第1話.果たして夢か幻か
気が付いたら私は昏い水の中にいた。
これは夢だ。
そう思えたのは温かい何かに包まれている感覚と、普通に息が出来るから。揺蕩う水泡に視界を邪魔されながらも周囲を見渡していると、私の耳にふと声が聞こえてきた。
『この……では、世界が……に呑まれてしまう……』
ノイズ混じりで聞こえ辛かったが、それは人の声だ。
声の主を探るべく、取り敢えず手足を動かす。するとそれが功を奏したのか、水泡の向こうに誰かが浮かび上がった。まるで映像のような俯瞰的な光景。私ではない相手を見るその人は、私より少し年上くらいの青年だった。
『探して……を回収しろ。それがお前の……だ』
明確に混じったノイズで青年の名前は分からない。けれどその声に彼は俯いていた顔を緩やかに上げた。ぼんやりとしていたその顔が唐突にハッキリと見える。
穏やかな微笑みを湛えた優しい風貌に、この世の物とは思えぬ悍ましい藍の瞳。ゾッとするほど綺麗過ぎる笑みを浮かべた青年は、ふと目を動かしこちらを見た。
目が合った。
強烈に感じた刹那、私の意識は唐突に覚醒した。
***
ハッとして目を開けると、暗闇が私の目の前に広がっていた。
今のは夢? そう思う間もなく取り戻した感覚に思考は塗り替えられていく。
私は今、何処にいるんだろう。分からない。
背中からお尻にかけて硬くて痛い。そこでようやく自分が壁に寄りかかりながら座っていることに気付いた。いつの間に眠っていたのだろう。身体の節々が痛む。取り敢えず背筋を伸ばそうと両手を挙げようとすれば、乾いた金属音が耳に届いた。
不思議に思い視線を落とすと鎖。よく見たら私の両手首には金属の枷が填められている。
否、両手だけじゃない。両足もだ。
「……え?」
遅ればせながら自分の身に異変が起こっていることを知り、ぼんやりしていた意識がハッキリとする。
まるで囚人か、捕虜のような扱いだ。しかしながら拘束されるようなことは何もしていない。いや、そもそも自分が何故こうなっているのか……その前の記憶が一切思い出せないのだ。自ら志願してこうなった訳ではないだろう。では何故。
「あっ、ようやくお目覚めだねー」
聞こえた声に顔を向けた私はさらに驚く。
何故ならそこにいたのはつい先程の夢で見た青年だったからだ。
丸眼鏡以外は寸分違わず同じ姿であり、あの夢も現実だったのかと思ってしまう。無遠慮に注視してしまう私へ人懐っこく手を振る彼の手首にもまた、拘束具が填められていた。
ロイヤルパープルのスーツを着ているところを見るに少なくとも囚人などではないだろう。敵意がないことにちょっとホッとしつつ、私は口を開く。
「おはよう、アンタがこの世界の案内人?」
「ようこそ新たなる冒険者よ、こここそが英雄冒険譚の入り口である……なぁんてね。よく眠れるよねぇ、こんな地獄みたいなところでさ」
「地獄?」
クスクス笑いながら逸らされた藍色の瞳は闇へと向けられた。
つられて顔を向けると暗闇はほんの少しだけ薄れ、辺りの様子が浮かび上がっている。よく見ると同じように拘束された人達が何人もいるようだ。
薄暗いのでハッキリとは分からなかったが、どうやら女の人や子供が多いらしい。何処からかすすり泣く声や、「おうちに帰りたい……」というか細い声も聞こえていた。再び視線を戻すと、青年は眉を下げてその様子を見つめている。
「ひどい話でさぁ、みんな攫われて来たんだってよ? どうやら向こうも手段を選ばなくなっているみたいでね、中には目の前で家族を殺された人もいるらしい」
「ここはどこ? 英雄冒険譚の入り口ではないんでしょう?」
「ご名答、ここは保管庫。俺達はみーんな、闇競売の商品にされたんだ」
飄々とした口調だからか、緊迫感がまるで感じられなかった。
闇競売? 商品? 突拍子のない話に理解が追い付かず、首を傾げ続ける。ふと光を感じて上を見上げると、はるか遠くの天井にある小窓から僅かに光が差し込んでいた。
太陽の光にしては弱いから、恐らく夜なのだろう。彼の話が本当なら、どうやら私は攫われたようだ。まさか売られる日が来るとは思わなかった。一体いくらで売れるのだろう。なんて思っていると、青年が再び口を開く。
「おや、てっきり動揺すると思っていたのに」
「夢の中に登場した奴が私の隣にいた事実に比べればそんなに驚くことじゃない。アンタ、何者?」
「あぁ、やっぱりキミだったかぁ」
唇の端を高く吊り上げたところを見るに、彼もまた私を認識していたようだ。
改めて見ると綺麗な顔立ちをしている。顔を覗き込まれたので見つめ返すと、彼は藍の目を柔らかく細める。
「……お嬢さん、名前は?」
「え?」
唐突な問いかけに、私は言葉を詰まらせてしまった。
キョトンとする青年。しばし考えたのち、私は口を開く。
「アイロ……ニークス」
「ふーん、変わった名前だねぇ。もしかしてフラジェリー王国の出身かい?」
「えっと……」
再び言葉を詰まらせてしまうと彼は違和感を覚えたようだ。形の整った眉を僅かに寄せ、首を傾げる。
「……キミ、もしかして記憶喪失かい?」
「あはは」
「あはは、じゃねぇだろ。はぁーっ……なぁんだ、彼等がキミのことを『稀モノ』だって言っていたから一体どんな子なんだろうと思っていたのに」
大仰な仕草で青年は肩を落とした。なんだか動きがいちいち胡散臭い。というか、私はその彼等という人達に稀物扱いされていたのか。
「で、アンタは?」
「あぁ失敬、私はオウマと申します。以後お見知りおきを」
「アンタも変わっている名前だね。でも、なんだかいい響き」
「至極恐悦です」
夢で見たとはいえ見知った顔の所為か、彼と話していると不思議と心が落ち着いた。多分、陰鬱な空気が漂っているにも関わらず穏やかな雰囲気を纏っているという理由も大きいだろう。彼の顔に絶望の色はなく、むしろ今の状況を楽しんでいる素振りさえあった。
彼が慌ててないからまぁ大丈夫なのかな。
なんの根拠もない安心感をもらえたので、私も前向きに捉えようかなという気分になる。
「オウマはどうして捕まったの?」
「おっと、それを聞くかい? 仕方ないなぁ、暇潰しもかねてここシキ大陸に伝わる神話から語っていこうか」
「30秒以内にまとめて」
オウマの場合もうちょっと緊張感があってもいいのでは? なんて思ったそんな時だ。正面から光が差し込んできたのは。
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次回もお楽しみに!