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「来てるのはあんたの友達だよ」
「――アマネ!?」
「あ、まだ髪の毛終わってないってば!」
勢いよく襖が開いた。そして飛び出してきたハナの姿に全員が固まった。黒いオフショルダーの半袖にベージュのショートパンツ。のぞいた肩と、足の白さが目にまぶしい。髪の半分だけがゆるく巻かれていた。
「こりゃまた化けたもんだね」
あまりの変身ぶりに目を丸くした千代に、ハナはつかみかからんばかりにして「アマネはどこ!?」と聞いた。庭にいると聞いたとたん、矢のように飛んでいってしまう。
「あーもう、まだ途中だったのに」
ヘアアイロンを片手に、晴香が口をとがらせていた。それから陸に視線を移すと、ニヤリと笑った。
「どうどう? ちょっとドキドキしちゃった?」
「うるせー」
赤くなったのを隠すように、陸は右手で口元を覆った。こいつ……隼と似てやがる。
庭に行くと、陸たちと同じようにハナの姿に驚いて固まっているアマネがいた。さんざん泣いたせいか、その目は赤く腫れぼったい。
「アマネ、ごめんね。いっぱい心配掛けて」
ハナの目にまた涙が浮かんだ。アマネはそれにも驚いたようだったが、指先でハナの目尻をなぞると、ふわりと微笑んだ。
「私、姉さまが泣くのを見たの初めてです。――よかった。姉さまにそんな場所ができて、本当によかった」
そして、陸に向き直るとぺこりと頭を下げた。
「陸さま。姉さまを助けてくれてサンキュー、です」
「その陸さまってのはやめろよ。陸でいい」
「陸ってば、可愛い子にお礼言われたからって照れんなよー。この浮気者」
「隼もなんか鼻の下伸びてない?」
「あっつ! 晴香、アイロン押しつけるのは反則!」
騒ぐ二人は放っておくことにして、陸は庭に降りた。甘えるように寄ってくるソラの頭を軽く撫でながら、アマネに声を掛ける。
「お前、いろいろ大丈夫だったのか」
「はい。今朝、カイ様からお話がありました。これからのオニとヒトの関係について。みんな、まだ戸惑ってますけど。でもきっといい方向に向かってくれると思います。私も、お手伝いしますから。あと――いい加減、こっちに来たらどうですか」
アマネが山の入り口に振り返る。少し間があって、足音が聞こえてくると、ソラが警戒するように身を低くして唸った。
「ジン。セキも」
「お、新キャラじゃん」
からかうような小野寺の言葉に、決まり悪そうな顔をした二人が姿を現した。けれど、ハナの姿を見たとたん、ジンの顔が赤くなり、セキはひゅうっと口笛を鳴らした。
「おま……お前、なんだよ、そのカッコ」
ハナもはたと気付いたように、顔を赤くして陸の後ろに隠れた。
「いいじゃありませんか。姉さま、よく似合ってますよ」
「でっしょー! あたしの見立てに間違いないんだから。あなたもどう? めっちゃ可愛くなると思うんだけど」
「ほ、本当ですか?」
アマネと晴香が急に意気投合する。隼は、ジンたちのそばに行くと、ぽんと肩を叩いた。
「ごめんね。俺のせいでそっちまでかき回しちゃったみたいで」
「まったくだぜ。おかげで集落中が大騒ぎだ」
セキがわざとらしく天を仰いでみせる。ジンはコホン、と咳払いをして、
「でも……まあ、いい。許してやるよ」
と言った。岡嶋は興味津々、といった様子で、庭に集ったオニたちを眺めていたが、ふとこんな問い掛けをした。
「これから君たちはどうするの? 山を下りるつもり?」
ジンとセキ、そしてアマネの三人が視線を交わす。迷うように口を開いたのは、アマネだった。
「まだ、迷ってるんです。確かに私たちの世界は狭くて、どこへも行けない。いつか終わりを迎えるだけかもしれないけれど、ずっとあの場所で生きてきたんです。そう簡単には思い切れません」
そう言えるアマネを、ハナは少し羨ましく思った。
「でもよ。境界線を越えて山の外に出ることもできるようになったし」
「俺らが好き勝手やらないようにってんで、ヒトのお目付役が必要だけどな」
「だから、また会いに来ますね」
「おいハナ。山を下りたからって、そんな浮かれたカッコしてんじゃねーぞ。お前は……俺らと同じ、オニでもあるんだからな。もう少し、その、誇りを持て。いいな!」
ジンはそう言うと、山のほうへと足早に戻っていった。えー、もう帰んの? とセキがその後を追う。
「柄にもなく、照れてるみたいですね。あの二人、私と一緒に姉さまの小屋でずっと帰りを待っていたんですよ。あれこれ嫌がらせをしたのも、きっと姉さまの気を引きたかったからなんですね。……陸さま、しっかりしないといけませんよ」
アマネは、首を傾げたハナと焦った陸に向かってくすりと笑ってみせると、山へ帰っていった。
ヒトとオニ。オニとヒト。その二つが緩やかに混じり合う。
境界線は、いつかその意味をなくして取り払われるのだろう。山に帰っていく三人の背中を見送った陸は、そんなふうに思った。
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いつの間にか、夜になるのが早くなっていた。
隼と晴香も仲良く帰っていき、鬼沢家はようやく落ち着きを取り戻した。縁側に座った陸とハナが見上げる空には、満月から少し欠けた月が浮かんでいる。
オフショルダーでは少し寒いからと陸のパーカーを羽織らされたハナは、余った袖先をゆらゆらと弄んでいる。見慣れないその姿は、なんだかとっても陸の心臓に悪い。
「そういや、ハナちゃんもこれからどーすんの? 責任とって、陸が結婚するとか?」
結婚? と首を傾げるハナに、なんでもねーからと誤魔化して、小野寺に蹴りを入れる。
「まあ、とりあえずはこっちの生活に慣れてもらうのが先かね。今は生まれたての赤ん坊と同じだからね」
「まずはファッションからね」
「そのへんは、あの晴香って子が見てくれるだろ。この子と同じくらいの年齢だし、なんてったって由梨子さんと違ってセンスがいいしね」
「あら、陸に真っ赤なママチャリ買っちゃうお義母さんよりはマシだと思いますけど」
女同士の間に、見えない火花が散っているようだった。
「ハナさんのお母さんが掟を破ったのって十七年前だって言ってましたよね。だったら僕らと同じ歳なのかな?」
岡嶋がそう言った瞬間、ハナと岡嶋をのぞく全員が「閃いた」という顔になった。
「――なあ、俺が高校退学になったのって、岡嶋のせいだったよな」
「え……鬼沢くん、僕のせいじゃないから気にするなって」
「つまりは、お前は俺にでっけー借りがあるってことだよな?」
陸が悪い笑みを浮かべて岡嶋に迫った。夏の夜はもうずいぶんと涼しくなっているというのに嫌な予感が岡嶋の背中に汗をにじませる。
「ぼ、僕、明後日、みんなと一緒にもう帰らなくちゃいけないし」
「お母様はお勤めの病院のドクターから食事の誘いがあったらしいし、邪魔しないほうがいいんじゃないかしら。ああ、借金のほうも元本の返済は終わってたんで、知り合いにちょーっと口きいてもらったら、もう返済しなくて大丈夫になったわよ」
由梨子は艶やかに笑ったが、なぜかその笑顔は恐ろしさを感じさせる。
「岡嶋、夏休みってまだだいぶ残ってるよな?」
「だ、ダメだよ。僕、バイトもあるし」
「それは父さんが連絡しておくね!」
「置いていかれたら、ここからどうやって帰るのさ!」
「別に異境の地ってわけじゃないんだ。バスも電車も通ってるんだから大丈夫だよ」
「そうそう。俺も一緒に残ってやるからさ。腹くくれよ、先生」
この場に助けを求められる存在はないと知った岡嶋は顔を引きつらせる。
「お前の夢は困った生徒を助ける教師になることだろ? ここにめちゃくちゃ困った生徒がいるんだぞ? それを見捨てたお前が夢を叶えられるとは、俺には思えねーな」
詰め寄る陸の後ろで、小野寺がハナに耳打ちしている。ほら、と促されたハナが、
「先生、お願いします……?」
と、見事な棒読みを披露してみせる。
「こりゃ逃げられないね。観念しな」
千代がカラカラと笑う。ソラが、ワン! と一声吠えた。
「お、オニだー!!」
岡嶋の叫びが夜空に響き渡った。




