いざ征かん、淡水迷宮
翻って、プレシアの見送りを受けて廊下の角を曲がり。
その先に見えた宝具庫の扉の前に辿り着いたユニは。
「やぁ、2人とも。 待たせてごめんね」
「いえ、お気になさらず」
元より正午に集合の予定であったし、そもそも今この時間こそが正午ジャストである為、別に遅刻した訳でもないのだが、それでも一足先に2人が揃っていたという客観的な事実を見て軽い謝罪をし、アズールが会釈しつつ『謝罪など不要です』と畏まる一方。
「遅ぇよ、アンタが来なきゃ始まんねぇってのに」
「ヴァーバル! 貴様、誰に向かって……!」
「お? 闘んのか兵長サマ──」
畏まるどころか非礼マシマシな態度で欠伸をかましたヴァーバルに、ヴァリアンテに向けているものと同等かそれ以上の敬意をユニに抱いているアズールが怒りを発露し、ヴァーバルはヴァーバルで『上等だ』とばかりに大鎌の柄に手を掛けて──もちろん本気で闘うつもりはないが──挑発した瞬間。
「──〝静かに〟」
「「ッ!?」」
かたや怒気、かたや煽動。
決して相容れる事のない悪感情で以て睨み合いを続けていた筈の両者が、それまで抱いていた全ての感情を忘れて思わず視線を動かしてしまうほどの覇気をたった一言から感じ取って動きを止め、その言葉通り沈黙してから約5秒。
「ふふ、今日は調子が良いみたいだ。 【武神術:覇気】なしでも、こうして君たちを黙らせらた事が何よりの証拠だね」
(今の威圧を、技能なしで……!?)
(……やっぱ化け物じゃねぇかよ)
技能でも魔術でも、もちろん迷宮宝具の能力でもない〝素の威圧感〟だけで自分たちの怒気や煽動といった悪感情ありきの行動全てを封じたのだと理解させられた2人は、またしても嫌と言うほどに【最強の最弱職】との力量差を思い知らされる。
かの【万の頂に座す王】とどちらが上なのか、と本来1人の狩人などと比較する意味もないほどの相手が纏う王者特有の肌が粟立つ威圧感を想起してもなお比べてしまいたくなるくらいに。
「それで、この子が今回の相棒かい? アズール」
「はっ、仰る通りにございます」
そうして2人が戦慄や恐怖、畏怖や高揚を露わにする中にあり、ユニはアズールの少し後方に控えていた3〜4mほどの大きさで低空飛行する巨大かつ縦長で、それでいて肉厚な魚類型の竜化生物に近づいていき。
「種は〝金龙竜〟、名は〝シエル〟。 海竜部隊に所属し、淡水で活動できる個体の中では最もLvの高い水棲竜化生物となります」
「へぇ……」
俗に言う〝ピラルク〟なる淡水魚を派生元する、シエルと名付けられた海竜部隊所属の竜化生物であるとアズールが他己紹介する。
この金龙竜という種は、この種以外では片手の指で数えられる程度しか存在しない〝肺呼吸と鰓呼吸の両方を可能とする魚類型の竜化生物〟であり、ご覧の通り魚類型でありながら陸上での活動が可能となる稀有な種族。
尤も、それはこのシエルと同様に翼を持って産まれた個体、或いはシエルにはない脚を持って産まれた個体に限った話であり、シエルと同じ金龙竜でも翼や脚がない個体であれば一生を水中で過ごすしかないのだという。
ちなみに、このシエル──なんと、Lv91。
地上を蠢く者としては上澄みも上澄みの強個体。
迷宮個体とは違い、必ずLv1として産まれる地上個体がLvを上げていく事は本当に難しく、Lv90を超えた個体は狩人や傭兵はもちろん竜騎兵たちからも〝地上を統べる者〟と呼ばれ恐れられており。
『KRRRR……ッ』
そんな超強力な個体の一角として数えられるLv91のシエルに対し、ユニが頭に相当する部位に触れようとした瞬間、シエルは一瞬ユニを威嚇するような唸り声を上げ、ギョロッとした瞳で睨みつけはしたものの。
『……PIRAAAA……』
「お、中々賢いね」
すぐさま己と眼前の人間との力量差を悟り、ユニが触れやすいようにスッと頭を下げたシエルの眼力と知能をユニが笑顔で評価する中。
(並の竜騎兵相手では騎竜どころか触れる事さえ許さないほどプライドの高いシエルが頭を下げるとは……流石、【最強の最弱職】といったところか……)
王都で活動する竜騎兵の中では、シエル自身よりもLvで劣る筈のアズールにしか騎竜を許さないほど──ちなみにアズールの竜騎兵としてのLvは88──高慢な性格をしているシエルが、こうもあっさりと堪忍するとはと改めてユニへの尊敬の念を強めていた。
……事実、同じように触れようとしたヴァーバルは『うおッ!? 危ねぇなオイ!』と凶暴極まりない牙で手を噛まれそうになっているし。
──閑話休題。
「……なぁオイ、それよりよ。 こン中、全部が水で埋まっちまってんだろ? まさか素潜りしろなんて言わねぇよな」
ヴァーバルが不意に思い出した、というより迷宮攻略が決まり詳細を聞いてから抱き続けていた疑問、360°全てを淡水で支配されている筈の迷宮を、どうやって肺呼吸しかできない自分たちが攻略するんだという彼としては珍しい正論を皮肉めいた文言とともに投げかける。
ちなみに、いつでもいくらでも星の数ほどの手札があるユニはともかく、実はアズールも呼吸については何の問題もない。
──【騎行術:適応】。
5つ全ての技能が〝竜化生物に騎竜している場合〟にのみ発動及び適用される竜騎兵の常時発動型技能であり、〝騎竜している竜化生物が活動できる人間では生きていけない場所での過不足ない生存が可能となる〟という、まさに竜を駆る者の為の技能。
つまるところ大気圏であろうが深海であろうが関係なく、その過酷な環境で生きていける竜化生物に騎竜してさえいれば、どんな場所であろうが竜とともに在る事ができるという事であり。
呼吸うんぬんで困っているのはヴァーバルだけという事。
「はい、どうぞ。 失くさないでね、それ真正品だから」
「……何だコレ、真正品っつー事は迷宮宝具か?」
そして、もちろんその問題を理解していたユニが彼にポイッと投げて寄越したのは、上半身が馬で下半身が魚という何とも奇怪な生物を模した手の平サイズの銀の勲章。
壊すなではなく失くすなと、そして何より真正品とユニが口にした事で迷宮宝具だという事だけは解ったが、商人という訳でもなければ迷宮宝具に明るい訳でもないヴァーバルには、おそらく呼吸問題を解決できる類の能力を持っているのだろうという事くらいしか解らず。
「〝ケルピー〟。 それを身につけている限り、その生物の肉体には鰓と鰭と蹼が付与される。 まぁ早い話が──」
「水中でも活動できるようになる、ってか」
「そういう事。 他に何かある?」
「……ねぇよ、さっさと行こうぜ」
「私もです、ユニ殿。 参りましょう」
ユニからの詳細かつ端的な解説により、ほぼほぼ思った通りであったという事が解っただけでも充分かと己を納得させたヴァーバルとともに、アズールもシエルの背に乗って準備万端といった状態で応答し。
「よし、それじゃあ征こうか──淡水迷宮へ」
そんな2人の覚悟を秘めた表情を見届けたユニは、プレシアから受け取っていた鍵で施錠されていた扉を開き、2人を連れて淡水の壁を──……今、越えた。
「あぁ、そうだ。 自分の身くらいは自分で護ってね」
「……無論です」
「……おぉよ」