魚眼の死角
多少なり恐怖心が和らいだ為か、そもそも竜化生物の騎竜に慣れているアズールのみならず、今回が初めての騎竜となるヴァーバルの姿勢からも不安定さが消えていき。
『……PARURUAA……ッ!!』
できるなら最初からそうしろ──そう言わんばかりの憤りと呆れが半分ずつ入り混じった鳴き声を上げながらも、これなら速度をそのままにもう少しだけ3次元的な動きをしても振り落としたりはしないかもしれないと考えた結果。
『PIIII……ッ、RAAAAAAAAAッ!!』
『ッ、はは! 凄ぇなオイ!!』
『これが地上を統べる者の真価か……!』
ただ距離を取るべく直線的に泳いでいたシエルが、いきなり縦横無尽でありながら最も効率的な速度とMP消費量とを兼ね備えた【騎行術:神風】で以て迷宮を護る者を翻弄し始め。
プライドの高さに裏付けられた地上を統べる者の真髄とも呼べるシエルの躍動に、ヴァーバルはもちろん海竜部隊として活動する際の相棒であるアズールまでもが感嘆の意を示していたが。
『ッ、ヴァーバル! お前に教えておく事がある──』
それはそれとして感嘆してばかりいてもいられないというのも事実であり、アズールはヴァーバルが〝それ〟を知っているかどうかを確認する時間も惜しいとばかりに一方的に捲し立て。
何らかの〝策〟に必要となる情報を耳打ちする中。
『S"HIIII……RAAAA……ッ』
迷宮を護る者は、ある瞬間から己の最高速度と同等か、ほんの僅かとはいえ上回っているかもしれないほどの遊泳速度を見せるシエルを視界に収めながら苛立っているような唸り声を上げる。
しかし、その貌から焦燥の感情は未だ見て取れない。
まぁ当然と言えば当然だろう、どれだけ素早く動いたところであの3匹が己への有効打を見出す事はできないのだから。
……〝あの大鎌〟を除けば。
だが逆に言えば、あの大鎌を持つ人間だけ警戒しておけば何の問題もない──そんな想いからくる余裕を見せる迷宮を護る者に対し。
『肉薄しろ、シエル! ヴァーバルは備えを!』
『解ってらァ!!』
『RUAAAAッ!!』
情報の共有を終え、すでに覚悟も決まったと見える2人と1匹は未だ速度が落ちる様子のないシエルに乗ったまま、いよいよだとばかりに決して迷宮を護る者の真正面へは重ならないように接近していく。
……迷宮を護る者の息吹など受ける訳にはいかないから。
先ほどよりも更に速度を上げ、あちらこちらに魔力の軌跡が残るくらいの高速遊泳をするシエルの肉体は軋み、それこそ淡水を夥しい量の血液で染めながらの翻弄ではあったが。
その甲斐あって迷宮を護る者は、ほんの一瞬とはいえ2人と1匹の姿を完全に見失い──……そして次の瞬間。
『……C"I、A?』
騎竜していた人間が、1人減っている事に気がついた。
よりにもよって、あの大鎌を持つ人間の姿が見えない。
ギョロギョロと大きく虚ろな眼を幾ら動かしても、その広い視界のどこにもあの生意気そうな面が映る事はない。
それも無理はないだろう。
これこそが、彼らの策なのだから。
そして当のヴァーバルは今、迷宮を護る者からは決して見えない位置で揺蕩ったまま、アズールの言葉を思い返していた。
(いいかヴァーバル。 魚類は上下左右に前後まで加えた全方位を320°という広い視野角で見渡す事ができるが、それは魚類型の竜化生物でも同様だ。 つまり、あの迷宮を護る者の死角はただ1つ──)
そう、アズールが立てた策とは魚類及び魚類型の竜化生物の身体の構造を逆手に取ったものであり、確かに人間に比べれば圧倒的に視野が広いとはいえ、どうしても見る事ができない〝死角〟が存在する限り、その死角こそが文字通り迷宮を護る者を死へと誘う唯一の突破口。
ほぼ全方位に320°、逆に言えば360°ではなく。
(ここだろ!? 兵長サマ!!)
(やれ、ヴァーバル!!)
完全なる真後ろという、ほんの小さな死角を高速で遊泳して通過する際、ヴァーバルだけがシエルから降りてその場に残っていたのだ。
これは、ヴァーバルだからこそ遂行可能な策。
アズールはシエルから降りる事ができず。
シエルでは火力が足りない。
【鎌】への高い適性を持ち、シエルから降りても水中での活動が可能なヴァーバルにしか遂行できない策だったのだ。
そしてヴァーバルは、アダマスを思い切り振りかぶって。
『──【鎌操術:魔断】ッ!!』
『……ッ!?』
鰭というより巨大な衣のように美麗な尾鰭を斬りつけた。
ただ、【鎌操術:魔断】は攻撃系技能でこそあれどダメージを与える為の技能ではなく、ヴァーバル自身がユニから食らった時と同じように、その一撃が尾鰭を傷つける事はない。
しかし確実に、その技能による斬撃は対象を蝕み魔力回路を断ち、意識さえも奪ってしまう──……と思われたが。
『S"HI、IIAAAA……ッ!!』
『ッ、効いてねぇのか!?』
どう見ても意識を喪失する前の生物の形相とは思えない怒りに満ちた貌を見せる迷宮を護る者に、まさか迷宮宝具を使っても駄目なのかと、唯一の希望を絶たれたかもしれないと絶望感を抱きかけていたヴァーバルに対し。
『攻撃を続けろヴァーバル! 先ほどまでより確実に動きが鈍ってきている! 回数を重ねれば或いは……ッ!!』
『ッ、皆まで言うな!! 解ってんだよンな事ァ!!』
大鎌の迷宮宝具、アダマスの能力である〝硬質化〟も相まって確実に迷宮を護る者の鈍化は進んでいると見抜いていたアズールからの指示を受けるまでもなく、アズールは距離を取ろうとした迷宮を護る者の尾鰭に再び刃を突き立て。
『斬り刻んでやるよ!! テメェが剥製になるまでなァ!!』
『……F"III……ッ』
尾鰭から背鰭の方へ、背鰭から頭部の方へと水の抵抗を感じさせないほどの高速回転を、遠心力を推進力とする事で可能としながら鋭い刃で斬り裂きつつ進んでいくヴァーバルを振り切る事もできず、ダメージこそ受けていないものの鈍化していく己の身体に歯噛みするような声を上げる迷宮を護る者。
……心なしか〝何か〟を嘲笑っているようにも見えたが。