どうか私めも
ユニの迷宮攻略が翌日に繰り下げとなった、その夜。
城内に居を構え、そして何らかの職に就いている者たちも今日の務めを終えて寝床に入っている、そんな時間帯に。
「……何の用だ」
日中に召していたような堅苦しい服装ではないが、だからといって寝間着ほどラフでもない正装の状態で、女王にしか割り振る事のできない公務をこなしていたヴァリアンテの下に。
「夜分遅くに申し訳ございません、女王陛下」
日中と全く同じ装備のまま、片膝を突いた恭しい姿勢で頭を下げて深夜の急な訪問を詫びるアズールの姿があった。
相手が歴代最強の女王とはいえ、先触れもなしに女性の部屋を訪れるというのは確かに不躾であるし、むしろ女王だからこそ不敬極まりない行いだというのは疑いようもない。
「謝罪はいい。 【最強の最弱職】にも伝えたが、余も暇ではないのだ。 言いたい事があるのなら手短に済ませよ」
「はっ、では……」
しかしヴァリアンテは特に表情を変えず、声音を荒げる事もなく、何であればアズールの方を見遣る事さえしないまま、ユニへ告げたものと全く同じ文言で以て速やかに終わらせろと吐き捨てる。
そこらの下級貴族でさえ思わず両膝を突きかねないほどの威圧感を素で放つ女王の命に、アズールは冷や汗1つ流さぬままに顔を上げ。
「此度のユニ殿への処罰、宝具庫の迷宮攻略……どうか、この私めに随行の許可をいただけませんでしょうか」
普段ならば決して女王に意見などする事はない彼が口にしたのは、たった1つの上奏──ユニの迷宮攻略に自分も同行させてほしいという無理難題。
何故なら、この迷宮攻略はユニに対する〝罰〟。
ヴァリアンテとしても大臣たちとしても、どうせ大した時間も労力もかけずに攻略、及び破壊してしまうのだろうと解ってはいるが、だとしても〝竜騎兵や警察官に多数の被害が出るほど難易度の高い迷宮の攻略に単独で当たらせる〟という事そのものに意味がある。
そうする事で初めて、〝身勝手な理由で解散を決めたSランクパーティー〟や〝独断で解散を認めた協会長や国〟に対する不平不満を呑み込ませる事ができるのだから。
半端な助力は〝枷〟にしかならない──という正論がなかったとしても、どのみちユニ以外を迷宮を向かわせる選択肢は存在しないのである。
「……全てを理解した上での発言か?」
「はっ」
アズールほどの男ならば、それらの事情を把握していない訳がないと看破していたヴァリアンテは、ここで初めて顔を上げて彼に視線を遣り、その先で片膝を突きつつも決意と覚悟に満ち満ちた表情を見せるアズールの短い返答を。
「──下らんな」
「ッ!!」
ヴァリアンテは、ただ一言で切って捨てる。
「責任感の強い貴様の事だ、死なせた部下たちを想っての発言なのだろう。 だが、それが何だ? たとえ貴様が【最強の最弱職】とともに迷宮を破壊したとて、貴様の部下が蘇る訳でもなければ、貴様の無能が払拭される訳でもあるまい」
「……ッ」
「それでもなお、余の決定に口を挟むか?」
当然と言えば当然ではあるのだが、ヴァリアンテは女王として部下の愚行や暴走を諌める立場にあり、心情的にはアズールの考えも理解できなくはないものの、優先すべきものは他にあると抑揚のない声で〝否〟と宣告し。
最後通牒だとばかりに、これ以上の上奏は無意味だと暗に告げてきたヴァリアンテに対し、アズールは俯いていた顔を徐々に上げつつ。
「──……ないのです」
「何?」
「訓練中、食事中、休暇中……夢の中でも……今この瞬間でさえ、耳元から離れないのです……部下たちの悲鳴が、慟哭が……そして……ッ、怨嗟の、声が……ッ!!」
「……アズール、貴様……」
普段、歴代の竜騎兵長の中でも特に快活で爽やかな人格者として王都では広く知られている彼が、あの惨劇以来〝聴こえる筈のない死者の声〟に悩まされ続けていたのだと、ヴァリアンテはようやく全てを把握した。
──……〝心的障害〟。
おそらく、これは迷宮攻略に向かわせなければ完治どころか小康を保つ事さえ難しく、たとえ足手纏いにしかならないと解っていても同行させねば、ユニが全てを解決した後の竜騎兵全体にも支障が出かねないと判断し。
「……良いだろう」
「ッ!!」
「ただし、【最強の最弱職】の許しが出ればだが」
「は……はッ! ありがたき幸せ……ッ!!」
あくまでもユニの許可が下りれば、という前提ありきで随行を認めると、アズールは悲痛な表情に少しずつ希望を纏わせつつ謝意を示すべく頭を下げる。
……おそらく、おそらくではあるが。
ここで許可を出さなかった場合、彼は竜騎兵長という竜騎兵ならば誰しもが欲する座を辞してでも迷宮へ赴くだろうとヴァリアンテは読んでおり、〝替えの利かない人材などない〟が信条の彼女としても今アズールを失うのは損失が大き過ぎると判断した上での諦めだったのだ。
「……話は終わりか? ならば失せよ」
「はッ! 御前、失礼いたしました!」
そして、まだ今夜中に済ませておきたい公務があったヴァリアンテから退室を命じられたアズールは、ようやく僅かな笑みを浮かべられた表情を隠そうともせず立ち上がり、足早に退室していった。
その後、静かになった執務室にて。
「……〝全てを理解した上で〟、か……」
ヴァリアンテは窓の向こうの月の光に照らされながら、ほんの少しだけ和らいでいるようにも見える表情でそう呟いた。
誰に向けられたものなのかは本人のみぞ知る。
アズールか、それとも──。