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「陸、なかなかいい顔になったじゃないか。そっちの子があんたの想い人かい? よろしく頼むよ」

「そんなことより今まで何してたんだよ! こっちはいろいろ大変だったんだぞ!」

「あーあーまったくうるさいねぇ、このクソガキは」

「千代、か?」


 二人のやり取りに、戸惑いをにじませたカイの声が混じる。


「あんたはちっとも変わらないねぇ。こっちはすっかりババァになっちまったっていうのに」

「――相変わらず、口が悪い」


 カイの唇がふっと綻んだ。予想もしなかった成り行きに、陸とハナは顔を見合わせた。


「孫が世話を掛けたようだね」

「孫……? ならば、こいつは」


 陸に向けられた視線がわずかに変化した。どこか懐かしいものをみるような、柔らかさがよぎる。けれど、それは一瞬のことで、カイはふっと息を吐いて小さく頭を振った。


「孫を助けに来たのか」

「よしとくれ。いくらクソガキでも、ここまでデカくなったら自己責任さ。煮るなり焼くなり好きにすればいい。あたしがここに来たのは、あたし自身のためだよ」


 それでも千代は、陸とハナを庇うようにカイの前に立つ。


「あんたが大事にしてる掟ってやつを決めたあたしの父たちも、とっくの昔に死んじまったよ。今残ってるのは、あたしみたいに惰性で受け継いじまったやつらばっかりさ。でも、いつまでもこのままじゃいられないよ」

「黙れ。そんなことは無理だと、お前が誰よりも分かっているだろう」


 誰よりも(・・・・)、とはどういう意味だろう。陸がそれを問う前に、千代がくっくっと笑った。


「そんな見た目で頭はとんだ頑固ジジィだね、あんたは。ずいぶん長く生きてきたんだろう? ちょっとは融通をきかせたらどうだい」


 痺れを切らした陸が、二人の会話に割って入る。


「さっきから何の話してんだよ。それより――」


 ゴチン、と千代のげんこつが炸裂した。その勢いに、ハナもカイも目を丸くする。


「少しは黙って聞いてられないのかい」

「……っ」


 あまりの痛さに言葉を発することもできなくなった陸に、ハナが「大丈夫?」と声を掛けた。カイは呆れたような目をしている。


「陸。あんたの友達が推測したように、掟を作り、境界線を引かなくちゃいけなくなったきっかけがあったのさ」


 山の中という場所柄か、千代は煙草を吸わなかった。いつも紫煙の行く先を追うように漂わせていた視線が、今は頼りなげに揺れていた。


「それはね、あたしとイブキってオニのことなのさ」


 強く風が吹いて、木々が揺れた。世界が目覚める。この山に潜んでいた命たちが一斉に声を上げたかのように、夜が騒がしくなった。


「孝男は、あたしとイブキの間に生まれた。つまり、あんたの祖父はオニってことになる」


 驚きで再び言葉を失った陸の隣で、ハナも呆然としていた。陸も自分と同じようにオニでもヒトでもない存在(もの)なのか、と。

 そして、掟ができるきっかけとなった一人目のオニ。それは――。


「あたしがまだ小さいころはね、オニは山、ヒトは里。そんなふうにざっくりと分けられていた。オニのことを知っていたのは、ごく一部だったけどね。鬼沢の家はそのごく一部のまとめ役だった。農作業で手が必要なときには、声を掛けて何人か回してもらったりもしたね」

「労働の対価として食料を得る。当時はそれがオニとヒトの在り方だと思っていた。それが今はただ施しを受け、命を永らえるだけ。情けないことだ」


 苦々しくカイが言い捨てた。歪んだ口元には悔しさが浮かんでいる。


「イブキと知り合ったのは、あたしがお前くらいの年齢だったよ。まったく、おかしなやつでね。用もないのに山を下りてきて、その辺をうろついてるんだ。カイ、あんたもよくあいつの首根っこつかんで山に引きずり戻してたね」

「――そんなこともあったな」


 目を伏せたカイがふっと笑った。懐かしさが、その唇に弧を描かせた。


「ジジィとババァの恋愛模様なんざ語るだけムダだから省くけどね。あたしの腹の中にイブキの子がいると知った父親――お前のひいじいさんは、そりゃあ怒ったなんてもんじゃなかったよ。この山、まるごと焼き尽くしてやるなんて息巻いてね」

「そりゃそうだろ」


 昔話じゃあるまいし、現実は「みんな幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」なんかで終わるはずがない。


「そのせいでオニとヒトの均衡が崩れた。ヒトが、我らを滅ぼそうとするまでにな」

「あたしとイブキは子どもを守りたかった。カイは長としてオニたちを守らなくちゃいけなかった。何度も話し合いが行われて、その結果生まれたのがあの境界線さ」


 そうしなきゃ守れないものがあった、と千代は以前口にしていた。それは、孝男の存在であり、オニの存在。


「そして掟を定めた。我らオニは二度とあの境界線を越えない。この山で緩やかな滅びを待つ」

「あたしたちは、いつかオニが滅びを迎えるその日まで、必要なものを提供する。ヒトとオニは二度と交わらない」


 月明かりの下で唱えられた呪いにも似た言葉に、陸とハナの背筋がぞくりと粟立った。


「それからあたしは、父親が探してきた、会ったこともない遠縁の男と書類上の夫婦になった。体の弱い人だったらしくてね、その治療費を肩代わりする代わりに戸籍を貸してもらったんだ。あたしは一度もその人に会わないまま、五年もしたころに亡くなったって連絡をもらったきりさ」

「じゃあ、そのイブキってオニはどうなったんだよ。まだこの山にいるのか」


 千代が、それは、と言い淀んだ。ハナを見れば、その顔はひどく青ざめていた。最後にカイに視線をやると、カイは当然だとでもいう顔でこう言い放った。


「イブキは、掟を破った一人目のオニとして死んでもらった」


 自分の身体からざっと血の気が引く音が聞こえた気がした。

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