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「野菜なんていくらでもくれてやるよ。その代わり、ハナは俺がもらっていく」

「ずいぶんと傲慢な口のききかたをする」


 陸がカイの前まで進み出て、二人は向かい合った。ハナはなんとか上半身を起こして、陸のTシャツの裾をつかんだ。


「陸、あたしのことはもういいの。だから――」

「もうここまで来ちまったんだ。帰れ、なんて野暮なこと言うなよ。それに、お前のこと待ってるやつがいっぱいいるからな。手ぶらで帰ったら俺が殺される」


 カイの唇から、ふっと嘲るような音が漏れた。


「オニとヒトが想い合う、か。なかなか面白い見世物だ。だが、ハナをお前にくれてやることはできん。こいつもオニの端くれだからな」

「だから、オニのあんたが殺すのか」

「そうだ。それが掟だ」


 さわりと風が吹き、静けさを(たた)えていた夜にわずかな亀裂が走った。葉ずれの音、虫の声、そしてこの山に住む者たちの息づかい。なりをひそめていたものが目を覚まし始める。


「掟なんてくだらねーもんに振り回されて、ロープ一本でヒトとの境目を作って、あんたはそれで満足なのかよ」

「だが、そんなくだらないものでオニとヒトは簡単に隔たりができた」


 カイが陸との距離を一歩詰める。頭一つ分背の高いカイを、陸が見上げるかたちだ。


「我らがなぜ、オニと呼ばれているのか、知っているか?」


 陸を見下ろすカイの瞳は深い青。冷徹なその瞳の奥には計り知れない激情が潜んでいる。そんな気がした。


「ヒトと、違うから」


 陸の答えを聞いて、ふむ、とカイが意外そうに呟く。


「存外、馬鹿でもないらしい」

「……っうるせーよ!」


 これは岡嶋の見解だということは黙っておこう、と陸は姑息なことを考えた。


「この話は恐らく、この世に生命が誕生したときまで遡るのだろうな。いま存在している全ての命の根源は、きっと同じものだったはずだ。その一つの命が時を経て無数に分かれた。鳥は空を飛び、魚は水中で泳ぐ、というようにな」


 ずいぶんと壮大な話になってきた。このカイというオニはいったいどれくらい生きているんだろう。まさか、そんな太古の時代から生きているはずはないのに、まるで時代の変遷をずっと見てきたような物言いをする。


「同じ種から伸びた枝葉(えだは)が色も形も違う花を咲かせたというわけだ。そうやって、オニとヒトも道を分けた。我らはヒトより力が強く、命が長い。そして、血の滴る肉を好んで食った。ヒトは非力ではあったが賢かった。着実に数を増やし、集落を作り、我らを使う(・・)ことを覚えた」

「使う?」

「家畜のようなものだ。自分たちの手足の代わりに働かせ、見返りとして餌を与えた。さすがに食うことはしなかったようだがな」


 陸の背中にぞくりと寒気が走った。それを察したカイが小さく笑う。


「牛馬を使うことはよくて、姿形の近い我らを使うことは気が咎めるか? だが、今お前らがしていることと大した違いはないだろう。餌を与え、この山に閉じ込め、我らに与えられた自由など、狭い空を見上げることだけだ」


 カイは、空に浮かんだ月を見上げると手を伸ばした。

 夜空に空いた穴。その向こうにあるかもしれない別の世界に手を伸ばすこの男は、もしかしたら自分によく似ているのかもしれない。陸はそんなことを思った。


「やがてヒトの真似事を始めた我らを、ヒトは(うと)んだ。対等に近付けば近付くほど、オニとヒトの違いが明確になっていくからだ。強い力、長い命、そして生肉を食うという獣じみた食嗜好。いつしかヒトは、我らをオニと呼び始めた。蔑むために。自分たちとは違う存在(もの)だと思い知らせるために。だが――」


 言葉を切ったカイが、陸に視線を戻す。月の光の名残を宿した青い目は、どこか寂しげに見えた。その感情を、陸は知っていた。


「違う、ということはそんなに悪いことなのか」


 諦めだ。どんな希望も未来も、誰かが差し伸べた手も受け付けない、圧倒的な諦め。


「ヒトが我らを蔑んでオニと呼ぶのなら、我らは誇りを持って自らをオニと呼んだ。今となっては、こんな山奥で滅びを待つ存在でしかないが、この誇りだけは譲るわけにはいかないのだ。絶対にな」


 カイは陸に背を向け、ハナに歩み寄る。びくりと肩を揺らしたハナが、逃げるように上半身を反らした。


「ハナは、オニとして死んでもらう。それが我らの、オニとしての誇りだ」

「――ふざけんなよ」


 ハナとカイの間に滑り込んで、両手を広げた。

 昔の自分を見ているようで、吐き気がした。一人で諦めて、絶望して、拒絶して、そのくせ、自分は世界に立ち向かっているんだと思っていた。ただ、背を向けて逃げただけなのに。

 世界が自分を拒むのは、みんなと違うからじゃなかった。

 自分が、世界を受け入れなかったから。

 世界は広い。自分の理解が及ばないくらいに。一つの命が、無数に分かれてしまうほどに。


「お前が言ってることなんて、ただの自己満足だろうが」

「それの何が悪い」


 カイの右手が陸の顔をつかんだ。指先に力が込められたかと思うと、陸の体がふっと浮いた。激痛が走って、陸は声を漏らした。


「このまま誇りを抱いて終わる。それが私の望みだ」

「やめて!」


 ハナがカイに飛びかかったが、カイはそれを片手で軽々と払いのけた。


「待っていろ。すぐ終わる」

「うるさいうるさいうるさい! 陸を離して!」


 尻餅をついたハナがもう一度立ち上がって、陸を持ち上げているカイの腕にしがみつく。


「あんたなんかが陸に触れるな。手を離せ。さもなきゃ――あたしが、お前を食ってやる」

「私を食らうか。それは、お前にできぬことだと分かっているだろう」

「うるさい!」


 ハナは大きく息を吸って、カイの白い腕に噛み付いた。口の中にじわりと広がる鉄の味にむせかえりながら、強く強く歯を立てる。


「ほらな。そう簡単に、終わんねー、だろ……?」


 切れ切れな陸の言葉には、わずかに笑みが含まれていた。カイは不快だと言わんばかりに顔をしかめる。


「終わることばっか考えてっから分かんねーんだよ。俺にも、ハナにも、あんたにも「これから」ってもんがあるってことがさ」

「ヒトが吠えるな!」


 カイの顔が怒りに歪む。指に込められた力が一気に強くなった。その瞬間、陸の手がカイの腕をつかんで、ぶら下がっていた体を揺らした。その反動で足を持ち上げ、カイの胸元に蹴りを入れる。


「ぐっ」


 バランスを崩したカイの手が陸から離れた。地面に落ちた陸は、湿った土のにおい、草のにおい、この山に潜む命のにおいを思い切り吸い込んだ。


「陸!」


 駆け寄ったハナが、陸を助け起こした。触れ合う二つの体温が、お互いの大切なものがここにあると教えてくれる


「あーそうだ。お前にもこれ届けに来たんだった」


 陸がジーンズのポケットから取り出したのは、アマネから受け取ったあの髪留めだった。


「これを届けてやったの、もう二回目だからな。次はねーぞ」


 受け取った髪留めを胸元でぎゅっと握りしめると、ハナは何度もうなずいた。一度は諦めた光。けれど、もう二度と離さないと誓う。


「話は済んだか」


 体勢を立て直したカイが、二人の前に立った。先ほど見せた激情を押し隠し、また月の光のような顔を見せる。けれど、もう陸もハナも知っていた。この男もまた、迷いを抱えていることを。


「どんな理由があってもハナは死なせない。こっちには、あんたの自己満足に付き合う義理はねーからな」

「あたしはもうオニじゃなくていい。自分がなんて呼ばれても、あたしはあたしだから。陸と一緒に行く」


 カイが大きくため息を吐いて、ゆるりと首を振る。銀色の髪が鈍くきらめいた。


「どんな時代にもお前のような者が現れる。これは、お前の呪いか?」


 それは、陸やハナではなく、もっと遠くの誰かに語り掛けるような独白だった。


「おやおや、ずいぶん取り込んでるようだね」


 不意に、陸にとって聞き慣れた声が割り込んできた。


「ばあちゃん!」


 木々の間から現れたのは、花柄の作業着に黒い長靴を履いた千代だった。

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