中 天使、説き明かす
「ミカさんに言う」と、コトネにはノエル先輩の告別式の日に言ったけれど、相手は大学受験の真っ最中。ボクはなかなかミカさんに言い出せずにいた。
結局1月のセンター試験の2日目が終わった日に、メールを送ってコトネの気持ちを伝えた。ミカさんの返信は、「3人で会って話をしよう。2月11日日曜日の夕方はどうか」ということだった。
約束は、駅前商店街のハンバーガーショップ「JUJU」で4時。
コトネとボクは3時50分頃に店に入った。入口を入ったところから2つ目の、4人席の片側のベンチに並んでミカさんを待った。
ミカさんがやってきたのは4時ちょうど。ダッフルコートの下に、ルミ女の制服を着ていた。
「お待たせ」とミカさん。
「あの...」とボク。
「あっ、これ?」と自分の服に目をやってミカさん。
「実は今日、ノエルの四十九日の法要だったんだ」
コトネが下を向いた。心中が痛いほどわかった。四十九日の法要に参列するなんて、やはり特別扱いなんだ...
ミカさんがカウンターへ注文に行き、ドリンクとポテトを持って戻ってくると、コトネの正面に座った。
「ここのポテトには、ほんとお世話になっていたなあ」
「ミクッツですね」とボク。
「ほとんどミクッツ関係。ノエルと来たのは一回だけ」
「あの、去年の9月の?」
「そう。君たちと4人で来たとき」
コトネの視線は、まだ下を向いていた。
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ノエル先輩が3年生の8月半ばに再び入院をした後、9月第二週の日曜日に、先輩とミカさん、コトネ、ボクは昼食を共にした。その日、先輩は終日外出許可をもらっていた。
「JUJU」の奥の4人席にボクたちは座って、注文したバーガーセットがくるのを待っていると、4人分のセットをアルバイトの女性が2回に分けて持ってきてくれた。
それぞれバーガーを頬張りながら、最初はミクッツのことが話題になった。コトネとボクは、8月11日のラストライブを付属病院のホールに見に行った。
「先輩はコトネの天使のこと、ご存知ですよね」とボク。
「いつぞやコトネに聞かせてもらった、あれのことか?」
「そうです」
「コトネさんの天使の話、私も聞きたいな」とミカさん。
コトネが小学6年のときの体験から、天使と走り幅跳びのことについて話した。
「へええ、おもしろいなあ。天使が『ご褒美』をくれるんだ」とミカさん。
「はい。そうなんです。けれど、大会になると、ちっとも天使が現れてくれないんです...」
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2月の厳しい寒気の中を歩いてきたボクには、制服姿のミカさんが運んでくれたホットコーヒーが有難かった。そしてオレンジジュースをたのんだコトネは、揚げたてのポテトから立ち上る熱気に、一息ついたのではないかと思う。
ポテトを2切れ食べ、オレンジジュースをすすると、コトネは視線を上げてミカさんに向き合った。
「さてと、何からお話しすればいいのかな...」とミカさんが口を開いた。
コトネは相変わらず黙っている。
「今日のノエルの四十九日の法要は、少人数でした。ご親族の他に参列したのは、私とあとノエルの親友だった中村大志さん。彼はお通夜、告別式とも友人代表で参列していました」
コーヒーを一口すすってミカさんが続けた。
「去年の11月、私はノエルのお母さまから頼まれました。ノエルの最期の日々を、家族のように過ごしてもらえないか、と。私はその頃、週に3日はお見舞いに通っていた。ノエルのご両親は、一人息子が将来伴侶を得て、家族が増えることを楽しみにしていた。それが叶わなくなって、せめて息子の最期のとき、かりそめでもいいから家族のように寄り添う人を求めていた。その期待に私は応えて、この3ヶ月間、ことあるごとに家族のように振舞った。けれどそれも今日でおしまい。お母さまから言われました。四十九日を区切りにして、これからは、自分自身のために時間を使ってほしい、と」
「ミカさんは...」と黙って聞いていたコトネが口を開いた。
「ミカさんは、知らされていたんですよね。ノエル先輩の病気が...治らないって」
「ご家族の他にノエルから直接聞いたのは私だけ。2年生の12月に再会して、年明けに二人で会ったときに聞いた」
「なんで...なんでミカさんを選んだんですか?」
「ノエルは言っていた。選んだんじゃない。気がついたらそこにいたって。考えてみれば、中学の頃の彼と私は、まさに『気がついたらそこにいる』という関係だったと思う。恋人じゃなくて、それでも包み隠さず話ができる、そういう関係。だから彼は私に話をしたんだと思う」
「どうして...わたしたちは教えてもらえなかったんですか?」とコトネ。
「彼は残された日々を、できるかぎり普通に生きたかった。学校に行けるときは、普通の高校生として学校生活を送りたかった。だから本当はご家族以外には、だれにも言わないつもりだった」
「ミカさんは、どうしてわたしたちには教えてくれなかったんですか?」と強い語調でコトネ。
「君たちには陸上部の先輩と後輩という関係性がある。その中に私が入っていくべきではないと考えた。ノエルの判断にまかせるべきだと考えた」
固く口を結んだコトネの頬に涙が伝った。少し震えているようだった。
コトネが少し落ち着いた頃を見計らって、ボクが口を開いた。
「メールに書きましたとおり、コトネは去年6月のお見舞いのときのノエル先輩の言葉を疑っています。ミカさんがどのように思われているか、教えていただけませんか?」
「二人の恋愛関係を否定した部分ね」
「はい」
「まず、私自身についていうと...正直なところよくわからなくなっています。気持ちの整理をつけるには...まだしばらく時間がかかると思う」
「恋愛感情を持っていたということですか?」
「それが...肯定も否定もできないの。彼に対して恋愛感情は抱かない、頭でそう考えていたのはたしかです。でも気持ちの奥底までとなると...」
そこまで言うと、ミカさんはしばらく沈黙した。
ミカさんはコーヒーを口にして、話し始めた。
「ノエルと私は、キスをする仲になりました。病室のベッドで添い寝をする仲にもなりました」
コトネが目を見開いた。
「あるときノエルが、添い寝した私にブラのカップのサイズを聞いてきたの。そのとき私は実感した。ああ、彼も普通の男の子のように女性に対して興味を持っているんだ、と。それで、次にお見舞いに行って、キスして添い寝をしたときに私は言ったの。この先行ってもいいよ、って」
コトネはミカさんを睨むような顔つきになっている。
「彼は、はっきりと拒絶した。そして私をやさしく、本当にやさしく抱きしめて言いました。将来の恋人のためにとっておきな、って」
ふう、と一息ついてミカさんが続けた。
「恋人には、永遠を誓える人になってほしい、とノエルは言いました。永遠なんて、将来のことなんてだれにもわからないよ、と私は言いました。すると彼は言ったの。自分の将来は確定してしまっている、だから自分には永遠を誓うことはできない、と」
コトネの表情が和らいだ。
「考えたの。彼の言っていた『永遠を誓う』っていうことについて。生きとし生けるものはいずれ命を終える。じゃあ、伴侶というかカップルというか、『永遠を誓う』というのはどういうことだろう。どちらかが先に死ぬ。けれど残ったほうが、その思い出とともに生き続ける限り、二人の時は続く。そして残されたほうが命を終えると、二人の過ごした時は悠久の時の流れの中で『永遠』になるんだと。だから、そういう時をともに過ごしたい、と思う相手に対してこそ、『永遠を誓う』っていうことができるんだと思う」
コトネの頬に、もう一筋涙が伝った。
「ノエルがもしも、ほどなく死ぬことが分かっている状態で、だれかと永遠を誓ったらどうなるだろう。彼の死後長い間、その相手を彼との思い出に縛ることになる。彼は自分の運命のもとで、だれかの思い出を道連れにするようなことはしたくなかったんだと思う」
ミカさんの頬にも、涙が一筋伝った。
「だからノエルは、私に対して恋愛感情は抱かなかった。このことは間違いないと思います」
「...わかりました」とコトネが言った。
「でも、神様は不公平です。わたしの父を病気で奪いました。そして今度はノエル先輩です」
ボクは思い出した。9月に4人で昼食を一緒にしたときのこと。それぞれの家族についての話になった。
コトネは小学3年のとき、父親を病気で喪った。ボクは小学5年のとき、妹をこれも病気で喪った。ミカさんは両親が離婚し引き取って育てていた母親を、小学5年のときに交通事故で喪った。
「あのとき、ノエル先輩が言ってましたね。なんだ、家族全員が無事なのはおれだけだなって」
ボクは一息つくと、さらに続けた。
「あのときに、先輩は既にわかっておられたのですよね。自分がそう長くない先に、ご家族の中で『喪われる』立場にあるのだってことを」
決して涙を見せるまい、と思っていたボクの右目から涙がこぼれ出た
「神様は、死んだ人のことを思っていたすべての人に、悲しみを与える。そういう意味では公平なんじゃないかな」
ミカさんはそう言うと、コトネのほうに右手を伸ばして、コトネの左手に重ねた。
「私のほうが彼と過ごした時間が長いからと言って、コトネさんの悲しみと私の悲しみを比べるつもりはありません。コトネさんの悲しみはコトネさんのもの。私の悲しみは私のもの。どちらが深いかなんて、測る物差しはないし、比べることは無意味です。重要なのは、他の人たちとともに、コトネさんも私も、ノエルの死によって悲しみを抱かされたということ」
ミカさんは握ったコトネの左手をぎゅっと握りしめた。
「だから、『神様は不公平じゃない』。そう思うことにしましょう」
冬の早い日はとっぷりと暮れて、外は夜の帳が下りていた。
ミカさんが握ったコトネの手を離して、しばらくするとコトネが話し始めた。
「悲しいこと、つらいこと...消えはしません。でも、ミカさんがお話ししてくださったおかげで、気持ちが少し落ち着いたと思います...ありがとうございます」
「お話しできてよかった」とミカさん。
「受験の真っ最中にお時間いただいて、本当に申し訳ないです」とボク。
「いいの。今日にしてもらったのは、四十九日の法要の余韻で、たぶん勉強にならないことがわかっていたから。それに...」
一瞬間があってミカさんが続けた。
「さっきお話しした中村大志さん。彼は天大医学部医学科に、たぶん今年受かるでしょう。だから仮に来年私が受かったとしても、『タイシ先輩』になっちゃうんだよね」
「それって...」とボク。
「ええ。私は天大医学部医学科を受ける。でも今年は絶対に無理。あと2週間がんばるけれど、まず間違いなく合格できない」
「どうされるんですか?」
「家族からは、国公立で一浪まではOK、と言われている。だから来年は医学部以外を併願するけれど、今年は天大医学部医学科だけを受験する。たぶん私の周囲で浪人するのは、私だけだと思う」
ミカさんの言葉のとおり、中村大志さんは国立天歌大学医学部医学科に現役合格。ミカさんの「ミクッツ」の仲間3人は、現役で志望校に受かった。
ミカさんは予備校に通って、翌年の受験を目指すことになった