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軽トラを降りた陸は大きく息を吸い込んだ。後ろから、千代が軽トラのドアを閉める音が聞こえ、土のにおいに煙草のにおいが混じった。夜の畑は静けさに満ちていて、全てが眠っているようだ。
「ばあちゃん、ドライブ行きてーんだけど」
夕食後、唐突にそう口にした陸に、千代は理由を問うこともなく「かまわないよ」と返した。千代の運転する快適さの欠片もない軽トラは、あてもなく町のあちこち走り回った。
人の気配が消えた町は、光よりも闇の色が強かった。それでも、ぽつりぽつりと灯る街灯や家の明かりがわずかながらも夜に対抗していた。
陸は何も言わなかったし、千代も何も聞かなかった。音楽もラジオも流れない車内で、陸はずっと窓の外を眺め続けた。
一時間ほど走って、軽トラはやっと止まった。そこは、千代が陸を最初に連れてきた畑だった。陸が立てた――いや、立てさせられた支柱は、まだ畑にちゃんと立っていた。あの後、キュウリの苗を植え、白いネットを張った。伸びたツルがそれに巻き付いて、黄色い花が咲いている。よく見れば、小さな実もいくつかぶら下がっていた。
「それにしても、こいつはずいぶんとひん曲がってるねぇ。立てたやつに似たのかね」
「初めてだったんだから仕方ねーだろ」
「でも、こうやって立ってるだけ立派さ。こいつがなけりゃ苗を植えたところで花は咲かないし実も生らない。ま、ダメならまた立て直せばいい。夏はまた来る」
顔を近づけると、ぷんと青臭いにおいがする。目の前にぶら下がるキュウリはひどく不格好だ。けれど、自分が育てたのだと思うとなぜか可愛らしく思える。
後ろから伸びてきた千代の手が、下の方にある花をむしり取った。
「おい、何すんだよ!」
「ついた花を全部咲かせてたら、数は採れても中身はひどいもんさ。大事なのはうまいキュウリをつくること。必要なところに栄養がいくように、こういう作業が必要なんだよ」
千代はぐしゃぐしゃと陸の頭を撫でた。煙草の煙が揺れる。
「多少の痛みがあった方が得るものは多い、ってね」
陸は乱された髪を整えると、千代を真似て花をひとつ取ってみた。咲きかけの黄色い花が、陸の手の中で息絶える。
子供のいたずらのような作業が「これから」に影響するなんてとても思えなかった。それでも、陸は一つ、またひとつと花を取っていく。上のほうは取るんじゃないよ、とだけ言って、千代は軽トラのほうへと戻っていった。
陸が人を殴り続けたのは、自分を認めてくれなかった世界への仕返しだった。まるで子どもの八つ当たりだ。
――この子が誰かを殴る理由なんて、そんな立派なものじゃないんだから。
由梨子の言った通りだ。さすが母親、というべきか。
岡嶋を助けたのだって、殴る言い訳が必要だったからだ。
オニと呼ばれたあの日から、誰かを助けようと思って拳を振り上げたことなんかない。
「これじゃ、オニって呼ばれても仕方ねーよな」
陸は、咲けずに摘まれてしまった花たちを夜空に向かって放り投げた。黄色が星に混じって散り、黒々とした土の上に落ちてくる。それはまるで出来損ないの夜空だ。
この手でたくさん傷付けた人がいる。
でも、もし、これからこの手に違う意味を持たせてやれたら。自分が最初に思ったように、誰かを守るために使えたら。たとえオニと呼ばれたって、胸を張って生きていけるんじゃないだろうか。
「乗らないなら置いてくよ」
ブルンとエンジン音が響いて、陸は慌てて声を上げた。
「いま行くからちょっと待ってろって」
「こっちは老い先と気が短いんでね。夜のドライブのあとに夜の散歩ってのも、なかなか洒落てるじゃないか」
運転席からのぞく千代はいたずらっぽく笑っている。
「ちょ、ばあちゃん!」
短く二回鳴らされたクラクションに、陸の声なんてかき消されてしまう。置き去りにされた陸は、呆然と遠ざかるテールランプを見つめるしかなかった。
「マジかよ……」
そう呟きながら、土の上に倒れ込んで大の字になる。空を埋め尽くす星が、陸にのし掛かってくるようだった。
ふと横を見ると、さっき陸が摘んだキュウリの花。拾い上げて夜空にかざすと、わずかに綻んだ気がした。




