第一章 VS大魔王
ここに、時計がある。ソフトボール大の大きさの、あの、安眠を邪魔する、目覚まし時計という奴だ。
先ほどから――丁度20秒になる――カチカチと、同じテンポで時を刻んでいる。私の神経を逆なでするように。
私は時計というものがあまり好きではない。――何故か。それは、正確な時を刻むはずなのに、時々故障するからだ。裏切られる。私は幾度あの時計という奴に騙されただろうか――ああ、そうだ。昨日も騙された。朝、寝坊したんだ――。
しかし、今はもうあの時計が全世界の敵にさえ見える。そうだ。あれ。大魔王だ。大魔王。
私が何故大魔王を憎むのかというと、
「ラスト30秒。時計睨んで無いで、早くやった方がいいんじゃない?」
時間制限付きの算数の問題をやっていたから、時間がもうないから、私が受験生だから、だ。自分でも何だが、非常に明快な答だと思う。
普段なら、こんな問題、1分もかからずに解ける。本当だ。そうじゃなきゃ、中学受験など挑めないだろう。
しかし。
大魔王。時間。時間。大魔王。時間。タイム。大魔王。アワー。大魔王。大魔王。大魔王。
大魔王のプレッシャーは大きかった。
「あと20秒――僕はもう何も言わないよ」
家庭教師の声――否、家庭教師の、諦めが入った声が入った所で、私はやっと問題に取りかかることにした。何か、やたらと円が多い図形。円の中には数字が入っていた。やったことがある。簡単だ。計算の仕方を間違えなければ――――――――
「終了。出来た?」
家庭教師の声。
「出来たよ。当たってるはず。違う?」
出来た。何とか出来た。勝ったのだ、私は。あの、大魔王に。
得意がって大魔王を睨んでやると、大魔王は素知らぬふりで、青いメタリックのボディを夕日に光らせていた。
衝撃を受けた。
私は勝った。勝った。なのに、大魔王には敗者の美しさがあった。
いい勝負だった。
私は大魔王に握手を求めようとして、大魔王に手がないのに気づき、ひっこめた。
「ん、当たってる。凄いね。時計に答えでも書いてあったの?」
「失礼な。私は正々堂々勝負したんだけど」
「……勝負?」
「勝負の素晴らしさ、って奴。知らない?」
「良く分からないけど」
「エリートの咲良には分からないのかも」
咲良は怪訝な顔をしていた。咲良というのは、私の家庭教師であり、従兄にあたる、天才だ。某TOP大学に通っている。私は――
「そうかもね」
――咲良があまり好きではない。
何故嫌いなのか。
分からない。が、こやつが私の神経を逆なでしまくっているのは言うまでもない。
理由。発言。ナルシスト。咲良が天才でエリートなのは知っているが、其れを本人の口から聞くのは辛い。苛々する。
何故? と言われると、劣等感からくる感情であるとしか言いようがないが、とにかく嫌いだ。
「明日は講義があって来れないから、また来週」
「了解。宿題は」
「無いよ。じゃね」
おざなりに手を振って、部屋を出る咲良。戸を閉める音、階段を降りる音。そして、無音。静寂静寂静寂。
疲れた。
無音になると、一人になると。
考えるのに疲れたのかもしれない、頭が働かなくなる。
机の上に散らばった筆記用具やら何やらを片付け、ベットにダイブ。
頭の中で踊る数字。勉強勉強勉強。嫌になる。
学習という行為自体は嫌いではない。知るのは楽しいから。しかし、何かが嫌だ。とてつもなく“嫌”だ。咲良への嫌悪のような、はっきりした感情ではない。曖昧ではあるが、とても強烈な感覚。これが思春期というものだろうか。分からない。
分からなくて。
また、嫌になるんだ。
勉強したって、咲良に勝てるわけはない。勉強したって、生きれないわけではない。私が生きれないからと言って、困る人間はいない。
マイナス思考、ザ・ネガティブ。
眠い。只管眠い。このまま死ぬまで寝ていたい。
視線だけ動かして窓を見ると、夕日は既に沈んでいた。このまま寝ていても良いだろうか。そんな疑問は意味を為さず、私は重い瞼を閉じる。遠のく意識に快感を感じながら、私は眠った。