第四話「僕がここにいる理由」1
リアルの体調と諸事情でしばらく投稿できてなくてごめんなさい。
また投稿していくんでよろしくです。
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地下牢
「変だ……。やけに冷たい。ここは……?」
亮哉が目を覚ますとそこは石造りの部屋の中だった。湿気が高い部屋自体は灯りもほとんどないことからどんよりとした雰囲気を醸し出している。じっとりとした地面は砂地が濡れており、寝そべったそばから泥が肌に張り付き、強い不快感を与えていた。
「なんで僕はこんなところに……。でも、おかしい」
そこまで言おうとしたところで亮哉は気付いた。
周りの状況が掴めない中、小さく呟くだけのつもりであったが、全く声が出ない。それも喉が枯れるなど声が出なくなっているわけではなく、何か強い力を以ってまるで声帯を奪われたかの如く呼吸音しか漏れ出てこない状況である。呟いているつもりで蚊の鳴くような音を漏らすのが精々だった。
「声が出ない、何なんだ。美咲さん、レナード……。皆は?」
周囲を見渡そうと顔を上げようとするも体すら動かない。
そこで亮哉は察した。これは夢だと。
しかし、その夢はあまりにも生々しく感覚に鋭敏に語りかけていた。
「ひょっとして、これは僕の過去に関するものなのか……?」
そう悟ったところで、不意に視界の端にこの部屋の状況を伝える手がかりを見る。部屋そのものには無かった松明が部屋から続く廊下にほんの気休めのように一つ灯っている。
かろうじて目だけ動かすと廊下と部屋を隔てるものが鉄格子であることに気がつく。ここは牢屋なのだと察すると、この空間の劣悪な環境にも合点がいった。
場の状況が掴めてくると、次に亮哉の胸中に湧き上がってきたのは恐怖心だった。記憶を無くす前の自分は犯罪を犯してしまったのか。何故罪を犯すことになったのか。自分が何をしてしまったのか。嫌な考えが脳裏を駆け巡る。
仮に体が動けば今頃震えているのだろうか。
息がどんどんと荒くなる中、松明がわずかに照らす廊下の奥側から何か人影のようなものがゆらめいたのを亮哉は見逃さなかった。
「誰だ……?」
牢屋にわざわざ足を踏み入れるということは看守だろうか。それか罪人に面会の用事がある人間だろうか。
もし、それが自分自身に用事がある人間だとしたら。
亮哉は固唾を飲んで人影を注視する。
揺らめく人影が二人分存在することに気が付いた時、廊下の向こうから声が聞こえた。
「織部亮哉はここにいるのか?」
自分の名前を呼ばれた途端、肩が跳ね上がるような悪寒が走る。
声の主はその声色からして若い男のようだった。彼は自分が聞いていることに気付いていないのか、そのまま話を続ける。その問いに応えた者もまた、若い男の様であった。
「はい、先の作戦で心身共に傷付いたのでしょうか。ここに連れて来られるまで放心状態だったのですが、正気を取り戻した途端に暴れ始めたものですから、とりあえず死なない程度に痛めつけてあるらしいです。また、我々の計画のためにも薬を施してあります。どのみち意識を取り戻すことはないでしょう」
「あまり計画に支障が出るようなことはしないでいただきたい。我々の計画には彼が生きていることが必須なんだ。亮哉の生命力は君が思っている以上に高い。しかし、これから彼に待ち受けるのはあまりにも過酷な状況だ。今ここで変に衰弱して、そこで死んでしまっては元も子もない」
一体何の話をしているのだろうか。
亮哉は自分が意識があることを悟られないように半目を開けたまま息を潜めた。話を最中にこちらに顔を見せることがあった時、いくら夢と言えども何かひどい事をされそうな気がしたのが正直なところだった。
「その過酷な……というのはあなたの力でどうにか出来ないのでしょうか。国外追放とか、処刑の際人々が興奮するといけないから秘密裏に……とか」
「それが出来たら苦労はしないよ。殿下は彼をあまりにも酷い方法で殺そうとしている。彼には因縁があるから、躍起になっているんだ。正直、私では手に負えない」
「でしたら、殿下を……」
「よせ。今事に及んでも勝ち目はない。よしんば殿下をどうにか出来たとして、我々だけで残ったあの面々を相手に出来ると?」
その一言で片方の男は押し黙ったようだった。長い沈黙の後、黙らせた側の男がまた口を開いたようだった。
「急いては事を仕損じる。貴公はこのまま今の地位で着々と準備を進めたまえ。私はこのまま『表向きで亮哉を始末した』後の準備に向かう。しかし、私の成すべきことはただの汚れ仕事だ。君のような輝かしい立場の者は触れてはならぬものだ」
「分かっております。卿の尽力には頭が上がりません。どうかくれぐれもご無理なさらぬよう……」
「分かっていればいい。さて、貴公はそろそろ帰りたまえ。こんな夜更けに地下牢にいた事を誰かに悟られて、何か勘繰られても困るからね。亮哉のことは私に任せていただきたい」
「御意に」
会話が終わったのか、足音の一つは亮哉のいる牢屋から離れていく。しかし、もう一つの足音は鎧の金属音を鳴らしながらゆっくりとこちらへ向かっているのが分かった。
亮哉は思わず目を強く閉じた。視界が暗闇に包まれる瞬間、最後に目に飛び込んできたのは松明の灯りに眩く照らされた白い鎧に包まれた、男の長い足だった。
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目を覚ますと荷台の天井が一面に広がっていた。
亮哉はしばらく今見た夢の生々しさに思わず呆然とする。額からは玉のような汗が滴り、雨ざらしにでもなっているかのように鼻の頭を叩いていた。医者から貰ったしなびたシャツも汗を吸ってじっとりと肌に張り付いている。それなのに心臓の動悸が激しいまま、尚も背中から汗が噴出すのが止まらなかった。
「夢……だった……のか」
ぽつりとそう呟きながら背を起こして荷馬車から降り立った。ひんやりとした夜風が気持ちを落ち着かせてくれるが、すっかり冷え切ったシャツにゾッとするような寒気を覚え、どこか釈然としない不快感をもたらす。
荷馬車は森の中に留まっていた。少しばかり舗装されただけの道から少し外れた場所であった事を思い出すと、亮哉はふらふらと夜道を進んで近くの川へ向かう。川までは獣道を少しばかり歩くだけですぐに辿り着いた。足首が浸かる程度のささやかな小川であったが、月夜に照らされて川底がほんのりと見える程度に透き通っている。
早速亮哉は肌に張り付いたシャツを剥ぎ取るように脱ぎ捨てると、川辺に座り込んで顔を洗う。悪夢をみた後のぼんやりとした頭のもやが晴れた気がした。一気に意識が冴えてくると、水を救った手で次々と上半身を擦り付け、汗を流していく。その様はどこか亮哉自身が禊を行なっているかのようであった。
「あー……、超気持ちいい……」
ついでにと言わんばかりに亮哉がズボンに手をかけた時だった。亮哉のすぐ背後で小さな悲鳴が上がった。
振り返ると、そこには木にもたれ掛かるように木にしがみ付き、亮哉の方を注視していた美咲の姿だった。
「美咲……さん……?」
亮哉が小さく問いかけると、美咲は気恥ずかしそうに俯く。
「水浴び、されていたんですよね……。すみません、気が利かなくて……」
美咲は亮哉を見ようともせずに背を向けようとした。しかし、その途端に足がもつれて川辺に入るための緩やかな傾斜に向けて倒れかかる。
「ひゃっ……」
咄嗟に受身を取ろうとするが、体がうまく追いつかない。そのまま姿勢を崩した美咲だったが、それを機敏な動作で体を潜り込ませることで亮哉は彼女の華奢な体を支えたのだった。
「怪我はない?」
「……あの、ありがとうございます……」
暗がりで亮哉には見えていなかったようだったが、亮哉の腕の中で美咲は思わず赤面した。
「その、すみません。お医者さんにも仰ってもらったんですが、私こちらの世界に来てから何故か体が全くうまく動かず……。ちょっと歩くだけでも物凄い疲労感に襲われてしまうんです……」
その告白を受けてから亮哉はハッとした。これまでラースレイムの兵士に取り押さえられた時もろくに抵抗が出来ておらず、むしろ兵士に捕まれていた時も、馬車で縛られていた時もぐったりとした印象だった。
現に、彼自身の腕の中にいる彼女は肌がじっとりと濡れており、息遣いも荒い。膝も崩れて亮哉に体重をかけてしな垂れている。
すぐに思い出して気を回してあげるべきだったと亮哉は後悔した。
「現に馬車からここに来るまで大した距離でも無いのに……。変ですよね、足がすっかり棒のようになってしまって……」
美咲は苦笑したが、亮哉は首を振った。
「こちらこそ、気付けなくてごめんね。折角だし、ちょっと一休みしようか?」
不意に、亮哉は美咲の返事も聞かずに彼女の背中と足を支えて抱えてみせた。俗に言うお姫様抱っこの体勢だった。美咲の口から小鹿のようなか細い悲鳴が上がったが、気にも留めずに川辺の近くにあった手頃な岩の近くまで連れて行く。
岩の前まで歩みを進めると、岩に目掛けて魔力の蛍火を集めていくように飛ばし始めた。その光に照らされた美咲の顔を覗くと、彼女は光を見つめて何処か驚いているような、惚けた表情を浮かべていた。
「‹物質化›……さて、これで如何でしょうか?」
集まった蛍火は雲のような輪郭を描くと、そのまま光が弾けて大きな綿の塊を作り上げる。亮哉はそこに美咲を座らせた。美咲の体はすっぽりとその綿の中に収まり、ようやく体を落ち着かせているようだった。
「やだ、そんなお嬢様みたいな扱いを……。でも、助かります。ありがとうございます」
「よかった」
美咲が落ち着いたのを見て亮哉はえへらと笑った。その表情の無邪気さに思わず美咲もくすりと笑みを溢した。
「亮哉さんも、さっき馬車から出て行った時に何処か辛そうでしたので……。思った以上に元気で、私もよかった……」
「うん、変な夢を見たけど、美咲さんにすぐ会えたから。……現金かな?」
「そうですね」
「でも、それは一応本当なんだよ」
そう言って二人はまた笑い合った。
それでも亮哉は自分の気が晴れた思いをどこか浮ついた口説き文句のように思われたくなかったのか、美咲のそばまで寄ると川辺の方を指差して美咲に促した。
「人と話すと気もまぎれるって言うけど、こういうの見て気を紛らわすのもありじゃないかな?」
そう告げると亮哉は自分の指先からまた魔力の蛍火を放つ。蛍火は周囲の大気に含まれる小さな魔力と反応して続々と小さな蛍火を増やしていく。亮哉が何かする時の動きと違って、今二人の目の前で揺蕩う光は実際の蛍のように曖昧な輪郭の光を上げて静止したり霧消しながらあちこちに灯っていた。静止している光は川に止まるかのように沈殿し、やがてその光の澱は目の前の川の上に緑光の絨毯を広げた。
「わぁ……!」
美咲は思わず感嘆の声を上げた。
「暗いと嫌なことばっかり考えちゃうけどさ、こんなんでも明るいものが見れたら気の持ち方も変わるかなって……」
「すごく綺麗です! ずっと見ていたいくらいです……」
美咲は熱を持った視線を光の綾なす空間に向け続けていた。
それからややあって、美咲はぽつりと口を開く。
「亮哉さんがどんな夢を見たのかは私にはわかりません。ですが……」
一度言葉に詰まるが、亮哉に視線を向けて再度語りかけていく。
「ですが、私は貴方の感性を、思いやりを信じてみたいです」
「僕の見た夢は酷いものだったよ。正直、自分自身を疑いたくなった」
「それでも、私にとってはいい人です。人間、自分の都合のいいことを信じてみたくなりません?」
「後悔しないかな?」
美咲はただ首を横に振った。
「後悔なんて、今考えたところでどうにもならないでしょう? それに、私にとっては命の恩人なんですから。何から何まで善人って人、いないと思います。逆も然りってものです」
「……ありがとう」
亮哉が呟くと、美咲はにこりと微笑んで手を差し伸べる。
「この景色に暗い話はやっぱり似合いませんよ。亮哉さんの作ってくれたこの空間、一緒にもう少し楽しみませんか? ……出来れば、隣で見ていたいです」
「美咲さんがそう言うなら」
亮哉は差し伸べられた白く細い指に手を重ねた。
「ふふ、私のことは美咲でいいですよ」
「わかったよ、美咲も僕のこともそんなにかしこまらずに呼んで欲しいな」
「はい、亮哉くんって呼びますね」
それからは長らく肩を寄せ合って静かに時が流れていき、結局二人が馬車に戻ったのは空がすっかり白けてからのことだった。




