首輪を緩めただけなのに
時は少しだけ遡る──。
具体的には、リューゲルが同業者や魔導師たちからの状態好化を受けた【息吹】で【旭日昇天】を相殺した辺りまで。
ユニが──というか、ユニの肉体を借りた神が発動した【旭日昇天】の脅威を目と耳と肌で感じ取った観覧客たち。
ランクが低めの狩人、戦闘経験の殆どない商家、平民を押し除けて逃げる貴族、役割を放棄した魔導師、会員になって日が浅いファン──などなどが我先にと避難する中にあり。
ユニとクロマが察知した異変の発端となってしまったのは、避難し遅れたと見られるとある親子だった。
どうしても観に行きたいと駄々をこねて連れて来てもらった息子と、その日は遠方の町を治める長へ直々に配達する仕事に向かわなければならなかった父親の代わりに連れて来た母親。
ここだけ見れば微笑ましい、ちょっとだけ裕福な家庭内のやりとりといった様相である。
しかし、1つだけ普通の家庭と異なる点があった。
それは、〝愛玩動物〟を飼っているという点。
……それだけ? と思うかもしれない。
いや、間違いなく思う事だろう。
だが、この世界における愛玩動物は諸兄らが思う愛玩動物とは全く異なる概念を有しているのだ。
何しろ、ここはドラグリア。
あらゆる生物が竜化し得る世界。
人間が飼育する愛玩動物も例外ではない。
犬も、鳥も、魚も、虫も──。
──……〝猫〟も。
そう、その家族が飼っていたのは猫。
何の変哲もない、どこにでも居そうな三毛猫の仔。
鈴付きの首輪を装着している事も特に違和感はない。
そんな普通の仔猫を1匹だけ家に置いていくのは可哀想だからと息子が抱えて連れて来てしまった事が、その凶事を招く事となった。
「にゃあ! にゃあぁああっ!!」
「うわ! な、何……!?」
ユニとトリスによる【護聖術:白架】の鍔迫り合いが一瞬で終わり、2人の決着がついた辺りで急に身を捩らせて苦しげに鳴き声を上げ始めた事に息子は驚き、どうにか宥めようとする。
「あぁすみません。 ちょっと〝ラント〟、静かにさせて」
「う、うん、えぇと……」
一体、何が原因で2日前の自分のように駄々をこねているのか全くと言っていいほど見当がつかなかったが、せっかく視界が晴れたのに猫の鳴き声が邪魔になってしまい、それを煩わしく思った観覧客からの咳払いに母親は軽く頭を下げつつ、ちゃんと猫の面倒を見ていろと息子を促す。
連れて行きたいと言ったのはラントなのだから。
(もしかして、この首輪? 苦しい、のかな……?)
そんな中、身を捩らせるだけでなくチリンチリンと忙しなく音を鳴らす鈴付きの首輪を、カリカリと爪を立てて引っ掻いているのを見て、てっきり首輪のサイズが合っていないせいで苦しいのかとラントは勘違いしてしまう。
尤も、それもある意味では間違っていない。
正確には、つい先程までの【旭日昇天】や【息吹】、或いは2人分の【護聖術:白架】が秘めていた魔力に中てられた事が原因なのだが、それはそれとして首輪を鬱陶しく感じているのも事実であったからだ。
この仔猫を飼う時、ラントは両親にキツく言われていた。
絶対に首輪を外してはいけないよ──と。
大変な事になるからね──と。
しかし今、仔猫を鎮めるには首輪をどうにかしなければならないと思い込んでいた為、ラントは首輪に優しく触れて。
(ちょっと緩めるくらいなら良いよね──)
外すのではなく、ほんの少し緩めてやるくらいなら大丈夫だろうと母親の了承も得ず勝手に判断し、カチャリと首輪の留め具に小さな手で触れて緩めた瞬間──。
──パキンッ。
「えっ」
妙に小気味良い音を立てて、割れるように鈴が砕けた。
触れたのは首輪だけ、鈴には手をつけていないのに。
「にゃ、あ──……あ"、AA……ッ』
「ど、どうしたの〝ミケ〟……」
それから1秒と経たない内に先程までよりも苦しげに、それでいて己を縛りつけていた何かから解き放たれたかのように声色が変わっていく、ミケと名づけた仔猫の異変にラントは段々と怖気を抱き始め。
「お、お母さ──」
自分では手に負えないと幼いながらに判断し、隣に座る母親へ助けを求めようと手を伸ばした──……その時だった。
『──MEOW』
「え……」
先程までとは明らかに違う底冷えするような鳴き声。
仔猫のそれとは思えぬ鋭さと凶悪さを兼ね備えた牙。
ピシピシ、パキパキと音を立てて生えてきた角と翼。
少しずつ、本当に少しずつ大きく変貌していく体躯。
「っ、あ……」
ラントは1度も生で見た事はなかったが、ミケの身に何が起こったのかは直感で理解できた。
……理解、できてしまった。
これこそが、この世界の全ての生物の命を捉えて放さない不可避の病──〝竜化病〟なのだと。
ユニとクロマが察知したのは、このタイミングである。
そして、すでに倍以上にまで膨れ上がっていた頭部をもたげたミケが鈍い音を立たせながら口を大きく開き、ただただ荒れ狂う嵐が如き食欲にのみ従って目の前の餌の頭を食い千切ろうとした瞬間。
「……ッ!? ラントッ!!」
「お母──」
何気なく息子の方へ視線を向けるやいなや、あろう事か目の前で飼い猫が竜化してすぐに息子を喰らおうとしているという事実に驚いたのも束の間、母親は即座に息子を庇うべくラントとミケの間に割り込み、そして──。
「──……さ、ん……?」
ラントが言葉を失う中、頭部と上半身の左半分を大きく抉られるように食い千切られた母親の身体が大量の血液とともに観覧席へ倒れ込む。
「「「ひ……ッ!? きゃあぁああああッ!?」」」
母親の必死な叫びでか、それとも飛び散った血液でか、ようやく事態に気がついた周囲の観覧客たちが悲鳴を上げる一方。
「〝鈴猫竜〟……!? どっから入り込みやがった!!」
「これ以上の被害が出る前に狩るわよ!」
「盾役は俺がやる! その間に──」
歴戦とはいかないまでもBやCといった、いわゆる中堅のランクに属している狩人たちは驚きこそすれ怯える事もなく、同じパーティーのメンバーというわけでもないのに即席の連携を見事にこなして対処せんとする。
怯えていない理由は、ただ単に鈴猫竜が一般的に竜化生物として強くないからという事もある。
何しろ派生元はただの猫、虎でも獅子でもないのだから。
……だが残念な事に、彼らの見通しは甘かった。
『MEOW! MEOOOOWッ!!』
「ぎッ!? あ"ぁああッ!?」
「なッ、強いぞコイツ!!」
誰よりも早く盾役を買って出たBランクの聖騎士が、盾の随時発動型技能である【盾操術:剛壁】によってDEFが強化されている筈なのに一撃で盾ごと右腕を食い千切られた事で一気に戦線が瓦解する。
それでも即座に立て直しへと移行できる辺り、やはり優秀な狩人が集まっていたという事実そのものは疑いようがない。
しかし、今回は相手が悪かった。
先述した通り竜化生物の〝危険度〟はLvや派生元の危険度だけでなく、種としての〝稀少性〟によっても大きく変化する。
ミケは、その名の通り単なる〝三毛猫〟ではあるが。
──……よりにもよって、雄の三毛猫だったのだ。
三毛猫が雄の個体として産まれてくる事は非常に珍しく、30,000分の1ほどの超低確率であるという。
ゆえに、稀少。
ゆえに、強い。
ソロでBランクの狩人でさえ歯牙にもかけぬほどに。
「それに、まだ大きく……! まさか──」
そんな中、ミケの身体は──……いや、鈴猫竜の身体は更なる膨張を続け、それを止める事も叶わず牽制するに留めていた狩人たちの眼前で、2倍どころか3倍や4倍、下手すると10倍以上に大きく変貌した鈴猫竜は大きく息を吸い。
『──KIIIIIIIITTYYYYYYYYッ!!』
遡る前、修練場中に響き渡ったその咆哮を轟かせた。
「嘘だろ……!? コイツ、迷宮を彷徨う者だ!!」
「な、何で地上に──……あッ!? そっちは!」
俗に〝地上を観測する者〟と呼ばれる、いわゆる地上個体は最大でも派生元となった動物の2倍までしか大きくならない事から、狩人たちがその鈴猫竜を迷宮に無限湧きする個体だと断じた瞬間、口内に残っていた肉を呑み込んだ鈴猫竜が唐突に顔の向きを変え。
『CAAAAAAAAAAAAATッ!!』
ズシンと重々しい音とともに咆哮を上げながら、ユニとクロマが立つ修練場の中心へと降り立った。
「……邪魔を」
突然の闖入者に、ユニは悪態をつきつつも。
……その割には、少しだけ愉しそうにも見えた。
まるで、悪戯を思いついた子供のように──。
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