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暗い青色が滲んだ空の下、あの人は私の手を引っ張り、海へ連れ出して行った。しかし必死に私の左手を握り締めて来るあの人の指から伝わって来るのは、ときめかせる微熱などではなく、ただ奴床に捕まれるような頑なな痛みだけであった。


私は途中で走り疲れていたけれども、あの人はただ心ありげな目つきで私の顔を少し見て、また私の手を取って先より早い速度で走り続けた。それは決して、病気に罹った人が持つべき体力ではなかった。


やっとあの人が足を止めて私をこの束縛から解いたけれども、体の限界を超えたこの過度なランニングで沸いた血液が私の肺を焼き続けていた。血が冷めて呼吸も上手くできるようになってから、私は顔を上げてあの人の姿を見た。涼しい風が少女の裾を吹いていて、純白で病的に見える少女の肌が直接に私の目に飛び込んで来た。すると、どんどん大きくなったこの白く輝いた純白の中で、病弱になった少女の姿を初めて見た時の画面は有無を言わさず私の視神経を侵入した。そうして、私は自分の唇が激しく震えたことに気付いて、あの時の自分の聞き取れなかった言葉がいま耳元に響いた。


「だれ…なんだよ」


ああ、なるほど、そういうことか。もうわたしは、あのときから狂ってるんだ。なるほど。そーゆーことか!


突然、身体に痺れるほど痛みを与えた電流が足から湧いて来て脳神経まで走り続けて、私は絶頂より何百倍もの快感を覚えた。そうしてこの電流が心臓から起きていた生体電流を乱れて、失調した心の臓器は悲鳴するように全身を激しく脈打った。私はこの身が破裂しそうになった快感の中で細くて柔らかい少女の首を締めて海に突き倒した。いま絶え間なくこの両手を伝わって来た温度の来源はこの海水が残っている熱量なのか、或いはまだ逝っていない少女の体温なのか、既にそんなことを考える余裕さえなくなった。海水に浸った白いロングドレスが少女の体に粘り着いて、曖昧にその体の輪廓を描いた。


ああ、なんて興奮だ。まるで霊智を開化されてから知識を探求し続ける人間様がこの数千年かかっても見つけることのできぬ、かの存在さえ気付いていなくて、全人類の運命に関して未知なる真理の記された本をいま手に入れた。そうしてまた天下の往来で大笑いしながらそれをずたずたに引き裂いて、紙屑扱いで焼き尽くしても構わないほどの大きな権利がこのわたしに降られたように興奮してきた。ねえ、風夕。あなたはいまみているの?


あなたはきっといまのこのわたしをみているのね。じゃあもっとみてちょうだい。ほら風夕、もしこの腐った血肉に築かれた、あなたとよおく似たこの変な偽物を殺したら、ほんとのあなたは、わたしのそばに帰ってきてくれるの?あの強くてやさしい、わたしの前に弱みを晒したことのない……いや、本物のあなたのなら、必死に心の底に隠している醜く卑しい弱みなんて、そんなもん絶対ないだろ。もしほんとの下原風夕がまたわたしのそばに帰ってきてくれて、その時が来たら、徹底的にあなたをわたしのものにしてもいいのね?


そうだ、きっとそうなるんだ。返して。わたしの風夕を返してよ。そんだけじゃなく、すべてを、このわたしに返せよ――!


私は接着剤がついたように重い瞼を無理矢理に開いて起座きざした。あの呪いのような悪夢がくれた少女の体温が既に指から消えて行って、私は茫然と自分の手をじっと見つめた。そうして頭を上げた時、視野の中で微かに見えた数多の灰色の紋様が透明な空気を分けて見知らぬ天井へと凝結した。まるで心の底から湧いて来た恐怖が自律神経を乱したせいで冷たくなって行った身体を温めるように、私も徐ろに両手を差し出して震えていた躯体くたいを抱いた。


それでも私は戦慄わなないて麻痺した体を動かして洗面台の前に行って、鏡に映る自分の姿を見た。冷たい水で何遍も顔を洗ったけれども、その顔はやはり朧のままに映されるのであった。その虚ろな瞳は頭の中がまだ混乱していることを明らかに示している。私は脳漿がどんどん溶解していくような痛みから、急にあの人の姿が思い浮かび、すぐスマホの画面を灯したが、何もない通知欄の上を見た。数分後、私はまたドアを開いて外へ駆け出した。賑やかな十字路を通り抜け、それから木馬にそっくりな石のある公園を走って、力を尽してやっとあの蔦の絡んだ古い屋敷に辿り着いた。私はドアのベルを何回も押していた。そうして、この屋敷にいる「あの人」が自分の運命を左右する力を手に入れたような「悪人」に変わったという危機感に急に駆られて、焦燥しながら力強くドアを叩き始めた。

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