第5話.お前もか
「ちょっと、何処へ行くつもり!?」
後ろから怒声と焦った声が追い縋った。
指先が背中を掠った気がするが、私は駆け込んだ先にあったドアを抜けることでそれらから逃げる。
「ッ、貴様どうやってここにぐはぁっ!?」
「ごめん、不可抗力!」
不幸にも激突した相手が壁にぶつかり、呻き声を上げた。そこまで勢いよくぶつかっただろうか。謝りつつ相手には目もくれず、とにかく駆ける。不思議と迷いはない。先に進めば彼に会えると、なんとなくカンが言っていたからだ。思い出したように右に左に。直感の示すまま長い廊下を駆けて行けば、不意に甲高い悲鳴が聞こえる。前方にある扉からだ。私は拳を握り締めると、扉を蹴破りながら勢いよく飛び込む。
「――――退屈な茶番は終わりにしようか」
今まで聞いたどんな声より穏やかな声が、私の魂を震わせた。
柔らかな声とは裏腹に、目の前に広がるのは地獄絵図。蹂躙という言葉も生温いほど満たされた黒い炎の中から響く悲鳴は、心なしか情けない色に彩られていた。
大惨事もいいところだ。けれど、どうしてか焦燥感が全く湧かない。呆気に取られてしまう私の前でふと、黒炎は左右に割れて道を作り出した。
不思議なことに床は全く焦げていない。私へ道を開けてくれた炎は香ばしい匂いを僅かに残しながら、勢いの割にあっさりと消滅した。
次に視界が映したのは今の私も同じような表情をしているだろう。ポカンとした間抜けな表情を浮かべている捕らわれた人々と、プスプス白煙を立ち昇らせながら倒れる黒焦げの人達。そして、室内の中心で佇む見知った相手。
「はぁ、だる。流石に血を流し過ぎたなぁ……あれ?」
こんがりどころか炭化させたであろうオウマは、私を見るなり蕩けるような笑みを浮かべてみせた。
「アイロだ! よかったぁ、無事だったんだね」
「お、オウマコソゴ無事デ……」
脳の処理が仕事をしてくれない。
近付いて来た彼に反応することも出来ず、目を白黒させる。
オウマが火の海で『アイツら』を懲らしめた。それは分かるが、意味も理解も何ひとつとして出来ていなかったのだ。まずどうして部屋は火の海になっていたんだろう。真っ黒焦げになっている人達は生きているのだろうか。頭に幾つも疑問符を浮かべてしまうが、彼は両指を組み合わせて言う。
「まーったくキミったら俺を庇うんだもの、ビックリしたよ。まだ痛いよね? 手足が痺れるとか、意識が朦朧とするとかない?」
「だ、大丈夫……です」
「なんで敬語?」
キョトンとするオウマだが、幸いにも自身が行った所業を思い出してくれたようだ。周囲を見渡すとポンッと軽く手を合わせる。
「あぁ、驚かせてごめんね? ちょっと懲らしめてやるつもりがやりすぎちゃった」
「丸焼きにして食べるつもりだったの?」
「ふふ、俺が人間を食べるように見えるの? 勢いはちょっと派手だけど誰も傷付いてはいないよ、彼等は我々の敵ではない」
『ちょっと』のレベルではない気がするが、よくよく見れば倒れている人達は煤塗れになっているだけだ。あんなに火が強かったのに。
ますます疑問符を浮かべてしまうと、オウマは人差し指で軽く円を描く。
「『御魂送り』、他者の魂核からエネルギーを吸い取る闇スキルだ。闇属性の魂核ではないけれど、ちょっとした事情から闇スキルが得意でねぇ。敵を無効化するのに便利だから使ってるよ」
「魂、核? スキル?」
そういえばさっきの仮面男も『無の魂核』とかなんとか言っていた気がする。反応が薄い私を見たオウマは肩を落とす。
「あぁそっか、キミ……記憶喪失なんだっけ? そこも忘れちゃったか」
「ごめん」
「魂核っていうのはね、この世界に生きる誰しもが持つ生命エネルギーを作る核のことさ。簡単にいえば『魂』のようなもの。それをうまく使ってやれば、ほら。こうやってスキルを使うことが出来る」
そう言いつつ彼は掌から黒い炎の小鳥を作り出してみせた。
成程、さっきの黒い炎はそのスキルというものらしい。透き通った炎の向こうに見える顔は心なしか蒼褪めていた。こめかみ部分には乾いた血痕が今なおこびりついている。恐らく私が連れ去られる直前に受けた暴行の痕だろう。小首を傾げた彼を私は睨んだ。
「アンタ、どうしてあんな煽るようなこと言ったの」
「なんの話?」
「私が庇った時」
「あぁ、煽っておけばヘイトが俺に向くだろう?」
何てことのないように彼は肩を竦めた。
「女の子に言われて喜ぶヤツはいるかもしれないけれど、男に煽られて喜ぶヤツは変態だ。彼が特殊なケースじゃなくて良かったよ、おかげで思い通りに転がすことが出来た」
「私達を庇うために、ワザと煽ったの?」
「もちろん打算はある。このスキルは己の血を対価に発動するんだ」
オウマがさらに黒い炎の小鳥を作り出すと小鳥たちは身を寄せ合うようにしながら天井近くまで飛ぶ。かと思いきや、ぶつかり合って1つになった。パッと火花となって弾ける炎。
途端に上がる幼い歓声に振り向くと、子供たちが目を輝かせて見つめていた。彼等が着ているボロボロの衣と手首に繋がれた鎖を見て、私はようやく思い出す。
「……そうだ、軍警が来たから逃げなくちゃって」
「え、軍警!?」
軍警という単語を聞くなりオウマは上擦った声を上げた。
どうやら彼もまた軍警と鉢合わせたくない事情があるらしい。お前もかと思わず半目になってしまった瞬間、入口から勢いよく2つの人影が飛び込んでくる。
「マジでオウマじゃねーかっ! まぁいいや撤退するぞラーナ!!」
「うるっさい分かっているわよ!!」
賑やかに叫び合うのはクライトと呼ばれた男とあの冷ややかな少女だ。私達を見るなり安堵と焦燥の色を浮かべた彼は早口で言い、少女もまた手にした鍵盤を叩き始める。
「あれ、クララにラーナだぁ。なんで2人がいるの?」
「今度こそ逃がすかっ、万華め!!」
こんな時でもやはり穏やかなオウマの声と鋭い声が同時に響き渡った。飛び込んできたのはこれまた見事な黒髪を頭の後ろで結わえた凛々しい女の人であり、彼女は室内に入るなりギョッとしたように身体を硬直させる。
それも一瞬のことだった。
だが瞬き1つの隙が後の結末を大きく変える。
「まぁいっか。攫われた人達の保護をよろしくね、セオリッテちゃん」
ひらり手を振ったオウマの姿がブレるのと同時に、私の視界も大きくブレる。
何が起こったのか分からぬまま、目の前が真っ白になった。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
「面白い」、「続きが読みたい」など思った方は、是非ブックマークや評価などよろしくお願いいたします!