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「オレ」と「キミ」のボーダーライン  作者: 清谷ロジィ
キミとの出会い、それはカボチャとトマト
15/65

 陸がどんなに戸惑っていても時間は過ぎ、夕方はやってきた。

 今日も、いつもと同じように野菜の詰まったカゴが用意されている。昨日まではただの謎の行為だったのに、今はもっと複雑な謎を含んだものになっている。カゴに手を掛けるのを、どこかためらってしまう。

 ワン、ワン! とソラの声。誰か呼んでるみたいだ――という言い訳をして、陸は庭に戻った。


「どうした?」


 問い掛けると、ソラは前足を上げて、クンクンと甘えるように鳴く。


「お前は知ってんの? この山のオニのこと」


 しゃがみ込んで目線を合わせる。ソラはクゥーンと鳴いてぶるりと体を震わせた。知っている、とも取れるし、何のこと? とも取れる。ただソラは、陸が行こうとするとひどく吠えた。


「一緒に行きてーのか?」


 ソラが元気よく一声鳴いた。


「仕方ねーな」


 鎖をリードに付け替えながら、陸は心のどこかで助かった、と思った。

 正直に言えば、一人でこの山に入るのは気が引けた。この山は、陸にとってもう昨日と同じものではない。

 山道に踏み入れた、さく、という足音がやけに耳につく。

 赤いロープが見えた。

 もし――もしも、この境界線の向こうに、オニが住んでいるのだとしたら。今こうして歩いている自分たちのことを、どこかから見ているのかもしれない。


「取って食われる、か」


 現実味のないことではあるが、想像して気持ちのいいものではない。


「襲われたらちゃんと逃げろよ、ソラ」


 しかし、ソラはいつもと違う景色に大はしゃぎで、陸の言葉など耳に入っていないようだった。

 まったくこいつは……。そう思いながらも、その存在がひどく心強かった。

 小屋の前に到着すると、陸はソラを小屋の前に繋いで、そっと扉を開けた。

 中はいつものようにがらんとしていて、床に張られた赤いロープだけが、薄暗がりに浮かび上がっている。空のカゴも、まだなかった。


「まだ来てねーんだな」


 背負ったカゴを下ろして呟いた。そして、足下に這わされた赤いロープ――境界線をじっと見下ろす。

 ヒトと同じかたちをした、ヒトとは違う生き物。

 もしかしたら、この向こうは自分の知らない世界なのかもしれない。それとも――よく知っている世界なのだろうか。

 爪先でそのロープを突いてみると、


「あっ」


 声が聞こえた。はっと顔を上げると、向こうの入り口の格子戸の部分に影が見える。


「誰だよ」


 その影が迷うように少し揺れた。少し間があって扉が開く。そこにいたのは、空のカゴを背負った昨日の少女だった。


「なんだ、お前か」


 見知った顔に安堵して陸が言うと、少女はムッとした顔をした。


「……っ、あんたに、お前って呼ばれる筋合いなんかない」

「俺だって、お前にあんた呼ばわりされる筋合いはねーよ」

「し、仕方ないでしょ。名前も知らないんだから!」

「じゃあお前の名前は?」

「……そっちは」

「お前が名乗ったら教えてやるよ」


 沈黙が訪れた。こうなると、なぜかお互い「先に名乗った方が負け」ということになってしまう。境界線を挟んで、二人は再び対峙した。

 目の前にいるこの少女は、自分とは違うものなのだろうか。爪先から頭までじっくり眺めてみても、陸にはその違いを見つけられなかった。

 違和感を覚えたのは、赤い着物の足下が、陸もよく知る星形のマークが特徴のスニーカーだということだけ。そのソールはなぜかマジックのようなもので黄色く塗られていた。


「あんた、馬鹿にしてるのか。言っただろう、あたしはオニだって」

「それも本当かどうか分かんねーし」


 突然、少女の瞳に怒りが宿った。ぎり、と歯を食いしばると、陸のTシャツの首元をつかむ。その細い手首からは想像もつかない力だった。


「馬鹿にするな、さっさと名乗れ! さもないと……あんたを食ってやる!」


 少女がカッと口を開いた。鋭く尖った犬歯が陸の目に映る。

 ――瞬間。

 ワン! という鳴き声が、陸の背後から飛び込んできた。


「わっ!」


 少女は驚いて陸から手を放すと、バネのような俊敏さで後ろへ飛んだ。

 陸が振り向くと、外に繋いでいたソラが少女に飛びかかろうと、リードをぴんと張らせ、前足を上げてもがいている。小屋に響く威嚇するような唸り声に、少女がわずかに怯えた表情を浮かべた。


「ソラ、大丈夫だ。ありがとな」


 そばに行って撫でてやると、唸り声がぴたりとやんだ。ソラはまだ少女をにらみつけていたが、ゆるりと尻尾を振って「気にするな」とでも言うように、ぺろりと鼻先を舐めた。


「ひ、卑怯だぞ! 一人じゃないなんて」


 少女は、陸とソラを指差して叫んだ。


「卑怯ってなんだよ。お前、犬、苦手なのか?」

「そんなことあるわけ……」


 ソラがもう一度、ワン! と吠えると、少女はびくりと体を強ばらせた。


「大丈夫だって、ソラ。こいつは悪いことなんかしないから。なぁ?」


 陸がそう言って、ちらりと少女を見る。少女は、しぶしぶといった様子でうなずいた。


「で、お前の名前は?」

「う……」

「俺は陸。んで、こっちはソラ」

 陸が名乗ると、少女は虚を突かれたような顔をする。

「ほら、こっちは名乗ったぞ。お前の名前は?」

「……ナ」

「あ?」

「ハナ。あたしの名前は、ハナだ」


 少女――ハナは、消え入りそうな声で、己の名前を告げた。

 オニにも名前があるんだな。こちらから聞いたくせに、陸はそんなことを思った。


「ハナ、か。いい名前じゃん」

「そんなことない」

「そうか? まあ、自分じゃ分かんねぇよな、そういうの」

「それより、あの……」


 ハナがちらちらとソラに視線をやりながら、言葉をにごす。

 陸は、まだ唸りを上げているソラをなだめて小屋の扉を閉めた。騒がしかった小屋が、急に静まり返った。


「なんだよ」

「き、昨日は、その……悪かったなって」

「昨日? ああ、トマトのことか」

「……ちゃんと、食べたから」

「え?」


 よく見れば、扉にわずかに跡を残してはいたが、昨日確かにへばりついていた二つのトマトが消えていた。


「お前、あれ食ったのか!?」

「え?」

「あんなの食ったら、腹壊すかもしれねーだろ。やめとけよ」


 そう言いながら、陸は目の前の少女が、普通の人間ではないのだと思い当たる。


「大丈夫だった。その、美味しかった」

「そっか。あー……俺も、その、怒鳴ったりして悪かったな」

「別に、いい」


 二人の間に、再び沈黙が訪れた。しかし、今までの張り詰めたような沈黙ではなくて、どこか柔らかい沈黙だった。

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