【可逆圧縮絨】
縮んでいた──と、便宜上そう表現したはいいものの。
別に、雲羊竜の肉体そのものが縮んだわけではない。
縮んだのは、雷雲が如く広がり轟く漆黒の羊毛のみ。
迷宮を護る者特有の巨躯はそのままに羊毛だけが中心に位置していた肉体目掛けて収縮、毛刈りを終えた後の羊に一対の翼が生えている、といった外見が雲羊竜の現状だが。
突然の変異に驚き困惑しているのはアシュタルテのみ。
瞬き1つせず下から見上げていたユニはもちろん。
『──【可逆圧縮絨】、逆角個体の切り札だ』
その現象を引き起こしたリューゲルも全てを知っていた。
──【可逆圧縮絨】。
逆角個体と化して以降、収まらないばかりか増大していく怒りに比例して膨張を続ける漆黒の羊毛を、強制的に収縮させる事で的を絞らせないようにしつつ本体の移動速度を格段に上昇させる、一生に一度きりの奥の手を指すのだが。
それだと、弱体化もしているのではと思うかもしれない。
実際、収縮前に比べると攻撃範囲は途轍もなく狭まってしまうし、対多数戦闘においては悪手と言わざるを得ないか。
しかし、ともすれば無駄になっている事も多い羊毛の全てを中心へと収縮、羊毛とともに過剰なほど圧縮された魔力と雷撃は、それまでとは一線を画す威力と速度を帯びるのだ。
『……貴方まさか、わざと煽ったの? あの姿にする為に』
『あぁ、せっかくの勝負なら全力でってな。 それに──』
その結果、ただでさえ逆角個体に変異を遂げた時点で増加していたEXPが更に上乗せされる事になる関係上──。
『──お前の主人も、多分こうしてたと思うぜ』
『……そう、ね。 それは何となく──』
夢を叶える為なら手段を選ばないユニもまた、同じように促していた筈だという推測は、間違いなく的を射ていた。
……ただ、リューゲルは1つだけ見落としていた。
より正確に言えば、1つの誤算があった。
そして、その誤算はすぐに明らかとなる──。
『──え?』
『はッ?』
瞬間、何かが1人と1柱の間を縫うように通り過ぎた。
黒っぽい直線状の何か──……という事しか解らない。
しかし1人と1柱は、それが何かを嫌でも知らされた。
『『〜〜ッ!?』』
その黒っぽい直線状の何かとは、〝雷撃〟の事であり。
音も衝撃も、そして何より痛みも遅れてくるほどの超高速で、それぞれ片方ずつ翼と羽を貫かれたからに他ならない。
綺麗に丸く貫かれた傷痕からは血液も流れず──アシュタルテには元々血液など流れていないが──ただ肉が焦げたような臭いが辺りに漂い、刺すような痛みが両者を襲うだけ。
一体、何が──と目線を前に戻したのも束の間。
『BOOOAAAA……ッ』
『な……何よ、アレ……ッ!』
『し、知らねぇぞ俺も……』
両者の視界に映ったのは、およそ一般的な迷宮を護る者相当のサイズまで縮んだサタン=クラウドが、これまでとは全く異なる禍々しい〝漆黒の雷〟を纏う狂気じみた姿であり。
普通の逆角個体が引き起こす【可逆圧縮絨】しか体験した事がないという、たった1つの誤算によって発生してしまった〝何か〟に両者が思わず空中で後退りかけた、その時。
「──聞こえる?」
『『!!』』
突如、鼓膜を中性的な女声が叩く。
ユニの声だ。
「アレは多分、息吹の影響だよ。 【可逆圧縮絨】は全ての逆角個体に共通する切り札だけど、あの個体が持つ息吹の性質は〝重力操作〟。 重力を利用する事で圧縮された雷撃は雷雲と同様に黒く染まり、威力と速度を向上させた。 Sランクでも魔界のNo.2でも見切れず、防ぐにも難儀するほどに」
『『……!!』』
彼女は、とっくに全てを見抜いていた。
リューゲル同様、普通の逆角個体しか見た事がないのに。
ユニ曰く、〝重力操作〟による必要以上の圧縮が雷雲のみならず内と外で放電と蓄電を続ける雷撃を黒く変異、人間離れした能力と肉体を持つ半人半竜でも、1つの世界の支配者に次ぐ力と権威を持つ悪魔でも対処は難しくなった事を。
そして──。
「さぁ、ここからは文字通りの死闘だよ。 頑張ってね」
『本当、余計な事してくれちゃって……!』
『ッ、うるせぇ! 勝ちゃいンだろ勝ちゃあ!!』
人間、悪魔、竜化生物、リューゲルの行いによって誰が死んでもおかしくない戦いになってしまったのだという事を。