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微妙な妙子  作者: 昇新太
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身勝手な納豆

妙子は疲れていた。

帰宅中の電車の中でぼーっと考え事をしていたら、最寄駅とは反対の路線に乗ってしまい挙句の果てに終点まで行ってしまったからだ。普通なら会社から家まで通勤40分のところ、プラス30分も余計にかかってしまった。

うっかりにも程がある。

玄関のドアを開けると誰もいないのについ「ただいま」と言ってしまうのは習慣のせい。いわゆる当たり前のことを口に出しておかないと、ひとり暮らしの生活は対人の処世を忘れてしまいがちだ。

ひとり暮らしが長いと他者に対しての配慮をしなくなる。

食べ物をわけっこ、一緒に歩く歩幅、お風呂に入る時間、出かけるまでの準備の時間、ひとりは自分勝手に自分のペースで生活できるが、相手がいると相手に合わせるということが必要になる。その相手に合わせるができなくなるというか、そういう項目が念頭から消去されるのだ。


人間の脳の記録に書き込める情報量はしれている。妙子の記憶容量などSSDに例えればせいぜい360GB程度だろう。

記憶容量といえば昔、海外のサイバーパンク映画で脳に埋め込まれた記憶装置に情報を記録する運び屋の物語があった。その記憶容量が確か160GBだったはずだ。妙子の自覚記憶容量より少ない。160GB。たったそれだけ?今なら笑い話だが、映画公開当時は斬新なSFで可能性にあふれていたように思う。

まとめると脳の記憶は有限であり日常生活に関わる記憶優先順位が自動で振り分けられ、あまり使わない行動記憶は忘却の彼方へ、ということだ。妙子の場合はそこに他者への配慮が含まれてくる。


こういう弊害は久しぶりに会う友人と何かを一緒にする時に現れたりする。

なんせ日頃会話をする相手がいないものだから、会話のキャッチボールがうまく行かない。喋り過ぎか、相槌を打つのを忘れるか、ひどい時だと言葉自体が出てこない。

歳を重ねる毎に、友人たちは家庭を持ちそれぞれの生活に追われ距離が空き、同じ感覚で過ごすことが減っていき、尚更会話の機微がわからなくなる。

せめて「ただいま」くらいは口に出して、文化的生活をしていると自覚したい。


妙子は手を洗い、部屋着に着替えて冷蔵を開けて納豆のパックを取り出す。

帰宅に余計な時間がかかった為にご飯を作る元気もない。せめて納豆ぐらいは食べて腸内を健康に保とうという悪あがき。納豆をパックのまま口当てて掻き込めば1分もたたない。腸活といいながらよく噛みもせず、意識低い系を邁進中。

ベッドの縁にもたれて手前に置いてあるローテーブルの上に置きっぱなしの大きめタブレットでSNSを眺める。スマホは画面が小さくて目が疲れるのだ。

政治的意見、ペット画像、簡単ずぼら料理、明らかに嘘っぽいネタ系、世の中の雑音がタイムラインに流れてくる。

妙子はよく噛みもせず喉に流し込んだ程度にしか興味がないのに、さも愛してるかのように納豆についてSNSに語ってみる。


ふと食べた後に匂いがきつくなるパックについた納豆の糸のようにねばついた気分になる。

どうでもいいのだ、本当は。世の中のことも、自分のことも。それでも生きるということに貪欲な部分が。

世界中で起こる悲惨んなニュースを目にすると自分はたいそう恵まれているように思うし、感謝しないといけないとも思うし、事実、低いながらも収入のある仕事があり、欲しいと思えば食べ物もすぐ手に入り、雨風しのげる家も服もある。暴力を振るう夫も嫌味を言ってくる姑もいない。仕事以外の残り時間は全部自分のものだ。

感謝しないと「いけない」は無自覚からの自覚である自分への呪い。

生活ができる程度に物質的にはさほど困っていないのが恵まれているということなら、この何かが足りないと思う空虚な気持ちは贅沢なのだろう。そうして何か満たされていない事の不満に蓋をする。


なんだか、ねばねばする。

妙子は立ち上がって歯を磨きに洗面台へ向かった。

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