されているのです。

 警戒はしすぎても足らないくらいです。


  ◇  ◇  ◇


 それから、私はフェリクス殿下としばしば顔を合わせる仲になりました。


「やあアルシェリア嬢。この前君に相談した件だけど、何とかなりそうだよ。君に相談してよかった」

「まあ、殿下のお役に立てたのなら何よりですわ」


 フェリクス殿下は素晴らしいお方です。

 こちらが要点を話すとすぐさま全容を理解し、細かい指示などなくとも勝手に問題を解決してくださります。


(前の周でも、殿下がいてくださったらなぁ)


 そうすれば、私の気苦労もだいぶ減っていたに違いありません。


(いえ、その場合は、そもそも私が政策に口を出す機会も無かったでしょうね)


 その点、今回の世界で、私と彼の関係は極めて良好でした。


「それで、今回はどんな無理難題を抱えていらしたんですか?」

「酷いなぁ。まるで、私がいつも厄介な事件を持ち込んでいるみたいじゃないか」

「あら、違いましたの?」


 未来の知識を知る私と、事件を解決する能力に秀でたフェリクス殿下。


 私たちの利害は一致して、互いが互いを利用する関係性を築けていたのです。


 少なくとも、私はそう思っていました。

 今日この日までは。


「否定はしないよ。けど、今日は本当に違ってね」


 ですが、私の認識とは大きく外れて、フェリクス殿下は初めて会った時のように、私の目の前で騎士の礼をして、


「今日一日、あなたの時間を私にくれませんか? お姫様」

「……へ?」


 デートのお誘いを、申し込んできたのです。


  ◇  ◇  ◇


 ……楽しかった。


 馬車の車窓から眺める景色も、見晴らしのいい丘で感じ取った風も、目に映る世界が輝いて見えました。


 今日という一日が、すさまじい速さで駆け抜けていきました。


「ありがとうございます、フェリクス殿下。本日は、とても素晴らしい時間を過ごせました」

「私もだ、アルシェリア嬢。君と過ごした今日は、私にとって忘れられない一日となった」


 やけにきれいな夕暮れが、別れの時を告げています。


「本当に、夢のような体験でした」


 ……私は、あとどれだけ、この幸福な夢の続きを見られるのでしょう。


 伝えたい言葉も、伝えたい思いも、形にできない。


 また会える日を、心から楽しみにしています。

 その一言が、ずっと言えないままなのです。


「それでは、今日は、これで」


 馬車は公爵邸の前で止まっていました。

 少し段差のあるそれを、彼のエスコートで下車する。


 その折。


「アルシェリア嬢」


 殿下が口を開きました。

 彼の口から放たれたのは、予想に反して、別れの言葉ではなくって。


「私は、いつも君に支えられている。君をかけがえのない存在だと思っている。……その思いは、今日という一日を通して、さらに強くなった」


 空の色は茜でも、確かな夜の訪れを告げる冷たい風が、頬を撫でていきました。


「私の、将来を側で歩んでください」


 私は知っていました。

 それが、この国流のプロポーズの言葉だと。


 脳裏に浮かぶ、彼との未来は、とても楽しそうで、どの場面の私も笑顔を浮かべていて――でも。


 守れるかわからない約束をする勇気、私には……。


(ううん、違う)


 私が本当に恐れているのは、約束を果たすことも無く、この夢が終わってしまうことではないのです。


(確かな幸せを掴んだら、希望が叶ったら、この夢が終わってしまう、そんな気がして)


 口をついて出た言葉は。


「申し訳、ござい、ません」


 涙が頬を、伝っていく。


  ◇  ◇  ◇


 それから、なんとなくフェリクス殿下と顔を合わせるのが気まずくなって、めっきり顔を合わせる機会が少なくなりました。


(私は、矛盾しています)


 今回こそ幸せを掴むと口では言いながら、その糸口が現れると、拒絶したんです。

 不安の種が胸の奥底に根を下ろし、命が尽きかけようとしているあの晩の凍てつく寒さが、どうやっても拭えないのです。


(自分で自分が、嫌になる)


 ふと、公爵邸の外が騒がしいことに気が付きました。


「お嬢様、大変です!」

「爺や? どうしたの?」


 血相変えて、息せき切って表れた彼に、私は尋常ではない不吉な予感を覚えました。


「殿下が、フェリクス王太子殿下が、危篤だそうでございます」

「なんですって!?」


 爺やから渡されたのは、玉璽の印が入った書状。

 中を一読してみるに、確かにフェリクス殿下の容体が急激に悪くなり、予断を許さない状況だと記されています。


「外に王宮からの使いを待たせております」


 それが意味するところは、王宮への招聘。

 状況から察するに、命の危機に瀕したフェリクス王太子殿下のそば仕えの誰かが、私に馳せ参じることを望んでいる、と言ったところでしょうか。


「っ!」


 よそ行きのドレスに着替える暇すら惜しくて、私はすぐさま駆けつけました。


「アルシェリア様ですね。殿下がお待ちです、ささ、どうぞ馬車に」

「ええ、よろしくお願いするわ……」


 強烈な違和感が、脳裏をよぎりました。


(……? なんでしょう、この、頭の裏側を針で刺すような、むずかゆさ)


 何か大事なことを忘れていて、思い出す一歩手前まで来ている、そんな感覚。


(前回の記憶? ……いいえ、フェリクス殿下の死に際に、立ち会った記憶はございません)


 でも、だったら、何を私は忘れているのでしょう。


「……ぁ」


 カチリ、と。

 脳内で違和感の欠片がキレイにつながりました。


「一つ、お伺いしたいのですが」


 私は、私を馬車の中へと急がせた御者に向き合いました。


「あなたは、誰の命令でここにいらしたんですか?」

「へ? そ、それはもちろん、フェリクス王太子殿下の命でさぁ」


 澄んでいく。

 思考から、真実を覆い隠そうとする靄が晴れていく。


「どうして、そのような嘘をおつきになるのですか?」

「は、はぁ?」


 私は、半ば確信をもって御者に問いかけました。

 御者の男はしばらく慌てふためいた様子でしたが、やがて一人で得心いったようにうなずいて、こう続けました。


「ああ、アルシェリア様はこうお考えなのですね。『重篤な状態の殿下が指示を出せる状態にあるはずない』、と。でも、それは違います。殿下はかすかな意識で、アルシェリア様をいまも呼び続け――」

「いいえ、私が言っているのはそのようなことではございません」


 私でなければ見抜けないくらいの、ほんのわずかなミス。

 一連の首謀者は、それを犯していたんです。


「私が言いたいのは――第二王子派のあなたが、どうして第一王子の命で動くのか、ということです」

「アルシェリア様……? 何か、誤解が」

「言い訳は無用です。私は、それを確信しています」


 ……王位継承にまつわる派閥争いは、傍目からでは把握できないくらい複雑怪奇に絡まりがちです。

 それが末端の構成員となればなおさら。


 ですが、私は彼を知っています。


 何故って――セドリックが王位を継承してから、急に重用されるようになった子爵家お抱えの御者だから。


「もう一度問います。これは誰の差し金で、何のたくらみですか」

「……チッ、あー、もう、めんどくせえ!」

「……っ!?」


 気が付けば、私はその御者に、羽交い絞めにされていました。


「お嬢様!?」

「おっと、動くなよジジイ。大切なご令嬢の顔に、醜い傷を残したくなかったらなぁ」


 御者の男は、鈍色に煌めく刃を私の眼前でひゅんと払い、私の顔のすぐ横に、水平に構えました。


「くっ、お嬢様……」


 人質に取られていると、私は理解しました。

 自らの命脈が、私を羽交い絞めにする男に握られているということも。


「誰の差し金で、何のたくらみかって聞いたな。悪いが、依頼主の情報は明かせねえンだわ。理由も聞いてねえ、が、予想はつくぜ?」

「私の存在が、邪魔だったから?」

「五十点ってとこだな。フェリクス殿下に王位継承権の放棄でも迫るつもりじゃねえか?」


 ……どうして、こうなるのでしょう。


 いつもそうです。

 運命という大きな流れは、私の意志など気にも留めず、私を呑み込み渦中に沈めようと猛威を振るってくるのです。


「さあ、おしゃべりの時間は終わりだ。なあに、悪くは扱わねえさ。あんたが大人しくしている限りはな」


 私はただ、幸せを願っただけなのに。


  ◇  ◇  ◇


「残念だけど、そうはいかないよ」

「は?」


  ◇  ◇  ◇


 不意に、鈍い音が耳をつんざいて、目の前を一筋の白銀が尾を引いていきました。

 それが、御者の手に握られていた刃物だと気づくのに、さほど時間はかかりませんでした。


「っ痛ぅ!」


 遠距離からの、ナイフだけを狙った狙撃が行われていたのです。

 御者の男は不意の衝撃に手を痺れさせているように見えます。


「誰だ!」


 御者の男が問いかけますが、私はその正体に、薄々感づいていました。

 そして、その予感は正しくて。


「フェリクス・フォン・セントルシア」


 そこにいらしたのは、フェリクス殿下だったのです。


「な、なんで、ここに」


 ひどく狼狽した様子の御者を、フェリクス殿下は飽きれた様子でため息交じりに非難します。


「あのね、君たち、ワンパターン過ぎるんだよ。今回も、セドリックをそそのかして、玉璽入りの偽造文書を用意したでしょ」


 フェリクス殿下が冷たい声音で言い放ちます。


「……何の対策もしていないと思っているの?」


 秘められているのは、激しい怒り。


「前回は証拠不十分で訴えなかったけど、今回はきちんと、魔道具を使って証拠を押さえさせてもらった。いまごろ、愚弟の廃嫡が決まっているころじゃないかな」

「は、はぁ!?」

「さて、君たちが擁立しようとした王は継承権を失ったわけだけど、君の雇い主はまだ、君の後ろ盾として守ってくれるかな?」

「う、嘘だ……そんなはず……」

「さて、君には二つの道が残されている」


 強かな笑みを浮かべる殿下が、御者の男に迫ります。


「洗いざらい話して情状酌量を求めるか、義理を通して尻尾切りにあうか、どっちが好みだい?」


  ◇  ◇  ◇


 それから、私は王宮へ向かいました。

 今度はフェリクス殿下の馬車で、彼と一緒に。


 目的は明快、被害者として事件の証言をするためです。


 私が王宮につくころには、既に裁判が始まっていました。


 裁判対象であるセドリックは縄で縛られ、鬼の形相で早口にまくしたてているようでした。


「――だから、これは罠なんだ! 俺はハメられただけなんだ! どうしてわかってくれないんだ!」


 癇癪を起している彼と、不意に、誠に遺憾ながら、視線がバチリと交錯してしまいました。


「お、おお! アルシェリア嬢! 俺を助けに来てくれたんだな!?」

「は?」


 セドリックは顔をパッと明るくしました。

 対する私は、彼の言葉の意味が理解できませんでした。


「君からも証言してくれ! 今回の事件は、不幸な事故だったと! こんな裁判、無効だと!」


 ……呆れました。


 まさか、この期に及んで、私が救いの手を差し伸べるとでもお思いなのでしょうか。


 本当に、どこまで、お花畑な頭をしているのでしょう。


「陛下、発言の許可を求めます」

「よろしい」

「ではまず、こちらを証拠として提供させていただきます」


 私は一通の書状を取り出しました。


「そ、それは」


 セドリックの顔色は、途端に青ざめていきます。


「先刻、王家の使者を名乗るものが届けてくださった書簡です。確認をお願いしたく存じます」


 私は陛下に証拠の提出を行いました。

 玉璽の印が入っていることを確認した陛下は眉をひそめ、険しい表情のまま中身を黙読なさります。


「で、でたらめだぁ!」


 セドリックが喚いています。


「だいたい、俺の仕業って根拠は、フェリクスが仕組んだ魔道具の記録だけだろ!? その記録が改ざんされてるかもしれねえじゃねえか! そうだ……これは、俺を陥れる陰謀だ!」


 証拠として扱うための魔道具が、簡単に改ざんできるはずありません。

 それはわかっているのでしょうが、絶対に不可能とは言い切れないはず、と彼は主張したいのでしょう。


「それとも、他に俺がやったっつう証拠でもあるっつうのかよ!」

「ええ、ありますわ」

「だろ!? 俺がやった証拠なんて、あるわけ……え?」


 魔道具による記録が物的証拠とするならば、これから提供するのは、発言による人的証拠。


「陛下、さらなる証人喚問を要求します」

「許可しよう」


 私の背後から、大柄な男の人影が現れる。


「お、お前は!」

「あら、セドリック様。彼の素性に心当たりがおありで?」

「ち、違う……! 俺は、そんなやつ、知らねえ!」


 私が招いた人物、それは、私を拐かそうとした御者の男でした。


「紹介します。こちら、今回の事件の実行犯さんです」


 残念なセドリックが、我が意を得たりと口を挟みます。


「ほら見たことか! 真犯人は別にいたんだ!」


 私は、実行犯と申しただけですがね。

 誰も彼が手引きしたとは言っていません。


「陛下、彼は既に改心し、首謀者および共犯者の名前を告発する用意がございます。なにとぞ、配慮の上での判決をお願いしたく存じます」

「わかった、申してみるがよい」


 それから、御者の男の証言が始まりました。

 首謀者として名前が挙がったのはある子爵家の当主。

 そして、共犯者として告発されたのは、セドリック。


 国王陛下は、酷く、胸を痛めた様子で、悲しそうに嘆息なさりました。


「……残念じゃ、セドリック」


 死体のように青ざめたセドリックが、酷く狼狽した様子で、陛下の顔色を窺っています。


「違う、違うんだ。俺は、そんなつもりじゃ」

「ここに判決を言い渡す。セドリック・セントルシアを廃嫡とし――!」

「ま、待ってくれ!」


 みっともなく、顔を涙で濡らし、無様に命乞いをする男の影がそこにありました。


「助けて、助けてくれ、アルシェリア嬢」


 男の名前は、セドリック・セントルシア。


「俺には、君が、必要なんだ。頼む……助けてくれ」


 いつかの未来の、私の旦那様。

 あの時あなたがおっしゃった言葉を、私は決して忘れません。


 ――アルシェリア、俺の心を繋ぎ止めておけない君が悪いんだ。


 だから、観念してくださいますよね。

 受け入れてくださいますよね。


「お断りします」


 私の心を繋ぎ止めておけなかった、あなた自身の報いだ、と。


  ◇  ◇  ◇


 裁判が終わり、私がバルコニーで風を感じているときのことでした。


「やあ、アルシェリア嬢。気分は晴れたかい?」


 不意に背後から声をおかけになったのは、第一王太子殿下、フェリクス様でした。


「いいえ。なにも」


 もうセドリックの顔を見ることも無くなる。

 それは悲願だったはずなのに、後に残ったのはむなしさで、


「もうとっくに、彼に対する関心なんて、微塵も残ってなかったんだと、改めて思い知っただけでした」

「そうか」


 殿下はそっと、私の横にお並びになられた。

 季節の移ろいを告げる風が一陣、吹き抜けていました。


「フェリクス殿下、一つお伺いしてもよろしいですか?」

「なんだい?」

「どうして、事件が起きてすぐ、公爵家に向かえたのですか?」


 今回の件、殿下の魔道具で確認できたのは、セドリックが玉璽を不正利用した記録だけ。

 書状の内容を確認する方法なんて、殿下には無かったはずです。


 私がそう問い詰めると、殿下は困ったように笑われました。


「さあ。どうだろう。アルシェリア嬢はどう思う?」


 ふと、フェリクス殿下と初めてお会いした時の思い出がよみがえりました。

 現代では知り得ない知識を、どうやって得たのかと問う殿下に、私は「さあ。どうでしょう。答えがわかったら、いずれ教えてください」と応えたのを、覚えています。


「……」


 たとえば、こんな馬鹿げた話はどうでしょう。


 セドリックの謀略は見事にハマったんです。

 そして、フェリクス殿下は人質である私の救出のために命を落とした。


 はず、だったとしたら?


 本来の歴史から、因果を離れて、過去に逆行した存在がいたとしたら?


(ありえませんね)


 だって、これは私の見ている長い夢。

 凍土に横たわる死にぞこないが、死の間際に見ている、未練がましい夢物語――。


「ねえ、アルシェリア嬢。こんな噂は知っている?」


 苦笑気味にフェリクス殿下が話してくれたのは、王家にまつわる伝承でした。


 王位継承をめぐって争った王子たちの物語。


「私たち王家の人間は子どものころから、兄弟同士で争ってはいけないよ、と教わるんだ。もし、謀略で王になると、呪われるから、ってね」

「呪われる?」


 かつて王位を争った王子たちは、謀殺を繰り返しました。

 そこで国王は国一番の魔法使いに、呪いをかけさせたのです。


「王家の血を引く人間が人を謀殺すると、過去が書き換わる呪いさ」


 私は目を見開いていました。

 その事象に、強烈な心当たりがあったからです。


「正直、継承権争いを抑止するための作り話だと思っていたけど、昨日――といっても君にとっては明日の話だけど、一つ思い出したことがあるんだ」


 ――現代では知り得ないはずの情報を、どういう理屈か知り得ている人物がいる。


「そう、君のことだよ、アルシェリア嬢」


 殿下はおっしゃいました。

 私が未来を見てきて、王家にまつわるものに謀殺されたと仮定すれば、すべての謎が紐解ける、と。


「お待ちください、でしたら、殿下は、そんな不確かな根拠をもって、セドリック殿下に命を差し出したとでもおっしゃるのですか!?」

「それは違うよ、アルシェリア嬢。私が私の命をセドリックにくれてやったのは、命を捨ててでも、君を守りたいと思ったからだよ」


 殿下は「まあ、伝承が本当だったらうれしいな、と望みはしたけどね」と照れ臭そうに微笑んだ。


「前に君は聞いたね。知り得ないはずの情報を知る君に、どこで知ったのかと問う私に『答えがわかったら教えてください』と」


 ずっとわからなかった謎かけに、いまなら答えられるよと殿下はおっしゃりました。


「死んでも君を守る。だから、アルシェリア嬢。私とともに未来を生きていただきたい」


 真っ直ぐな瞳が、私をじっと見つめています。


(これが、夢じゃないのなら)


 一筋の雫が、頬を伝っていきます。


(幸せを掴んでも、終わらないなら)


 生きてみたい。

 今度は、彼と。

 後悔しない未知を。


「はい、よろこんで」


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