女王の本質
それは、ちょうど30年前のある日。
とある小さな農村で、1人の赤子が生を受けた。
お世辞にも裕福とは言えない家庭だったが、働き者の父親と優しい母親という素晴らしい両親に恵まれ、すくすくと普通の女の子として育っていき、いずれは同じ村に住む幼馴染と結婚したり──と何の変哲もない人生を送る筈だった。
そう、送る筈だったのだ。
しかし、それから5年後のある日。
当時5歳だった少女は、働き者の父親と優しい母親に。
……捨てられた。
何故、と思う事だろうが。
それにはちゃんとした理由があった。
その日の1週間前、村に2匹の竜化生物が迷い込んだ。
狼を派生元とした、番の〝群狼竜。
かなりの飢餓状態にあったらしく、だらしなく涎が垂れ続けている事にも気づかぬまま、ただひたすらに餌の匂いが漂ってくる方へと足を運んだ結果、村に辿り着いたのだろう。
こんな辺鄙な農村に〝竜化生物を寄せ付けない結界〟などある筈もなかったが、その代わりとしてか4人からなるCランクの竜狩人パーティーが常駐していて。
自分たちの役割を果たすべく、4人は番に挑んだが。
健闘も虚しく、4人は喰い殺されてしまった。
屋内で震えながら見守っていた村人たちの前で。
その2匹は単なる地上を蠢く者でしかなく、もちろん7種の突然変異種に分類もされない、ほんの少しLvが高い程度の地上個体だったのだが、その事実が昇格したばかりで図に乗っていた4人を慢心させる要因となった事は否定できない。
そして4人を喰い終えて満足したかと思いきや、あろう事か番の大きな遠吠えを合図に10匹の同種が姿を現した。
当然と言えば当然だろう、彼らは〝群〟狼竜。
群れで動いている事の方が、よほど自然なのだから。
番の雄は、その群れの長だったのだ。
いよいよ終わりかと死を覚悟する者、逃れられぬ死を前に錯乱する者、逃げ場などないのに外へ飛び出そうとする者。
全員が同じ末路を辿ると思われた──……が、しかし。
幸か不幸か、そうはならなかった。
何故ならば、いつの間にか1人で屋外へと出ていた5歳の少女が死した狩人の武装である大きな槍と斧を両手に持ち。
計12匹からなる群れを、殲滅してみせたからだ。
もちろん技能は使っておらず、ただ生まれ持った技量と天性の身体能力で1匹ずつ確実に仕留めていき、これまで戦いなどとは無縁だった筈の少女を前に、群狼竜は無惨にも敗北を喫したのだった。
その後、流石に被弾なしとはいかなかったのか傷だらけの身体でにこりと微笑む少女を見て、ある村人が泣きながら礼を述べたり、ある村人が狩人の死を悼んだりしていた中。
実の娘に対して両親は──……ただただ恐怖していた。
この子は、本当に私たちの子供なのかと。
そもそも、同じ人間なのかと。
これから、この〝化け物〟を育てていかねばならぬかと。
そして、それから1週間後。
竜狩人協会からの使者がCランクパーティーの戦死を確認しに来た際、『この子はいずれ優れた狩人になる』『そちらで鍛えてやってほしい』と言うだけ言って押し付けて家へと逃げ帰っていくのを見ても、少女は何も言わなかった。
少女は聡く、全てを理解していたのだろう。
あの戦い以来、自分が両親に恐れられている事も。
それから少女は特例として竜狩人協会に預けられ、その才覚を見抜いた当時の協会長からの推薦を受けて狩人志望の貴族子息や令嬢ばかりが通うドラグハートの〝学院〟に通い。
当時、王座を狙う者として最有力候補であった首席卒業間近の男子学生を片手間に討ち倒し、それを良しとしなかった貴族からの刺客をもあっさりと返り討ちにした結果、身体の成長とともに精神性や纏う覇気までも王座を狙う者として最適であると貴族たちでさえ認めざるを得なくなっていき。
ついに、ドラグハートの玉座を奪ってしまったのだ。
その姿は、まさに万の頂に座す王と呼ぶに相応しかった。
……Sランク狩人という正真正銘の化け物が居なければ。
そんな少女の25年後の姿、30歳のヴァリアンテが今。
「どうして!? どうして1年も逢いに来てくれなかったの!? いつだって転移してこれる癖に!! 私、凄く寂しかったのよ!? 半年前なんて王都に来てたんでしょ!? 何でよ!!」
まるで少女期にできなかった事、本当は親に対してしたかった事を全てぶつけるように抱きついて、実に1年もの間ユニに逢えていなかった事、半年前にアズールを始めとした竜騎兵たちに稽古をつけた時に逢いに来てくれなかった事を矢継ぎ早に責め立てていた。
……これが万の頂に座す王の姿か? と問われても。
いや、うーん……としか言えないくらいの情けない姿。
「どうしてって言われてもなぁ、私にも都合があるから」
「そんなの知らない! バカバカバカ!」
「えぇ……?」
それでもユニは慣れているからか特に苦言を呈したり引き剥がしたりする事もなく、ただただ寝巻き姿の女王の髪を梳くように撫でながら宥める事しかしておらず、13歳も離れた年下の大きくはない胸に顔を埋めてイヤイヤ期が如く駄々を捏ねるヴァリアンテ。
尤も、これ1年前にもあったパターンではある為。
「……解った解った、私が悪かったよ。 何でもとはいかないし、ずっとでもないけど、なるべく言う通りにするから」
「本当? それじゃあ──」
その時と同じく、〝なるべく〟と付けて限度がある事を言及するのを忘れないようにしつつ、ファンクラブの会員たちなら悦びで失神するだろう事くらいまでならまぁまぁと高を括ったユニに、ヴァリアンテはパッと顔を上げて──。
「──何故、嘘をついた?」
「えっ──」
万の頂に座す王の貌と声でそう告げた瞬間。
ユニへ、ではなくユニの背後の空間へ向けて。
寝巻きの裾に隠していた短剣を勢いよく投擲した結果。
『──わぉ! やっばー☆』
フュリエルともアシュタルテとも違う〝何か〟の声が。
……やたらと、ちゃらんぽらんな〝誰か〟の声が響いた。