あんな事までしておいて
『? ユニ殿……?』
突然、引き鉄を引く手を止めるばかりか何も居ない筈の背後を振り返って何かを見ているように感じるユニの奇行にアズールが怪訝そうな表情と声音で問いかける中。
『あんな事まで、しておいて……褒美の1つもないなんてありえないでしょう……? それ、私に壊させなさいよ……!』
『あー……』
『ゆ、ユニ殿? その、お早く……』
あんな事とやらが〝無理やり唇を奪った事〟なのか〝無理やり神の依代とした事〟なのか、それとも両方なのかは知らないが、それらの所業を甘んじて受けた事に対する見返りを要求してきたアシュタルテに、ユニはアズールからの催促も無視して考えを巡らせ始める──。
(……まぁいっか。 これを壊して得られるEXPなんて、さっき得た分に比べればあってないようなものだし)
……とは言ったものの、ユニは実に2秒という超短時間で〝どうせ大した量じゃないだろうし〟という結論を出していた。
また、そもそも悪魔や天使には人間や竜化生物にとっては当たり前の概念であるLvが存在せず、アシュタルテが得られる見返りは迷宮が自身を維持する為に必要としていた膨大な魔力だけであるという事も彼女の即断即決に拍車を掛けていたようだ。
『【召命術:天魔】』
『なッ、ユニ殿!?』
そしてユニは水中銃を持っていない方の手に魔力を込め、まるで本当に技能を発動しているかのような素振りを見せるとともに、アシュタルテもまたそれっぽい光の放出と魔方陣の構築を担い、〝たった今、ユニが悪魔を召喚した〟としか思えない光景にアズールの表情が驚愕と困惑に彩られる一方。
『……いい、のね?』
『好きにしなよ』
直接的には言われていなかったが、こうしてアシュタルテ自身をアズールやシエルに見えるように仕向けたという事は、まず間違いなく許可してくれたのだろうと確信していた彼女の判断は正しかったらしく。
『ユニ殿、これは一体……!?』
『……白色変異種の討伐を手伝ってもらった時に随分と消耗してしまったみたいでね、魔力が欲しいんだってさ』
『な、なるほど……?』
あっさりと許可を出した後、力なく迷宮核の方へと進んでいくアシュタルテを見送りつつ、そろそろ疑問を解消してやるかと考えたユニからの嘘とも真実とも言えず、そして彼には判断のつけられない理由づけに、アズールはとりあえず納得するしかなかったようだが。
(しかし、あの悪魔……公爵、なのか?)
それはそれとして、ユニが召喚した──実は最初から居たのだが──悪魔を見て、2年ほど前に政変を企てたとある貴族が使用人たちを贄として喚び出した悪魔侯爵と比較した感じ、あれほどに満身創痍な状態でも明らかに侯爵を上回る強者だと確信できる以上、最低でも公爵であろう事は間違いないと思ってはいたものの。
(……〝皇帝〟──な訳はない、か。 いくら何でも……)
公爵の更に上、並の悪魔では天地がひっくり返っても到達できない最高の地位に就く最凶の悪魔だと言われても納得しかねないほどの強さをも、アズールは本能で感じ取っていた。
無理もないだろう、公爵と皇帝の間に位置する悪魔大公がドラグリアに召喚されたという事例は一切確認されておらず、その存在を知っている人間は比喩抜きで数えるほどしか居ないのだから。
『【悪魔の、短剣】……今は、これが限界みたいね……』
『代わろうか?』
『貴女は引っ込んでて……!』
『はいはい』
そんな中、今のボロボロな状態では〝弾道短剣〟にさえできない単なる短剣に変異させられなかったらしく悔しげに歯噛みするアシュタルテに対し、まるで煽るような物言いで以て案じてきたユニを一喝するという痴話喧嘩じみたやりとりの中。
(……やはり、公爵か。 流石の【最強の最弱職】でも、かの魔界の支配者を相手にこの気安さはないだろうし……)
ここまで遠慮のないやりとりを、さしものユニと言えど魔界の支配者たる最凶の悪魔との間に繰り広げる事など不可能だろうと判断し、とりあえずアズールはアシュタルテを悪魔公爵と仮定しておく事に決めたようだ。
『いくわよ……せいぜい逃げ遅れないようにする事ね……』
『了解。 アズール、シエル。 準備はいい?』
『え、あ……ッ、は、はい! 無論です!』
『FIIIAAA』
そして、もはや短剣と化した手を振り上げる事さえ辛そうなアシュタルテからの忠告に、すでに脱出の用意を完了させていた2人と1匹が返答した事で。
『さぁ吐き出しなさい……ッ、ありったけの魔力を!!』
『ぐ……ッ!?』
『SHI、III……ッ!!』
迷宮核を両断した瞬間、膨大な魔力の奔流がアシュタルテを呑み込むと同時に、そこそこ離れた距離に居た筈のアズールやシエルまでもを巻き込みかけ、その潤沢かつ良質な魔力に1人と1匹が思わず惹き寄せられそうになる中にあり。
『先に行くよ、アシュタルテ。 君こそ遅れないでね』
『わ、か……ッてるわよ……!!』
『ッ、これが最後だシエル! 【騎行術:神風】を!!』
『PIRAAAAARUCUッ!!』
流石の悪魔大公と言えど、ない扉を開ける事はできないだろうと見抜いていたユニからの忠告返しにアシュタルテが過回復による心地良い痛みを感じながらも返事を返した事で、正気を取り戻したアズールとシエルもユニの後を追うように全身全霊の技能を発動し、その場を離れていったのだった──。
(……あ、迷宮を護る者の死骸──……いっか別に)