第二話「記憶にございません」3
ドッカが部下へ振り返った途端、視線の外に何かが閃光の様に走り抜ける。それはカールを突き抜けて行ったかのように思えた。
「ぐあっ!」
何処からか悲鳴が上がった。氷の槍は老婆を引き回していた兵士の肩に突き刺さり、肩当てがべこりとひしゃげる音がした。
潰れた鉄は貫通したのか裂けており、まるで凍土で長い時間晒していたかのように霜がこびり付いていた。
「馬鹿な、どういう威力だ……」
何処からともなく聞こえた一言はその場の全員の言葉を代弁したようで、それきりその場の全員が押し黙る。
馬鹿な。
今日もこう呟くとはドッカも予想しなかった。
いや、予想したくなかった。あり得て欲しくなかったのが本心だ。
「カール……?」
「うぅ……」
恐る恐るカールに視線を向ける。ドッカはまさかとは思ったが、嗚咽を漏らしたのを聞いたことで、幸いにもカールが生きていたことを悟る。
しかし、勇ましき武人であるその男は呻きを上げて、ただ立ち尽くしていた。
ややあってカールは震える手で右の頰を撫でた。閃光が走った一瞬から頰に熱いものを感じていた彼は、手にべっとりと血がついていることに気が付く。氷の槍が掠っただけにもかかわらず、カールの頰は皮がべろりと捲れる程に裂け、剃刀で切ったかのように血が流れていた。
そこで初めてカールは自分が攻撃が来ると読んでいながらも、何一つ反応することが出来なかったことを実感した。
「何をしたんだ、奴は」
絞る様にそう呟くと、亮哉は淡々と言い放った。
「アイシクル・スピア」
彼の口から放たれた言葉は水の精霊の力を借りて発現する氷の槍を飛ばす魔法である。
しかし、その場にいた誰もが亮哉の言葉に戦慄した。
通常、アイシクル・スピアという魔法は鏃のような大きさの氷柱を鋭く尖らせて飛ばすだけのものである。対して亮哉が放ったものはショート・スピアの穂先程の氷柱がランスの様に形成されたものだった。
「あれがアイシクル・スピア?」
「違う魔法みてぇだ。威力も練度も何もかもかけ離れている……!」
傷付いた仲間の姿を見て、今や兵士達はすっかりと戦意が失せていた。
「ドッカ……。奴が魔法使いだという報告はなかったぞ」
「昨日は、あの蛍火のような光を使って剣を召喚して戦ってたんだ」
「だったら奴は魔法剣士とでも言う気か!」
「目の前の光景が全てだ!今魔法を使ったってことは魔法剣士ってことだ!」
「偉そうに言っている場合か……!」
カールは冷や汗と血が混じったものを顎から滴り落ちるのをやけに生々しく感じ取った。
ドッカは無骨で大雑把な人間だが、一方で嘘を吐くことはない。彼が見たことがないと言ったのならば、実際に昨日の夜に亮哉が魔法を使った事実は無かったのだろうとカールは悟った。
だとしたら、この少年にはどれほどの戦術の引き出しがあるのだろうか。
カールはショート・ソードを構え直した。大雑把な性格の同僚が油断をして負けたのではないか、という勝手な憶測を捨てるべきだと心の中で強く自分自身を叱責した。
すると、カールから鋭い闘気が溢れるので、亮哉も冷たい殺気を放ったまま注視する。
「斬り合いが好みか、カール・ヴィンス。この村で無駄な血は流させない」
「ふん、斬り合いだと? だとしたら、丸腰の貴様はお得意の召喚とやらを見せてくれるのかな」
カールは自嘲気味に言う。剣に限らず、何かを召喚するというのは非常に高度な魔術というのがこの世界の一般的な常識とされている。
何処かでまだ、亮哉がそのような高度な力を持っていることに疑問を抱いていた。
「ならば見せてやろう。幸い、使い方は体が覚えているみたいでな……!」
今やベールと言うよりは亮哉の周りをオーロラめいて揺蕩う緑光が再び亮哉の右手に集約されていく。緑光が一つの魔力の塊として肥大していく中で、その形はどんどん一つのショート・ソードのように形成されていた。
「そうか、あれは……。あの蛍火のような光一つ一つが魔力なんだ。奴は、自身の魔力だけでなく、周囲の自然に宿る魔力もああやって自分の元にかき集めているんだ」
「だからこそ、アイシクル・スピアの威力も上げられたし、ああやって召喚魔法に使えるほどの魔力を集めることも出来たのか!」
二人は思わずゾッとした。
あの力があれば法術さえ理解していればあらゆる魔法が使えるのではないか。
自身の魔力量や練度で魔法使用の可否を考えなくてもいいと言うのはこの世のあらゆる魔法使いの常識を覆すことになる。
しかし、亮哉は外れと言わんばかりに小さく笑うばかりだった。
「召喚……ね。それは少し僕の力を誤解しているようだ」
見れば亮哉の手に集まった魔力は既に剣のシルエットを作り出し、鮮やかな緑の光がより強く輝いていた。
「<精霊の落書き>」
そう呟くと蛍火は霧消し、亮哉の手元には焔を体現したかのような刃を持つショート・ソードが残されていた。
それを掴むと足下へ振り払う。その軌跡では火が燻り、陽炎のように空気を歪ませた。
「これは召喚じゃない。僕の能力は魔力で形成したものを実体化することが出来るらしい。これも、僕の力の一つの表れか……」
「召喚じゃなくて、実体化……?」
「高等魔法という次元ではない……。一体どこでそんな力を……」
戦慄するカール達だが、対して亮哉は暫く考えたのちに自嘲しながら返す。
「悪い、真面目な話何も覚えていないんだ」
「あ?」
眉が吊り上がるカールの様相に、申し訳なさそうな顔を浮かべながらも飄々として返してみせた。
「ショックか分からないんだけどさ、色々記憶を失ってしまったみたいで」
「一体何を言って……」
「だから言ったろ。自分のこと覚えていないの。記憶にございません」
「ふざけろよ小僧……!」
言い終わらない内にカールは前傾した途端に亮哉目掛けて肉薄する。その速さはまるで猛獣が狩りをする時と見まごうほどであった。
ショート・ソードが届く程の距離まで詰め寄ると、大きく踏み込んで姿勢を限りなく低くした状態で心臓に向けて鋭い突きを放つ。その尋常ではない速さに誰もが動けずにいた。
−−たった一人を除いては。
体を突き刺す水々しい血が混じった音が響くことはなかった。
その代わり、剣がぶつかり合う時の重い金属音が周囲に木霊した。すんでのところで亮哉が召喚した剣がカールの放った切っ先を弾き、鍔迫り合いの形を取っていたのだ。
「いい速さだな。並の兵士ならここで終わっていただろう」
「なっ……。私の速さに反応しただと?」
亮哉は払い落とす勢いでカールの剣を受け流すと、カールが体勢を崩すのを狙ってその脇腹に蹴りを入れた。
通常なら鎧を着ているカールにはさほどの痛みはないはずであったが、亮哉の蹴りは自身の想像を超える程重い。鎧が反響すると共に脇腹から全身にかけて重い衝撃が走る。
カールが転がる中、鍔迫り合いの間に忍び寄っていたドッカがハンドアックスを両手に亮哉の頭部に思い切り振り下ろす。
しかし、その一撃もすんでのところで姿勢を変えただけで避けられる。その時の動きに合わせて反転した亮哉は、そのまま裏拳をドッカの側頭部に叩き込むが、咄嗟に腕を振り上げて防御姿勢を取ったドッカに防がれる。
尚もショート・ソードを逆手に持ち替えてドッカの左足の鎧の隙間に突き刺そうとするも、その動作を読んだドッカは慌てて亮哉から跳ね退いて距離を取った。
「こ、こいつ……。戦い慣れていやがる」
「お前、絶対記憶喪失とか嘘だろ!」
地面に転がった状態のまま、カールとドッカから罵声が上がる。対して亮哉は困惑して頭をぽりぽりと軽く掻いた。
「いや、本当に記憶にないんだけどな……」
「おのれ……。尚も白を切るつもりか……」
怒気を孕んだ唸り声を上げるカールはすぐさま立ち上がると亮哉をドッカと挟む形になるようにゆっくりと摺り足で回り込む。亮哉も完全に背後を取られないように二人を両側に見えるように体勢を立てた。
ドッカが踏み込もうと足を出し、それに合わせてカールが歩を進めた時だった。
「う、動くなぁ!」
突如診療所の方向から声が聞こえた。それはカール達の部下と思しきラースレイムの兵士だった。男はサーベルを抜いた状態で腕の中にいる少女の首に刃を当てていた。腕の中にいる少女はすっかりと顔が青ざめた美咲であった。
「この女、貴様が昨日わざわざ助けたんだったよな。今度こそ殺されたくなければ抵抗するなよ。さっきみたいに魔法を放てば盾にするからな……」
男は美咲にべったりと張り付き、顔以外が美咲で覆い隠されるように彼女を前面に押しやる。美咲は青ざめつつも、首を横に振った。
「亮哉さん。私、後悔しませんから……。諦めないで……」
その光景を目の当たりにしながら、先程まで命のやり取りに躍起になっていた男達は憤慨した。
「その女、やれるもんならやってみろよ。でもな……、その代わりお前生きたままベコベコにしてやるからな……」
「なんと情けない……! 貴様、相手が相手とは言え戦鬼兵が二人も揃っているのに我々が人質が無ければ戦えないとでも言うつもりか!」
「貴様の行為は我らがアルビオン隊をも愚弄しているぞ!」
亮哉だけでなく、カール達も怒鳴り声を上げたことに男は一瞬戸惑うも、すぐに得意げな笑みを浮かべた。
「へへ、カールさま。ドッカさま。叱責なら後でいくらでもお受け致しますよ。それよりも今はこの得体の知れない蛍火の男を倒すだけです……!」
「お前……。少しでも傷をつけてみろ。最後に街のど真ん中で付いた傷の分だけ生きたまま内臓ほじくり出してやるからな……」
「へっ、やってみろよ。仮にここで負けるとしても、この女、二度と抱きたくならないような体にしてやる。動くんじゃねぇぞ」
男は美咲の太ももにサーベルの剣先を向ける。くっきりとしたラインシルエットを醸し出す彼女のジーンズ越しの脚に刃が触れると、美咲はくぐもった嗚咽を上げながら身動ぎした。
その時だった。
「へぇ。動かなければいいのか」
カール達の背後から声が聞こえたかと思えば、突如乾いた破裂音が辺りに響いた。
次の瞬間には美咲に張り付いていた男の頭部が爆ぜ、その勢いで眼球が眼下から飛び出さんばかりに盛り上がる。頭に血を浴びながらその光景を真横で目撃していた美咲は小さな悲鳴を上げると、男の支えが無くなったことでその場にへたり込んだ。
突然の出来事に呆気に取られた亮哉達は声の方向へと振り返る。そこにはコルト・パイソン45口径を右手に構えたレナードが立っていた。リボルバーの銃口から消炎を吐き出したまま、今度はカール達の方向へ向き直り冷淡に吐き捨てる。
「戦のことも理解していないバカの次は女子供を人質に取るクソ野郎の集まりか。ラースレイムも人材豊富で何よりですね」
「何、貴様……」
カールが口を開いた途端、レナードは腰だめに銃を構えると、空いていた手を撃鉄に添えて立て続けに発砲した。手で撃鉄を忙しなく起こし上げると、引鉄が引かれたままにシリンダーが回り続ける。銃声がまるで長い咆哮の様に木霊する。
その動作に反応することもなく、呆気に取られる中で背後から男達の悲鳴が聞こえた。振り返れば、レナードの登場に伴って加勢しようと走り出した自分の部下達が血飛沫を上げてその場に崩れ落ちていたのだ。どれも皆頭が割れた果実の様に崩れているのを見て、一目でもう息をしていないことを悟る。
カールははっと息を呑み、レナードの次の動作に注視しようと振り返る。そこには鉄の塊を右手に握り、自身へと向けているレナードの姿があった。その手にあるのはSIG SAUER P226。カールはその道具の正体を知ることは出来なかったが、先程までとは違う道具を握っているということに気付くことが出来た。
それがわかった途端、考える間もなく全力で走り出した。とにかくこの街を出なくてはならない、そう感じているかの様な走りであった。ドッカや他の兵士達もその姿を見て続こうとするが、カールの速さに体が追いつくことはなかった。
「流石に何度も逃すと思っているのかよ」
レナードの右手の人差し指が僅かに動く。引鉄を静かに引く瞬間だった。
「やめてください! 亮哉さんに当たってしまいます! 彼は……ラースレイムじゃ……」
美咲が急に叫んだ。その言葉に邪魔をするなと言わんばかりに睨みを利かせるレナードだったが、美咲を見て突如目を丸くした。
「あ、明日香……?どうして……」
レナードは銃を思わず地面へと下げてしまう。その一瞬の隙があったのか、ドッカ達も続いて街の外へと殺到していった。
退散していくラースレイムの兵士達だったが、その後姿にとどめを刺そうとしたレナードに対して、亮哉は追うこともなくただ見送るばかりであった。
それよりも、美咲のことを助けてくれた同じ髪色のか細い少年の事が気がかりであった。
「明日香、一体どうしてこんな所に来ているんだ。それに、その髪色は……!」
「おい、美咲のこと助けてくれたのはありがたいけど、いきなり怯えてる子に詰め寄るもんじゃないよ」
美咲を助け起こそうとしつつも掴みかからん勢いのレナードを窘めようとするが、対してレナードは美咲を見て冷静さを欠いているかのようであった。
「明日香は俺の同僚で……仲間なんだ! こんな所に本来いる筈じゃないのに……。お前こそ、明日香とどう言う関係なんだ?」
亮哉を振り払おうとしたレナードの姿に、美咲ははっと息を呑む。
その腕におずおずと手を添えて亮哉を庇おうとし、上擦った声で叫んだ。
「貴方、レナードって名前ですよね!?」
「何? 一体どうしてそんな質問を今更……。ひょっとして違うのか……。でも、どうして俺の名前を……」
レナードが動きを止めた事に安心して、美咲は捲し立てるように続けた。
「明日香って名前で私に似ているって事は……。間違いないです! 明日香って人は、私の母です!」
「は、母ぁ!?」
急にレナードの顔が張り詰める。そして美咲はレナードに対してとどめを刺す一言を発した。
「そして、貴方がレナードなら……。私は、貴方の娘です!」
美咲に仲間の面影を見たレナードに、美咲から重い事実が突き付けられる。
年頃の少年と同い年の娘。
決して巡り合うはずのない因果が交錯する時、世界に新たな戦火が訪れようと燻りだす。
煙に巻かれてはい出てくるのは、血と泥で出来た沼から這い出るおぞましい悪意。
次回第三話「お義父さんと呼ばないで」