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電車を降りると蝉の声がした。
絵に描いたような青い空と白い雲。都会の乾いた暑さとは違う、どこか柔らかい熱が陸の体を包む。
これぞ日本の夏! の要素がぎっしりと詰まったこの場所で、陸は必死にあるものを探していた。
「だーっ! どこだよ、バス停は!」
陸の住むS市から新幹線で隣の県の主要都市まで、そしてそこから特急電車でA県の地方都市へ。さらにそこから私鉄の鈍行電車に乗ってようやくたどり着くのが、陸の祖母が暮らす町、つまりは「ド田舎」だ。
祖母に「駅前からバスが出てるから、それに乗ってこい」と言われたものの、その肝心のバス停が見当たらない。
いま、陸の目の前にあるのは、二つに分かれた道と、営業しているのかどうかも分からない食堂らしき建物と、電話ボックス。その奥の時計屋っぽい店の前にはステテコをはいたジイさんが椅子に座ってシャーベットアイスをかじっている。
未開の地か、ここは。
いつもは孝男の運転する車で来るので、この駅に来たのは初めてだった。ボストンバッグを地面におろすと、スマホで地図を確認する。表示されるその数字は……まあ、歩いて行けない距離ではない。
「仕方ねーな」
もう一度、スマホの画面を確認する。目的地のピンが立った場所は何もない山の中。ホントに、なんでこんな場所で暮らそうと思ったんだか。
さて、と歩き出した陸の背後からブルンとエンジン音がして、荷台に農機具を積んだ軽トラックが横に止まった。
「もしかして、鬼沢さんとこのお孫さんじゃない?」
窓からのぞく、日焼けした老夫婦の顔にはどことなく見覚えがあった。近付くと、土と肥料のにおいがした。
「あー……えっと、確か……」
「隣の吉田ですー。まぁずいぶん大きくなったねぇ。ちょっと前までこーんな小さかったのにねぇ」
奥さんが親指と人差し指で十センチほどの大きさを作りながら、旦那さんと一緒にカラカラと笑った。今日の空のようにすっきりと抜けたような笑い声だった。
俺の体がそのサイズだったことは未だかつて絶対にないけどな、と陸は心の中で呟いた。
隣の、と言っても、祖母の家からゆうに三キロは離れている。しかし、一人で暮らしている祖母のことを気に掛けてくれているようで、陸も、何度か顔を合わせたことがあった。
「あ、ちょうどいいや。バス停ってどこにあるんすか? 俺、見つけらんなくて」
歩かなくて済むのなら、それに越したことはない。それなのに――。
「ばすてい?」
吉田夫妻は、まるで初めて聞いた言葉のように不確かな口調で繰り返して、顔を見合わせた。
「この町にバスなんて走ってたか? もう止めちまったんじゃねぇか?」
「あらー、どうだったかねぇ。そう言えば、木村さんの息子さんが運転手だったとか聞いたような……」
ものすごくフワフワした情報が、二人の間で飛び交っている。質問した手前、その結論が出るまで立ち去るわけにもいかない。聞かなきゃよかった。そんな後悔が顔に出ないように、陸は荷台に積まれた農機具を観察して気を紛らわせていた。
「この辺の人間は、バスなんて乗らないからねぇ」
結局、さんざん待たされて出た結論は「分からない」だった。
「あ、いや、別にいいっす。なんかすいません」
「乗せてってやりたいけど、定員オーバーだからな。よかったら後で迎えに来てやるよ。歩きじゃ二時間は掛かるだろ」
「いや、大丈夫っす。俺、これからこの町で暮らすことになったし、少し歩いてみます」
「そういや、向こうの高校追い出されたんだってな」
軽トラの中に笑い声が炸裂する。
「なぁに、男はそれくらいのほうが将来デカくなるってもんだ。うちの孫にも見習ってもらわないとな。どうもあいつは、チャラチャラしててなぁ」
吉田夫妻はうんうんとうなずき合っている。
自分の退学とその理由までもが知れ渡っているのは、田舎の情報の早さなのか、祖母の口の軽さなのか、それともその両方か。これからの生活に一抹の不安がよぎった。
「荷物だけでも運んでやるから、荷台に乗せな」
「あ、助かります」
ボストンバッグを荷台に放り投げると、吉田夫妻の軽トラはエンジン音を鳴らして走り去っていった。