第五章・死にたがりの【天使】~【第十六節・祝福のララバイ】~
前節からの続きです。
書いている最中に二万字近くなってしまったので、分割しての投稿です。
翌日、午前九時二十六分。教会の借家で街周辺環境調査の総評、ローブの【機神】についての報告書をミーアと共に書き上げ、アタイらの本日の業務は終了となった。……いや、王都に戻るまでが任務。奴の話が本当なら、道中何も無いと楽観視できないか。
「ミーア、出かけるぞ。街を出立する前に携行保存食と水、紙マッチ、止血帯、あと派手じゃない地味なローブ。これだけは最低限揃えたい」
「ローブ? 何に使うおつもりですの?」
淹れたての紅茶を飲みながら机へ向かい、【機神】の資料を確認していたミーアが椅子を少し後ろへ下げ、振り向く。
「あえて資料には書かなかったが、どうやらアタイらの顔はエルフ族の【機神】連中に割れてるっぽい。途中馬車を使うとはいえ、道中は長さを考えればまた襲撃されないとも限らないし、念には念をだ」
「……わかりまし――――ああ、待ってくださいなっ!? ローブを二人分買ってしまうと、王都行きの馬車代が足りませんわっ!!」
「は? そんな使ってないだろ。まともに使ったの飯代くらいだし、【ルシ】からそれなりの額は貰ってる筈――――」
「――――服の補修と新調代、私とポーラさんの入院治療・薬代、武器・鎧の新調、あなたがアポロさんと飲んだ酒代諸々……街の物価が安くても、これだけ出費が重なれば足りなくなりますわよっ!!」
「お前……先輩やマッチョ君の分まで、律儀に払ってやがったのか……」
「当然ですわっ!! 明らかにこちらに非があるんですものっ!! 迷惑料と考えれば安過ぎるくらいですわっ!!」
「んなもん王都兵権限でツケときゃぁいいだろ」
「金銭の直接関与する不当な職権濫用は、地位に関わらず重罪でしてよっ!?」
こちらの顔を右手で指差し、ミーアは自分の肩下げ鞄から財布と思われる黒革の巾着を引っ張り出す。まずアイツらだって言うほど貧乏じゃねぇし、ポラリスとは互いに怪我を承知した上での【手合せ】だ。……かと言って、払っちまった以上金返せともいえねぇし、アポロの財布がスッカラカンになるまで飲んだのは悪いと思ってる。
腰に付けたポーチから、自分の財布を取り出して覗く。……銀、銅貨の小銭ばっかであんまり入っちゃいないが、二人分のローブと【ルシ】への土産買うくらいはできそうな額はあるか。背に腹は代えられないって、こういう事かね。
「はぁ……ローブ代はアタイが払う。そうすりゃ補充分と馬車代は足りんだろ」
「まぁっ、珍しいっ!! サリー神官が自身の財布からお金を使うだなんてっ!? 明日は雪でも降るのかしら……」
「備えに手を抜いて死ぬのは御免なだけでーす。大体、出費の割合だけで考えりゃテメェの方が多いだろうが。鎧なんて金の掛かる動き辛いもん着込みやがって。いっそ質で売っぱらって路銀の足しにしろよ。年頃の町娘っぽい格好になりゃ、目立たなくなって一石二鳥よ」
「鎧が無いと子供と間違われてしまうから嫌ですわっ!! 私が言うのもなんですけど、並んで立つと黒づくめのあなたの方が完全に不審者ですわよっ!?」
「仕方ねぇだろ。兵舎勤めに支給されてる奴がこれしかねぇんだから」
***
午前九時四十分。借家から出て露店と商店の集中する商業区で品定めを行う。干し肉、乾燥させた輪切りの野菜と果物、煮沸消毒済みの地下水、紙マッチに止血帯。……残るはローブと【ルシ】への土産のみとなった。後者は別に必須でもないが、一応この街への任務を手引きしたのはあいつだ。何もしねぇってのはモヤモヤする。
「【ルシ】様の好きそうな物……サリー神官はご存知?」
布屋で身長に見合ったローブと色を見立てながら、ミーアがアタイへ訪ねる。
「いんやぁ。だが、絡繰細工とか中身がやたらと細けぇ物、あと古臭い物ならなんでも喜ぶよ」
「なんでもは失礼ではなくて? 聡明なお方ですもの。よく考えて決めないと――――あら?」
「ん?」
通りへ面した窓越し。杖を突いて歩く司祭服姿のポラリスと、教会のローブを纏い、額へ包帯を巻いたアポロの姿が見えた。この時間帯に教会の外へ出歩くとは珍しいじゃないの。
「お二人共、お仕事中かしら?」
「出来上がるまで時間もちょいかかるし……挨拶だけでもしておくか」
店主へ出来上がったローブをまた後で受け取りに戻ると伝え、代金だけを先払いして店の外へ出る。二人はまだそれほど離れてはいなかった。よたよたしい歩き方に髪色も相まって、老人の後ろ姿にも見えるポラリスとアポロへ歩いて追いつき、後ろから声をかけた。
「おはようさんでーす。ポラリス先輩、マッチョ君。随分としんどそうな歩き方してるじゃないですか」
「? ……ああ、おはようございます。サリーさん、ミーアさん」
「お二人共おはようございますっ!! 出立前の要り物探しですかね?」
「おはようございますわ。ええ、少しばかりの補給を。……ポーラさん、お仕事に熱心なのは感心ですけども、怪我が酷いのなら養生することも大事ですわよ」
ミーアの言葉にアポロと顔を見合わせ、ポラリスはこちらへ苦笑いを返す。
「あっははは。……業務へ支障をきたさない程度には治ったんですが、これはその……無理をし過ぎた反動、というか……日頃の運動不足のツケが回って来た、と言えばいいでしょうか……」
「ポーラ司祭、今朝から全身筋肉痛なんですよ」
「筋肉痛……筋肉痛って、なんですの?」
「……元々、出来上がった筋肉質のドワーフ族にゃ無縁のもんだよ」
初めて聞いた単語が理解できなかったのか、きょとんとした顔のミーアへそう返し、ポラリスの脇腹を指で突く。
「ひぁっ!?」
「アッハッハッ!! いい反応するじゃないのっ!? うりうり~っ!!」
「ふっ!? あのっ、やめてくだ……っ!! サリーさんんんっ!? ふんんっ!?」
ポラリスは肩や腹を指先で突く度に、必死な表情で杖の柄へ掴まる。アポロもツボへハマったのか、口元を抑えて震えながら見ないようにしていた。やっぱ面白いなぁこいつら。
「そっ、そこまでですわ、サリー神官っ!? 筋肉痛というものは存じませんけど、ポーラさんが苦しそうですものっ!!」
ミーアが間へ割って入るようにして、両手で杖へもたれかかったポラリスの両肩をがっちりと掴む。
「いいいいいいぃ……っ!?」
「きゃああああっ!? ごめっ、ごめんなさいっ!? えとっ、どうしてあげたら……っ!?」
「あーっはっはっはっはっ!! ひぃ~っ、おかしい~っ!! うぇっほげほっ!!」
「んんくく……んんっ!! ミーアちゃん、離してやって――……ぶふぅっ!!」
二人が教会から離れた商業区へ訪れたのは、商業区近辺で一昨日生まれたばかりの赤子を祝福する為だった。副司祭のアダムと新人【天使】に教会は任せ、司祭であるポラリスと、歩き方がおぼつかない彼の補佐としてアポロが同行している。無理せずアダムが行けばよかったのではとミーアが尋ねたが、赤子を抱いた経験が無いのと子供受けが悪いので渋ったらしい。
「でも、その状態で赤子を抱くのは無理じゃありませんこと?」
「ええ。……なので、赤子を抱いた事のある彼に補佐をお願いしたのもあります」
「副司祭は子供苦手なのもあるんで、逆に経験積んで慣れて貰いたいんですがねぇ。あの人、堅そうに見えて子供に泣かれたりするのには弱いんですよ。新人へ任せるのはまだ不安ですし、俺もちょっと抱いた事がある程度なんですけど、消去法で適任は俺しかいないってことで」
自信ありげに親指で自分を指すアポロ。その腕なら赤子を落とす心配もなさそうだし、彼になら任せても問題なさそうではある。こちらがこの場で引き留めても邪魔になるか。一旦別れて――――
「――――あっ、どうせならサリーさんも来ませんっ!? 王都は人口も多いですし、祝福の流れも同じですから俺達よりも手馴れてるでしょう?」
「へ? アタイっ!? まぁ……無いってことは無い……けど」
アポロからの予想外の提案で言葉に詰まった。赤子を抱いたり、王都の人間へ祝福をした経験が無いわけじゃないが、数年前の事だ。当時もセルとウールの方が赤子をあやすのが得意だったし、正直上手くできる自信が無い。
「アポロ、お二人には出立するまでの準備があるのですから、無理にお願いするのは悪いですよ」
「いやぁ……無理って事は無いんだよ。ただちょいと、ホントにちょいとブランクがあるって言うか……」
「いいえ。喜んで引き受けさせていただきますわ」
「!?」
ポラリスがこちらへ気遣って乗り気でないのに対し、ミーアは勝手に承諾してしまった。喜んでって……やるのはアタイなんですけど?
「ほらっ、露骨に嫌な顔しないでくださいなっ!! 王都の神官として、民草の新生児を祝福するのも仕事の一つですってよっ!! 地位はあなたの方が上なのですから怠慢せず、たまにはまともに仕事している姿を私に見せてくださらない?」
「あのねぇ、お嬢様。……アタイだって得意不得意はあるんだよ? 昔ならまだしも、今はあんたも不審者って例えるくらいには、人様の目に良く映る人相でも格好でも無いし――――」
――――アポロにがっちりと両肩を掴まれ、目が合う。初日の夜や、昨夜見せた怒りに満ちた表情と違い、真剣で真っ直ぐな表情。思い返せば、あんたとは喧嘩や罵り合ってばかりで、真剣な顔を見るのは初めてだ。
「俺はサリーが今日やることで、サリーと赤ん坊にとっていい経験になるって信じてる。顔とか格好とかそんなんより、あんたの気持ちのこもった言葉が欲しいんだ。ミーアちゃんの言うように、これは赤ん坊がしっかりと生きられるよう祈る大事な儀式の一つ。今まで強く生きてきたサリーが祝福するんなら、同じくらい強く生きてくれる筈さ。……頼む」
「………………」
ズルいなぁ、本当に君はズルいよ。観念して溜め息をつき、返答をした。
「ふー……わかった。逃げてばっかで死にたがりのアタイの人生でも良ければ、祝福させてもらうよ」
「んなこたぁねぇよっ!! 今じゃこうして、生きたくて生きてんだからさっ!!」
心底嬉しそうに歯を見せて笑う顔を見て、胸が苦しくなって泣きそうになる。セルと重なるってのもあるんだけど、あのアポロからその言葉を聞けたのが、アタイも嬉しかったんだ。
***
連れられて向かった先は、とある青果店。小さな赤い花の入った蓋の無い大きめのガラス瓶と共に、夏野菜・果物を軒下で売る威勢のいいエプロン姿の若い男店主は、こちらを見つけると快く店の奥へと通してくれた。品物毎に仕分けされた木箱の並ぶ狭い通路を抜け、布一枚で仕切られた屋内へ入ると、簡単な寝床で泣きじゃくる赤子をあやす、頭に三角巾を巻いた店主の妻がパタパタと走って出迎える。
「すみませーん司祭様っ!! この子、今朝からちょっと機嫌が悪くて……ってあら、大丈夫ですか? 足か腰でも怪我をなされました?」
「いえ、これは日頃の運動不足が祟ったと言いますか……あはははは……。赤ん坊は泣くのがお仕事ですし、落ち着くまで少し待たせてもらいますよ」
「ありがとうございますー。そちらの方は?」
「王都からの使者さんだよ。鎧姿の方が王都兵士さんで、隣の方は神官様さぁ」
男店主が簡単に紹介し、赤子を寝床から抱き起してあやしつつ室内を歩き回る。生まれたばかりの赤子の【思考】はぼやけていて、何を主張し、何を欲しているのか【天使】にも読み取れない。言葉で感情や情報まとめることができないのもあってか、映像としてその日見たもの・耳にした言葉が流れ込む。支離滅裂で夢うつつ。アダムのような堅い【天使】が扱いに戸惑うのも無理はない。
「まぁまぁ、王都からわざわざ田舎まで。折角いらしてくれたんですから、何か包んだ方がいいかしら?」
「お気持ちだけ受け取っておきますわ。突然お邪魔したのはこちらですもの」
「すみません。ですが、どんな御用でこの街に?」
「周辺の環境調査の一環です。昨今、王都周辺でも新種の魔物による被害が出ていて――――」
――――赤子が落ち着くのを待つがてら、夫婦へ街へと訪れた経緯を説明する。無論、ある程度の機密情報は伏せて。ポラリスとアポロは会話に挟まってくるが、ミーアはそわそわとして赤子の方が気になるようだ。抱いていた男店主も視線に気付いたのか、落ち着いた様子の赤子を屈んで見せる。
「兵士さん、良かったら抱いてみます?」
「まぁっ、いいのですかっ!?」
「はぁ……籠手くらいは外せよ、お嬢様。持っててやるからさ」
「ええ、お願いしますわねっ!!」
ミーアは意気揚々と両腕の籠手を外し、こちらへ渡す。赤子の肌は繊細で傷付きやすい。肉も骨もまだ未熟で、誤って怪我をさせることだけは極力避けたいが……初めて抱くのか、差し出された赤子をしどろもどろと抱えるミーア。赤子は見たことのない初めて見る顔をじっと見つめ、ミーアは嬉し気に微笑む。
「軽くて温かくて……肌ももちもちしていて柔らかいですわ。小さな手足と身体なのに、いずれ大きくなって自分の足で立ち、同じように子供を抱きかかえるのを思うと感慨深いですわね。この子は女の子? それとも男の子?」
「男の子です。去年亡くなった親父が店の前に飾っていた花から取って、【モネ】と名付けました。突然戦争が起きたり平和になったり移り変わり激しい世の中ですから、親としても兵士さんの様に力強く生きてもらいたいですねぇ」
「兵士さんはエルフ族なのかしら?」
「エルフ族とドワーフ族の混血でしてよ。外見はエルフ族、身体能力や身長はドワーフ族寄りですわ」
「ははぁ。仲は良くねぇって話はよく耳にしますけど、種族のいざこざ超えての結婚とは、余程お互い惹かれ合うものがあったんでしょうなぁ」
「………………」
我が子の頬を指で撫でて思いにふける男店主の言葉に、ミーアは複雑な表情を浮かべる。親の顔すら知らない孤児院育ち。なら親代わりの人達から愛されて育ったかと尋ねられても、未だ偏見の根深い王都情勢的にも答えにくいか。
アタイ達【天使】も同じだ。数多くいる神々で誰が自分の親か、愛されているかだなんてわからない。生まれおちた瞬間から強く生きざるを得ないのも、人々の為に働き、我が身を犠牲にして使命を全うするのも。人間に神々を崇拝させるだけの【教会】という組織自体、家族とはまた違――――
「――……先輩。先輩にとって、家族とはどんな形とか……考えたことありますか?」
赤子を抱くミーアの姿を、少し離れて見ていたポラリスへ尋ねる。隣へ立つアポロをちらりと見て微笑んで頷き、アポロもニヤリと笑って両手を頭の後ろで組む。
「血の繋がっていない者同士でも、お互いの事を想い合える関係であればそれ以上の形は無いでしょう。上司と部下、友、家族、恋人、知人。広く見ればこの街の皆さんと僕は家族ですし、様々なことを学ばせてくれる師でもあります。種族や生まれの違いなんて、本当に些細な物なんです。僕はそう、一人の少女から教えられました」
「生まれたからにはいつか死ぬ。でも、どれだけ人生を謳歌できるかはそいつの意思次第で、俺達はその助けや支えになりたい。皆が肩を並べて手を取り合うのは無理でも、互いに丁度良い距離感を築き上げられれば、種族間での争いだって起こらないだろ? 共存の形は一つじゃないんだ。【地上界】を創ったのが神なら、俺達は同じ親から生まれた兄弟さ。勿論、アダム副司祭や新人、ミーアちゃんやサリーともな」
「……そうっすか。先輩たちは本当にお人好しですねぇ」
互いに丁度良い距離感、か。手探りで、前例の無い先の見えない試みでも、彼らは彼らで些細な幸福や光景を守る事へ一生を捧げている。広く見れば世界の為であり、狭く見ればその人の為。そこに善悪は無く、【地上界】の人々を導く【天使】としても限りなく使命に近い在り方。最初はアタイもそうだったし、皆もアタイにとっての家族さ。今も昔も。そんなことまで忘れちまってたんだなぁ……。
ミーアの籠手をアポロへ押し付け、抱いた赤子がぐずり始めて戸惑う彼女から、そっと赤子を受け取る。【思考】は霞んだ光景と音。……自分がどうなるか理解できないのはとても不安で、目も耳も満足に見えず聴こえない。それでも泣き声を上げるのは、この子自身が苦しくてもこの世界を生きたいと望んでいるから。
人は、生まれながらにして生きることへ不安と希望を持ち合わせている。一生続く、死に絶えるまで悩み続ける問題。どちらも生きることには欠かせず、なくてはならない感情。善悪以上に尊ぶべき在り方。
「今はまだ小さな人の子よ。汝は誉れある時代に生れおちた。その身、人の栄華に貢献し、神々への祈りを絶やすことなかれ――――」
例え神に愛されずとも、日は上り夜は来る。世界は廻り続け、取り巻く環境も変わり続ける。
「――――汝の生は神々の使者・【天使】によって導かれ、悩めることなく、健やかな成長を――――」
わからなくて悩んでも、立ち止まったっていいんだ。生きることを諦めなければ、いずれ彼らが必ず君を導いてくれる。
「――――学び、尊び、希望を抱き、幸多き未来を歩まんことを。忘れることなかれ。天からは神々が見守り――――」
沢山周りに愛されて育ちなさい。沢山の苦難があったとしても、皆と一緒なら乗り越えられる。大丈夫、君は一人じゃない。
「――――小さき命、【モネ】に神々……いえ、世界に生ける者達と【天使】の祝福・福音を与えよう――――」
おめでとう。生まれて来てくれて、ありがとう。泣いて笑って……仲違いや喧嘩をすることだってあるだろうけど、ちゃんと幸せになるんだよ。最期にこの時代で生まれて良かったと思ってもらえるよう、アタイもこいつらと一緒に頑張るからさ。
「――――汝に、【天使】の導きがあらんことを」
赤子は眠ってしまったらしく、瞼を閉じて小さな寝息を立て始めた。【思考】は相変わらず霞んでぼやけていたけど、父母がよく歌っているのであろう、とても穏やかな子守歌が聞こえた。
「あらまぁ心地よさそうに……寝ちゃいましたかね」
「神官さん、そのまま寝床へお願いしても?」
青果店夫婦へ頷いて返し、静かに腕の中から寝床へと赤子の身を預け、産毛がまばらに生えたばかりの頭をそっとなでる。
呑気に寝やがって……アタイの言ったことなんざちっとも理解出来てないんだろうけどさ、今はそれでいいんだよ。
***
入ってきた店の軒下まで皆で戻り、アタイ達は夫婦から頭を下げられ感謝の言葉を受け取った。ポラリスは小さな金十字架のネックレスを寄贈し、重ねて祝福の言葉を述べる。終始嬉しそうな夫婦の顔と【思考】に偽りはなく、我が子への愛と感謝で溢れていた。
「ああ、そうでしたっ!! 少ない金額ですが、どうか受け取ってくださいっ!!」
男店主はエプロンの裏ポケットから布製の小袋を取り出し、ポラリスへと差し出す。王都でもよく見るお布施。教会側にとっては給与以外の貴重な資金源でもある。意地汚くがめる奴はがめるんだけど、こいつらに限ってそれはないか。
「ありがとうございます。では、僕達からもお渡しいたしますね。アポロ」
「はいっ!!」
「?」
アポロはローブの下から、同額――……いや、それ以上は確実に入っているであろう茶色い革袋を二袋取り出し、両手に乗せて夫婦へと差し出す。なんだいそりゃ。
「司祭様、これは?」
三角巾を付けた妻もわからないようで、ポラリスへ不思議そうな顔をして尋ねる。
「教会……いえ、教会へ勤める僕ら個人からと、町長を含めた会長達からのお祝いです。最近行われた会長会議で決定した規則の一環でもありますが、今後子供の生まれた家庭へは、僕達から祝い金をお渡しすることになりました。青果店の生計があるとはいえ、育児には何かと要り物もあるでしょう。どうかお子さんの為にお役立てください」
「ご出産おめでとうございますっ!! 頂いたお布施は街や教会の修繕・整備にきちっと使わせていただきますので、安心してくださいっ!!」
「あっ……あ、ありがとうございますっ!!」
「いやでも、なんだか悪いですねぇ。以前はそんな風習なかったもんだから……」
笑顔で祝福を述べたアポロから革袋を受け取り、照れくさそうに笑ってお互いを見つめ合う夫婦。まかり通った理由に、受け取らないのではなく逆に皆で与える仕組み。地域に対しての関心が希薄で、一枚岩ではない王都には真似できないなと感心する。
「兵士さんも、神官さんもありがとうございます。王都までの長い道中お気を付けを」
「こちらこそありがとうございますわっ!! 赤子を抱くなんて貴重な経験ですもの。あの子が健やかに成長し、あなた方夫婦のように素敵な人生を歩めるよう、私達王都兵士も平和秩序の維持に励みますわっ!!」
「……機会があれば、また会いに訪れても?」
「ええ、是非来てくださいっ!! モネもきっと喜びますっ!!」
アタイの言葉に、男店主は笑って快く返してくれた。
夫婦に見送られ、青果店を後にする。可愛かった、軽くて柔らかかったと夢中で語るミーアの話を聞きながら、ポラリス・アポロと共に一度出た布屋の前まで戻ってきた。程々に時間も経っているし、ローブの作業進捗確認と【ルシ】の土産物探しに戻りますか。
「んじゃあ、アタイ達はこれで。先輩方もお勤め頑張ってください」
「お二人共、ありがとうございました。終始任せっぱなしになってしましましたが……出立前に、また教会へいらして下さい。【ルシ】へ渡しておきたい書類や、お礼のお手紙もありますので」
「神官をパシリ犬に使うたぁいい度胸じゃないの。……あっは、冗談。必ず行きますよ」
「行って良かっただろ?」
こちらの冗談で苦笑いするポラリスの隣で、アポロがニヤッと笑って見せる。君は本当に人の背中を押すのが上手いなぁ。……王都にもあんたらのような人材が欲しいけど、今はこの街を基盤にいろんな事へ挑戦してもらいたい。【ルシ】が王都で言っていた言葉の意味が、ここでようやく全部わかったよ。まぁ、一緒に働けないのが寂しいって個人的な感情もある。
「……ありがとう。喧嘩してばっかだったけどさ……あんたの喧しい声が聞こえなくなると、ちょっと寂しいかな」
「んあ? なら手紙書きますよ。知り合いの鳥人族の郵便屋にでも頼めば、王都でも中一日で着くでしょうし。宛先は教会でも俺の借家でもいいです」
「いい案だけど、そうじゃなくて……あと敬語。一応同期なんだし、砕けて話せばいいじゃないか」
「あっはっはっはっ!! だなっ!! いやぁ、切り換えるタイミングが無くてさぁ」
「手紙は……そうだね。アタイの借家に届けてもらうことにしよう。後で住所を書いた紙を渡しておくよ」
「また街へ来た時は飲みに行こうぜっ!! 俺はサリー程飲めないけど、あの夜は楽しかったっ!! ただもう俺の自腹だけは勘弁してくれよな」
「あらヤダ、ケチ臭い男だねぇー」
「お前の飲む量がおかしいんだよっ!?」
「昨日のイケメンっぷりぐらい心と財布も広くなくちゃあ、女の子からモテないぞぉ?」
「あれは……もう色々切羽詰まってたんだよ。腕に投げ飛ばしてもらって着地失敗するわ、サリーは刺されそうになってるわで……」
その額の傷や壊れた弓はそういう事だったんかい。顔面から地面へ叩きつけられる姿を想像して、鼻で笑う。それでも、無茶苦茶で泥臭くても、必死になってアタイを助けてくれた君の姿はかっこよかったよ。
「羞恥心が微塵もないのがマッチョ君らしいね。じゃ、また後でねぇ」
「おうっ!! またなっ!!」
杖を突いてゆっくりと歩くポラリスと、その隣を歩くアポロの背が小さくなっていく姿を見送る。ミーアは……目を輝かせながらアタイを見ていた。なんだその顔、腹立つねぇ。
「……何?」
「あそこは素直に告白する流れでは無くて? 仲睦まじいようですし、サリー神官があんなに楽しげに話すのは初めて見ましたわよ」
「バーカ。マッチョ君とはそんなんじゃないよ。大体――――」
「――――色恋沙汰、でございましょうか?」
聞き覚えのある声が背後の布屋から聞こえてきたことに驚き、身体が少し跳ねる。恐る恐る振り返る。……白い布を巻いた四角く平たい荷物を抱え、頭に灰色のショールを被ったティルレットが店内から出て来た。まだいたのかい、あんた。
「失礼。立ち聞きするつもりはございませんでした」
「御機嫌よう、ティルレットさんっ!!」
「アタイはあんたとポラリス達の関係の方がよっぽど気になるんだけど……まぁ、それはそれとして。なんだいその荷物?」
布にくるまれた荷物を指差すと、ティルレットはそのままこちらへ突き出してくる。
「昨晩の情熱が忘れられず、誠に勝手ながらお二方を被写体に、情熱へ身を任せ描いたものにございます。どうぞ、お納めくださいませ」
「まぁ素敵っ!! ありがたく受け取らせていただきますわっ!!」
「うぇえ……。マジで画家だったのかよお前」
「許可頂ければ、この場で一枚仕上げて見せますが」
「目立つからやめろ」
「了承」
絵をミーアへ渡すとティルレットはそのまま数歩下がり、両手を前に重ねた綺麗な姿勢でお辞儀をする。
「ポラリス司祭を助けてくださり、感謝。ミーア様につきましては是非、不肖の主へお会いする場を設けたい程でございますが、それはいずれ機会が廻って来た時にいたしましょう」
音も無く上半身を起こし、無表情で感謝を述べたティルレット。結局こいつもなんだかよくわからないままだったが、【悪魔】でもペントラの様な奴がいることも知れたし、あいつらが監視してるなら……いや、不安しかねぇな。念には念を、釘は一本刺しておくか。
「報告書にはあんたの事は伏せてある。けど、あんまり派手に動くようなら調べさせてもらう。そん時は正直に話してもらうから、よろしく」
「サリー神官っ!!」
「了承。それまで一層、我が剣と情熱を磨いておきます故」
「いやだから……ああもう、あんたはどーも苦手だ。渡すもん渡したんなら、さっさとどっか行けよ」
「失礼。では」
短い別れの言葉。ティルレットはもう一度お辞儀を行い、つかつかとポラリス達の歩いて行った方向へと街道を歩いて行く。【悪魔】だからって言うより、人間でもああいった変人は時たまいる。【思考】が読めないこともあって、更に変態っぷりへ拍車がかかり、どうにもやり取りに要領を得ない。奴を雇った主人は同じ変態か、もしくは相当な実力・権力・財力を持つ存在か。
「王都に戻ったら、名前だけでも調べてみるかな……」
「ティルレットさん。不思議な方だけど、素敵な方でしたわね。またお会いしたいですわ」
「はぁ……会いたくなくても会えそうな気がするのが、アタイは怖いよ」
あの高揚した歪な顔を思い出すと、寒気で身震いがする。二度に亘る森の中での戦いでさえ、奴は全力で戦う気配を一度も見せなかった。何もかもが振り切れ過ぎてるティルレットを超えられれば、怖いもんなんてなくなりそうだ。その域へアタイが辿り着くのは、何十年かかる事やら。
口が悪くも面倒見がいい姉御肌。サリーはツンツンっぽかったのが、素になって砕けた感じの【天使】になりましたね。ミーアとの嫌みっぽいやり取りは相変わらずですが、信頼しての言葉選びと考えれば畏まるより自然なのかもしれません。彼女がミーアと王都へ戻り、どのような生き方を選択するかは次節にて語りましょう。
次回が本当に最終節、お楽しみに。




