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「でも、あのトマトを食ったってことは、お前、境界線越えたってことじゃん」
陸が疑問を口にすると、ハナは少し慌てたように答えた。
「それは、そうだけど……でも、この小屋の中では、ある程度は許容されてるでしょ」
「知らねーよ。だいたい俺は、この山にオニがいるってことも、ちゃんと教えてもらってねーし」
「それなのに、ここに野菜運んでたの?」
そう言われると、陸も返す言葉がなかった。そもそも千代はどうして陸にこの仕事をやらせているのか。その理由も、何もかもが陸にはちっとも分からない。
「この小屋は境界線の狭間みたいなもので、どっちでもない場所。これが床に引かれているのは、ここに来るオニとヒトに見せつけるため、だと思う。私が初めてこの小屋に来たときにはもうあったから、本当の理由は知らないけど」
「お前以外にも、この小屋に来るやつがいんの?」
ハナはふるふると首を横に振った。
「いまここに来るのは私だけ。そう、決まってるから」
そう口にするハナは、心なしか少し寂しそうに見えた。
「じゃあ、明日も会えるかもな」
陸の言葉に、ハナが驚いたように声を上げる。
「なんか、変なこと言ったか?」
「だって、ヒトと会うのは禁止されてる。そっちだってそうじゃないの?」
「でも、この小屋に来るのはお前だけなんだろ? じゃあ、偶然会うこともあるだろ」
千代が何も説明するつもりがないのなら、こっちだって勝手にやったっていいだろう。
けれど、それはただの言い訳で、陸はこの新しい出会いに自分の心が浮き立っていることに気付いていた。
いつもと違った夏になる。その予感が現実になろうとしている、そんな期待が陸の胸を満たしていく。
「そんなの、屁理屈だ」
ハナはそう言って少し笑った。初めて見たその笑顔が、薄い暗がりの中で、きらりと輝いた気がした。
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ソラと一緒に山を下りると、見慣れぬスポーツタイプの自転車が庭先に止まっていた。
「ばあちゃん、誰か来てんの?」
居間に入ると、そこには夏仕様の制服を着た少年が、千代と一緒に座っていた。小さく会釈しながら、千代に問うような視線を送る。
「吉田さんとこのお孫さんでね、隼くん。あんたと同じ歳だよ」
「初めまして」
隼と呼ばれた少年は、立ち上がると陸に手を差し出してきた。やけに芝居がかった動作なのに、それが不自然に見えない雰囲気があった。
柔らかい笑顔、わずかに茶色がかったさらさらの髪、ほんの少し着崩した制服、ちょっといたずらっぽい瞳が魅力的だった。
そこにいるだけで人が集ってくるような、そして、みんなの中心になっているようなタイプ。
俺とは正反対だな。握手を交わしながら、自虐的にそう思った。
「隼くんはあんたが通う高校に行ってるからね、いろいろ教えてもらいな」
「やだなー、千代さん。俺はしがない高校生なんだから、陸に教えられることなんてないですって。あ、陸って呼んでいいかな。俺のことも隼でいいからさ」
「ああ」
人懐っこい笑顔は押しつけがましくなくて爽やかなのに、どこか表面的な印象があった。まるで作り物のようなその笑顔に、陸の心は無意識に警戒を抱く。
「じゃあ千代さん、俺、もう帰りますね。陸も、またね」
隼は慣れたように縁側から庭に出ると、自転車に乗って去っていった。
「あいつ、何しに来たんだ?」
「吉田さんから笹団子のお裾分け持ってきてくれてね。ついでにあんたにも会ってみたいって言うから待ってもらってたんだよ。今日はずいぶん遅かったじゃないか」
「あー……ソラも一緒に連れて行ったからな」
またハナに会ったとは言えなかった。一度目ならともかく、二度目となると、千代も黙っていないかもしれない。
「そうかい。さぁ、せっかくだしお茶でもいれるかね」
千代は、特に不審に思う様子もなく、台所へ向かった。
しばらくは黙っていよう。そのうち、機会を見計らって言えばいい。
「そうだな、そうしよう」
「何か言ったかい?」
「別に!」
慌てて答えると、玄関先に繋いだままのソラを犬小屋へ戻すために外へ出た。
「お前も、内緒だぞ」
ソラにそう言い含めると、ソラはただ小首を傾げた。
隼が持ってきたという笹団子は甘くて、口に運ぶたびにふわりと笹の香りがして、千代の淹れる濃くて苦いお茶によく合った。




