9.商人の正体が判明しました。
空間の裂け目か。
恐らくは空間接続、スペースコネクトの魔法を何者かが使ったのだろう。
スペースコネクトの魔法は、自分一人だけではなく、周囲の多くの人も同時に長距離を移動させたい時に便利な風属性の上級魔法だ。
転移元と転移先の空間に裂け目をつくり、その裂け目に入る事で転移先の空間への直接の移動を可能にする。
その魔法によって生じた裂け目からはオークが次から次へと出てくる。
裂け目に近付き、黒いもや状の魔力を込めた手で裂け目を消滅させようとしているのは、先程の商人の服を着た狼顔の亜人だ。
きっとその亜人が商人ローガなのだろう。
ローガを助けるようにして、その周囲の茂みから狼の亜人コボルドが何人か飛び出し、裂け目を閉じようとする。
一方で裂け目から出てきたオークは、ローガ達の行動を止めようと攻撃を仕掛けようとする。
だが、周囲に待機していた狼達がそれを許さない。
ローガとコボルド達が裂け目を閉じようとして、狼達がオークとの戦闘を担当する。
明らかに他の狼達と意思疎通がとれていること、本人が狼顔な事から判断するに、ローガはこの狼やコボルドの集団の一員だと思った方が良いな。
やはり、そういう事だったか。
道理で先程の商談がうまく行き過ぎていた訳だ。
ローガは恐らく魔王である俺に媚を売る為に、あの商談を持ちかけたのだろう。
それにローガという名前を聞いたことがある理由も分かった。
よくよく魔王の記憶を思い返してみると、狼の王の名前がローガだったのだ。
つまり、商人のローガはその狼の王が化けた姿である可能性が非常に高い。
魔王の知恵袋は色々と便利だけど、情報量が多すぎて、全てを正しく捉えることが色々と難しいんだよな。
今回だって、狼の王とローガという情報がすぐにはひも付かなかったし。
今後のためにも情報の整理を少しずつ進めていくことにしよう。
ローガ達の迅速の対応によって、空間の裂け目は無事に消失した。
その甲斐もあって、空間の裂け目から出てきたオークの数は20体ほどに抑えられたらしい。
連携の取れた狼達はオークに難なく勝利し、コボルド達がオークの体を縄で縛って拘束したようだ。
俺がじっと家の扉の近くで状況をみつめていると、ローガが俺の事に気が付いたようだ。
そしてローガが何か言葉を発すると、周囲にいた狼とコボルドが一斉に茂みに身を隠す。
周囲が落ち着いた所で、俺はローガの方へ近付いて声をかける。
「狼王ローガ……それがお前の真の姿だな?」
「……はい、その通りです、魔王様。ですが、商人の姿もオレにとっては姿の一つであることは変わりありません。その立場を活かし、オレは魔王様のお役に立ちたかったのです」
「助けようとしてくれたことには礼を言う。だが、俺が狼に伝えた言葉、忘れたとは言わせないぞ? まさか、伝わっていないとでも言うんじゃないだろうな?」
「よく存じております。知らなかったとはいえ、同族が魔王様、それに魔王様のおばあ様にも危害を加えた無礼はどれだけ償っても償い切れないと理解しております」
そう言ったローガはその場でひざまずき、うなだれた様子を見せる。
どうやらローガは同族が犯した事の重大さをよく理解しているようだ。
周囲のコボルドや狼も不安そうな感情を持っていることが魔力のブレから感じられる。
ちなみにその原因となった狼は処分され、もうこの世にはいないとのこと。
経緯を簡単に聞くと、どうやらあの狼は他のはぐれ狼に情報を伝えたのだが、その様子をローガの配下の狼が見ていて、そこからローガに情報が伝わったのだという。
そしてローガは即刻、狼の処刑を配下に命じ、いかにして俺に対して忠誠を示し、俺からの信頼を回復させるか考えていたそうだ。
やはり、俺が直接手を下さなくてもそういう結果になったか。
ざまぁないな。
だけどそれはもう終わった話だ。
注目すべきは、ローガ達、他の狼とどうやって関わっていくかにある。
俺はローガに問いかけることにした。
「それで、その信頼を獲得する方法があの商談って訳か?」
「ハッ、仰る通りでございます。オレはあの商談を成立させることで、魔王様や魔王様のおばあ様の助けになりたかったのです。金銭的な事もそうですし、定期的に通うことで、おばあ様に危険が迫った時に守ることができますから」
「危険が迫った時に守る? 俺をだまそうとしたのにか?」
ローガは正体を明かさず、ばあちゃんに近付き、そして契約を交わそうとした。
そのような隠し事をするような奴に守ると言われても、正直あまり信用はできない。
「誤解を招く行動をしてしまい、申し訳ありません。そのような意図はなかったのです」
「……まあ、本気でだまそうとするなら、ばあちゃんと俺に対して本名で名乗らないか」
「はい、仰る通りです。オレは本来、商人の時はテルローガと名乗っています。おばあ様に狼だと悟らせず、魔王様には気付いてもらえるよう、あえて本名を名乗らせて頂きました」
そう言ったローガは苦い笑みを浮かべた。
確かに人間の俺とローガの初対面があの場なのだ。
狼に襲われた記憶を消しているとはいえ、ばあちゃんにローガが狼だと知らせる訳にもいかない。
その状況で俺に気付いてもらえるようにするために、本名で名乗っていたという事なのだろう。
「その配慮をしてくれたことには感謝しよう。だが、その配慮をするのも、俺が魔王で、ばあちゃんは魔王の大切な人だから。違うか?」
「……そうですね。特別な配慮をすると決めたのは、あなた様が魔王様だからという事は否定致しません」
「つまり、俺が魔王でなくなったのなら、守る事はなくなるという事もあり得るということだよな? つまりそうなったら、ばあちゃんを急に襲うことだって――」
「そ、そんな事は決して致しません! そのような愚かな行為はオレ自身はもちろん、配下の誰にも許させはしませんからっ! 信じてくださいっ!」
そう言って急に感情的になるローガ。
一体急にどうしたというのだろうか?
「急にどうしたんだ、ローガ?」
「……はぁ、はぁ、申し訳ありません。つい、感情が高まってしまいました。オレの魔王様、いやアレン様への忠誠は本物です。忠誠に反する行為をすると思われている事がオレには我慢ならなかったのです」
「あ、うん。本物の忠誠っていうけど、多分それは誤解――」
「誤解ではございません。アレン様は以前の魔王様、ゼーレバイト様と違う事は分かっていますし、元人間の新しい魔王様であることは存じております。それでもなお、オレはあなた様に忠誠を捧げたいのです」
あっ、そこまで分かっているのか、ローガは。
それでもなお、俺に忠誠を誓いたい、と。
というか、その情報はどこで仕入れたのだろうか?
フィレトから聞いたのだろうか?
でも聞いたからと言って、それを信じ、さらに未熟な俺に忠誠を捧げようと思うのは、なかなか出来る事ではあるまい。
「その言葉に二言はないな? これはお前達の為を思っていうことだが、お前達にとっては俺に忠誠を誓うより、俺と距離を持って暮らした方が断然ラクに暮らせるんじゃないか?」
「……それも存じております。アレン様のお考えは我々の常識の中に収まらない崇高なものだということも。アレン様の事を完全に理解することは難しいでしょうが、最大限理解できるように努め、我ら一同、アレン様の理解者として動く事を誓いましょう」
「俺は前の魔王よりも弱い。魔王としては失脚する可能性の方が高いし、それによってお前達の立場は危うくなるかもしれない。それでも、考えは改めるつもりはないのか?」
「もちろんでございます。元より我ら一族は現在魔王であるアレン様によって滅ぼされていてもおかしくない存在。今も我らの命があるのは、我ら一族に対するアレン様の慈悲の御心があってこそ。アレン様のお立場がどう変わろうとも、アレン様の身を守る為に、我らが身を滅ぼす事は本望でございます」
……ふ、ふぅん。
ずいぶんと献身的なんだな、ローガの種族って。
あまりに重い忠誠を誓われて、なんかこっちとしても対処に困るんだけれども。
「それは一族の総意という事で良いのか? もし万が一、再び過ちを犯すようなことがあったら、俺は容赦なくお前達を滅ぼしにかかる。それでもか?」
「皆の総意で間違いはございません。元より我らに後がない事は承知の上です。何の問題もございません」
そう言うと微笑みを浮かべるローガ。
俺が言ったような事は全然問題にならないと、その表情が物語っているようだ。
そこまでの覚悟を持っているのなら、俺としてもその思いに応えてやらないでもない。
「ならばローガ達、狼一族に命じる。俺の配下として、ばあちゃんとその大切な者達の安全を命懸けで守れ。俺がここでのんびりと安心して暮らせる場を死守せよ!」
「……アレン様!? それでは!?」
「どうした、怖気づいたのか、ローガ?」
「そ、そんな事はございません! このローガ、そして我ら狼一族、文字通り命を賭して、主の命令を成し遂げましょう!」
ローガは顔を上げ、涙腺を潤わせつつも、満面の笑みを浮かべてそう言葉を紡いだ。
俺とローガの周囲から狼とコボルドが飛び出してきて、その場は一転してまるでお祭り騒ぎの様相である。
だが、その状況は長く続かなかった。
「……おや、アレン。狼さんがいっぱいいるようだけど、アレンのお友達かい?」
そう言葉を発したのは、外の様子を見に来たばあちゃんだった。
……あっ、これはまずい。
一番見られてはいけない所を見られたような気がする。
俺はもちろん、ローガ、コボルド、狼は一様に黙り込むことになった。




