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下 天使、卒業する


 ボクとコトネは高校3年になった。


 今年も5月のGWに、一年で最大のイベント、高校総体の天歌あまうた地区大会が行われた。

 ボクは、100mは自己ベストだったが予選敗退。得意の200mでも自己ベストをマークし、予選3組で2位。タイムでクオリファイされて準決勝進出。初めての予選突破だった。しかし準決勝は2組4位。決勝に進めず、県大会出場にもあと一歩及ばなかった。

 コトネは走り幅跳びの2回目の跳躍で自己ベストの5m08を記録。そして3回目。着地は5m20前後だったが、わずかに踏切版を踏越してファウルとなった。結局3回目を終わって全体の11位。4回目以降に進めず、県大会出場枠10人にこれもあと一歩及ばなかった。

 悔しがっているボクの横で、コトネはニコニコしていた。

「3回目の跳躍のときに、天使が現れたんだよ。大会では初めてだから。それに...」

「どうしたの?」

「S学園の顧問の先生がきて、『永山さんの空中姿勢の美しさは、高校トップレベルだ』って褒めてくれた」

 私立S学園は、陸上の全国的な強豪校だ。


 引退まで残すは7月の天歌地区合同記録会のみ。ボクもコトネも自己ベストの更新を目標に練習に励んだが、結局更新はできなかった。


 夏休みからボクとコトネは、ミカさんも通っている大手予備校のサテライト校に通うことになった。ボクの第一志望は天大あまだい経済学部。そしてコトネは天大医学部看護学科。

 夏期講習の間、予備校でミカさんとときどき顔を合わせた。

 夏休みが終わると、講習の時間帯の関係で、ミカさんと会うことはほとんどなくなった。ボクたちは、放課後校門で待ち合わせして予備校の講習に向かった。


 12月24日。ボクとコトネは予備校の講習が始まる前の時間に、ノエル先輩のお墓参りに行った。

 ミカさんが男の人と来ていた。

「こちら、前にお話しした、ノエルの親友のタイシくん」とミカさんがその人を紹介した。

「はじめまして。ノエル先輩の後輩の宮内翔です」と相変わらずスポーツ刈りのボク。

「はじめまして。永山琴音です」と、サラサラの髪が耳を覆うくらいまで伸びたコトネ。

「はじめまして」とタイシさん。

 4人並んでお墓に手を合わせた。


 1月19日と20日、ボクたちは天大でセンター試験を受けた。コトネは1日目の文系科目は得意だったが、2日目の理数系科目が苦手だった。2日目のあと、コトネは落胆しているだろうと思ったら、正反対だった。

「思ったより取れたみたい。天使がね、来てくれたんだよ」と嬉しそうなコトネ。


--------- ◇ ------------------ ◇ ---------


 4月になった。


 ミカさんは、晴れて「タイシくんの後輩」になった。

 天使にご褒美をもらったコトネは、天歌大学医学部看護学科に入学した。

 そしてボクは、天歌大学経済学部に入学した。


 経済学部だけ県庁所在地のT市にキャンパスがある。通学時間帯が違うため、ボクとコトネが会う機会はめっきりと減った。やりとりはLINEがほとんど。

 コトネは、ときどきミカさんとキャンパスのカフェテリアでランチを一緒にするとのこと。ミカさんはタイシさんのことを「同志」と呼んでいて、学内外でよく会っているらしい。


 経済学部キャンパスの学園祭は、GWの初日1日だけの開催。4人で見にいった。

 T駅の駅前からキャンパスに続くアーケード街を歩く。ミカさんは懐かしそうだった。

「ノエルと再会して初めて外で会ったとき、ここを歩いてキャンパスまで行ったんだよ」とミカさん。

「ノエルは、経済学に興味があるって言ってた。カケルくんがその気持ちを引き継いでくれたのかな?」

 そういうとミカさんは、少し憂いを帯びた笑みを見せた。

 美人だった。

 ミカさんもさることながら、ボクは、コトネの変化が気になっていた。肩まで届いたサラサラの髪。色白なナチュラルメイクの顔。相変わらず細身だけれど、女性らしい丸みを帯びてきた体つき。「陸上少女」のイメージから、気づかないうちにこれだけ変わったことに驚いていた。


 夏休みになった8月のよく晴れた日。ボクとコトネは、駅前から南へ向かうバスに乗って海に行った。天歌漁港の西側に広がる砂浜。海水浴客が海に入ってはしゃいでいるのを、遠くから、そして波打ち際に行って眺めた。

 黄色のノースリーブのワンピースに麦わら帽子を被ったコトネ。肩甲骨のすぐ上まで伸びた髪と露になっているやわらかそうな二の腕に、ボクは女性を感じた。


 天大の学園祭は11月下旬の土日に開催される。

 コトネと一緒に学内を歩いていたボクは、ときどき周囲から羨望の眼差しを受けているように感じた。

 高校の頃は無口だったコトネが、大学生になるとよく話すようになった。

「スリムジーンズがはけるようになったんだよ」とニコニコしながらコトネ。

「うまく筋肉が落ちたね」

「結構大変だった。食べるもの注意して、軽い運動して」

「下手すると脂肪になっちゃうからね」

 セミロングといえるくらいに伸びた髪のコトネに、スポーツ刈りをやめて半年になるボクは、ちょっと意地悪な質問をした。

「もし、ノエル先輩が生きていたら、コトネは先輩と一緒にここを歩いていたのかな?」

「わからないよ...こうしていま、カケルと一緒に歩いている。それだけ」


--------- ◇ ------------------ ◇ ---------


 12月24日。ノエル先輩の3回忌。


 ミカさんとタイシさん、そしてボクとコトネの4人は、天歌駅前のシティホテルの最上階にあるイタリアンレストランに、夜7時に集合した。

「お墓参りは行った?」とミカさん。

「はい。コトネと二人で、昨日のうちに行きました。今日はいろんな人が来るだろうと思って」

「私とタイシくんは、今朝早い時間に行ったけれど、帰りにお父さま、お母さまにぱったりと出会っちゃった」


 ソムリエがワインを持ってきて、タイシさんがテイスティング。

 みんなのグラスにワインが注がれる。未成年のボクとコトネは「少しだけ」とお願いして、乾杯の一口分だけ入れてもらった。

 タイシさんの右にミカさんが座り、その向かいにコトネ。コトネの右にボク。

「それじゃあ、乾杯しよう」とタイシさん。

「メリークリスマス。そしてハッピーバースデー、ノエル」

「ハッピーバースデー、ノエル先輩」

 ノエル先輩は12月24日がお誕生日。ちょうど18歳になったその日に亡くなったのだった。


 色とりどりのアンティパストが運ばれてきた。

「しかしこのお店、イブによく予約が取れましたね」とボク。

 本格的なイタリアンをリーズナブルなお値段でいただくことができる、超人気店だった。

「父の患者さんの伝手があってね」

「お父さま、お医者さまなんですね。だからタイシさんも?」

「うん。それも無いわけではないけれど、特に『跡を継げ』とか言われているんじゃない」

「いっそのこと、このメンバーで付属病院を乗っ取っちゃおうよ」とミカさん。ワインのせいか、顔がほんのりと赤みを帯びている。

「タイシくんが院長兼外科部長。私が副院長兼内科部長。コトネさんが副院長兼看護部長」

「じゃあ、ボクは?」と経済学部のボク。

「事務職員。ポジションは働きぶり次第だね」


「そうそう。ずっと聞こうと思っていたんだけれど、コトネさんの名前って、どういう由来なの?」とミカさん。

「考えたのは母です」

 お母さんがコトネを出産するときに入っていた産院の壁に、竪琴を持った天使の絵が描かれていた。妙なる調べが聞こえてくるような気がして、天使が奏でる琴の音のような美しい心を持った子に育ってほしい、という願いをこめて「琴音」と名付けたという。

「そうか。名前からして天使に関係があったのね」とミカさん。

「カケルくんは?」とタイシさん。

「ボクは、そんな大した由来はないです」

 飛翔の「翔」。「大きな世界に翔びたって活躍する人になって欲しい」ということ。

「大した由来はない、というとやっぱり私だな」とミカさん。

 お祖母さん、お母さんと二代続いて「美」の字で始まる名前だった。「美しい香り」で「美香」となった。

「僕なんか、『少年よ大志を抱け』の『大志』そのまんま」とタイシさん。


 熱々のパスタが運ばれてきた。

 話は自然とコトネの「天使」のことになった。中学、高校の陸上部時代のことを一通り話すと、こう言った。

「大会ではほとんど現れてくれなかった天使が、センター試験の2日目に現れてくれて、苦手な理数系の点数を引っ張り上げてくれたんです」

「でも、コトネさん言ってたよね。がんばって助走を走ったご褒美を天使がくれるんだって」とミカさん。

「だとすると、嬉しいな」とコトネ。


 メインディッシュが運ばれてきた。一品目は仔牛のロースト。みんな「おいしい」を連発して、しばらく料理に集中した。

 お口直しのシャーベットに続いてメインの二品目、甘鯛のポワレ。これもみんな「おいしい」を連発。

 ひととおり片付いた頃にミカさんが言った。

「ノエルがいたら、『天大あまだい生が甘鯛食ったら、共食いじゃん』とか言いそうね」

「お得意のオヤジギャグ」とタイシさん。

「あれさえなければ、好青年なのにね」


 ウエイターがトレーに載せたチーズを運んできた。みんな無難そうなのを選んだ。

 オヤジギャグから始まったノエル先輩についての話。みんなそれぞれ思い出話を語る。

「豪快なイメージはあるけれど、細やかな気配りのできる方でしたね」とコトネ。

「ボクは、先輩の真面目な面が印象に残っています」とボク。練習直後に黙々と日誌をつけていた姿を思い出していた。

「...あんな奴とは...なかなか出会えないと思う」と、口調がスローになってきたタイシさん

 メニューはあとドルチェとエスプレッソ。チョコレートケーキの上に、小さなサンタの飾りがのっている。

 ケーキを食べて、エスプレッソを半分くらい飲んだところで、タイシさんが無言で、ゆっくりとした足取りでお手洗いに立った。

「やっぱり...今日も同じパターンかな?」とミカさん。


 戻ってきたタイシさんは、椅子に座るやいなや、目を閉じて眠ってしまった。

「いびきかかないし、無害っちゃあ無害だけれど...お酒強くないのに、格好つけるから」とミカさん。

 ふう、と一息つくとミカさんが続けた。

「ほんと、こんなんで外科医が務まるかなと思うんだ。『ここ一番』の弱さ。でもね」

 慈しむような眼差しでタイシさんを見ながら、ミカさんが言う。

「嫌いじゃないんだな...彼のこういうところ」


「さて、彼も寝ちゃったことだし、三人の話」とミカさん。

「実はノエルに、君たちの『天使』になってくれって言われていたの」

「ノエル先輩に?」とコトネ。

 少し遠くに視線をやりながら、ミカさんが続けた。

「コトネさんの自分に対する思いがわかっていて、自分が逝ってしまった後のコトネさんのことを、思いやっていたのね」

 コトネが視線を少し下に向けた。

「コトネさんが、前を向いて自分の人生を生きて、恋をして...そうなれるように私に見守ってほしい、ということだったと思う」

 ミカさんがコトネを見つめた。コトネも視線を上げて、ミカさんの視線に応えた。

「もう大丈夫だよね」

「はい」とコトネ。

「これからも、同学年の女の子同士、仲良くしてね」

「わたしこそ、お願いします」


 コトネがお手洗いに立ったタイミングでミカさんが言う。

「ノエルはね、コトネさんのことを君に託したかったみたい」

「そんな...ボクなんか」

「コトネさんとときどきランチを一緒にするけれど、彼女の話の中に出てくる男性が、最初はノエルのことが大半だった。でも最近、君のことをよく話すようになってきた」

「...」

「コトネさんはいま、助走を走っている。いつか踏み切って、遠くまで飛ぶんだと思う。天使のご褒美でね。だから君も一緒に走って、彼女をちゃんと受け止めてあげなくちゃ」

「はい」

「彼女、大学入ってからずいぶんと綺麗になったよね」

「ええ。そう、思います」

「ぼやぼやしてると、他の男の子が受け止めて、さらってっちゃうよ」


 コトネが戻ってきた。

「さあ。これで『天使』は卒業」とミカさん。

「じゃあミカさんは、これからは恋をされるのですか」とコトネ。

 タイシさんを見て、ミカさんが言う。

「私はね、『同志』がいてくれるからいいんだよ。ちょっと頼りないけど」

 コトネの顔に笑みが浮かんだ。


--------- ◇ ------------------ ◇ ---------


 エレベーターホールで、立ったまま寝ているタイシさんを、軽くささえているミカさん。

「タクシーで送っていくのも、これで何回目かな? タイシくんのお母さまがいい方で、私をお宅にあがらせて、コーヒーをご馳走してくださるの。いろいろお話しして、すっかり仲良くなっちゃった」


 天歌駅北口のタクシー乗り場。タイシさんを後部座席に滑り込ませて、ミカさんがボクたちに言う。

「今日は本当に楽しかったわ。ありがとう。それじゃあ、よいお年を」

「ありがとうございました」とボク。

「どうぞよいお年を」とコトネ。

 ミカさんが乗り込み、ボクとコトネは発車するタクシーを見送った。


 家へ歩いて帰る途中、天歌駅の改札前で、コトネが立ち止まった。改札のほうを向いて、ボクに背を向ける形になる。

「あのとき、ここでカケルが受け止めてくれたよね」

「告別式の帰り?」

「いまさらだけれど、あのときはごめんね。恥ずかしくなかった?」とボクに背を向けたままコトネ。

「正直言って、少し」

「でもね、わたしは本当に救われた。あのときカケルがああしてくれなかったら、わたし、壊れちゃってたかもしれない」

 コトネがボクの方を向いた。


「これからも、わたしになにかあったら、受け止めてくれるかな?」


「ボクでいいの?」


「カケルはどうなの?」


「...ボクはいいよ」


「じゃあ...わたしもいいよ」


 帰り道が別れる郵便局の角のところまできた。

「年内にもう一度会おうね。それから1月3日は天満宮に初詣」とコトネ。

「うん」

「何をお願いするか、カケルもちゃんと考えておくようにね。それじゃあ」

「じゃあ」

 角を曲がって自宅へ向かうコトネの姿を、ボクは見送った。


 初詣で、コトネは何をお願いするんだろう。


 ボクがお願いすること。


「永遠を誓う」勇気を、お与えくださいますように...



<完>

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