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「姉さまは、その方のことをどう思ってらっしゃるんですか?」
私の話を聞き終えたアマネが、そんな問い掛けをしてきた。
「どうって、そんなの分かんないよ」
私の答えに、アマネはくすりと笑った。
「なんだか今日の姉さまは可愛らしいですね。私、とても好きです」
「なによそれ。そもそも、あたしは掟を破ってるんだよ。そんなこと言ってる場合じゃないでしょ」
自分から話しておいてこの言い草もどうかと思ったけれど、アマネが嬉しそうにしているのが不思議だった。ヒトと関わりを持った私なんて、ジンやセキよりも長に告げられて然るべきなのに。
「私、姉さまにそういう方ができてよかったと思ってます。それに、その方も姉さまのこと、大切に想ってくださってるんですね」
アマネの指先が髪留めに触れる。きらめきが柔らかく揺れた。
「少し悔しいですけど」
「え?」
「いいえ、なんでも。そんなことより、私は姉さまの味方ですから何でも言ってくださいね。どんなことでも協力しますよ」
私に向けられるアマネは、いつもと同じ弾むような笑顔。それだけに、さっきのあの言葉に潜んだ寂しげな気配が気になった。
「いい。あんたは何も知らないことにしておいて」
「そんなぁ」
「あんただって知ってるでしょ。掟を破ったオニがどうなるかなんて」
知らないわけがない。それは破ることなんて許されない絶対の掟。
「でも、それは長に知られたらの話で――」
「いいから! 約束して!」
アマネは不満そうに口をとがらせたけれど、私がにらみつけると、しぶしぶ「はぁい」と口にした。私とアマネは違う。それはきっと、その死が開ける穴の大きささえも違う。
手にした髪留めを見て、ふと思いついた。アマネなら、できるかも。
「一つだけ、頼みたいことがあるんだけど」
不満げだったアマネの顔がぱっと明るくなった。
****
私は小屋の扉に手を掛けたまま、開けることをためらっていた。もう一度、着物の裾を直し、汚れを払う。
変、じゃないかな。アマネは大丈夫だって言っていたけど。
「くすぐったい……」
髪の毛があちこち引っ張られるような感覚にはまだ慣れないでいる。
「いいですか、姉さま。私が完っ璧に、最っ高に、可愛らしく仕上げましたから。絶対に崩さないように! 髪の毛一本だって動かしてはダメですからね!」
髪を結ってくれたアマネにはそう言い含められていた。カゴを背負うときですら「ああっ!」とか「もう少しそっと……」とか、うるさくて仕方なかった。
パチン、と最後につけられた髪留めが、私の髪を飾っている――はずだ。見えないから、何がどうなっているのかさっぱり分からない。
陸は、喜んでくれるかな。
そんなことを考えると、扉を開けようとしていた手で、また着物を整えてしまう。もう何度繰り返したんだろう。
いつまでもこうしているわけにはいかない。息を整えると、私は一気に扉を開けた――が、そこに陸の姿はなかった。
「なんだ」
緊張がほどけて、少し笑ってしまう。いつものように壁に寄りかかって座った。陸はいつも境界線を挟んだその隣に座る。温もりの名残を探すように、境界線の向こうに指先を伸ばした。
――俺、みんなにオニって呼ばれてるんだ。
ヒトがオニと呼ばれるなんておかしな話だ。それに、それはどうもいい意味じゃなさそうだった。
その話をしているとき、陸はすごく辛そうだったけど、私は陸が羨ましかった。
陸は誰かを守るために戦ったんだ。その手で、戦ったんだ。
私は、誰とも戦えない。戦わないまま、ただ生きていただけだ。
自分を取り巻く何もかもが嫌いで、いっそ無くなってしまえばいいなんて思っているくせに、それをにらみつけることしかできない。
拳を振り上げることも、噛み付くこともできない私は、世界を消すことなんかできない。戦ったところで、消えてしまうのは私のほうだ。
今日、ジンとセキに詰め寄られたときだって、私は何もできなかった。一人じゃ陸がくれたものを守ることすらできない。
膝を抱えて、髪の毛が崩れないようにほんの少し顔を埋める。
「……情けない」
ぽつりと呟いた言葉は、私の体に染み込んでぐるぐるとさ迷い続ける。
自分のためにすら戦えない私にとって、誰かを守るために戦えた陸の強さが羨ましかった。それは、私がずっと欲しくてたまらないもの。
「今日は、来ないのかな」
境界線を撫でながらそう呟いたとき、向こうから声が聞こえた。
「おい、ソラ、待てって! こら!」
顔を上げた弾みで髪の毛を触ってしまう。ああ、アマネに怒られるな。ずっと我慢してたのに。どんな顔をしていればいいんだろう。いつもどうしてたっけ。
思考回路があちこち飛び回っている間に扉が開いてしまう。
「悪ぃ、今日はソラも一緒で遅くなっちま――」
陸の言葉は不自然なところで途切れた。ポカンとした表情が、その顔に浮かんでいる。
「あ、えっと」
私が言い淀んでいると、陸が小屋に入ってきた。その後ろをついてくるのは、あの日陸と一緒にいた犬。確か、ソラだっけ。
「それって……」
「変、かな?」
もしかして、ちっとも似合ってないのかも。私が不安に思ったそのとき、ソラが鼻先で陸を突いた。陸は、うるせぇなと呟きながら、がりがりと頭をかいた。
「あー……その、なんつーか……。に、似合ってるぞ、それ。……いいと、思う」
ぎこちなく言って、私から顔を背けた。口元を手で覆うその顔は、少し赤くなっているような気がした。
そして、私の頬もかぁっと熱くなるのが分かった。




