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まるで、眠りの底からすくい上げられるような目覚めだった。
「……んだよ、まだ夜中じゃねーか」
枕元のスマホで時間を確認すると、午前二時を少し回ったところだった。ライトのまぶしさに顔をしかめながら、意味もなくSNSやネットニュースを一通り眺めるうちに、すっかり目が冴えてしまった。
スマホを放り投げて天井を見上げた。強烈な光の名残をとどめているせいか、瞬きのたびに柔らかく明滅しているように見える。その中に浮かぶのは、今日のハナの姿だった。
ハナにプレゼントしたら喜ぶかな、と思っただけで、あの髪留めにはそれ以上の意味なんかなかった。
けれど、それをつけたハナの姿を見た陸の胸に込み上げた喜びは、もしかしたらプレゼントを受け取ったハナ以上だったかもしれない。陸にはとうてい理解できないほど複雑に結い上げられた髪型は、それほどに衝撃的だった。
似合っている、という言葉で誤魔化したけれど、
「可愛かった、よな」
本当は、そう言いたかった。結局、恥ずかしすぎて最後まで口にできなかったけれど。
身体にまだその熱が残っているせいで、珍しくこんな時間に目を覚ましてしまったのかもしれない。恋愛経験が皆無な陸にとって、ハナとの関わりは、全て初めての経験だった。
「くそ……余裕ねーな」
右腕で顔を覆ってそう呟いたとき、かすかに鎖の音がした。耳をそばだてると、庭のほうで物音がしているような気がした。
「ソラ?」
騒ぎ出すのはいつも明け方なのに。あいつも興奮してんのかな。
そう思った瞬間、ソラがものすごい勢いで吠え始めた。それは、陸とソラが出会ったあの日のことを思い出させるものだった。
ソラに何かあった?
嫌な予感がして、陸は部屋から飛び出した。その間も、ソラの声は止むことなく続いている。じゃらじゃらと鳴る鎖の音が陸を焦らせる。
隣の部屋で寝ている千代の「何事だい?」という声に応えるのももどかしく、庭に面した縁側に向かう。日中は日当たりがよくて明るいこの場所も、今は雨戸が閉められて真っ暗だ。
「ソラ?」
声を掛けると、雨戸の向こうから、じゃり、と庭の砂利を踏みしめる音が聞こえた。
誰かいる。この向こうに、誰かいる。
急いで雨戸を開けようとしたが、焦っているせいか、それとも建て付けが悪いせいか、雨戸はガタガタと音を立てるだけでうまく開いてくれない。
「くっそ……っ!」
このままじゃ埒が明かない。陸は玄関に向かい、焦る手で鍵を開けると、裸足で飛び出した。
「ソラ!」
暗闇に呼び掛けると、ソラが姿を現して陸に歩み寄る。甘えるようにクゥンと鳴きながら陸の足に体を擦り寄せている。陸が頭を撫でてやると、わずかに落ち着いたようだった。
「どうした? 誰かいたのか?」
辺りを見回しても、そんな気配はなかった。もう逃げてしまったのか、それともソラが猫か何かに反応しただけか。
「お前は喋れねーしな」
すると、ソラがふいっと陸に背中を向けて遠ざかる。
「悪かったって。怒るなよ」
機嫌を損ねたのかと思ったのだが、ソラは違う、とでも言うように鼻を鳴らした。地面を鼻先で突くと、陸を見てワン! と吠える。
「なんだよ」
催促するようなその行動の意味が読み取れなくて、陸が苛立ったとき、縁側の雨戸が開いた。急に差し込んだ明るさに思わず顔を背ける。
「暗闇でいったい何を騒いでるのさ。いくら年寄りの朝が早いって言っても限度ってもんがあるんだよ」
眠りを妨げられたせいか、千代の声はひどく不機嫌そうだった。けれど、その声は陸の耳にまったく届いていなかった。
陸が顔を背けた先にあったもの。ソラが鼻先で突いていたもの。差し込んだ光を反射してきらきらと輝いているもの。
「なんで、これが」
それは陸がハナにプレゼントした、そして、今日ハナがつけていたあの髪留めだった。
そのとき、陸の頬に冷たい滴が弾けた。
「おや、降り出したね。あんたたちもさっさと中に入りな。濡れちまうよ」
再び雨戸が閉められて、庭はまた黒く染まった。雨脚は徐々に強くなって、陸を濡らしていく。
この髪留めがあるってことは、ここにいたのはハナで――じゃあ、ソラが吠え掛かったのはハナ? でもあの吠え方は、敵に対するものだ。だったら……。
「なあ、何があったんだよ。頼むから教えてくれよ」
ソラはゆらりと尻尾を揺らしながら、陸を見上げている。
「なんだよ。お前、なんで喋れねーんだよ」
八つ当たり気味に陸がそう呟いたとき、家の中から千代の声が飛んできた。
「さっさと戻ってきな! 風邪引いてくたばりたいのかい、このクソガキ!」




