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「つーかさ、おっさんもヒトとオニの間に生まれたんだろ? 由梨子さんもそれ、知ってたの?」
大騒ぎの朝食を済ませたあと、小野寺が孝男に聞いた。昨夜はバタバタしっぱなしだったので、結局陸も詳しいことは聞かされていない。
「話は聞いたわよ。でも、そんなことより、両親も類縁もいない水商売上がりの女で大丈夫かしらってことのほうが心配だったけど」
「でも、けっこう大事な……というか、覚悟がいったんじゃないですか?」
岡嶋の言葉に、由梨子はくすりと笑った。
「だって、この人と結婚するって決めたんだから、あとのことなんて全部オマケよ。きっとハナちゃんのお母さんもそうだったんじゃないかしら。ああ、もう泣いちゃダメよ」
ハナの涙腺は今、ひどく緩んでいるらしく、ちょっとしたことで目に涙が浮かんでしまう。それでも強がるようにきゅっと目を閉じて、泣いてない、と首を振ってみせた。
「どっちかっていうと孝男のほうが及び腰だったね。こういうときは、女のほうが肝が据わってるもんだよ」
千代がぷかりと煙を吐き出した。消え行く先を見据えるその瞳は、どこか楽しげだった。
「俺も、これでけっこう悩める少年だったわけよ。父親のことを教えられたのは、中学卒業したときだから、高校生活はちょっと荒れちゃったりして。自分が普通とは違うんだって知ったのは、なかなかショックだったし。逃げるように東京の大学に進学して、就職して、もう二度とここへ帰ってこなけりゃそれで終わりになるはずだって思ってたのに」
孝男と由梨子が視線を交わし合って、小さく微笑み合う。その向こうで小野寺は面白くなさそうに口をとがらせていた。
「母さんと出会って、陸が生まれて、自分の存在ってものを受け入れられるようになった。たぶん、母さんの夫、陸の父親っていう新しい肩書き……っていうか、自分の立ち位置が手に入ったから、かな。きっと大人になるって、そうやって自分の立ってる場所を広く、強くしていくことなんだろうな。ちょっとやそっとじゃ倒れないように」
今度は陸とハナがそっと視線を交わす。
「本当なら、陸は何も知らないままデカくなって、馬鹿みたいに幸せになって、そんでそのまま死んでいくっていう人生を送ってほしかったんだけどさ。親子だからか、俺と似たようなことでうじうじ悩んじゃってるし。だったらいっそ、イチかバチか全部お前に賭けてみようって、みんなで話し合ったわけよ」
なんて無茶苦茶な。陸は両手で顔を覆って盛大にため息を吐いた。
仕組まれた、とも言えないほどお粗末な計画に、自分はまんまと乗っかってしまったのか。たまたまうまくいった(のか?)からよかったけれど、もしあの小屋に来ていたのがハナではなくてジンだったら、と思うとゾッとした。
「俺が母さんと会って変わったみたいに、いろんな出会いがお前を変えてくれるかもって思ったんだよ。まさかお前が恋しちゃうなんて予想してなかったけど!」
孝男は相変わらずの馬鹿力で、陸の頭のかたちが変わりそうなほど、ぐしゃぐしゃと撫で回した。
「うるせー! 離せ、クソ親父!」
「こんにちはー!」
開け放した玄関から声がした。隼の声だ。
「ダメでしょ、隼。人の家に勝手に入っちゃ」
「えー、俺と陸の仲なのに?」
隼とは別の声がして、陸と小野寺、岡嶋の三人は顔を見合わせた。弾かれたように立ち上がり、我先にと玄関に向かう。そこには隼と晴香の姿があった。
「昨日、大変だったみたいだね」
隼がちょっと気まずそうに口を開く。晴香が肘で突いて「ほら」と促した。
「その……謝りたくて。ここにいるって聞いたから」
タイミングよく、陸たちの後ろからハナがひょっこりと顔を出す。
「聞いたことある声だと思ったけど、やっぱり」
「――すみませんでした! 俺、あんたのこと告げ口なんかして、ホントに、ごめん!」
隼が深々と頭を下げる横で、晴香も一緒になって頭を下げた。当のハナは驚いたように目を丸くしている。隼の胸元で、晴香の手首で、二つの小さな羽根が羽ばたくように揺れた。
「別に、そんなのいいのに。それより、これ返すね」
ハナが差し出したのは、いま晴香が履いているものとお揃いの、ソールが黄色く塗られたあのスニーカーだった。
「あなたの大切なものなんでしょ? だったら、ちゃんと返さなくちゃと思って。ごめんなさい。ずいぶんボロボロになっちゃった」
「――ありがとう」
スニーカーを受け取った隼が、嬉しそうに笑った。それは、陸が初めて見る隼の本当の笑顔だった。
「あなたがハナさん? 私、着なくなった服とか持ってきたから、よかったら着てくれない? ね、そんなダサいワンピースじゃ可哀想だもん」
由梨子が聞いたらとんでもないことになるぞ、と全員が青くなるようなことを言いながら、晴香が強引にハナを陸の部屋に引きずり込んだ。
「男子は立入禁止だからね!」
と、念を押され、鼻先でぴしゃりと襖が閉められた。
「おい。お前とあいつはどこまで知ってんだ」
「晴香は、俺が知ってること全部。これから山を下りるオニが出てくるとか、もう少し踏み込んだ話し合いをするとかってのは、親父が説明してくれた。陸が知ってることは、今度全部話してもらうからね」
「それより、晴香ちゃんと仲直りできたんじゃん。俺らのおかげだな」
「小野寺くん、それはちょっと違うと思うけど」
「でも、あんたのビンタは効いたなー」
隼が左頬を押さえながらそう言ったので、岡嶋は慌てて一歩後ずさった。
「ごごごごめんなさい。あれはなんていうか不可抗力っていうか」
「別にやり返そうなんて思ってないよ。その代わり、これからは仲良くしてね」
岡嶋がホッとしたように差し出された手を取った――が。
「……いたたたたたたっ!」
隼は、にっこりと笑いながらその手にありったけの力を込めた。逃げ出そうとする岡嶋を、なぜか小野寺が押さえつける。
「先生、男の友情ってのは痛みを伴うもんなんだぜ」
「そうそう、これで恨みっこなし」
ぱっと手を離すと、隼は岡嶋の肩を抱いた。まったくもう、と恨めしそうな顔はしていたが、岡嶋も振り払おうとはしなかった。小野寺は二人の後ろでなぜか得意気な顔をしている。
「昨日、陸たちと別れたあとで晴香に会いに行ったんだ。今まで隠してたことも、俺がやったことも全部話したら、もう一発殴られちゃった。それからじいちゃんと親父に、千代さんがみんなに――オニのことを知ってるやつらに集合掛けてるって言われて……。今までだったら、勝手にやってろって感じで絶対参加なんかしなかったけど、今回は、ちゃんと行ったよ。んで、ちゃんと聞いたし、考えた」
昨夜、千代がなかなか帰ってこなかったのは、その話し合いを主導していたからなのか。
「陸たちがやろうとしてることって、かなり面倒くさいことだよね」
「でも、やるって決めたんだよ」
隼はやれやれ、というように肩をすくめた。
「分かってないなぁ。そういうのは一人二人でできることじゃないんだよ? もっと周りに協力してもらわなくっちゃ」
「あ?」
「陸には向いてないと思うなぁ。……まあ、俺はそういうの得意だけどね」
照れくさいのか、隼は早口でそう言った。それは……もしかして手伝ってくれるという意味なのか。陸の胸がじわりと熱くなる。
「隼くんは昨日の話し合いで、あーだこーだ文句ばっかりの頭の固いやつらを説得してくれたんだよ」
振り返ると、千代がにやにやと笑っていた。
「あんたにも見せてやりたかったねぇ。あの感動的な演説を」
「ち、千代さん! それは……っ」
「それより庭にお客さんだよ。さっさとおいで」
襖の向こうから、はーい! という晴香の声と、開けちゃダメ! というハナの声が聞こえてきた。




