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キリストの福音の三要素を思う

 上野警察署の前を通った。

 僕の娘は成人して警察官になった。岩手県の盛岡で奉職している。本音を言えば僕は娘に警察官になってほしくなかった。殉職という可能性が少しでもある仕事に就いてほしくなかった。

 僕は上野警察署の建物を胡散うさん臭く見上げた。以前、拳銃を持った男が自宅に立てこもる事件を起こして殉職者を出した。警察官たちが防御の盾を構えながら集団になってしゃがみ、男の家ににじり寄って行った。立てこもり男が発砲した。銃弾は警察官の一人に当たった。警察官は防弾チョッキを着ていたが肺の上部に銃弾を受けて倒れた。そして殉職した。まだ若い二十代の男の警察官だった。

 立てこもった男は警察官を撃った後で、このままでは射殺されると思ったのだろう。自ら投降を申し出て生きたまま警察に捕まった。あの警察官の殉職は何だったのか、とやり切れない思いの残る事件だった。


 マンションが売れればいいんだ、と僕は自らに言い聞かせた。マンションさえ売れれば僕は一千万円儲けて岩手の実家に戻って細々と何の仕事でもいいから働いて月に十万も稼げば、まあ満足のいく生活ができると保証されている。だがそれまでの間は、僕は中間地点にいる。この東京に生じたある種の空白の期間を、空白の場所で、空白の精神を持って僕は生きている。あるいはより精確に言えば僕は生きてはいない。今を『死んでいる』。

「東京で二十年以上も働いて、その結果が『死んでいる』かよ」鳥が嘲笑した気がした。

「皮肉を言いたいだけならもう餌をやらないぞ」僕は答えた。「朝からすきっ腹で苛々して好きなだけ皮肉を言うがいい」

「おお、怖い。怖い。ところで俺はヤシの実が欲しいんだがな。このクチバシでヤシの実を割れたらさぞかし痛快だろう」

「ヤシの実は手に入らない」

 僕はふいに不安に囚われて薬を飲んだ。抗不安薬だ。ミネラルウォーターで飲み下す。あまり効かない。というか全く効かない。

 僕はベンチの上で呆然とした。

 僕はふとキリストの福音の三要素について思った。福音の三要素を言える人間は百人に一人だけだ。なぜなら日本でのクリスチャンの割合は一パーセントだから。僕は福音の三要素を言える。だがヤシの実は手に入らない。抗不安薬も効かない。人生とは上手くいかないものだ、と僕は思う――。



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