6
「やったことはともかく、あいつもなんか可哀想だよな」
「ここで生まれたからお前の人生はこう、なんて決められたらたまらないもんね」
三人と一匹は、いつものコンビニ前のベンチで一息ついていた。
隼がハナのことを告げ口したのは、自分の生き方を縛りつけるオニの存在への復讐のようなものだったんだろう。
晴香とお揃いのスニーカーのサイズが合わなくなってしまったのは、隼にとって、晴香と同じ道を歩くことはできない、という自分の運命を見るようなものだったのかもしれない。そして、そのスニーカーを履くハナに怒りを覚えてしまった……のかもしれない。
「そういや、岡嶋。さっき言ってたことってどういう意味だ?」
ヒトとオニは何が違うのか、という陸の問いに、岡嶋は「ヒト」と「オニ」というものがあるのではなく「ヒト」と違うものが「オニ」にされたのでは、と言っていた。
「僕もあんまり詳しくはないけど、昔、幽霊とか妖怪みたいなものを全部ひっくるめてオニって呼んでたらしいんだ。それに、心を病んでしまった人がオニになるっていう昔話や民話なんかもあるよね。恋に破れたとか、子どもを失った女の人の話が多いかな」
「先生、それってどう違うわけ? 俺には同じにしか思えねーんですけど」
「つまり、これが「オニ」ですっていう明確な定義はなくて、分からないものは全部「オニ」ってことにしちゃえっていう乱暴な話」
霊や妖怪、普通という概念に収めきれないもの、理解し難いものを全て「オニ」という枠に押し込めたということか。
「何が違うかとかはどうでもいいんだよ。あの山にいるっていうオニも、ただ単に僕らから遠い存在だと思われたから「オニ」にされたんだ」
――本当に必要なら、多少のことには目をつぶれるのが大人ってもんだ。
千代も孝男も吉田さんたちも、この町の秘密を知る者たちはみんな、山にいる存在を「オニ」と呼んで、閉じ込めて、ずっと目をつぶってきた。改めてその事実を思うと、陸の背中がぞくりと粟立った。
「僕、ちょっと行きたいところがあるんだけど」
そう言って、岡嶋が立ち上がる。
「先生、そんな悠長にしてる場合じゃねーよ。今だってハナちゃんがどんな目に遭ってるか。俺、心配で心配で夜も眠れねーのに」
「なんでお前が心配すんだよ」
「陸が好きになった女なんだろ? 絶対見てみてーじゃん」
「見世物じゃねーんだぞ、こら」
軽口をたたきながらも、陸も焦っていた。隼が抱え込んでいた問題は明らかになったけれど、ハナを救う糸口にはなりそうになかった。
「僕、ずっと気になってることがあるんだ。昨日、鬼沢くんのおばあさんが言ってたでしょ。掟ができてから破られたのは一度だけだって。でも、もし昔から掟があったなら、破られたのは一度だけ、しかも十七年前なんて最近過ぎると思うんだ。もしかすると、掟ができたのってそんなに昔じゃないのかも」
確かに、よく考えたら少なすぎる。それに、あの境界線もあの小屋も、それほど年月が経っているとは思えなかった。
「ええ? なんでよ」
「だからそれを聞きに行くんだよ。それを知ってるとしたら、たぶん――」
「ばあちゃんか」
あの境界線の成り立ち。それを知れば、少しはハナを救う手掛かりになるかもしれない。
「おや、どうしたんだい。悪ガキどもが雁首そろえて」
畑にいた千代は、突然やってきた陸たちに気付くと、麦わら帽子を少し上げて額の汗を拭った。木陰に腰掛けると、巨大な水筒から麦茶を注いでくれる。
「ふん。なかなか賢い友達がいるじゃないか。陸にはもったいないくらいだ」
岡嶋の疑問をぶつけると、千代はそう言って煙草を口にくわえた。麦わら帽子を取ると、真っ白な髪を撫でつけながら空を見上げた。迷うようなその視線は、何を見ているのか陸には分からなかった。
「確かにね。あたしが小さいころにはあんな境界線はなかったし、掟なんてものもなかった。あいつらがこっそり山から下りてきたときも、こっちは見ない振りをしてたね。それどころか、農作業を手伝ってもらうこともあったよ。違う生き物同士ではあったけど、それなりにうまくやってたんだ」
千代の吐き出した煙が空へと向かって、けれど、たどり着く前に消えてしまう。それでも千代は煙を吐き出し続ける。まるで、誰かに届けるように。
「あの境界線と掟を作ったのは、あたしの親の世代。あんたにとっちゃ、ひい爺さんだね。そいつらがヒトとオニを完全に分けたんだ。オニは山の中だけで暮らす。ヒトは、やつらが生きていくために必要なものを提供する。それ以上の関わりは持たない。そして、絶対に境界線は越えない、とね」
「何が原因だったんですか」
千代は、そう問い掛ける岡嶋にちらりと視線をやってその先を促す。
「ひいお爺さんたちが掟を作ったり、境界線を引かなくちゃいけなくなった何かがあったってことじゃないんですか」
「目端の利く子だね。気に入った。陸に代わってうちの孫になりな」
「おいババァ」
「先生だけじゃなく俺もいますけど」
小野寺がさり気なく主張するが、全員さらりと聞き流す。
「ひとつ訂正するとしたら、掟を作って境界線を引こうと言い出したのはオニのほうなのさ。そのときからずっと、あいつらは山の中に閉じこもってるんだ」
閉じこもる。陸は胸の内でその言葉を反芻した。
ジンは山に「閉じ込められている」と言っていた。けれど、千代はオニが山に「閉じこもっている」のだと言う。お互いがお互いに拒絶されていると盲目的に信じている。
「あれは、オニたちなりのケジメなのさ。もうそろそろヒトもそれに応えなくちゃいけない。いつまでもあいつらに押しつけて、甘えてばかりじゃいられないんだ」
「つまり……どういうことだよ」
「まだ話せないね」
「――っいい加減にしろよ! いつまでものらりくらりはぐらかしやがって! 早くしねーとハナが……っ!」
陸の叫びに、千代は少し悲しげに目を伏せた。初めて見る千代のそんな様子に、陸もぶつけようとしていた言葉を飲み込んでしまう。
「何か起こるとしたら夜だ。それまでは大人しく待ってな」
ぽつりと千代が呟いた。空を見上げれば、青空にうっすらと白い月が浮かんでいた。
「陸。あんたの想い人がどうなるかは正直分からない。境界線の向こうのことは、こちらではあずかり知らぬことだからね。でも、このまま放っておくつもりはないよ。せめて、巻き込んだ責任くらいは取らないとね」
「でも……何かあるだろ。俺にできること」
「そうだね。命を懸ける覚悟くらいはしておきな」
麦わら帽子を被り直すと、千代は立ち上がった。農作業に戻ったその背中が、もう何も語るつもりはないと言っているようだった。




