第一話「俺の財布返せよ」2
「やっぱ一文無しじゃあ何も出来ねぇなぁ……」
レナードは肩までかかるアッシュブロンドの髪を力無く垂れ流す。活気が溢れる街道の端に構える小さな屋台のカウンターの上には、小さめの深皿に注がれたオニオンスープがほんのりと湯気を上げている。
しかし、スープとは対照的に懐が寒々しく、浮かない顔つきでスープを口にするべきか悩んでいるかのように眉を顰めた。
「イチモンナシってなんです?」
「いや、気にしないでください。さっき言った通り、俺には今金がないんです……」
ため息混じりに一言、およそ店のテーブルで料理に対面しておいて言う台詞ではない。
レナードにも自覚はあったが、只事ではないと察した店主はカウンター越しからに食事を薦めた。
「何かよくわからねぇけどさ。別にスープもサービスでいいよ。肉を提供するまで、それ飲んで待っててな。それにしても、お金がないなんて何かあったんですか」
店主はいつまでも沈んだ調子の少年に心配そうに見つめながら丁重に肉を刻んでいく。だらしなく伸ばした顎の髭の間から白い歯を覗かせて、少年の事情を聞きたいとうずうずさせた。
「この村の近くで、野盗に襲われたんですよね。撃退したんですが荷物を馬車ごと燃やされてしまいまして……。ついでに持っていた財布も焼かれてしまい……」
「この近くで野盗かい? 不思議だな、この村の周囲一帯は国境近くに住まわれている貴族様が管轄している土地でな。その貴族様の管理はよーく行き届いているから、野盗なんて滅多に見ないもんだけどねぇ」
はてと惚けた顔で店主は視線を空へ泳がせる。賊なんて見る機会がないと目で語っているかのよう。その様相に疑問を覚えたのか、一方でレナードは小さく首を振る。
「滅多に見ない割には装備がよく整ってましたよ。プレートメイルやらでしっかり武装して。中には肩当てをワインレッドに染めたりしちゃって」
葡萄酒色かぁ。
思い出しながらそう呟き、オニオンスープを掬いながら一口啜る。もう済んだことですとあっけらかんと呟くが、店主はその言葉に眉を顰めた。
「えっ、なにそれ。兄さん……。今、葡萄酒色の肩当てって言ったか」
「え、まぁ、そうです。全員がそうではなかったですがね。何か頭領げな野郎だけがそんなもの付けてました」
店主の顔が見る見るうちに青ざめていく。
「そ、その人達どうしたのですか」
「2度と強盗出来ないようにしてやりましたよ。一人だけ無事に返しましたが……。まぁまた強盗するにしても俺は狙わないようになるでしょうね」
その途端、静寂が場を包んだ。
言葉がまずかったか、とレナードは眉間に皺を寄せた。直接的な表現を避けたつもりではあったが、先程の喧騒から暴力に過敏になっている店主達に感じとられたのではないか。営業として失格だと瞬間に反省した。
「それ、ラースレイム帝国の兵隊なのでは……」
「確かにそう言ってましたね。どこの田舎かと思って聞き流してしまいましたが」
レナードは笑い飛ばした。笑った勢いで場を誤魔化そうといった乾いた笑いだった。
しかし、店主を始め、その場にいる誰もがしんと静まり返ったままだった。
流石にレナードも真顔で店主を見つめる。
「まずかったですか」
「ラースレイムを知らないんだね、お兄さん」
店主の声は心なしか震えている。
「ラースレイムっていうのは、この大陸で幅を利かせている帝国のことで、この街が存在するグラスフェリア王国以西の国は帝国におおよそ征服されている」
「でも昨日俺と御者を襲ったのなんてそんな大それた軍隊の人間とは思えないほど、低俗で野蛮な人間でしたよ」
「帝国軍も領地を拡大しては兵力を増強してますから、それで中にはゴロツキみたいな連中もやってくるのでしょう」
そんなもんかね、とレナードはとぼけた返事をした。
「そんなもんですよ。この国の軍隊はきっちりしてますけど、帝国やここの隣国の軍隊なんて結構野蛮な連中が多いって噂されてますよ」
「隣国にまで出征した時は食料調達のために野営地となった場所近隣の村で略奪の限りを尽くしたとも聞いているしね」
やはり現場の情報は地元の住民に聞くのが早い。ラースレイムはこの街から離れているとは言え、現地の周辺国の情勢を掴む耳の速さはレナードのようなよそ者では及びもつかない。
どの組織でも人格者もいればモラルが酷く欠落した人間もいる。そのことは分かっていても、現実その組織にどちらの人間が多いのかはその目で確認した人間でないと難しいだろう。
結局のところ、不確かではあるものの興信所などがないこの世界では人からの伝聞が一番の判断材料になる。
店主や他の客たちの口から次々と溢れる悪評に、思わずレナードは肩を竦めた。
「へぇ。よくやるもんだね。しかし、その割にはここは平和ですね」
「さっき貴族様の話をしただろう? 貴族様が率いる騎士団は素晴らしく強く、帝国軍も大っぴらに攻め入ることは出来ないんだ」
「だったらその貴族様が守ってくれるのでは?」
「騎士団を呼ぶのに、公領に向かうまでは馬で半日ほどかかる。あんたの話が本当なら、奴らはまだこの街の近くにいるはずだ。そしてきっと、足の無くなったあんたを探すはず」
「すると、徒歩で移動できる距離にあるこの街が潜伏先として疑われるというわけだ」
「そうそう……って!」
店主をはじめ、レナードを囲むように全員が語気を荒げた。
「冗談じゃない! あいつら帝国軍の威光を傘に、殺人略奪強姦なんでもありなんだぞ!」
「きっとあんたを探しているって言いながらこの街で暴れるつもりだ!」
「貴族様を待つ間に奴らに嬲り殺されるのがいいオチだ。俺達死にたくねぇ!」
半ば狂乱気味に店主や住民達が叫んだ。レナードに掴みかかる者、頭を抱える者、その場にへたり込む者、青ざめたまま何かを呟く者、頭上で手を結んで空へ祈る者。反応は一人一様であったが、皆帝国を恐れている様子であった。
住民達の姿にレナードはその意味をはかりかねたのか一度首を傾げたのだが、すぐに不敵な笑みを浮かべて自らの胸ポケットに手を突っ込んだ。
「だったら、この街を守る自警団として今日俺がまた奴らをシメたらいいわけだ」
「それが出来たら苦労はしねぇよ! そもそもあんた一人で帝国軍を追い払えるなんて思えねぇ」
「帝国軍をどうにかできたのなんて、どうせ何かのマグレだろ? 何度も通用するとか自惚れてるんじゃねぇのか小僧!」
ひょんな提案に喧々轟々とする店主と住人だったが、レナードは眉一つ動かさない。
深呼吸を一拍。
凛とした表情を作ると、静かながらもはっきりとした口調で店主達を諭す。
「俺はこう見ても兵士だ。メシの礼だ、帝国の襲撃があっても俺が全て追い払ってみせる」
あまりにも自信に満ち溢れた発言だった。
住人達は怪訝そうな顔を浮かべたが、店主はレナードの目を見て思わずはっとした。
先程店で男達と喧嘩した時に見せた目と同じ、殺意を孕んだ氷のような目つき。
震え上がった店主は腕を組み、小さく唸るとレナードに同調する。
「ううむ、たしかに。この兄ちゃんなら帝国軍に対抗出来るかもしれないな」
「ちょい、オヤジさん。それ本当に言ってるんですか!?」
「昨日の夜に襲われたんだったよな。だったら昨日はどうやって奴らを追い払ったんだよ!」
抗議の声が再び殺到すると、店主はその声を諫めて、レナードに向きなおった。
「兄ちゃん。さっきの手際の良さからして、アンタ結構強いんだろう。だからこそ教えてくれ。俺達は不安をどうにかしたいワケよ。アンタの強さを担保にしたいわけ」
その言葉に思わず住人達は眉を顰めた。ただ単に腕っ節が強いだけの素行の悪い輩をあしらうのと、大陸中で悪い噂の絶えない軍隊の人間を相手にするのとでは訳が違う。
相手の程度の差を考えたら分かるはずなのに。
何を血迷っているんだと言わんばかりの目線を向けるだけの、ささやかな抗議を続けていた。
店主はその抗議の目線に気付いていないのか無視を続けるが、レナードはいたたまれなくなったのだろう。諦めたかのように肩を竦めて分かりましたよ、と二回呟く。
「あなた方がその帝国とやらにどれだけ恐れを抱いているのか、なんとなくですが察しました。ご心配をおかけしますが、きちんと追い払うくらいやってみせますよ」
随分と慣れた口調であった。
レナードは仕事柄自分の腕には自信があったが、自分を知らない他人からすれば少し高身長なだけの精悍な顔立ちをしたただの少年だ。それに身長が高い分筋骨隆々であるわけでもない。言ってみれば優男に見られることも多い。
故に、仕事で依頼先に出会うたびに怪訝そうな顔をされるのはしばしばであった。中には大丈夫かよこいつでなどと言われる事もあったが、そういう時に表情を曇らせる事も自分の実力をアピールすることも無く、仕事を笑顔で引き受ける。
それが彼の流儀であった。
実際、口を上手く動かしたところで不信感が拭えるわけではないと考えてのことだ。
「なんなら、彼らが来たら私をすぐ呼んでいただけたら幸いです。たまたまここに泊まっていただけとわかれば、彼らも自分に矛先を向けるでしょうし」
「しかし、この街もとばっちりを受けるかもしれない。それに、今は戦力がないんだ」
「そうだよ、この街の自警団も所詮治安維持の為のものでしかない。帝国とやり合う為の戦力と考えたら心許ないよ……」
「いくら兄ちゃんが強いからって一人では……」
レナードは小さく笑い、振り払うように手を振った。
「いや、問題ないですよ。いくら戦力が多かろうと、俺の前では数の違いなど無意味です」
「どこからその自信が……」
自信満々の優男に向かって苦言を呈そうとしたが、住人の言葉は悲鳴にも似た叫びにかき消される。
「大変です!この村に向かって何処かの部隊が向かって来ている!王国軍ではない……」
見れば商人らしき男だった。この街にやって来たばかりなのだろう、荷馬車を引く事もなく大慌てで馬車を乗り入れて来た。余程焦っているのか、馬車は減速する事なくスピードを上げたままだ。
「葡萄酒色の肩当てをしている。ラースレイムだ!」
そう叫ぶと男は何度も喧伝しながら街路を疾走した。後に残った住人や商人達からどよめきが上がる。
「早速おいでなさったか」
「兄ちゃん、はぐらかしてるね」
自信満々の顔で立ち上がるレナードは店主のぼやきを受け流して荷馬車が来た方向へ向けて歩き出す。
「数がどうたらって言ってたけど、どうやらそれ程多くないらしい。小隊程度の規模みたいだ。俺の敵じゃない」
「何で分かるんだ……?」
レナードはその言葉すら無視した。
しかし、それは悪意あってのことでなく、仕事柄話したくないものであった。
「さて、それじゃ数じゃないって言った理由と根拠を今から見せてやるよ」