聖なる天使と不浄の番犬
シェルトが短時間での決断を強いられていた、その一方。
文字通り全身を縛り付けていた【暗影術:絞殺】を改造によって得た歪な筋力で無理やり引き千切り、息つく間もなく様々な感情を乗せた咆哮を轟かせた人造合成種はと言えば。
『『『……GRRR……YELOOOOF……』』』
視覚で捉えられる場所には居ないだろう2人の人間、〝敵と認識する価値もない矮小な餌〟と〝全力で挑んでも勝てるかどうか解らぬ怪物〟を犬特有の嗅覚で探そうとしていた。
前者は別に隠れていようと逃げていようとどうでもいい。
あの程度の餌なら、まるで何かから後押しされたかのように意気揚々と己らの棲家に踏み込んでくる人間たちで充分であり、もし不意を突いてきたとて大した痛撃を与えてくるとも思えず、わざわざ探してまで喰らう価値はないのだから。
しかし、後者の位置は直ちに特定せねばならない。
見えたのは数瞬だったが、彼らから見てもアレは怪物。
ただでさえ正面から挑んでも勝ち目は薄そうなのに、もしも不意など突かれてしまった日には、おそらく抵抗する間も与えられずに殺されるだろうと彼らは本能で理解していた。
『BEEOL? RRROO?』
『WORR、FEL……』
『……GROW──』
どうやら少々鼻を利かせた程度の距離には居ない、もう少し先を嗅いでみるか、それとも直に出向いてみるかと3つの首で己らの進退を決めようとしていた──……その時。
『ごきげんよう、異形の万犬竜』
『『『ッ!?』』』
突如として頭上から聞こえてきた鈴を転がすような女声に3つの首が一斉に反応し、やにわに同じ方を向いたところ。
2重の光輪と6枚の白翼が目を惹く、その茜色の長髪と双眸を除けば何もかもが純白、或いは白銀に染まった一顧傾城とも呼ぶべき美麗な天使が彼らの前へ舞い降りてきており。
『私はフュリエル、見ての通りの天使です。 以後よろしく』
礼儀どころか言葉も操れぬ相手に対しても、『人間よりは上等か』という極端なほどの人間嫌いを発揮したがゆえの慇懃な一礼をしつつ名乗った熾天使への人造合成種の返答は。
『……G、ROOF……ッ?』
『何をしに来た、と? そうですね、端的に申せば──』
リーダー格たる中央の首による、『どんな用があれば天使が自分たちの前に現れるのか』という抱いて当然の疑問であり、それを直感で悟ったフュリエルは『ふむ』と短く唸る。
そして答えが決まったとばかりに顔を上げたかと思えば。
『──〝不浄〟を清めに』
『『『ッ!!』』』
『【聖なる光槍】』
たった一言に込められた強者特有の圧、何より彼らの視界に突如として顕現した3本の眩いばかりの聖なる槍の穂先が全て自分たちに向けられている事に戦慄しつつも息を吸う。
正直、普段は息が揃っているとは言い難い3つの首も九死となれば流石に息を合わせぬわけにもいかないようで──。
『『『BO、OO……ッ!! GROOOOWLッ!!』』』
一糸乱れぬ呼吸とMPの充填、そして息吹の放出に至るまで一切のズレなく放たれた息吹は、シェルト相手に対空攻撃を仕掛けた時より威力が向上していた事は疑いようもない。
……疑いようも、なかった筈。
『『『〜〜ッ!? O、O"OO……ッ!?』』』
しかし、【聖なる光槍】と衝突した3つの息吹は徐々になどという拮抗した様子もなく、まるで蕾が咲くかの如く穂先を中心に息吹が裂けていき、3本の聖なる槍が大きく開けた口に突き刺さらんとするのを防ごうとMPを振り絞る中。
(弱い、あまりに弱い。 この程度ならば、あの3人でも──)
人間よりは上等とはいえ、よくよく考えればこの個体は人間によって造り出された紛い物であり、フュリエルが苦戦する筈がないという事もそうだが、あのまま3人が戦っていてもいずれは勝てていたのだろうなと何気なく思った矢先。
(……あぁ、そういえば)
フュリエルの脳裏に、ユニからの命令がよぎる。
『殺めてはならないのでしたね。 手心、手心と』
『『『YE、EE……ッ!?』』』
この人造合成種を斃すのは他でもないユニなのだから、フュリエルが斃してしまっては命令に反するし、そもそも何の意味もないと思い出した彼女は〝押し切る〟のではなく〝触れている魔力を焼滅させる〟事に思考を切り替え。
勢いが弱まった事で『助かった』と思うよりも、『何が起こったのか』という困惑の方が優先された人造合成種。
『『『
『何のつもりだ、ですかね。 ふふ、何という事もない──』
聖なる槍の主であるフュリエルに対し『何のつもりで攻撃を止めた』と問うてしまうのも致し方なく、またも直感でそれを悟ったフュリエルは珍しく蠱惑的な笑みを浮かべて。
『──単なる〝戯れ〟ですよ、愚鈍で惰弱な犬畜生』
『『『〜〜ッ!! BOWOOOOFッ!!』』』
時間を稼ぐ為だけの、露骨な挑発をしてみせた。