「タピオカミルクチーを飲みに行こう」と誘う風林さんはちょっと変わってる
「おい、そこの下郎」
放課後、校門の前を通りかかると一人の女生徒に呼び止められた。
……呼び止められたんだよね?
セリフが強烈すぎて、一瞬フリーズしてしまった。
「聞こえておるのか。うぬだ、うぬ」
女生徒はものすごい眼力で僕を見ている。
この人は確か……1年先輩の風林さんだ。
風林財閥の一人娘で、その気になれば総理大臣すら動かせるという裏社会の大ボス……とまで言われている人の孫。
そんな人がなぜか僕に話しかけてきていた。
「あ、あの、僕のことでしょうか……?」
念のため恐る恐る聞いてみる。
すると風林さんは腕組みをしながら「他に誰がおる」と答えた。
……やっぱり僕だ。
一体全体、なんの用だろう。
まわりからは
「やだぁ、あの子何やらかしたの?」とか
「うわぁ、目つけられちゃった」とか
「殺されなければいいわね」とか、それはもう、恐ろしい言葉が飛び交っている。
いや、もう、マジで怖いんですけど……。
風林さんはそんなヒソヒソ話を物ともせず、ファサーッと長い黒髪を指でといた。
「貴様、タピオカミルクチーなるものを飲んだことはあるか?」
「………」
はい?
「タピオカ……なんですか?」
「ミルクチーだ、ミルクチー。タピオカミルクチー」
「タ、タピオカミルクティー? ありませんけど……」
答えると、風林さんは「フッ」と笑った。……顔は笑ってないが。
「やはりな。クラスの女子どもめ、何が『みんな飲んだことある』だ。飲んだことがないヤツもいるではないか」
「………」
わけがわからない。
これはあれか?
僕が何かやらかしたわけではなく、単にタピオカミルクティーを飲んだことがあるかどうかを聞きたかっただけか?
「呼び止めてすまなかった、行っていいぞ」
「は、はい」
僕は緊張が一気に解けて「ふううぅぅぅぅ」と息を吐きだした。
すぐにその場を立ち去ろうとした瞬間、また呼び止められた。
「いや、待て。飲んだことがないのなら、飲みに行こう」
「えええええぇぇぇぇッ!!!!!!」
嫌です嫌です、絶対嫌です!
「どうだ? おごってやるぞ?」
「ええと……」
絶対嫌だけど、これ断ったら殺されるパターンだよね?
逡巡している間に風林さんがスマホを取り出して誰かに連絡を取り始めた。
「ああ、そうだ。門のところにいる。よろしく頼む」
ピッとスマホをしまった数秒後、巨大なリムジンが門の前に出現した。
……てか、リムジンかよ。
すぐに運転席から物腰の柔らかそうな老紳士が降りてきて、後部座席を音もなく開けた。
風林さんは当然のごとく後部座席へと入っていく。
そして、中から僕を見るなり言った。
「どうした、早く乗れ」
「は、はい……」
もはや一択しかなかった。
※
リムジンの中は快適とは程遠い息苦しさだった。
エンジン音は聞こえず、動いてるのかと思えるほどの安定した乗り心地にも関わらず、空気が冷たい。
風林さんは僕には目もくれず、静かに窓の外を眺めている。
「あ、あの……」
沈黙に耐えかねて声をかけてみた。
「ん? なんだ」
風林さんはクールな声を発しながらクールな顔でこっちを向いた。
「か、風林さんは……タピオカミルクティーってどんなのか知ってるんですか?」
「いや、知らん」
「知らないんですか?」
なんだろう、大財閥の娘というからいろんなことを経験してると思ってたのに、意外と世間知らずのお嬢様なんだろうか。
「そもそもタピオカが何かも知らんしな」
「タピオカっていうのは、でんぷんのことです」
「でんぷん?」
「はい。なんかの植物のでんぷんを丸めて加工したのがタピオカです」
「なんかの植物とはなんだ?」
「……いや、知りませんけど」
そんなにタピオカについて詳しくないし。
「ああ、なんかの植物というのはナンカノ植物という意味か」
「ち、違います。本当になんかの植物です」
「だからナンカノ植物だろう?」
「……もういいです。で、そのなんかの植物から作られたでんぷんをミルクティーに入れた飲み物がタピオカミルクティーなんです」
「なるほど。ナンカノ植物から作られたでんぷんをミルクチーに入れた飲み物がタピオカミルクチーというのか」
いろいろ間違ってるけど、訂正する気も失せた。
っていうか、ミルクティーをミルクチーっと言ってるのがすごく気になる。
「それで? そのタピオカというのは美味しいのか?」
「さ、さあ……」
食べたことないし。
でもこれだけ世の中に浸透してるってことは美味しいってことなんだろう。
「まあいい。これから味わえるのだからな」
ところでと風林さんは続けた。
「自己紹介がまだだったな。私は風林火山。見ての通り、地味な2年だ」
地味の定義とはこれいかに。
「ぼ、僕は染谷五郎です。今年入ったばかりの1年です」
「ほう、染谷か。あの染谷建設の御曹司か?」
「全然違います……」
誰ですか、染谷建設の御曹司って。
うちの家庭は普通のサラリーマンと普通のパートです。
「ああ、失礼。染谷グループの者だったか」
「違います……」
「違うのか? ならばアメリカにあるSOMEYAカンパニーの息子か?」
どんだけ染谷に知り合いがいるんだよ!
苗字が染谷ってだけで普通の染谷さんは日本中にいるぞ!
「一般人の染谷です。パンピーです」
「ああ、パンピーカンパニーのほうか」
「違います!」
ここに来て初めて僕は思った。
この人、だいぶおかしい。
一人で勝手に誤解するタイプ。
まあ僕を最初に「下郎」呼ばわりしたり、タピオカミルクティーをタピオカミルクチーって言ってる時点でかなり怪しい人だとは思ってたけど。
あまりお近づきにはなりたくないタイプだ。
そんな僕の想いなど気づきもせず、風林さんは「それよりも」と言った。
「貴様。よく私の名前を知ってたな」
「へ?」
「学年も違えば話したこともないではないか。それなのにどうして私の名前を知っていたのだ?」
どうやら彼女は最初に僕が名前を発していたことに疑問を持ったらしい。
「そりゃ知ってますよ。だって風林さんって有名ですもん」
「なに?」
僕の言葉に風林さんの眉がピクリと動いた。
こ、怖……。
「うそをつくな。私のどこが有名なのだ」
「え?」
「こんなに地味ではないか。どこが有名なのだ」
「………」
さっきの地味発言、本心だったんだ……。
「ふ、普通に目立ってますけど……?」
「だからどこが目立っているのか聞いておる」
「どこがって……全部が」
「全部がッ!?」
思いのほか衝撃的な言葉だったらしい。
風林さんは口をあんぐり開けて驚いていた。
「全部がってどういうことだ!? 学校では質素に目立たぬように振る舞っておるし、送迎の車だって闇に溶け込みやすくするためにわざわざ黒いリムジンにしておるのだぞ!? 有名になる要素がどこにある!?」
この人バカでしょ。と、ちょっと思った。
「いや、待て。全部といってもいろいろある。具体的にはどこが一番目立っている?」
「ぐ、具体的にって言われても……。存在が?」
「存在が!?」
瞬間、風林さんはふにゃりと座席に突っ伏した。
「……くっ、おのれ父様め。なにが普段通り振る舞っていれば目立たないだ。十分目立っているではないか」
「あ、あの、風林さん?」
「なんだ」
「そんなに目立ちたくないんですか?」
「当たり前だ。こう見えて私はシャイなんだぞ?」
ええー……説得力ゼロなんですけどー……。
さっき初対面の僕に「下郎」って言ってましたよね。
「正直、こうして貴様と話してるだけで緊張して心臓が爆発しそうだ」
「ええええっ!? ちょっと、無理しないでくださいよ!」
っていうか、そうなるんだったら無理に僕を連れてかないでくださいよ!
「大丈夫だ。タピオカミルクチーのためならどんな苦行も乗り越えて見せる!」
そんなに飲みたいですか? タピオカミルクティー。
「ところで染谷五郎と言ったな。貴様何組だ?」
「1年3組です」
「ほう1年3組か。奇遇だな。私は2年2組だ」
「へー……」
「………」
「………」
っていうか、全然関係なくない!?
どこが奇遇なの!?
「去年は1年4組だった」
「そ、そうですか……」
きっと去年もこんな感じだったんだろうなと思った。
※
そんなこんなで当たり障りのない会話を続けること10分。
僕らの乗ったリムジンは、都内の有名タピオカドリンク店の近くに停車した。
「着きました、お嬢様」
運転手さんが物静かな声でつぶやく。
「うむ」
風林さんがリムジンから降りようとしたその時。
まるでメドゥーサに石化させられたかのようにカチコチに固まってしまった。
「どうしたんですか? 風林さん」
「ひ、人が……」
固まった風林さんの隙間から外の様子をうかがう。
そこは確かにタピオカミルクティーのお店。
しかしその入り口にはこれでもかというくらい長い列が出来ていた。
「ああ、ここは都内の人気店ですからねー。いつもこんな感じですよ」
「い、いつもこんな感じ?」
「時間帯にもよりますけど、この時間は30分待ちは当たり前だって聞いたことあります」
「30分待ち!?」
フラーっと倒れ込む風林さん。
「ちょ、どうしたんですか!?」
風林さんを支えながら尋ねると、物静かな運転手さんが言った。
「お嬢様は人混みが大の苦手でしてな。特に行列に並ぶのはお好きではないのでございます」
「あ、そうなんですか……」
この人、生きてくの大変そう……。
「どうします? タピオカミルクティーはあきらめて帰りますか?」
僕の言葉に運転手さんは首を振った。
「風林財閥の格言は『一度決めたことは最後までやり通せ』です。一度タピオカミルクティーを買うと宣言したお嬢様にはたとえ死してもタピオカミルクティーを買ってもらわねばなりません」
死してもって……。
どういう家庭環境なの?
「染谷五郎、いらぬ気づかいは無用だ」
倒れ込んでいた風林さんが起き上がった。
「私とて風林財閥の娘。一度口にしたことは撤回せぬ。この苦行、見事乗り越えて見せる! タピオカミルクチーのために!」
「さすがお嬢様! よっ!」
言ってることはカッコイイけど、普通に行列に並ぶだけだよね?
運転手さんもノせないでよ。
「じ、じゃあ、一緒に並びましょうか」
「うむ。頼む」
リムジンから降りた僕らは颯爽とタピオカミルクティー店の行列に並んだ。
最初は少しオドオドしていた風林さんだったけど、並び始めてしばらくすると落ち着きを取り戻したようだった。
腕を組みながらクールな表情を見せている。
こうして隣に立つと美人だし背も高くてカッコいい。
まわりからは「うわ、あの人綺麗。モデルさん?」とまで言われてる。
さすがは風林さん。
その存在感だけで十分目立っている。
ところが、そんな風林さんから何やら念仏のような声が聞こえてきた。
「私は石……私は石……私は石……」
うわあ、全然クールじゃなかった……。
腕組みしながら汗びっしょりかいてるよ。
目なんか焦点合ってないし。
「だ、大丈夫ですか? 風林さん」
「うん? 上腕二頭筋がなんだって?」
……全然大丈夫じゃなさそうだ。
「風林さんて本当に人混みが苦手なんですね」
「あ、ああ。人混みに紛れると吐きそうになる」
そんなにですか?
「あまり無理しないでくださいね」
「う、うむ。ついでといってはなんだが、頼みがある」
「なんですか?」
「足が固まって動かん。引っ張ってはもらえぬだろうか」
「ひ、引っ張ってって?」
「そ、その……なんだ。手と手をつなぎ合わせて引っ張ってってもらえると助かる」
「いやいやいや! 無理無理無理!」
そんな、こんな綺麗な人と手をつなぐなんて!
しかし風林さんは躊躇なく右手を差し出した。
「頼む」
ぺこりと頭を下げる風林さんを見て、僕はためらいながらもその手を握った。
うわ、すご、すべすべしてる……。
途端に注がれるまわりの視線。
なんか手をつないだことで一気に注目されてしまったようだ。
ううう、風林さんじゃないけど、これは確かに足がすくむ。
それでもなんとか順番待ちを制して注文カウンターまでたどり着いた。
「いらっしゃいませ」
「タピオカミルクチーをふたつ」
風林さんはさっきまでのオドオドした態度はどこへやら。
腕を組みながらクールにそう言った。
「は、はい♡」
女性の店員さんもクールな風林さんの美しさに目がハートになっていた。
これはもう風林さんの持って生まれた才能だね。
「種類はどうしましょう?」
「種類?」
「ウーロンミルクティーやグリーンミルクティーなどございますが?」
「………任せる」
任せるんだ……。
「普通のミルクティーでしたらブラックになりますが……」
「じゃあそれで」
「サイズはどうしましょう?」
「サイズ?」
「SとMとLがございますが?」
「……任せる」
この人、任せ過ぎじゃない?
「じ、じゃあMサイズでよろしいですか?」
「うむ」
返事はカッコいいのになぜか汗だくの風林さん。
「トッピングはパールだけでよろしいですか?」
「パパパ、パール?」
「タピオカのことです」
「う、うむ」
「かしこまりました」
店員さんは慣れた手つきで会計を済ませると、これまた慣れた手つきでタピオカミルクティーを二つ作って渡してくれた。
なんだかんだでなんとかミッションをクリアした風林さんは店を出るなり「ふむ。たいして注文も難しくなかったな」と言っていた。
僕の聞き間違いだろうか。
「それよりも、念願のタピオカミルクチーだ」
「そ、そうですね」
「一緒に飲もう」
「は、はい」
風林さんと一緒にストローをすする。
中に入ったタピオカが一気に口の中に入ってきて、甘いモチモチ食感が口いっぱいに広がった。
「なにこれ、うまっ!」
「ほう、これはなかなか」
正直、ちょっと懐疑的だったけど、こうして飲んでみるとめちゃくちゃ美味しかった。
タピオカミルクティーが大人気な理由もちょっとわかる。
「染谷五郎」
「はい?」
「今日はズゴゴゴゴ。助かったズゴゴゴゴ。貴様のおかげでズゴゴゴゴ。タピオカミルクチーを買えたズゴゴゴゴ」
飲むのかしゃべるのかどちらかにして欲しい。
「い、いえ、僕もご馳走になってしまって」
「誘ったのは私だ。遠慮するなズゴゴゴゴ」
その後、風林さんは僕をリムジンで家まで送り届けてくれた。
ちょっと変な人だけど、いい人だと思った。
「今日はありがとうございました」
ぺこりと挨拶をすると、風林さんはリムジンの窓を開けて笑顔を向けた。
「礼を言うのは私のほうだズゴゴゴ。今日は本当にありがとうズゴゴゴ」
「い、いえ……」
いつまでタピオカミルクティーを飲んでるんだろう。
きっと最後の一粒が取れないに違いない。
「それでは」
もう二度と関わることもないだろう。
そう思っていると、風林さんがリムジンの中から呼び止めた。
「おい染谷五郎」
「は、はい?」
「明日はミクドナルドのバービィーセットなるものを食べたい」
「……は、はい?」
「ミクドナルドのバービィーセットはおもちゃがついてくるらしいからな」
「そ、そうですが……」
「それを頼みたいのだが、一緒についてってくれるか?」
「ええええええーーー!?」
「もちろん無理にとは言わんが」
「い、逝きます……」
僕の言葉に風林さんの顔がパアッと輝く。
不覚にもドキッとしてしまった。
「なら明日の放課後、校門でな」
そう言うなり、リムジンに乗って走り去っていく風林さん。
またあの人を引き連れて歩くのかと思ったらドキドキするようなワクワクするような不思議な気持ちだった。
その後も何かと理由をつけては買い物に付き合わされ、風林さんと良い仲になるのはもう少し先の話。