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陸の家まであっという間だった。坂道を登るのだって簡単過ぎてつまらないくらい。終わりへ向かう時間は、きっと下り坂なんだ。
「楽しかったか?」
「うん。楽しかったよ」
道中、私たちが交わした言葉はこれだけだった。陸が自転車を停めると、私は荷台から降りた。踏みしめる砂利の感触が、戻ってきたんだって思わせてくれる。
「ちょっとここで待ってろよ」
陸はそう言って家の中に入っていった。中から待ちわびたようなソラの声も聞こえてくる。夜空には雲一つなくて、星がたくさん見えた。月は、真っ二つにされたみたいに、きれいな半月。その半分は、どこに行っちゃったんだろう。
「お待たせ」
戻ってきた陸は、なにか三日月型のものを乗せた皿を手にしていた。
「それ、なに?」
「これはメロン。前に食わせてやるって言ったろ?」
そういえば、陸がスイカを持ってきてくれたときにそんな話をしてたっけ。縁側に腰掛けた陸が、隣をポンポンと叩いて座るように促す。
メロンを手渡されたが、正直お腹はいっぱいで。でも、もうこれ以上食べられないよ、なんて言ったら陸が悲しい顔をするかもしれない。よし、と心の中で気合いを入れて、薄緑色をした果肉にそっと口をつける。とたんに、じゅわっとあふれ出す水分で口の中がいっぱいになった。
「……甘い」
「だろ? ばあちゃんと俺が作ったんだぜ。あ、皮は食うなよ」
勢いよくかぶりついた私を見て、陸が注意した。それくらい分かってるよ。でも、言い返す暇もないくらい、あっという間に食べ尽くしてしまう。
「俺の分も食っていいぜ」
「いいの?」
「まだあるからな」
陸からもらったメロンを、今度は一口一口しっかりと味わって食べる。
「アマネにも食べさせてあげたいな」
「だったら持って帰ればいいんじゃね?」
「ダメだよ。見つかったらアマネに迷惑が掛かっちゃう」
「ふぅん、面倒くせーな」
そうだよ。私たちの関係はすごく面倒くさいんだ。一緒に同じものを食べることさえ、特別に感じてしまうくらい。
「じゃあ、今度カゴに入れといてやるよ。そしたらアマネも一緒に食えるだろ。あ、でもジンとセキってやつには絶対食わせるなよ。そいつらはお前とソラにひどいことしたんだからな」
思い出して怒っている陸の姿に、胸がきゅっとなる。私は陸が大切だ。何よりもすごく大切なんだ。沸き上がる想いはメロンよりもずっと甘かった。
「そうだね。皮でも食べさせておく」
「言うじゃん」
そのとき、甲高い笛のような音がした。少し間を置いて、どん、とお腹に響くような重低音。上を向いた陸につられて、私も空を見上げる。その瞬間、夜空に赤い花が咲いた。
「花火だ」
「すごい……」
色とりどりの花が次々と夜空を彩る。あんまりきれいで、思わず息が漏れた。
「もっといっぱい打ち上げるところもあるんだぜ」
「これより?」
花火は一瞬で散ってしまうくせに、星も月も追いやってしまう。その美しさと儚さは暴力的でちょっと怖い。だから、いっぱい打ち上げなくていい。星と月が可哀想だ。
「いつか一緒に見に行こうぜ」
空を見上げたまま、陸がそう言った。その横顔はとても優しくて、私と陸に「これから」があるんだって信じたくなってしまう。
でも、それはもう叶わない。
最後に打ち上げられた赤い花火は、どこか弾け散る血の色にも似ていた。
花火が終わると、静寂が戻ってくる。私は、メロンの最後の一口をなんとか飲み込むと立ち上がった。
「もう帰らなきゃ」
「そっか」
「ねえ、陸。よかったら一緒に来て。今日のお礼に見せたいものがあるの」
いつもとは反対に、私が陸の手を取った。山道を歩く二人の足音が、暗闇に密やかに鳴る。
「見せたいものってなんだよ」
「秘密」
ちょっと不安そうな陸に、なんだか楽しくなってしまう。
小屋を越えると、私は境界線の「こちら」側に戻った。境界線の「あちら」側――陸の世界はとても広かった。何もかもが違って、たくさんのヒトがいて、まるっきり別の世界。なのに、私が知っているものもちゃんとあった。
可愛い浴衣を着た女の子は、アマネによく似ていた。私を見た隼の目は、ジンと同じだった。
真っ赤なイチゴ飴は甘くて酸っぱい。私たちは全然違う二つを混ぜ合わせて飲み込んで、美味しいって思えるのに、どうしてこんな赤い境界線を引かなければならないんだろう。何にも知らないおっちゃんは、私と陸に「仲良くしろ」って言ってくれたのに。
この境界線は、いったい何を隔てているんだろう。
水音が聞こえてきた。陸の手を離して、草をかき分けて進む。陸はやっぱり不安そうだ。
「大丈夫だよ」
今度は私がそう言ってあげる。この先にあるのはあの小川。アマネにも教えていない、私だけの秘密の場所。教えてあげるのは陸だけ。陸は、私の特別だから
「ハナ」
私の名を呼んだ陸に振り返って「しっ」と人差し指を立てる。これからが、私のとっておきなんだから。
一際高い草をそっとかき分けると、陸がひゅっと息を飲む音が聞こえた。
「これ……蛍か」
川面には、小さな光がいくつも舞っている。陸のすぐそばの草の陰からもひとつ、青白い光がふわりと躍り出た。
「すげーな」
興奮を抑えた声で陸が呟いた。いつも一人で見ていたこの景色を今、陸と一緒に見ているのが不思議だった。暗闇の中に蛍が作り出す幻想的な空間。真夜中にここに座って舞い飛ぶ蛍を見ていると、なぜだか誰かに抱きしめられているような、そんな気がする。
一匹の蛍が私のほうへ飛んできた。手を伸ばすと、指先にとまってゆっくりと明滅を繰り返す。
私の大切なもの。何も持っていない私が、陸にあげられるもの。もし私がいなくなっても、陸が私を思い出す縁になればいいな。
「上流に行くとね、もっといっぱいいるんだよ」
「へー。じゃあ行ってみようぜ」
「ダメ」
もうダメなんだよ、陸。指先の蛍が、ふっと飛び立った。
「陸に見せてあげられるのはここまで」
私たちの間には赤い境界線。何を隔てているのかは分からない。でも、確かにここにあって、私たちを「こちら」と「あちら」に分けている。
私が行った陸の世界は、私にとっては「あちら」側だけど、陸から見れば、私の世界のほうが「あちら」側で。ああ、考えれば考えるほど分からなくなる。
私たちはいったい何が違うんだろう。誰が答えを知っているんだろう。
境界線の向こうにいる陸が、私の手を握った。強く、強く握った。
「痛いよ」
その痛みが嬉しかった。今こうしているのが夢じゃないって分かるから。いつまでもこうやっていられたらいいのに、なんて思った。
でもやっぱり終わりの時間はやってくる。私は、陸の家の近くまで一緒に歩いていった。陸は「一人で大丈夫」って言ったけれど、少しでも陸との時間を延ばしたかった。私は本当にどうしようもないな。
「じゃあね」
「おう。またな」
「――ねえ、陸。初めて会った日に、カボチャくれたでしょ」
「え? ああ、お前がトマト投げつけてきたときか。なんだかずーっと昔のことみたいだな」
あのときのことを思い出して、二人して笑ってしまう。本当にめちゃくちゃな出会いだったな。
「あのカボチャね、陸の言ったとおり、すごく美味しかった。ちゃんと言っておこうと思って」
それは、私が陸と会うために最初に用意した言い訳だから。だから、きちんと伝えておかなくちゃ。
「なんだよ、急に」
「それだけ。じゃあね」
「またな」
陸の「またな」が好きだった。すごく、すごく、好きだった。私の「これから」があることを教えてくれるから。でも、もう「またね」は返せない。代わりに、ちゃんと笑ってみせるから。暗闇に浮かぶ陸の顔に困惑が浮かんだ。
「ハナ!」
ずっと嫌いだった私の名前。陸に会ってから、ちょっとだけ好きになった。
陸の手が、私の腕をつかむ。陸の体温が、私の体温と混じり合って行く。同じように体温を持った私たちは、何が違うんだろう。それを確かめたくて、私は陸の頬に唇を触れてみた。
――けど、やっぱり分からないや。
「さよなら、陸」
陸の手からすり抜けると、私は暗闇に飛び込んだ。振り返ったときに見えた陸はすごく驚いた顔をしていて、なんだかおかしかった。笑い転げたいくらいに。




