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「ばあちゃん」
陸が山を下りたとき、千代は縁側で煙草を吹かしていた。
「おや、お帰り」
「俺、会ったよ。オニってやつに」
「そうかい」
煙を吐き出しながら、千代はゆるりと陸に視線を向けた。
「どうだった?」
「トマト投げつけられたから怒鳴りつけてやった」
千代がおかしそうに笑い声をあげる。立ち上る白い煙が揺れた。
「そいつは傑作だね。向こうも驚いただろ」
「知らねーよ。そのまま帰ってきたから」
「あぁもったいない。怒鳴りつけた相手の顔を拝まないなんてね」
我が祖母ながらすげぇ趣味してるな。楽しそうに笑っている千代を見て、陸はそう思った。
「で? 何が聞きたいんだい?」
「聞きたいことしかねーよ」
「そりゃそうだ」
千代はもう一度、声を上げて笑った。
「あいつ、自分のことオニだって言ってたけど、普通の人間みたいだった」
「別に、オニって言っても、あんたが想像するみたいに、角が生えてて金棒を持って虎のパンツってわけじゃないのさ。あいつらは、ヒトと同じかたちをした、ヒトとは違う生き物。それだけさ」
ヒトと同じかたちをした、ヒトとは違う生き物。
――やめてよ、鬼沢くん。
聞こえてきた声を振り払うように陸は大きく頭を振った。
そんな陸を横目で見ながら、千代は短くなった煙草を灰皿に押し潰し、新しい煙草に火を点ける。ふぅっと宙に息を吹くと、白い煙が舞い踊るように現れて、消えた。
「あたしが生まれるずぅっと前から、あいつらはここに住んでたんだと。自分の生まれる前のことなんざ、興味もないから詳しくは知らないけどね。ただ、あの境界線はヒトとオニの契約なんだ」
「契約って?」
「オニはあの境界線を越えてこちらにはこない。その代わり、ヒトは衣食住に必要なものを提供する。ヒトも、あの境界線を越えてやつらの領域に踏み込んではいけないってね。そして、ヒトとオニは関わりを持たない。それが契約であり、絶対に破っちゃいけない掟なのさ」
掟。千代は、以前にもその言葉を口にした。掟、決まり、ルール、言い方はいろいろあるけれど、共通しているのは、それらが破られたときには罰則があるということだ。
「それって、破ったらどうなんの?」
「まあ、見張られてるわけじゃないからね。バレなきゃどうってことはないだろうけどね。でも、もしバレたら、取って食われるかもしれないよ。今度から気を付けるんだね」
千代は脅すように言って、にやりと笑う。
先ほど小屋で会った少女の姿が思い浮かぶ。あの少女が人間に食らいつく姿なんて想像もできなかった。あのときつかんだ腕は、驚くほど細くて、ほんの少し力を入れたら折れてしまいそうだった。
そういえば、陸ですら苦戦するあのカゴを、あの華奢な少女が背負えるのだろうか。
「それより、あいつらの存在は、この町でも限られた者しか知らないんだ。べらべら喋って歩くんじゃないよ」
千代の言葉に、陸は引っ掛かりを覚える。
「他にもオニのこと知ってる奴がいるってこと?」
「あたし一人で、あいつら全員を養ってやれはしないよ。まぁ、それもいつまで保つか分からないけどね」
そう言って千代は煙草を消した。
「さてと、すっかり遅くなっちまった。夕食の支度をしないとね」
これ以上はもう話す気はない、というように、台所に引っ込んでしまった。
縁側に座り込んだ陸に、ソラが遊んで欲しいと近寄ってくる。だが、陸は立ち上がる気になれなかった。
自らを「オニだ」と名乗ったあの少女を思い出す。鮮やかな赤い着物をまとった少女。
ヒトと同じかたちをした、ヒトとは違う生き物。
それは、あの日――初めてオニと呼ばれたあの日に、陸がなってしまった「何か」と同じ気がした。




