第3話.醜悪な催し物
「……どうしたの、クライト。今は誰も憑いていないわよ」
「いや、なんか嫌な予感が。つかなんつった?」
痛みが走ったこめかみを軽く押さえたクライトはその言葉に慌てて意識を戻した。
振り返るも視界に映るのは自分達が通って来た長い廊下だけだ。鮮やかながら糸の縺れた真紅の絨毯が気怠そうに横たわっている。天井からぶら下がる埃塗れのシャンデリアは、隙間風に揺れて軋んだ音を立てていた。
2人並ぶと肩が触れ合いそうになるほど狭い廊下もほんの少し前なら賑やかだっただろう。だが今は閑古鳥すら鳴くのをためらうほど静かだ。
これも嵐の前の静けさか、それとも開演時間が過ぎているからだろうか。どちらも大して変わりはないかと溜息を吐き、クライトは再び歩き始める。
「それにしても重ねて理解できない。いつからアナタは悪趣味な遊びに興じるようになったの?」
「人生というものは多少なりとも火遊びが必要なものさ……って、オウマが言ってた。まぁ、ラーナが理解するにはちょっとレベルが足りないかもな」
「少なくとも頭脳レベルは私の方がずっと高いわ。バカにしないでちょうだい」
「はいはい天才少女万歳……痛ったぁ!?」
クライトの膝裏を蹴り飛ばしたラーナはプラチナブロンドの髪が目を引く美しい少女だ。
腰まで流れる髪は彼女が歩くたび、魚の尾ひれのようにゆらゆら揺れる。同じく動きに合わせて揺れる髪飾りは鶏冠のような形をした紫色の花であり、クライトが身に着けているコサージュとお揃いであった。
この世界でプラチナブロンドは別段珍しい色ではない。むしろ、黒髪に白のバンド模様が入るクライトの髪の方が奇異の目を引くものだ。けれど彼女が身に着ける鮮やかなイエローのドレスや人形と見紛うような整った顔立ち。そしてこの場にそぐわぬ幼さにもかかわらず、誰よりも気品溢れる佇まいが周囲を魅了している。
これでまだ15に満たないから末恐ろしい。辛辣な言葉を吐くラーナに苦笑しつつ、クライトは肩を竦めた。
「オウマいわく幸国には『虎穴に入らずんば虎子を得ず』っていう言葉があるらしくってさ。宝を得るためには危険を背負うことも必要っていう意味らしいぞ」
「その宝が本物であったら多少のリスクは許容できる。でも今回私達が狙うのは神骸でもなんでもない、それどころか不良品にすら値するか定かではないものよ。どう考えたってリスクの方が大きい」
「だーから言ったろ、火遊びを理解するにはまだ早いって」
ふっと絞られた照明は彼等が目的地へ近付いていることの証拠だ。漂い始めた何とも言えない匂いにラーナは眉を寄せ、クライトは無表情を貫く。
「……まるで香水と吐瀉物を煮込んだみたい。鼻がもげそうだわ」
「人の欲望に匂いがあったらまさにこんな感じなんだろうなぁ。というかオウマの奴、一緒に入ろーとか言ってたくせにドコほっつき歩いてんだか」
「あのパッパラパーはどうだっていいわ。それよりさっさと会場に入りましょう、これ以上は本当に頭がおかしくなるわ」
「今以上におかしくなるのか?」
返事の代わりにラーナは軽い蹴りを食らわせた。笑いながら甘んじて受け入れていると、ふと彼等の耳に歓声が響く。やり取りを止めた二人が視線を向けると廊下の終点に扉のない、布で隠された入口があった。
どうやら歓声はその向こうから聞こえてきたらしい。目に見るほどのねっとりとした濃厚な空気を感じ、ラーナは動きを止める。
「あそこ?」
「そう、知る人ぞ知る娯楽と快楽に塗れた闇競売だ。既に始まっているが、気配はまだ消えていない。オレから離れるなよ、ラーナ」
ラーナは鼻を鳴らし、無言で手を差し出した。
その手を恭しく取り、クライトは躊躇いなく幕を上げて中へ入っていく。すぐさま感じた濃厚な香りは先程より強く漂い、嗅覚を刺激するような酸っぱい匂いも混じっていた。
取り出したハンカチで鼻と口元を覆うラーナを他所に、クライトは室内をグルリ見渡す。
まず目につくのは観客席だ。下の方にある舞台を囲むようにぐるりと並んだ席には大勢の人が座っており、誰もが一目で上流階級の者達だと分かる礼装を身に纏っている。クライトがざっと確認する限り、男も女も平等にいるようだ。彼等は一様に熱い視線を一点に注いでおり、入って来たクライト達を気にする者は誰もいない。視線に習いクライトが目をずらすとちょうど部屋の中心。そこに丸い形をした舞台があった。
遠目から見てもお粗末な作りをしているのがすぐに見て取れた。しかしながら観客の誰もがそれを気にしている様子はない。それはそうだろう。何故なら彼等が熱心に見ているのは舞台の上に鎮座している鈍い輝きを放つ檻。その中にいる商品だからだ。
「それではこちらの商品は35番のジェントルマンが170ルドーで落札しました! 皆様、盛大な拍手をお願いいたします!」
舞台袖に立った仮面の男が高らかに手を叩き始めると会場からは割れんばかりの拍手が鳴り響いた。
外套で全身をすっぽりと覆い隠した者達に引き摺られていく檻。その中には年若い女がおり、両手で顔を覆いながら身体を震わせていた。彼女が入った檻が部屋の奥へ消えて行くなり、次の檻が現れる。中に入っているのは手足を縛られた幼い男児だ。
「こちらはズイエリ国で捕まえた獣人の子どもです! まだ反抗的ではございますが、天狼族の子どもですので調教次第では何でもこなせる猟犬となりましょう! さぁさぁこちらは300ルドーから!」
「350万!」
「400万!」
「650万!!」
仮面の男が言葉を言い終えるなり、室内のあちらこちらから札と声が上がった。その異様な光景に獣耳を持つ幼子は大きな目を零れ落ちんばかりに見開き、臀部から生えた獣の尾を恐怖に膨らませる。あっという間に高値で取引された商品が引き摺られるように消えて行くと、これまたあっと言う間もなく新しい商品が舞台上へ駆り出された。
次々と取引されていく光景を目の当たりにし、ラーナはこれ以上ないほどの嫌悪感を滲ませる。
「もういいでしょう、クライト。早くこの悪趣味な茶番を終わらせて」
「まだだ、本命が出ていない」
目の前で繰り広げられる残酷な催し物を目の当たりにしてもなお、クライトの表情は変わらなかった。それどころかアガットの瞳は心なしか好奇心に輝いている。この異様な光景を前にしても冷静さを失っていないばかりか凪の表情を浮かべるクライトに対し、ラーナは寒気のようなものを感じた。
味方である筈の彼女から向けられる感情をやはり甘んじて受け入れながらも取引を見守っていたクライトだったが、やがてその時が来たのだと知り笑みを浮かべる。
「……目標発見、これより作戦を実行する」
ゆっくりと、だが確実に舞台上へと上げられていく重厚な檻。
その中にはアッシュグレーの髪と紫水晶の瞳を持つ、1人の娘が捕らえられていた。
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