無音の暗殺者
その少年は、つい先ほどまで無理難題に震えていた筈。
覚悟を決め、迅豹竜に乗ってもなお怯えていた筈。
しかし今のサレスの行動や表情にそういった負の感情は一切見られず、ともすれば歴戦の狩人を想起させるほどの無駄のない動きや冷徹極まる眼光は、とてもではないが数日前まで〝穀潰し〟と揶揄されていた無能のそれとは思えない。
……サレスに、何が起きたのか。
答えは──何も起きていない。
何も、変わってなどいないのだ。
ただし、それはあくまでも〝この短時間では〟という話。
今回の捜索及び救助作戦の前後でサレスの身に起きた最大の変化とは何か? と問われたなら、やはり〝転職〟だろう。
もちろん、〝首〟から〝竜〟へのそれの事ではない。
Fランクの盗賊から、同じくFランクの暗殺者への転職の事であり、適性で言えばFからSへのランクアップとなる。
原則、合成職の適性は派生元となる基本職の適性がそれ相応に高くなければ高くなりようもないのだが、どういうわけかサレスの場合は盗賊の適性も武闘家の適性もともに最低のFランクなのに暗殺者の適性だけがSランクになっていて。
他の全ての職業を無視し、正しく暗殺者になる為にだけ生まれてきたような適性を持つ生粋の殺人者の現在のLvは。
転職したてとは思えない、まさかのLv68。
……【転換術:転職】と、【増強術:躍進】。
2つの技能の対象となった事で新たな境地へ──。
──……否、狩人だの職業だのという面倒な〝柵〟さえなければ最初からそこにあった筈の境地へ辿り着いた彼は。
今、確かにエルギエルにとっての脅威と化していた。
しかし、ここで1つの疑問が残る。
何故そんな中途半端なLvまでしか上げなかったのか。
流石のユニと言えど〝不可侵領域〟とも言うべきLv100に上げる事は難しかったかもしれないが、それこそその寸前なるLv99までなら余裕を持って上げられた筈である。
……その際、サレスを襲う苦痛は考えないものとして。
そうしなかったのは、ユニも考えがあっての事。
これは、そう──サレスへの、〝試練〟である。
そもそも、〝68〟という数字はどこから来たのか。
それは奇しくも、フリードの現在のLvと同じ数値。
つまりユニは、暗にこう言っているのだ。
同Lvの迷宮を彷徨う者ぐらい技能抜きで御してみろ。
将来性込みとはいえ、この【最強の最弱職】が認めたのだから、それくらいの事はやってもらわなければ意味がない。
そうでなければ、あの老害に始末されるぞ──と。
ラオークがドライアを想うがあまり、その胸の内に秘めていた確かな殺意を完全に見抜いた上での高難易度の試練。
しかし、サレスはこれを見事に突破してみせた。
実を言うと、ほんの少し前までフリードの首に装着されていた迷宮宝具、リリパットには〝凶暴性を抑える〟効果も微弱ながら確認されており、それが外されているのだからフリードも迷宮個体相応の凶暴性を取り戻している筈だが。
現状、フリードは完全にサレスの制御下にある。
竜操士でも何でもない、生粋の殺人者の制御下に。
元々の主人だった竜操士の躾が良かったのか、それともサレスの異常性を理解したが為に従った方が賢明だと判断したのかは定かでないものの、ともかく反逆の意思は見えない。
無音の暗殺者と、音速の捕食者。
両者は今、同じ目的の為に1つの〝殺人機械〟に──。
──……否、〝殺天使機械〟となったのだ。




