プロローグ1
2045年 12月29日
アメリカ コロラド
ラースレイム帝国軍 技術士官 少尉
ロギンス・ハーピンジャー
『―聞こえますか。美咲・S・デリンジャーです。今日は2045年12月24日、クリスマスイブです。外は生憎の曇天です……』
すっかりと荒廃した礼拝堂の中で、少女がカメラのレンズを覗き込む。自分が映っていることが確認できたのだろうか、カメラは雑音と共に定点位置へ着いた。
礼拝堂の中にも風が吹き込んでいるのだろうか、艶やかな銀色の髪を靡かせながら肩を震わせた。
『今はボルダーの街にある礼拝堂に身を隠しています。でも、近郊の街で避難キャンプの旅団が帝国軍に捕まったって……。ここにもいずれ帝国軍が来るかもしれません……』
美咲はそう呟くと悔しげに唇を噛み締める。
『少しでも安全な場所へ……。私は今日の夜を乗り越えたらアラスカまで北上します』
透き通る白磁色のような肌に負けない程の白い吐息を漏らす。
美咲は何処か不思議な雰囲気を漂わせた少女であった。
煤だらけのコートの下から覗く白いシャツは引き締まった体つきと、一方で丸みを帯びた双峰の滑らかな輪郭を強調している。裾から覗く肌はシャツよりも白く、きめ細かな滑らかさが赤子の如き暖かみと儚さを感じた。
見た目の年齢は15歳ほどだろうか。
だが、その透き通った肌は全身にこびり付いた泥と煤にすっかり汚されていた。深みのある緑玉色の瞳は、疲れからか淀んだ色を見せる。
『寒い……。こんな生活を後何年繰り返せばいいの……?』
か細い声を漏らした途端、美咲ははっとした顔で立ち上がる。
教会自体が揺れているのか、画面が大きく震えると画面奥で教会の壁面が爆散した。
美咲の小さな悲鳴が響く中、それはふと姿を現わす。
陽の光に当てられ、その巨躯を銀白に輝かせる白き龍。
『ファフニール…! どうしてこんなところに…!』
彼女がファフニールと呼んだそれは、赤く怪しげに目を光らせ、爪で壁を引き裂きながら教会へ押し入った。
ファフニール。正式名称L−RCG4020<イスクード・ノヴァ>。
エルト界と呼ばれる魔法世界、いわゆる異世界で信奉される龍神、ローグ・イスクードを模した機械体の龍。ラースレイム帝国と呼称される国家が保有する兵器である。それはエルト界をラースレイム帝国が統一した勝因となった決戦兵器でもあった。その力はこちらの世界でも惜しげなく発揮され、2035年の侵攻開始から既にユーラシア大陸、アフリカ大陸、南北アメリカ大陸の殆どを制圧していた。
機械の体とは思えないしなやかさを持つ4枚の羽根は白く輝き、眼前の敵をその圧倒的な質量で威圧する。
『嫌……来ないで……』
震えるばかりの彼女にまるで死刑を宣告するかの様に<イスクード・ノヴァ>は二足の脚でゆっくりと歩みを進める。
その巨躯が地を踏むたびにカメラが揺れる。画面越しにも伝わる程の威圧感に、美咲はただその場にへたり込んだ。
『死にたくない……』
か細く呟いた心からの願いは、儚くも<イスクード・ノヴァ>の駆動音にかき消されていく。
やがて、美咲の前で歩みを止めると、大きくその腕を振り上げる。
教会に差し込む光に照らされ、その手に備わった大型の近接クローが怪しく光った。美咲はそれを処刑台のギロチンのように感じた。
『ひぃっ!』
咄嗟に、頭を抱えて体を丸める。
それが合図であるかのように、<イスクード・ノヴァ>が腕を振り下ろす。
本来なら、一秒も経たないうちに地面は抉れ、少女の体は屠殺された豚の様に原形が見えなくなろうだろう。
しかし、カメラはその後予想だにしない映像を映す。
『助けて! お母様……お父様!!』
少女が叫ぶや否や、彼女の体が眩く光り輝いた。
その光は一瞬で画面全体を包み込み、瞬く間に周囲の音すら奪ってしまう。
やがて、画面の視界が回復すると、そこには少女の姿が一切消えていた。
場に静寂が戻り、冬の乾いた空気がその静寂を不気味に思わせる。
カメラは、ここで映像を止めていた。
「……どういうことだ……?」
カーキ色のコートに身を包んだ初老の男性は、眼鏡を額へずらすと映像を写していたビデオカメラをしげしげと覗き込む。
美咲の日記がわりのホーム・ビデオと同じ場所に立つと辺りを見渡す。抜け落ちた天井から青空が広がる協会では、かつてこの世界の人間から信仰されていたであろう十字架に縛り付けられた男の像が力なく地面に寝転んでいる。男にはこの像にまつわる宗教への信仰心はないらしく、奇妙なものを見るような目で一瞥した。
そして少女の異変を何度も巻き戻して再生を続けるが、男はやがてため息とともに首を傾げてカメラを畳んだ。
男は自分では分からないと判断したのか、映像への考察を止めて状況判断に集中することにした。
「機械龍、彼の地で斯く眠りけり――――か」
そう呟くと男は羽根ペンを取り出し、小ぶりのボードに貼り付けた羊皮紙に筆を走らせる。
「L−RCG4020<イスクード・ノヴァ>…大破を確認。頭部を切断され、沈黙した模様。切り落とされた頭部は未だ発見されず。…現地人に回収された恐れあり」
男が見上げると、そこには教会の壁を崩して倒れ込んだ<イスクード・ノヴァ>の姿があった。彼の報告の通り、その体には本来あるはずの右腕の肘から下がごっそりと消え失せていた。
驚くべきことに、その断面は切断した跡が見られない程に滑らかである。
まるで、そもそも消失したかのような−−−。
いや、ありえない。男はそう首を振った。
「まさか、この少女が能力者というわけでもあるまいし……」
そう呟きながらも男は報告を纏めていく。周囲の状況も確認するため、礼拝堂周辺もくまなく散策した。抵抗勢力が張り込んでいた跡や罠を仕掛けていた痕跡が無いかも調べてはみたが、結局見つからなかったのか何も無いと判断した。
周囲を見渡せば男が見たこともない建造物だったものが立ち並んでいる。無残にも破壊され、廃墟と化したビル群。男の故郷であるラースレイムの地には無かったものだ。そもそも、エルト界にはビルを建てるだけの建築技術は存在しない。
しかし、エルト界には男の眼前に聳える建物以上の建造物はいくらでも存在する。
一体どのようにしてこれらを建てたのだろうか。石畳ではない、真っ黒に整地された道路に男の実家よりも遥かに頑丈な家、ビルもラースレイム本土では皇族でも持てない程の透き通ったガラスの窓。
どれもエルト界には存在しない技術である。
そのため、再現するための技師が必要だったが、今になって多くの人間を戦争により無闇に殺してきたことを後悔していた。
「果たして、今いる捕虜の中にこれだけの建物を作れる人間がいるか……?」
男は熟考したのち、恐らく望みは薄いと判断したのか大きく溜息を吐いた。
やがて書き終わったのか、持っていたペンを胸元にしまうと、今度はゴルフボール大の水晶を取り出した。その水晶に向けて男はぶつぶつと話しかける。
「こちらは第4技術小隊のハービンジャー少尉だ。ここ最近拘束したアエリア人について聞きたいことがある。応答求む」
アエリア人とは、ラースレイム帝国を始めとする<エルト界>出身の人間がこちらの世界の人間を纏めて呼称する際の名称である。
彼の発言からややあって、今度は水晶からひとりでに声が発せられた。
『ハービンジャー少尉、こちらは第12中隊第09小隊所属のドッカ大尉だ。ここ最近の捕虜の管理は私の部隊が行なっている。何か質問が?』
「大尉、銀色の髪をした少女はそちらで拘束していませんか?」
『……そんな女は見なかったな。何かあったのか?』
「いえ、難民の一人にそういった女がいたらしい痕跡がありましたので。いなければ結構」
『探索隊を派遣する必要は?』
「ありません。あともう一つ」
『どうした、少尉』
「デリンジャーという名前に聞き覚えは?」
水晶越しからのドッカの声色が変わった。
『デリンジャー? アルテミス・コーポレーションの残党と遭遇したのか?』
「否定。アルテミス・コーポレーションの人間なのですか?年端もいかない少女で?」
『デリンジャーは中年男性だ。さっきから何を言っている?まだ』
ドッカは喉を詰まらせた。
『まだ、デリンジャーが他にいるのか……』
その声色には明らかに恐怖の色が混じっていた。
「肯定は出来ませんが、否定も出来ません。少し調べないとならないことがあります」
ロギンスはドッカの様子がおかしいことに怪訝に思った。
「また報告します。以上」
『おい、少尉……待……』
ドッカの制止を無視して水晶を懐にしまうと、頭を掻いた。
アエリア界の人間はロギンスが生まれたエルト界のどの国よりもあらゆる面で技術が発達していた。帝国軍の兵士はアエリア人の兵士が扱う銃という兵器に圧倒された。ミスリルを使用した鎧を装備して対処した時は、爆破魔法よりも強力な爆発を及ぼす兵器で焼き払われた。
唯一帝国が優っていたものはアエリア界では一切存在しない魔力を用いた法術が存在することであったが、空を飛ぶ兵器に頭上から攻められた時はその力は何の意味もなさなかった。
そうした劣勢を覆したのが<イスクード・ノヴァ>だった。しかし、その力に対抗できる勢力がアエリア界にたったひとつ存在していた。
アルテミス・コーポレーション。
フランスに本社を置くPMCで、アエリア界の人間達の中でただ一つ魔法を扱える者が所属する軍事組織であった。
彼らは帝国軍の侵攻を幾度となく退けていたが、兵站が不足した為に討伐されたとの報告を受けている。
「確か彼らの軍隊のリーダーがデリンジャーとか言ったか……」
ロギンスは記憶を辿る中で、少女の名前を反芻する。
「あの少女……。まさかあの軍団の新たな兵力か……」
そう呟いたのち、自分の発言を否定するが如き笑い声を上げながらビデオカメラを懐へしまう。
カメラの代わりに煙草を取り出すと、小さなクリスタルを摘む。指先からクリスタルに魔力を流し込むと、クリスタルの先端からぽんと軽快な音を立てて火が灯る。
クリスタルの先端に煙草を当てながらロギンスは軽く息を吸い込み、溜息の様に大きく煙を吐いた。
がらんどうになった街の中に霧消していく煙を見つめて、ロギンスは映像の中の少女を思い出した。
あの光に包まれて、彼女はどこに消えてしまったのか。
生きているのかどうかすら分からない。
しかし、ラースレイム帝国の民以外にとっては退廃し、滅びゆくしかなくなったこの世界で未だに不必要に生き続ける必要はない。捕虜となり収容所に連行されたり、捕まったその場で慰み者になるよりは遥かに恵まれた最後なのかもしれない。
「生きているにせよ、死んだにせよ、上手く逃げたということか」
短く吐き捨てると、咥えたままの煙草が長ったらしく灰を落とした。
プロローグの続きは明日上げます。
よろしくお願いします。