3
陸を先導していたアマネの足が止まった。
「姉さまとカイ様がいるのは、この先です」
「じゃあ、ここまででいい。案内してくれてサンキューな」
「それ、姉さまも使ってました。陸さまに教えてもらったって」
こんなときなのにアマネはくすりと笑った。
「別に、教えたってほどのもんじゃねーけどな」
「いいえ。きっと姉さまにはとても大切なことなんだと思います。陸さまと姉さまが戻ったら、私にも言わせてくださいね」
「おう」
カゴを背負い直し、一人で歩き出した陸の背中を見送ったアマネは、深く一礼して踵を返した。姉さまはきっと帰ってくる。そう呟いてハナの小屋へ向かった。
陸が足を進めるにつれ、まるで導くように差し込む月明かりが強くなる。薄闇が消え、徐々に広くなる視界の端に、ちらりと赤いものが映った。
――あれは?
足を止めて目をこらす。
「……ハナ」
その赤は、ハナの着物の色だった。白銀の長い髪の男が、右手でハナの顔面を鷲づかみにしている。地面に膝をつくハナは、まるで許しを請うているかのようだった。
恐れを抱かせるほど大きな満月を背に、月光に照らし出された二人の、一幅の絵画にも似た美しさに魅せられて、陸は動くことができなかった。
ハナの口から漏れた「ぐぅっ」という苦しげな声に、陸はハッと意識を引き戻す。背中のカゴを下ろすと、トマトが一つ転がり落ちた。
陸はそれを拾い上げ大きく振りかぶって――投げた。
ばちん、と水音が弾ける。
陸が投げたトマトは、ぐしゃりとつぶれた無残な姿でカイの左手に収まっていた。カイの視線がゆるりと動き、陸の姿を捉えると、驚いたようにわずかに目を見開いた。手が緩んだのか、ハナの体がずるりと滑り落ちる。
「――なぜ、ヒトがここにいる」
その声は、けっして大きなものではないのに、思わず後ずさりしたくなるような圧があった。それでも陸は、精一杯強がって笑ってみせる。
「野菜を届けに来てやったんだよ。お前にな」
ほう、と呟いたカイが陸に向き直った。
****
ばちん、という音とともに、全身を貫いていた痛みが緩んだ。体が地面に倒れ込んだとき、ふっと青臭いにおいが鼻を掠めた。
頭が割れても意識は残るんだな。ぼんやりとした視界に、赤く濡れたカイ様の左手が見えた。あれが、私の血の色なのか。そう思ったとき、潰されたはずの頭に疑問がよぎる。
私の頭をつかんでいたのは右手だったはずなのに。
「なぜ、ヒトがここにいる?」
――ヒト?
遠ざかっていた意識がゆっくりと輪郭を取り戻す。よく見れば、カイ様の左手は赤く濡れているのではなく、何か赤いものを持っているようだった。
「野菜を届けに来てやったんだよ、お前にな」
声が聞こえる。私がずっと聞きたかった声。
「り……く」
こんな場所にいるはずがない。これはきっと消えていく命が見せる幻だ。そう思うのに、心臓がうるさいくらいに音を立てて、私に命のありかを教えてくる。
野菜がいっぱいに詰まったカゴが見えた。いつもよりずっとずっと多くてはち切れそうだ。あんなの、私にだって―――きっとどんなオニだって背負えない。そんなに重いものを背負って陸はこんなところまで来た。なんで? どうして?
「ほう」
カイ様の左手から滑り落ちた赤いものが、私の目の前でぼとりと音を立てる。
「これ……トマト……?」
私が陸に出会った日に、私が陸に投げつけたもの。
「――食べ物、粗末にするなって、言ったくせに」
こんなに潰れちゃったら、私だってもう食べられないよ。




