第六章・黒槍二双~【第四節・言葉と感情の壁】~
お久しぶりの更新です。
人混みではぐれないようポーラ司祭とペントラに手を引かれ、並んで歩いて行くスピカお嬢の後ろ姿をティルレット・アラネアと共に見送る。思い返せば、俺達三人でこうして遠ざかるお嬢の後ろ姿をゆっくりと見送るのは初めてっすね。赤ん坊の頃から傍を離れず、周囲に愛されて育った一人娘。そのお嬢はこちらを一度も振り返らないまま、人混みに隠れて見えなくなった。
「……行っちまったっす」
「………………」
「寂しいかい?」
アラネアは両手を軽く広げ、おどけたように尋ねる。
「ふー……まさか。俺達があれやこれやしてやらなくても、もうお嬢は自分で考えて行動できやす。いや、まだ司祭達に後押しして貰ってるとこもあるっすけど、少し肩の荷が下りたっつーか……こんな人混みの中でも、肩肘張らずに見送れるっつーか」
言葉として説明するには、俺の悪い頭じゃ難しい。隣に立っていたティルレットも感想を漏らすかと期待して目をやるが、踵を返し自分の【白黒絵画】の露店にまで戻ろうとしていた。あのむっつりは同じ育ての親として、なんか一言ないんすかね……?
顔に出ていたのか、アラネアは俺とティルレットを見比べくすくすと笑う。
「なんすか、アラネア」
「口に出さずとも、彼女も君と同じ気持ちだよ。現に俺もそうだ。我が子の成長を感じつつ、人の多い知らない街中でも傍に居なくて大丈夫と、一度も不安気に振り向かない後ろ姿を見て安心しているのさ」
「司祭達も大人数で夜市を回るのは初めてって言ってやしたし、揉め事に巻き込まれないか気掛かりだったっんすけど、十五の一人娘が興味を示すことに親があれこれ口出すのは野暮ってもんすよ。俺はお嬢の意思を尊重するだけっす」
「過保護も良くないからね。こっちが様子を察してあれやこれやとしてやるだけじゃあ、何時まで経っても精神は成長しない。本人がやりたいこと、思ったことを行動に移させ、こうして友人達と遊びに出かける後ろ姿を見送るのも親の役目だ」
「過保護……すか」
ポーラ司祭達に出会って、お嬢は変わりやした。俺達の仕事をただ見ているだけでなく、家族として手伝おうとしてくれた。【箱舟】での辛い経験はあの運動嫌いなお嬢が、初めて守られるだけじゃなく俺達を守ろうと考えるきっかけになって、今でも俺とティルレットによる稽古は続いている。
それより前は……真面目に他種族の文化や語学を勉強して、静かに読書して、決まった時間に教会でお祈りをして……変りばえの無い毎日。決してそれを悪いとは思わないっす。んでも、お嬢が興味を持ってしたいこと、やりたいことをさせてやれなかったのは世の中だけでなく、俺達にもあったのかもしんないっすね。
「……そうっすね。子供ってのはいろんなものを見て知って経験して成長していく。俺やティルレットは……【そういう期間】が無かったもんで、知らぬ間に貴重な成長できる時間を奪ってたかもしれねぇっす」
頭を右手でガリガリと掻く俺に、アラネアは「やれやれ」と小声で漏らしながら細長い左腕で肩を組んできた。
「ローグメルク、世界は僕らが考えるよりもずっと広い。みんな誰しもが学びと成長の途中。ポラリス司祭達だってそうだ。悔やむのも悪い事じゃないが、まずスピカ嬢の成長と、それに気付けた君とティルレットの心の成長を喜ばないとっ!! 俯いてばかりなのは君らしくないっ!!」
「…………っすね。難しくうだうだ考えるのは漢らしくねぇっす。……サンキュー、アラネア」
「どういたしましてっ!!」
アラネアが肩から腕をどける。左手で眼鏡をかけ直し、背筋を伸ばしてお嬢達の歩いて行った方向を見据えた。
――――めぇいっぱい、皆さんと【夜市】観光を楽しんできてくださいやせ、お嬢。
「ほんじゃまっ、ティルレットもギロギロ睨んでることだし、俺も持ち場へ戻るっすっ!! なんかあったら呼んでくだせぇっ!!」
「ああっ、お互い初めての【夜市】参加だっ!! しっかり街の皆さんに印象付けないとねっ!! ローグメルクもサボらず頑張りなよっ!!」
***
さて、彼も調子を戻してくれたことだ、俺も俺で頑張らないと。通る人は物珍し気に【浴衣】を見て試着もしてくれている。ただこの街の純粋な人口はさほど多くない。中継地点として立ち寄る旅人や行商が大半で、出先で衣類を買うのは彼らの旅の荷物を増やすことになる。……余裕が無ければ購入まで至らないか。
「うーん……【鳥人族】の郵送業者と連携して、購入した衣類を送って貰うのがいいかなぁ。折角興味を持ってくれているんだし、諦めちゃうお客さん達を見るのも忍びない……」
手帳を開き、声に出して反省点を確認しながら、今後の展開について発想を書き纏める。本格的な客商売はバッカスの方が得意だし、露店の備品のいくつかは彼に用意して貰った物だ。後日相談して、付近の郵送業者の伝手や助言を求めるとしよう――――
「――――お~いっ!!」
「ん? あの子は――――」
――――聞き覚えのある声に手帳から顔を上げる。人混みの中を懸命に跳ね、こちらへ手を振る姿が見えた。目が合うと彼女はニカッと笑い、人々の足元を縫うようにして俺の店の前まで駆け抜けてくる。
「やあっ!! こんな所で会うとは実に奇遇だね、【ティアーソン】っ!!」
「おうっ!! あんたも夜市に参加してるって聞いたら、居ても立ってもられなくて会いに来てやったぞ、アラネアっ!! 元気してたかっ!?」
長い黒髪を後ろで結い、糸目に小柄な体躯、刀を差した軽装がの彼女は【ティアーソン】。以前ドワーフの村で主で貴族の【ツメイ】と共に知り合った友人だ。彼女がこの街にいるということは……彼も来ているのか?
シルクハットを軽く持ち上げ、彼女の目線の高さまで深くお辞儀をする。
「ご覧の通りさ。あれからの経緯もドワーフの皆さんから聞いているよ。ごめんね、俺にできる範囲の事はするって言ったのに、期待を裏切る形になっちゃって」
「何言ってるんだよ、ああでもしなきゃツメイはテコでも動かない。俺としては一番いい形で一件落着したと思ってるぞ。ドワーフ達も協力してくれたし、ツメイは……まぁ……怒っちゃいたかな?」
「だよねぇ」
苦笑いして上半身を起こし、シルクハットを被り直した。そんな俺の顔見てティアーソンは後頭部に両手を組んで、「ニシシシ」と白い歯を見せ得意げに笑う。
「大丈夫、あいつが本気で怒ってんなら、血眼で私兵を駆り出してでもアラネアを探してる。そこまでしないのはまんざらでもない証拠だって。あいつの刀やってる俺が言うんだ、間違いないよ。たまに様子を見に行ってるくらいだし」
「ほっ。それを聞いて安心したよ、ありがとう。彼にもいずれ詫びをいれに行かないとね。……ところで、今夜はツメイと同行しなくていいのかい?」
「んー……出先の取引が上手くいって、今夜は一人で酒でも飲みながら花火を見たいんだと。だからほら、俺もこいつを持たされて遊んで来いって言われたわけで」
不満げに唇を尖らせるティアーソンは腰に下げた革袋を取り外し、手のひらでポンポンと跳ねさせる。財布だろうか、硬貨が詰まったずっしりと重たい質感が見てるだけで伝わってくる。几帳面な彼の性格にしてはかなり羽振りの良い行動だ。
「気前よく渡された時は無難に散財しないと怒るんだ。で、アラネアの店でその……黒くてパリッとした服を買おうと思ってさ」
「成程ね。うーん……スーツは君の体躯に合うのは今夜持ち合わせてないなぁ。事前に話してくれれば採寸してぴったりの物を用意することは出来たけど……」
「まじかぁ、カッコいいと思うんだけどなぁアレ。ツメイがどんな顔するかも見てみたいし、どうにか用意できない? 頼むよ~アラネア~、俺達友達だろ~?」
「……うん、一先ず採寸してみよう。君の丈が分かれば、後日郵送やドワーフの村を利用して受け渡しできるし、持ち合わせで似合う物を用意できるかもしれない」
「おおっ、流石話が分かる蜘蛛男っ!! ならびっくりさせたいから、今夜アラネアがここにいたことはツメイに内緒にしておくよっ!!」
「あっはっはっはっ、多分お互いの為にその方がいいねっ!! では早速採寸に取り掛かろうっ!! まず両腕を肩の高さまで横に上げてくれっ!!」
***
小さな子供と談笑しつつ、アラネアは手際よく採寸している。珍しい剣を脇に差し、【浴衣】ともよく似た軽装の風貌。前に話してた、ドワーフの村で知り合った子供っすかねぇ。確か貴族の従者とかどうとか――――
「――――温い」
「ほ?」
いつの間にか持ち場を離れたティルレットが、目の前の【生成術】で作り上げた大きな鉄桶へ漬けた硝子瓶に触れて呟いていた。俺も水に手を突っ込んで水温を確かめる。瓶の中身は葡萄・林檎・ベリーをそれぞれ絞った果実飲料っすけど、周囲の熱気で街の井戸から汲み上げた冷水が温くなってたっすか。
「貴様、こんな代物を客へ圧し売る魂胆ではあるまいな?」
「それは俺のプライドが許さねぇっす。美味いもんは一番美味い状態で差し上げたいっすから。つっても……この人混みの中、井戸まで行くのはきついっすねぇ……?」
「………………」
察して自主的に協力してくれるかと思い、それとなく疑問形で言うもティルレットは無表情で、俺の顔から視線をそらさない。やっぱ……お願いしなくちゃダメっすよね、ハイ。調子乗ってやした。
「ティルレット、どうか氷を恵んでくれっすっ!! 俺は氷や完全に冷気を閉じ込める素材の容器は作れねぇっすっ!! どうかっ、どうかこの凡骨の為に一丁氷をお願いしゃっすっ!!」
「………………」
両手を合わせ、彼女に懇願する。ティルレットはそんな俺を見て呆れる様子を見せるでもなく、一瞬だけ周囲に冷気を放ち、微動出せず鉄桶の水を【完全に凍らせた】。……あの、素手じゃ取り出せないんすけど。っていうか両手の水気も凍って剥がれねぇっす。顔の汗や眼球まで凍ってないのは御の字っすかね。
「不肖、ティルレット。冷気と情熱を扱いはすれど未熟な故、繊細な匙加減が可能とは一言も語らず。有か無か。壱か零か。陳謝」
「お……おぉう……そういやあんた、その身体の呪術で冷気の加減ができないって前に言ってたっすね」
「策は有る。瓶を割らず氷のみ粉砕すれば良い。【生成術】で刃物を出せ」
「今ここでやるんすかっ!? いくら早業でも派手に刃物振り回すのは人目に付くっすよっ!?」
「問題無い。溶けるまで待つか、貴様がやるか?」
「ぐぬぬ……こうもバッキバキに凍ってたら、一息にスパンとやらねぇと硝子瓶も割れるっす。慎重に――――」
「――――待ったっ!! ここは私に任せてっ!!」
凍った鉄箱を挟み、はつらつとした声が会話へ割って入ってきた。二人で声の主へ目をやると、小振りのランスを腰に携え、銅色の胸当てや籠手など軽装防具を纏った少女が自信ありげに両腕を組んで立っている。癖っ毛の明るい茶髪に緑の瞳、可愛らしい顔立ちっすけど……なんか違和感を感じたっす。
「お兄さんお姉さん、この鉄桶内の硝子瓶だけを割らずに氷を砕ければいいんでしょう? ちょっと失礼するわっ!!」
「お、おう?」
「………………」
銅の騎士は両手を凍った鉄桶の表面へ置き、目を細め氷の中身を探るように指先だけを細かく動かす。――――数泊置いて指の動きが止まり、右手人差し指と中指を合わせ、一ヶ所を指先でコツコツと叩く――――ガラガラと、まるで大量の石が坂を転がる堅い音をたてて、割れた氷は小石程の大きさへ変化した。
力技じゃない……ほんのりと銅の騎士の指先から垂れる魔力が見えたっす。あれで内側から硝子瓶を避けて割ったんっすねぇ。
「はぇー、器用な【魔術】っすねぇ……」
「ありがとっ!!」
誉め言葉へにこやかに礼を述べた銅の騎士は籠手を外し、袖をまくった右腕を氷塊の山へ突っ込み、果実飲料の入った硝子瓶を一本引き上げる。木の栓を抜くと半端に凍ったベリーが溢れ出し、いくらか地面へこぼれた。
「おっとっとっ、中身は完全に凍ってないわね。これなら吹き出すのに気を付ければ売れるんじゃないかしら? おいくら?」
「いやぁ、ウチでやっちまった事なんでお代なんて受け取れないっすよっ!? こっちこそありがとうございやすっ!!」
「感謝」
銅の騎士は瓶へ口を付け喉を鳴らして飲み、口の周りのベリーを舌でペロッと舐める。冷えた飲み物を一息に飲んだからか、頭を痛そうに右手の甲で擦った。
「く~きくきくぅ~っ!! こう暑いとぼーっとしちゃうし、【きつけ】にちょうどいいわ~っ!! こんな冷えた飲み物を売ってるのはここくらいだよぉ~っ!!」
「お客さん、軽く防具をつけちゃいるっすけど魔術師か何か?」
「ん~、本職は騎士よ。でも視力が普通の人達より弱いから、魔術に頼ってるの」
「然し、完全なる盲目では無い様子」
「そ、少しは見えるわ。眼鏡や文明の利器じゃまともに見えないだけでね。……まあ、そのせいで隊長とはぐれちゃったわけだけどさぁ。そんな中、強い魔力の気配を辿って来たらお姉さん達だったってわけ」
片目を閉じてこちらを見る銅の騎士の緑の瞳は微妙に揺れ動き続け、瞳孔も大きくなったままだった。俺も眼鏡なんで分かるんすけど、生き物の眼球ってのはレンズ代わりの硝子に似た部位の他に、中にある繊細な筋力で物をはっきり認識できるようになってる……らしいっす。そのレンズや筋力が怪我や病の後遺症・生活習慣・生まれつきで弱かったりすると補正器具無しで認識するのは難しいんす。何もかも靄がかって、ぼやけて見えちまうんだ。
半分ほど飲み終えて、銅の騎士は話題を変える。
「それはそれとして、お兄さんとお姉さんはどこかに所属してる傭兵か何かなのっ!? 巨大な鉄の容器は【生成術】による物だし、瞬時に水を凍らす冷気を出せるなんて私なんかより実用的じゃんっ!! ねえねえ、もし良ければウチの隊に加わってくれないっ!? ちょっと危険だけど給料いいよぉ、人々の為に【悪魔】達と戦うのは気持ちがいいしねっ!!」
「………………」
「な、なんか物騒な話っすねぇ? んでも、俺達にも雇い主がいるんで、そういった契約は出来ないんす。すんません、お客さん」
「あれま、残念っ!! 腕のいい魔術師をスカウトできると思ったんだけどなぁっ!! ……そっちにも事情がるなら仕方ない、か」
銅の騎士は瓶の中身を一気に飲み切り、空き瓶の入った箱を手探りで探し当て、そっと並べて置いた。
「ご馳走様っ!! まっ、私達もいろんな場所を巡ってるから、機会があればまた誘うわっ!! じゃっ、お二人も頑張って【夜市】を盛り上げてねっ!!」
***
飲み終えた彼女は終始笑顔のまま、人混みの中へ消えた。その後、道端から一部始終を見ていた客が押し寄せ、凍った飲み物は次々と売れていく。客足が落ち着いて暇になる頃には、持ち込んだ果実飲料の九割が無くなっていたっす。すごいっすね、本物の魔術を使った集客効果ってのは。
【獣人】家族が飲み終えて満足げに立ち去るのを見届け、【完売】と書いた看板を氷の入った鉄の容器へ立てかけた。残り四本。俺とアラネア、ティルレットにシスターで分け合いやしょ。首から下げたタオルで顔の汗を吹き、四本の硝子瓶を指で挟んで、少し離れた場所で絵画を売るティルレットの元へ歩く。
「俺の方は店仕舞いっす。そっちは……あまり芳しくないようで」
「否。芸術は万人に理解出来る感性に非ず。真価は価値観の理解者にしか分かるまい」
組み立て式の簡素な椅子に座るティルレットは、俺へ顔を向けたり表情を変えることなく答えた。まあ、商品の絵に関しちゃあんたの趣味っすから、売れようが売れまいがどちらでもいいって本人は思ってるんじゃないすかね。そんな素っ気無く正面の人混みを見続けるティルレットの顔の前へ、林檎の果汁が入った硝子瓶を突き出す。
「ほい、ティルレットの分っす。氷はあんたのおかげっすから、礼はちゃんと返すっすよ」
「貴様にしては律儀な」
「いやいや、俺は元々律儀な漢っす」
「………………」
無言でティルレットは瓶を受け取り、売り上げや道具の入った小箱の上へ置いた。「不要」や「拒否」で突っぱねない辺り、お嬢だけじゃなくティルレットも変わったっすねぇ。俺には風当たり強いまんまっすけど。
「どう思うっすか、あの騎士」
親指で自分の顎を擦りながら、それとなく尋ねる。
「敵意は皆無。弱視故の誤認か、未熟か。いずれにしろ、注意すべき相手であろう」
「そうっすね、複数人で来てる雰囲気もありやした。もう少し詳しく聞くべきだったすかねぇ……」
「不要。代償に名前を認知されては面倒だ。互いに浅い関係のまま、警戒されず場の収拾が最良」
「はぁ、経験則すか。流石年の功」
「貴様も単身旅へ出向き、社交性を学べ。肌身で痛感すれば、余計な口も減る」
「へいへい、お喋りな俺が単身で旅に出る頃にゃ、世の中ひっくり返ってる方に期待してるっす」
おどけて返すとティルレットは珍しく鼻で笑った。……いや、表情は変わらないんで単に呆れてるのかもしんねぇっす。
「……暇なら【夜市】を見て回れ。手は足りている」
「お? いいんすか? なんなら看板持って宣伝くらいはするっすよ?」
「邪魔」
「ちぇっ、つれないっすねぇ。……まあ、アラネアも手が足りてやすし、俺が残って役立てることは無さそうっす。そのへんの出店で食いもんでも買ってくるっすよ。今日は朝飯しか食ってないっすから、胃が背中とくっつきそうっす。ティルレットは食いたいもんとかあるっすか?」
「………………」
「………………」
「…………任せる」
「了解っす。んじゃ、また後で顔出すっすよ」
腹減ってるなら素直に一言いやぁいいのに。口に出る前にティルレットの前を通り過ぎ、アラネアの元へ歩いて向かう。これでもあんたに気を使ってる方なんすよ?
***
「…………宣伝、か」
***
皆で飴細工を舐めながら【夜市】を回っていると、判別できない言語の怒号が耳に入った。揉め事か? スピカがはぐれないよう、しっかりと手を握っているのを確かめつつ、アポロに先導させ人をかき分け音源へ向かう。
「――――――!?」
「――――――!!」
「――――――!!」
怒号の正体は大きな角を二本生やした鹿頭の【獣人】と黄色いくちばしに赤い体毛の派手な【鳥人】の二人だった。人間の店主の酒場の前で、いつ取っ組み合いが起きても不思議でない空気を周囲へ醸し出し、互いに【人語】ではない言葉を叫びあっている。周囲の客も困惑し、間に入ることなく距離を取っていた。
「あーっと……俺、【鳥人語】はカタコトですけど、【獣人語】はさっぱりです。司祭と副司祭は【獣人語】分かります?」
「いえ……他種族の言語に関しては残念ながら……」
アポロの問いかけに期待へ沿えそうにないと返す。アダムも険しい表情で首を横へ振った。ペントラも顔をしかめ、二人の言い合いの元を理解しようとしている。仲介役として適任な人物を探す? しかし、離れてる間に事が起こっては遅い。目の前の二人の口論は益々白熱し、会話の成り立たない者が迂闊に間へ入っては危険だ。
「ふむ……大体把握したので、ここはボクに任せてください」
「?」
「あ、ちょいと待ちなスピカちゃんっ!?」
僕とペントラの手を離し、スピカは言い争う二人の元へとことこと歩いて行く。彼女の存在に気付いた二人は鼻息荒く興奮しながらも、視線を小さな存在へ向けた。スピカは二人の間へ立ち、先に派手な【鳥人族】を見上げた。
「えっとですねぇ。――――――?」
「!? ――――――!!」
「――――――、―――――――」
「……――、――――――!!」
「ははぁ、成程。では――――、――――――?」
スピカは流暢な【鳥人語】で会話を始めた。鹿頭の【獣人】や人間の店主を含め、周囲は静かにその様子を見守る。アポロは「すげぇ」と口から一言漏らす。次第に怒りが冷めて来たのか、派手な【鳥人】の話し方も落ち着いた様子に聞こえた。そしていくつか短い会話をし、今度は鹿頭の【獣人】を見上げる。
「んん、――――。――――――――?」
「――――――。――……――――、――――――――」
「――――」
軽く喉を鳴らし、先程とは【両人語】と違うやや鼻にかかった癖のある発音で彼女は鹿頭の【獣人】と会話を始める。今度は【獣人語】か。スピカの話に返す言葉少なく聞く鹿頭の【獣人】は事の経緯を説明されたのか、頭を蹄に似た指先の爪で掻いていて、やや気まずそうだ。少なくとも、表情に怒りの色は見えない。
「――――――……――」
「――――、それと――――――。周囲のお客さんやお店にも迷惑ですから、どんな理由であれ喧嘩はご法度です。店主さんにも謝ってください」
スピカの言葉に【獣人】と【鳥人】は顔を見合わせ、カウンターを挟んで成り行きを見守っていた店主へ向き直ると、頭を下げた。
「……モウシワケナイ」
「スーマセンシタ」
「あ……ああ、いえ、大丈夫ですよ。職業柄、酒の席での喧嘩は見慣れていますから。……ありがとうございます、お嬢さん。私も他種族の言語には疎くて……」
「いえいえ~、解決できてよかったです。さて……皆さんもそのまま足を止めていると通行の流れを遮ってしまいますし、お客さん以外はどうぞ【夜市】の観光へ戻ってくださいね~」
周囲で見守っていた通行人達もどよどよと話しながらも、人の流れへと溶け込んでいき始める。僕らも邪魔にならないよう気を払いつつ、彼女の元へ向かう。こちらの顔を見たスピカは、照れ臭くも誇らしげな表情をして出迎えた。
「ふふん、種族の語学と文化の知識に関しては自信がありますっ!! 使える言語が多いほど、交渉には有利ですからねっ!!」
「すごいじゃないか~っ、大したもんだよスピカちゃんっ!!」
「いやぁ、俺も頭が上がらねぇっすわ。もっと勉強します……」
「あははは、僕も同じくです……」
「ふん。語学に関しては、今後を考えれば確かに我々が学ぶべき対象だな」
「…………はい」
スピカの頭を犬か猫のようにわしゃわしゃと撫でまわして褒めるペントラを見ながら、彼女の対応を見守っていた僕らは各々の知識不足に苦い表情をした。
【天使】は神々の信仰対象である【人間】のみを救済すればよい。その古い固定概念は人間以外の生活文化、語学に対して学ぶ機会そのものを取り払ってしまっていた。だが……感情も読み取れない相手との言葉の壁は、僕らが考えるより高い。実際に力になれない光景を目の当たりにして、何もできない自分自身が歯がゆかった。
「……ですが結局、何が原因で言い争いにまで発展したんです?」
口髭を短く整えた人間の店主へ尋ねる。彼は申し訳なさそうに眉を下げ、カウンターの下から生の葉野菜を盛りつけた皿を、派手な【鳥人】の前へ置いた。
「お二人は時間差で来店され、同じ物を注文されましたので、自分の注文だと勘違いして口論になったようです。……お酒が入っていては判断力も鈍りますので、先程も申し上げた通りお酒の席ではよくあることです。それぞれの言語で白熱されるのは初めてでしたが……」
「……スーマセンシタ。オレ、ワルカタ、デス。ミズ、クダサイ」
「お気になさらず。水ですね、少々お待ちください」
長く青い羽根が生えた両腕の先に付いた小さな四本指の手で顔を嘴を隠す仕草をして、派手な【鳥人】はたどたどしい人語で酔い覚ましの水を注文する。分かってしまえば些細な原因、だが数分後は取っ組み合いに発展していてもおかしくない状況。スピカがいなければ、僕らはどうにもできなかった。
「――――お見事、お見事。小さなお嬢さん、町長として礼を言わせてください」
小さく拍手してこちらへ近付いてくる、薄い黒の上着と白の半袖に麻の長ズボンの涼し気な格好の男。ふっさりと蓄えられた白い口髭、やや小太りな体格……印象的な葉巻を咥えていないが、町長の【ボルドー】氏だ。彼も人だかりに混じり、こちらと同様見守っていたか。
ペントラもスピカから撫でる手を離し、ボルドー氏へ向き直る。表情は緊張しているのかやや硬い笑顔だ。
「見回りお疲れ様です、ボルドーさんっ!! この子は【魔物混じり】のスピカちゃん。ちょうど皆で【夜市】を回ってたら、喧嘩してる場面に遭遇しましてねぇ……」
「スピカです。お話はアラネアより伺っていますが、こうしてご挨拶するのは初めてですね。どうぞお見知りおきを、ボルドー町長」
「ああ、アラネアさんのお連れ様でしたか。町長のボルドーと申します。まあ、大変賑やかな夜ですし、硬い挨拶はお互い抜きにしましょう。こちらもこのような格好で申し訳ない」
ペントラの紹介にスピカはスカートの裾を両手で軽く持ち上げ、片足を後ろへ運ぶ丁寧なお辞儀と挨拶をし、ボルドー氏もにこやかに軽く片手を上げ頭を上げるよう促す。初対面だが、互いにアラネアを通してある程度の情報や立場を認知しているようだった。ボルドー氏はスピカがお辞儀をやめるのを見届けると、今度は僕らの方へ向き直る。
「ポラリス司祭達も揃いの服で【夜市】を楽しんでいらっしゃるようで嬉しい限りです。皆さん華やかで、大変お似合いですよ」
「ありがとうございます、ボルドーさん。これは【浴衣】と呼ばれる【竜人族】の衣装で、アラネアさんがお貸ししてくださったものです。彼の露店へは既に立ち寄られましたか?」
「いえ、これから向かおうとしていたところです。そうですかそうですか。流石は蜘蛛の仕立て屋、見事なお仕事をしなさる。アラネアさん達は初の参加で段取りも大変だったことでしょう。……何分、他の街や村では【魔物混じり】の偏見が激しい地域も未だあります。是非、我が街を中心として変えていきたいものですな」
「………………」
「……ポラリス司祭、アダム副司祭、アポロさん、新人さん。あなた達はニーズヘルグ殿とは全く違う。【人間】を信仰対象にする神々の教えへ背く形になるやもしれませんが、この街の人々へ献身的に貢献しようと働きかけ、【魔物混じり】の小さな子の手を引いて歩く姿に感動いたしました。……飴細工の露店で偶然皆さんを見かけたもので……大変失礼な行動をお許しください」
「ボルドーさん……僕らは大丈夫です。身に余る評価をありがとうございます」
思わぬ心強い言葉に……目頭が熱くなる。
――――静かに目を閉じ、彼の感情から記憶を辿る。アラネアは【機神】の件での謝罪や【夜市】への参加を申し出ただけでなく、他種族への偏見にも話を触れていた。彼の言葉にボルドー氏も突き動かされるものがあり、僕らの名前や教会は一切話題に出なかったが、彼の中で協力者として候補に挙がったのが【教会】と【なんでも屋】のペントラの存在だ。
【夜市】が開かれるまでの数日、いつ相談しようか、どう話を切り出そうかと機会に悩み、理解して貰えるか不安を抱えながら……今日に至った。
……彼は町長として多忙の身。教会へ訪れる暇がないだけで、ずっと悩んでいたんだ。
涙を指で拭おうとした矢先、ボルドー氏が白いハンカチを差し出してくれた。胸が引き締まるのを感じながらハンカチを受け取り、両目の涙を拭う。
「……すみません。町長であるボルドーさんから、その言葉を聞けたのが嬉しくて……」
「私も彼の話を聞いた時、同じ思いでありました。ポラリス司祭が最初に挨拶しに訪れた時も申し上げましたが、互いに協力し合える良い関係を【教会】と築きたいのです。そして貢献してくださる皆さんへ、街とそこへ住む我々も応えなければならない。代表する者として、どうかお力添えをよろしくお願いします」
***
差し伸べた手が繋がっていく。あの時救い、救われた一人の【天使】を中心に皆が変わり、行動し、種族を越えた新たな繋がりがたった今生まれた。ここから世界が変わっていく。決して儀式や様式めいた堅苦しい交渉の場所ではない。喧騒に包まれた小さな酒場で、またボクらの世界は外へ広がっていく。
お兄さんは涙を拭いたハンカチを町長へ手渡しで返すと、こちらを見て微笑み、小さく頷く。まだ全ての秘密を町長に語ったわけではない。でも分かり合えるんだ、ボクらは。
「よかったね、スピカちゃん」
ボクの頭へ手を置いたペントラは優しく撫でて、二人のやり取りを見て呟く。……会話が聞こえて理解できたのか、こちらに背を向けカウンター席に座る鹿頭の【獣人】と赤毛の【鳥人】も、肩を震わせ静かに泣いていた。ちょび髭店主も静かにこくこくと頷いている。この酔っ払い二人は……まあ、いろんなきっかけになってくれたんで良しとしましょう。
「――――では、私はこれにして失礼させていただきます。引き続き、【夜市】を楽しんでください」
「はい、楽しませていただきます。町長さんもこの先は人の流れが多いですから、お気をつけて」
「ほっほっ、主催者からしてみれば慣れたものですのでご心配なく。……ああ、それと最後に一つ」
「はい?」
話が纏まったのか、切り上げて立ち去ろうとしたボルドーはこちらへ振り返り、【浴衣】姿のペントラを見て小さく笑う。あー、あの目は知ってます。親が子を見る目ですよ。
「スピカさんを挟んでペントラさんと司祭が手を繋ぐ姿、あれは若き日の自分と妻と息子を見ているようでした。いずれお二人も――――」
「――――ばっ!? なっ……あ、そういうのいいからっ、早く次の場所見て回っておくれよ町長さんっ!? アタシはスピカちゃんがはぐれないか心配して手を繋いでただけで、ポーラとはそういんじゃ――――」
――――真っ赤になって慌てて否定するペントラ。頭に乗せられた手にも力がこもっているのを感じます。撫でられているというより鷲掴みされてますね。見てる分には面白いですが、自分がその対象になると痛いですよこれ。そのまま片腕で持ち上げられそうなくらい力んでますもん。
「兎にも角にもっ!! そっちもそっちで見回る仕事あるんだっ!! アタシの事はいいから町長さんは自分の仕事して自分の仕事をっ!!」
「ふっ……ポラリス司祭。いずれは重ねて見た光景が日常的に見られるよう、心待ちにしております」
「? ……はぁ、ありがとうございます?」
「こらぁっ!?」
「ほっほっ、では失礼っ!!」
ペントラから逃げるように、町長・ボルドーは人混みの中へ消えた。肝心のお兄さんはきょとっとした表情で彼を見送り、アダムは頭痛そうに、アポロと新人は両手で口を押さえて噴き出すのを堪えるような恥ずかしいような仕草をしている。皆違って賑やかで、可愛い人達ですよ。こっちもニヤニヤしてしまいます。
酒場の店主は酒瓶を磨きながらも頷き、口論していた二人も言葉なく頷き合っていた。……種族間を越えた別の友情も芽生えつつありますね、この空間。ペントラもそれに気付いたのかボクの手を引き、ずかずかとお兄さんの元へ向かうと……彼女の空いた左手でお兄さんの右腕を掴んだ。
「あんたらも行くよ、ほらっ!? 回る店はまだ沢山あるんでしょっ!! 用もないのに油売ってる場合じゃないよっ!!」
「え? あ、はい。すみません皆さん、お騒がせしました」
「あっ、ちょっと待ってくださいよペントラさーんっ!?」
慌てて追いかけてくるアポロの声を背に、頭を下げる暇もなくお兄さんとボクはペントラさんに引っ張られ、人混みへ入る。ペントラさんの恋も今夜進展があるといいですねぇ。




