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「あー、お前のばあちゃん人使い荒すぎ!」
「でも鬼沢くんは毎日これをやってるんだね。すごいや」
朝の農作業を終えて家にたどり着くなり、二人とも縁側に倒れ込んだ。
働かざる者食うべからず、という千代の教えは、客人である二人にも容赦なく適用された。早朝の五時半、ぐっすりと眠っていたところを千代がたたき起こし、孝男が黒ワゴンに押し込んで畑に連行した。
勝手も分からないまま、千代や孝男の指示に右往左往する二人を見て、きっと早々に根を上げるだろうなと思っていたのだが、元々の適応能力が高いのか、農作業が新鮮だったからか、気が付けば陸とあまり変わらないレベルで作業ができるようになっていた。
「わー、小野寺くん。このトマトすごく大きいよ」
「おっさん、食っていい?」
「終わってからじゃなきゃダメですー! 特に小野寺くんは絶対ダメですー!」
「あんたたち、口じゃなくて手を動かしな」
意外と楽しんでんじゃねーか。ここへ来てしばらくは愚痴をこぼし続けた自分が恥ずかしくなるくらい、二人は簡単に見知らぬこの場所に馴染んでいく。
「しっかし、労働のあとのトマトがあんなに美味いとは思わなかったわ」
「やっぱりスーパーで買ったのとは違うね」
「なぁ、オニ。飯食ったらこの辺案内してくれよ。田舎っつっても何かあるだろ」
久し振りに呼ばれたその名前に、懐かしささえ覚えてしまう。今となっては陸の中で別の意味があるその名前。
「ややこしいからオニっていうのはやめろよ」
小野寺がポカンとした。なにを今さら、とでも言いたげな顔をしている。
「いや……だって、お前ら以外全員「鬼沢」なんだからよ」
「まあそれもそうだけどよ。えー、じゃあなんて呼ぶんだよ。陸、とかマジでハズいんですけど。俺、照れちゃう」
「僕みたいに鬼沢くんでいいんじゃない?
「先生はそれでいいかもしれないけど、俺はやだ。格下みたいじゃん」
小野寺は岡嶋のことを「先生」と呼ぶ。伝説のヤンキーである「デビル」がそう呼んでいるのだから自分もそれに倣っているのだそうだ。
「でもまぁ、由梨子さんに嫌われたら一大事だしな。そうだ、陸さまとでも呼んでやろうか」
「なんでだよ」
「冗談だって。なー、陸」
小野寺はケラケラと笑って立ち上がると「由梨子さーん、俺お腹空いちゃった」と言いながら由梨子が朝食の仕度をしている台所へ向かった。
右手の中指を立てる骸骨がプリントされたTシャツの後ろ姿を見ながら、陸はなんでこいつはここに来たんだろうと不思議に思った。陸に絡んでくる大勢の中の一人だった小野寺が、どうして――。
「そういえば、鬼沢くんって昨日の夕方どこに行ってたの?」
「そうそう。なんかいきなりふらっといなくなってさ。確か……二時間くらいいなかったよな」
陸の思考を遮った岡嶋の質問に、少し詰まってしまう。味噌汁を乗せたお盆を手に戻ってきた小野寺も加わって陸を問い詰めた。
「まさか、こっちで女ができたとかじゃねーよな」
「そ、そんなわけねーだろ。ほら、もう飯だろ。さっさと座れよ」
「あーやしー! なあ、先生。絶対怪しいよな!」
「小野寺くん、落ち着いて」
大騒ぎする小野寺を振り切って、陸は食卓についた。
昨日の夕方、二人の目を盗んでカゴを背負うと山に入った。約束のメロンをこっそりと忍ばせて。逸る気持ちにつられて急いでしまう足のせいで、小屋に着くまではあっという間だった。
扉を開けて目に入ったのは赤い境界線。いつもより鮮やかに、はっきりと浮かび上がって見えた。まるで勝ち誇っているように。
カゴを下ろすと、壁に背を預けて座り込んだ。いつも通りにしていれば、いつも通りにハナがやって来るはず。扉を開けて「おう」「うん」という同じ挨拶を繰り返せるはず。
そう信じて待ち続けたけれど、夕陽のオレンジが消えても、小屋が暗闇に落ちても、その日、ハナは現れなかった。赤い境界線が、じっと陸を見つめているような気がした。
「はい。じゃあ、朝ご飯にしましょうか」
由梨子の声が掛かると、みんなが食卓に集ってくる。
「由梨子さん、俺ご飯大盛りね!」
「母さん! 俺は特盛りで!」
「ちょっと味噌汁しょっぱいんじゃないかい」
「夏は塩分不足が怖いですからね。お年寄りって自分じゃなかなか気付けないみたいだし」
「わ、わー! このお野菜もお料理もすごく美味しいです!」
陸の浮かない気持ちとは裏腹に、鬼沢家の食卓は恐ろしく賑やかだった。
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「田舎、のどか、なんにもない!」
リードを手にした小野寺がソラに引っ張られながら叫ぶ。陸と岡嶋は、その少し後を歩いていた。
「まっっっっじでなんもないのな。これで生きていけるなんて信じらんねー」
「慣れればどうってことねーけどな」
どんなに文句を言ったところで、ないものをあることにはできない。だったら、いま手にしているものを最大限に利用するほうがずっといい。
「はー。こりゃオニも改心するわけだ。なあ、こいつどこまで行くんだよ」
いつもより騒々しい散歩に興奮しているのか、ソラはぐんぐんと進んでいく。
「もう少し行けばコンビニあるから、そこで休憩するか」
「お、マジで! あとどんくらい?」
「十五分くらい」
「ド田舎!」
文句を言いながらも、小野寺は楽しそうだった。犬に引かれて田んぼのあぜ道を歩く金髪の少年は、なかなか絵になっている。
「なあ、岡嶋。あいつってなんでここに来たんだ?」
「うーん。多分だけど、自分たちのせいで鬼沢くんが退学になったのを気にしてるんじゃないかな」
あんなに「目障りだ」と言わんばかりに絡んできたくせに、いざ消えてしまったら良心の呵責に苛まれたとでもいうのだろうか。
「一回だけ聞かれたことあるんだ。鬼沢くんが自分のこと嫌ってるんじゃないかって」
「あいつが?」
嫌っていたのはそっちのほうだろ、と言ってやりたい。陸のことをオニと呼んで、殴りかかって、疎んじていたのは、小野寺たちだ。自分はただそこに存在していただけなのに。
陸が自分以外の誰かと関わるために「暴力」を介在させてしまうようになったのは、小野寺のように、自分を枠の外へ追いやろうとするものに対抗するためだった。けれど、結局それが陸をどんどんと孤立させていった。
好きの反対は嫌いではなく無関心だというけれど、小野寺はなぜ自分を敵視していたのか。ただ単に「いなくなればいい」と思っていたわけではない、ということか。
ソラに引っ張られ、小さくなっていく小野寺の背中の骸骨が、答えを拒むように中指を立てている。
ようやくたどり着いたコンビニの前に設置されているベンチに座り込むと、ソラを含めた全員がホッと息を吐いた。日陰に入って太陽の光が遮られると、以前より風が冷たくなっていることに気付く。この地方の夏は、一雨ごとに気温が下がるのだという。
「お待たせー」
岡嶋がみんなの飲み物を買ってきてくれた。小野寺はコーラ、陸はミネラルウォーター、岡嶋自身は日本茶と三者三様だ。ソラには持ってきた水を飲ませてやる。
「コンビニもこんなに遠かったら大変だね」
「チャリがあるからな」
「あの赤いママチャリが陸の愛車ってわけね。……ぷ」
「久し振りに殴られてーのか、お前は」
「まあまあ」
陸と小野寺の小競り合いを岡嶋がなだめていると、聞き覚えのある声が聞こえてくる。
「あ、陸くん!」
「あれー、なんか増えてね?」
隼といつもの仲間たちが連れ立ってやって来た。この町でコンビニはここしかないので、住民同士が、特に若者たちが顔を合わせる機会はどうしても多くなる。
「陸くんの友達?」
「おう。大親友だぜ」
誰がだ。陸がそう否定する前に、きゃあ! と黄色い声が上がった。以前の陸と同じように、岡嶋と小野寺はたちまち囲まれてしまう。
「金髪だー! ね、これって自分でやってるの? 髪痛まない?」
「そっちの子はすっごく頭よさそうだよね。東大とか目指しちゃう系?」
「てか、二人って友達なの? 全然そう見えないんですけど」
「分かるー」
小野寺はまんざらでもない様子で、あっという間に取り囲む輪の中心になっていくのに対し、岡嶋は戸惑いながらもひとつひとつきちんと質問に答えて、全体に溶け込んでいく。
あいつらのコミュニケーション能力、ハンパねーな。半ば呆れながらその様子を眺めていると、隼が話し掛けてきた。
「この間は陸にフラれちゃって寂しかったな。せっかくだから一緒に花火見たかったのに」
「気持ちの悪いことを言うな」
「あの子とどこまで進展してんの?」
「な……っ!」
慌てて周りを見回したが、他のみんなはまだ岡嶋や小野寺のほうに夢中で、二人のほうには注意を払っていない。――いや、一人だけこちらを見ていた。隼の元カノだ。
鎖骨の辺りで切り揃えられた髪は、少し明るめの茶色に染められていた。大きくてつり上がった目はこちらを警戒する猫の目にも似ている。シンプルな服装にセンスのいい小物を合わせて個性を主張する姿は、都会でもなかなか見ないくらいセンスがいい。
「あいつとは別になんでもねーから。言いふらしたりすんなよ」
「ふぅん。ならよかった」
「よかったって?」
「こっちの話。ほら、みんな行くよー。今日は宿題やるって決めただろ。さっさと終わらせないと夏休み終わっちゃうぜ」
隼が声を掛けると、全員がしぶしぶ二人から離れた。
「じゃあ、またね」
「おう、まだしばらくはこっちにいる予定だから、いつでも声掛けてよ」
小野寺はすっかり兄貴面をして手を振っている。
「ほら、晴香も行くよ」
隼の元カノに仲間の一人が呼び掛けた。晴香っていうのか、と陸が何の気なしに視線を向けると、晴香はその猫のような目でじっと見つめ返してきた。
「晴香ー!」
もう一度呼ばれると、晴香はその視線の余韻を残したまま陸に背を向けて去っていった。あの視線の中には、なにか懇願するようなものが含まれている。陸はなぜかそう思った。




