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 あれからずっと雨が降り続いている。今日で三日目だ。

 大きい台風が近付いている、各自防災意識を持つように、と繰り返しているアナウンサーの声が、リビングから聞こえてくる。

 この地域に台風が上陸することは珍しく、普段はその前に低気圧に変わってしまうのだそうだ。けれど、最近の天候は、例年通り、となるほうが珍しく、農作物が被害を受けることも多くなったらしい。


「自然相手だからね。こればっかりはどうしようもないよ」


 千代は煙草の煙を吐き出しながら、一日のほとんどを窓の外を眺めて過ごしていた。


「雨のときは山に行く必要はないよ。向こうも分かってる」


 そう言われた陸は、三日間ずっとハナに会えないままでいる。今日も朝から、勉強机にと用意されていた古ぼけた文机に向かい、テキストやらノートやらを広げていた。

 けれど、心はうわの空だった。

 山道を歩くときの土の感触、むせかえるような湿った緑のにおい、耳をつんざくようなセミの声、そして、ハナとの時間。

 それらを奪い取った雨音が、狭い部屋を埋め尽くして、陸の思考をぼんやりとさせる。テキストを眺めていても、ちっとも頭に入らない。同じ箇所を五回読んだところで、今日はもうダメだなと諦めた陸は、畳の上に寝転がった。

 この雨の中、ハナはどうしているんだろう。会えない時間が増えるほど、陸の心には様々な思いが渦巻いた。

 手を伸ばして引出しを開けると、寝転んだまま、指先の感覚だけで目当てのものを探り当てる。照明にかざすと光を放つそれは、あの日、陸が庭で拾った髪留めだ。


「なんで」


 この三日間、何度も繰り返した言葉を、また口にする。

 偽物の宝石が放つ光は、どこかざらついていた。よくみれば、あちこちに小さな傷がついている。


 ――あたしは、オニだ!


 目を閉じれば、思い出してしまう。初めて会った日のハナの言葉。開かれた口の、血のような赤。雨音にぼやけた思考は、いつも最悪の結論にたどり着こうとする。


「そんなはず、ない」


 まるで陸の心に触れるようにソラに触れたハナの手が、その日のうちに、ソラを傷付ける手に変わってしまったとでもいうのか。

 結局、ハナは自分とは違う存在(もの)なのか。


「くそっ」


 小さく吐き捨てて、髪留めを引出しに放り込んだ。音を立てて閉めると、くすんだ光は暗闇に閉じ込められてしまう。

 降り積もる疑問と疑念から目を逸らすように、陸はごろりと寝返りをうった。窓ガラスにぶつかる雨の音に誘われるように、眠りの底から伸びる糸に手を伸ばす。眠って起きたら全部夢でした、ってなっていればいいんだけどな――。


「こんにちはーっ!」


 しかし、その糸は突然の大声に断ち切られてしまう。これは、(しゅん)の声か。まだ眠りに引きずられるような身体を無理やり動かして起き上がる。

 勝手知ったる他人の家、とばかりに上がり込んだ隼は、すでに居間に入るところだった。


「おいこら、不法侵入だぞ」

「固いこと言わないの。俺と陸の仲でしょ?」

「気持ち悪い言い方をするな」


 夏休みに入ったという隼は、もちろん制服ではなく、Tシャツにジーンズという格好で、両手にスーパーの袋を提げている。首元には相変わらず、元カノからもらったという羽根のネックレス。未練タラタラじゃねーか、こいつ。


「どうしたんだい、こんな天気の日に」


 台所から顔をのぞかせた千代も、中身がぱんぱんに詰まったビニール袋を手にしている。


「千代さん、これ差し入れでーす」


 隼が掲げた袋からは、ぷんと醤油のにおいがした。


「おや、豚の角煮か。こりゃいいね」

「うちのばあちゃん特製だから、味もお墨付きですよ。なんなら、あとでもっと持ってきますから」

「二人暮らしにこの量はおかしいだろ」


 隼が持ってきたのは、こんなサイズが存在したのかと思うほどに巨大なタッパーが四つ。どれもこれもみっちりと豚の角煮が詰め込まれている。


「一つありゃ十分だ。持って帰れ」

「いやいやムリムリ。頼むよー、協力して。これ、めっちゃうまいんだけど、ばあちゃんって作る量がハンパじゃなくてさ。家にはまだこの倍はあるんだよ。俺、ばあちゃんが角煮を作り始めると、豚に追い掛けられる夢見るんだ。もうノイローゼ寸前。でね、陸たちにもおすそ分けしようと思って。俺ってばナイスアイディア」


 隼は、顔の前で手を合わせると、拝むようにして頭を下げた。


「ね! 助けて! 友達でしょー。それに、冷凍もできるからさ」

「つっても、二人のうち一人は年寄りなんだぞ。そんなに肉ばっか食えるかよ」


 後ろにいた千代が、陸の頭を思い切り叩いた。


「もうすぐ孝男(たかお)たちも来るしね。ありがたくもらうよ」

「千代さんありがとー! さっすが、話分かるー! じゃあ、これ置いてきますね」


 喜び勇んで、隼が台所に駆け込むと、吉田のじいさんが居間に顔を出した。


「やぁ、すみませんな。押しつけちまって。おお、陸。また大きくなったなぁ」


 最後に会ってからまだ一週間もたってないはずだ。成長期とはいえ、そんな急にサイズが変るはずがない。


「陸にもたまには肉を食わせてやらないと、痩せちまうからね。そしたら由梨子(ゆりこ)さんになんて言われるか。ああ、その代わりってわけじゃないけど、これ持っていっておくれ」


 千代は、持っていたビニール袋を吉田のじいさんに手渡した。きゅうりやピーマン、トマトにナス、オクラなんかが無造作に詰め込まれている。

 この土地では、こんなやり取りが日常的に繰り返されていた。微笑ましい田舎の暮らしだと思っていた。でも、その裏には深い秘密があることを、陸はもう知っている。秘密を抱えたまま、平穏そのものみたいな顔をしている。台風がいつか低気圧に変ってしまうみたいに、その秘密が消えてしまうのをずっと待っているのだろうか。

 吉田のじいさんは、陸と同じように肉を持って山道を登るんだと隼が言っていた。もしかして、この大量の角煮は、オニに渡るはずの肉だったんじゃないか。雨に妨げられて滞った大量の肉を吉田のばあさんが調理したもの、なのかもしれない。


「それにしても、よく振りますなぁ。山は大丈夫ですかね。まさか崩れるなんてことはないだろうが」

「これくらいならどうってことはないだろう。明日には雨も上がるみたいだしね」

「ねえねえ、陸の部屋ってどこ? あっち?」


 台所から戻った隼がうろうろと歩き回る。


「こら、隼。人様の家で勝手をするんじゃない」

「いいじゃん。そっちに大人の世間話ってやつがあるなら、若者は若者の世間話があるの。ほら陸、行こうよ」


 隼を追って、陸も居間を出た。ちらりと振り返ると、吉田のじいさんは、やれやれというように軽く頭を振って、千代は「まあ、仕方ないさ」と笑っていた。

 陸の部屋に入ると、隼は机の上のテキストを眺めて「うわー、陸って意外と真面目なんだ」と、からかうように言った。


「うるせーな。雨でやることねーんだから仕方ねぇだろ」

「あ、それじゃあさ。今度、お祭りあるからみんなで行こうよ」

「祭りって?」

「高校裏の神社で、結構大々的にやるんだ。屋台も出るし花火も上がるよ。この町最大の夏イベント!」


 隼の父親が経営する会社も、フランクフルトや焼き鳥の屋台を出すらしい。


「俺も手伝えって言われたけどさ。陸が来るって言うならバックれるよ。ね、行こうよ」

「そこはちゃんと手伝ってやれよ」

「それとも「LOVE」の彼女と行く、とか?」

「バ……っ!」


 不意の攻撃に陸の顔に熱が集る。隼はケラケラと笑いながら、畳の上に寝転がった。


「陸ってホント純情だなー。うんうん、いいね。ますます相手が知りたくなっちゃった。ね、誰なの?」

「うるせー。お前こそ、そのネックレスくれた元カノにまだ未練あるんじゃねーの。コンビニの前で会ったとき、あの中にいたやつだろ?」


 仕返し、とばかりに口にした陸の言葉に、隼の笑顔が貼り付いた仮面のように固まった。陸からそらされた目に鋭さが宿る。


「未練、ね……」


 ――が、それは一瞬のことで、次の瞬間にはいつもの人懐っこい笑みに戻っていた。


「ないない! 俺ってモテモテなんだよー。なんて言うの? 一人の女に縛られる人生ってつまんないじゃん。俺はもっと自由でいたいのよ」

「なんだそれ」


 笑い転げる隼は、誰もを惹きつける魅力にあふれている。それなのに、どうしてか、誰も寄せ付けないような壁を感じる。表と裏、とでもいうのだろうか。

 陸と隼は、同じ秘密を共有しているのだと思っていた。けれど、陸がハナのことを口にしないように、隼にも口にしない何かを秘めている。そんな気がした。


「とにかく、一緒に行こうよ。みんなも陸ともっと仲良くなりたいって言ってたし」

「まあ……気が向いたらな」


 人が集る場所とは、陸にとって面倒ごとに巻き込まれる場所でもあった。さすがにこんな田舎で絡まれることなんてないとは思うけれど、気が進まないのも確かだった。


「そっかー。じゃあ、行く気になったら連絡して」


 お互いのスマホを手に連絡先を交換していると、吉田のじいさんが顔を出した。


「おい隼、そろそろ帰るぞ」


 その手にはさっきの野菜が詰まったビニール袋、それに大玉のスイカが追加されていた。


「やった、千代さんのスイカ美味しいんだよね。ばあちゃんの角煮もいい仕事したじゃん」

「まったくお前は……。すみませんな、仕方のないやつで」

「いや。陸にもずいぶんよくしてくれて助かってるよ。これからもよろしく頼むよ」


 隼に向けられる千代の視線には、言外の意味が込められているような気がした。その視線を弾き返すように、隼はとびきりの笑顔を浮かべた。


「分かってますよ。じゃあね、陸」


 二人が帰ってしまうと、忘れていた雨音がまた戻ってくる。けれど、心なしかさっきまでの勢いは薄れていた。

 明日、雨が上がったら――。

 自分はどんな顔でハナに会えばいい? どんな言葉を口にすればいい? 会えるかもしれないと思っただけで騒ぎ出すこの胸を、どうすればいい?

 引出しを開けると、髪留めがくすんだ光を放った。

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