第五章・死にたがりの【天使】~【第十四節・あの日の面影】~
それなりに間が空いてしまいましたが、前節の続きです。
あまり見ない容姿の【客人】が泊っているとの話を聞きつけたサリーは、その人物が泊っている場所を突き止め、闇夜に紛れて忍び寄ります。
午後二十八時十一分。教会関係の客人が宿泊する木造の建物へ路地裏から忍び寄り、窓の下へ張り付き聞き耳を立てる。窓の明かりは消え物音もしないが、人の気配は微かにする――……【思考】は読めない。ポラリスの客人――――ティルレットの宿はここか。建物内部の間取りは把握している。扉を蹴破って突入するよか、窓を突き破って直接寝室へ奇襲を仕掛けた方が早いな。
周囲に人影と人の気配が無いのを再確認。この一角は客人用の借家が集中し、付近の人間は最も近い位置でも百歩以上離れている。屈んだ体勢から跳び、屋根の縁へ掴まって少し反動をつけ――――窓を蹴り砕きながら建物へ侵入。腰の剣を引き抜き、ベッドで布に包まる人物へ間髪入れず突き刺――――
「――――……っ!?」
剣先が接触音や手応えも無く捉えたのは、半透明な翼。突き刺さっているものの先端は羽毛に包まれ貫通せず、ひび割れることなくその状態を維持していた。【翼の盾】か? 盾を蹴りつつ引き抜き、狭い室内で壁を背にし距離をとる。畜生、まんまと釣られちまったか。
ベッドの上の人物は包まった布から出て、ゆっくりと床へ足を着けた。
「こんばんは、サリー【上級天使】。森で重傷を負ったと聞いていましたが、ご無事でなによりです」
「どーも……ポラリス【中級天使】。そっちこそお元気そうで……」
僅かに発光する一枚の【翼の盾】を退け、黒い司祭服を着たポラリスが軽く会釈した。剣先を奴の喉元へ構えたまま、暗闇の中に部下が潜んでいないか脇目で追いつつ訊ねる。
「……ここに泊っている筈の【客人】が、実は【悪魔】なんじゃないかって話を耳にしましてね。人間様を守る【天使】として、こっそり駆除しようと突っ込んだら先輩がいた。……偶然にしては無理がありますよねぇ? 何を隠してるんです?」
「……極力他人へ関わらないのが、サリーさんの主義と思っていたのですが――――」
「――――【悪魔】となれば話は別です。しかもアレは種族関係なく相当殺している、価値観のイカれた【上級悪魔】。人間やアタイら【天使】に害となる要因を、野放しにゃできないんですわ。場合によっちゃあ、上に報告させてもらいますよ。身内で【悪魔】と不穏な関係を持つ【天使】がいるってね」
「………………」
ポラリスは怒りや焦りを含んだ感情を露わにするわけでもなく、ただ少し困ったように眉をひそめ、憐れみを込めた目でこちらを見る。なんだその表情、余裕のつもりか。それとも――――
「――――違うでしょう、本来の理由は。あなたが【悪魔】に執着する理由は、過去の出来事にあります」
「…………は?」
「【悪魔】ではないかと疑惑をかけられ、武器を手にした人間達へ出来得る限り抵抗しながらも、倒れた自分を庇う同僚達。……サリーさん。今のあなたの姿は、先立った皆さんの願いからくるものなのでしょうか?」
「――――――!!」
腰へ差した二本目の剣を左手で引き抜き、距離を詰め左右からポラリスの首を狙って挟撃するが――――もう一枚出現した【翼の盾】によって防がれる。音も手応えも無く、空気の塊へ刃を押し当てているかのような……奇妙な感覚。一昨日なら、確実に砕けていたであろう重い攻撃にも耐えるたぁ……アタイが目を離した隙に、【信仰の力】の特訓でもしてたか。
「随分とまぁ、気色悪い技を使うようになったじゃないか……っ!!」
「サリーさんや皆さんを救えるのなら、気色悪がられても構いません」
「それが気色悪いって言ってんだよっ!!」
【翼の盾】へ剣を押し当てたまま【信仰の力】を首へ集中させ、紫の淡い光を纏った鎌を六本、翼の隙間へ――――滑り込ませようとした刹那、天井から降ってきた【黄金の槍】が鎌へ突き刺さり、砕かれる。やや高くなった天井の梁の上、教会のローブを纏ったアダムが見下ろしていた。
「その意見には概ね同意する。だが、意見を伝えたところで、目の前にいるお人好しには響かないうえ変わりもしない。……お前もお前だ。親切の押し売りは嫌われるぞ」
「半分は個人的な親切だけど、残り半分は【天使】としてだ」
「……ふん、物は言いようだな」
アダムは梁から飛び降り、アタイの真後ろへ立つ。剣や【信仰の鎌】を振り回すには不十分な狭い屋内、砕けない奇妙な盾に増援……降参する気はないけど、どうしたもんかな。一度この場から退いて、街中でこいつらを撒くか。剣をゆっくりと引き、玄関の状況を目で確認しようとしたアタイへ、対峙するポラリスが少し笑みを浮かべながら提案する。
「屋内や街中ではお互い存分に戦えないでしょうし、場所を移しましょう」
「あ?」
「…………え?」
「え、じゃねぇよ。先輩らの目的はアタイの口封じだろ? 自分らの不利になる状況へ持ち込むなんて、甘いどころか正気の沙汰とは思えねぇですわ。取引持ちかけるなり、このまま殺すなりした方が手間じゃないでしょうが」
ぽかんとした表情を浮かべたポラリスは口元へ右手を当て、盾の向こうで考える仕草をする。背後のアダムも呆れているのか、溜め息をついていた。なんだ、何がしたいんだこいつら。
「……ですが、僕らの目的はあなたに【生きたい】と思ってもらう事なので」
「余計なお世話だ。誰が頼んだそんなこと」
「あなたの同僚と、ミーアさんの願いです。それを叶える為、僕はもう一度サリーさんと全力で手合わせすることを望みます」
「……真面目に言ってんの?」
背後のアダムが動く気配と同時に、床へ突き刺さっていた槍が消える。
「残念ながら大真面目だ。こちらから地の利を棄てるのは反対したんだがな。そいつは全力のお前を叩き潰したいらしい」
「はっ、良い趣味してんねぇポラリス先輩」
「いえいえ……可能なら、争わず解決したいんですよ。……ですけど、それではサリーさんは絶対納得しないでしょう?」
ポラリスのいまいち狙いの掴めない、取引や交渉ともいえない提案に、罠ではないかと顔を覗き見る。裏に何かを隠している雰囲気はなく、こちらに同情し折れて我儘に付き合っている。……そう見て取れたのが、腹ただしかった。王都の民草やミーアの悩みに答えるルシのように、物腰穏やかで嫌みも棘も無い感情。底の見えない虚を覗き見ているようで、気味が悪い。
剣を鞘へ収め、両手を上げて意思表示する。断ったところでこいつらとの決着もつかないし、広い場所でサシ同士やり合うならアタイの方が上だ。下手に逆らうより、用意してくれた舞台で殺し合う方がいいだろうさ。
「案内宜しく先輩。あんた達を痛めつければ、奴が出てくるのかね?」
「黙って付いて来い。街中で妙な気は起こさない事だ。高所で新人と弓を構えたアポロが目を光らせている。奴が今携えているのは、医療施術の麻酔にも使われる神経毒の矢だ。掠りでもすれば【天使】の私達でも昏倒する」
「抜かりないねぇ。妙な気を起こさないで正解だったわ」
***
空き家の屋根を伝うアポロと新人に睨まれつつ街を離れ――――農場、牧場を抜け、一昨日手合わせをした場所にまで案内される。遮蔽物の無い平原には猪とよく似た魔物の姿がちらほらとあったが、既に片付けた後なのか血だまりの中で身じろぎ一つしていない。
「これは……?」
横たわった魔物を見てポラリスはアダムへ尋ねるが、首を横に振って屈み、死骸を調べる。
「いや、私達じゃない。……頭蓋骨を貫通した大穴……奴らが先に場所を掃除しておいてくれたのだろう」
「……彼らにも支えられてばかりだ」
「助かりはするが、奴らに借りを作り過ぎるのも良い気分ではないな。見返りを求められた時に困る。特にお前は強行策も厭わない狂人に試されているんだ、しばらく人目の少ない夜間は警戒した方がいい」
「彼女が付いていれば大丈夫。街中までは入って来れない」
「頼みの綱が、面白半分で寝返る可能性は?」
「……半分は真剣な理由があるんだって言い聞かせて、試練へ立ち向かう……かな。アダム。彼女を信用するのが難しいのもわかるけど、もう少し気を許してもいいんじゃない? 悪戯するのだって、寂しくて構って欲しいんだよ」
「容姿が幼いとはいえ、私達以上に息の長い彼女を今更子供扱いする気にはなれない。奴のせいで報告書や仕事道具を滅茶苦茶にされたのを、金輪際赦す気はないぞ」
「はははは……それは僕もやめて欲しいかな」
アダムの言葉へ苦笑いし、ポラリスは後方から駆けて来るアポロと新人を眺める。油断しきっている今なら、背後から一撃入れるくらいは――――
「――――アポロは……どことなく似てますね。【セル】さんと」
「!? テメェ、どこでその名前知って……っ!?」
「……すみません。サリーさんの【信仰の力】が流れ込んだ際、あなたの過去を病室で伏している間に夢として見ていたようで……」
ポラリスは振り返り、申し訳なさそうに俯いて謝罪する。こいつ、【信仰の力】だけじゃなく過去の記憶まで取り込むのか。悪食とは言ったが、度が過ぎてる。剣の柄へ手をかけ、睨みつけながら後方へゆっくりと距離をとる。
「なるほど……それでアタイに同情しようってのか。人様の過去へ一方的に足踏み入れるたぁ……一昨日みたく、都合よく助けてもらえると思わないこった。一番嫌いなんだよ、そういうの。その偽善者面剥がして、奴の居場所を吐かせてやる」
アダムが出ようとするのをポラリスが左手で遮り、あの時と同じく「大丈夫」と告げる。奴は丸腰。【銃】を隠し持っている可能性もあるが、威力はたかが知れている。【信仰の力】か剣で盾の隙間を縫って、間合いに入り込めば素手でも組み敷ける虚弱な【天使】。盾が面倒になった程度の成長なら、勝ちはあっても負けはない。
「ポーラ司祭っ!!」
背後からのアポロの声へ応えるよう、ポラリスは振り返らず僅かに微笑えみ、目を閉じ天を仰ぐ。隙かと抜刀しようと腰を落とした刹那、頭上からの視線を感じ手を止める。……なんだ? 雲一つない夜空に輝く星や月はいつも通り輝き、アタイ達を見下ろす。魔物や【機神】の姿も無い、穏やかな夜空……でも、何かがおかしい。表現できない感覚がする。
対峙する【天使】は……星のように細かな光の粒に包まれ、静かに目を開くと、そのまま腰の高さに両手を差し出した。周囲の光の一部が集まり、手のひらの上へ剣状の物が出来上がっていく。……違う。あれはそもそも剣じゃない。剣とよく似た透明な【十字架】。柄部分は握りやすいよう細くなっているが、刀身部分に刃が無い。
出来上がった【十字架】の柄を両手で握り、ポラリスは正面へ構えた。力の圧や凄みも無く、ただ穏やかな力を感じる。さっき見せた盾は副産物で、そっちが切り札かい。
「【天使】というより、まるで王都付きの魔術師ですねぇ。その光や【十字架】で、【悪魔】や【魔王】も倒すつもりで?」
「……これは僕や皆の願いです。【守るために振るう力】であり、サリーさんを傷付けることはできません」
「へぇ。でもそうやって守ってるだけじゃ、アタイには勝てないですよ」
「勝負に勝てはせずとも過去に囚われ、変わってしまったサリーさんを救い、自分の意思で生きたいと願えるよう導きます。この願いは僕だけじゃない。ミーアさん、セルさん、ウールさん、ゼインさん……あなたと関り、託した人達の願いも――――」
――――言い終える前に距離を詰め、上半身の回転を乗せて抜刀し、右の腰目掛けて横薙ぎする。硬い、金属に当たる音と手応え。ポラリスは細い【十字架】の刀身で剣を受け止めていた。最悪受けられ、【十字架】を折ると同時にこちらの剣が砕けるのも覚悟していたが、ひびどころか刃こぼれ一つしていない。
「――――――っ!?」
「……折れませんよ。あなたが今尚彼らを強く想っているように、【願い】は折れも砕けもしません」
周囲を漂う光が強くなり、アタイの髪や服、肌へ纏わり付く。熱は無く、何らかの力を感じるわけでもないが――――首が【ひりつく】のが、不愉快だった。
「気色悪りぃ――――なぁっ!!」
鍔迫り合いを解いて右足で足払い、躱したところへ両手で地面を突き、低い体勢から顎目掛け左足で蹴りを入れるも【十字架】の鍔で受けられた。浅い。だがこの【十字架】が斬れもせず、【ただの硬い棒切れ】と同じなら話は変わる。そのまま両脚を回して刀身を挟み、下半身の体重をかけて地面へ叩きつけた。
「っ!?」
素早く起き上がり、手放す暇すら無く頭を地面へ叩きつけたポラリスの背を踏みつけ、両手持ちした剣を逆さにして心臓目掛け突き刺した。軟らかい肉を裂く感触と――――ガチリと硬い感触。寸でのところで防いだか。だがこんな薄い盾、体重かけて突き立てれば――――
「――――う゛っ!?」
背中を刺される鈍い感覚と熱さ。剣を引いて背後へ振るが空を切った。誰もいない……? いや、今の熱さは……。
ポラリスは隙をついて足を振り払って逃げられ、距離をとられる。
「テメェ、また妙な力を披露してくれたねぇ……」
奴は目の上へ垂れる汗を袖で拭い、【十字架】を構え直し息を整えながら口を開く。
「……【痛み】は、人間を含めた全ての生き物にとって危険や異常を知らせる、大切な感覚だと聞きました。【痛覚】や【触覚】が無ければ怪我や死に対しての恐怖も薄れ、【味覚】や【嗅覚】が無ければ、何を口にしても僕ら【天使】は同じです。【視覚】と【聴覚】を失えば景色は色褪せ、手足や肌で触れられる範囲のみが世界となるでしょう」
「………………」
「生まれながらにして誰もが当たり前に持ち合わせている感覚は、生きたいと願い、死の危険から遠ざかろうとする本能。あなたが生に対し疎くなってしまったのは自分だけではなく、【他者の痛みも分からず、理解しようともしなくなった】からです。以前のサリーさんなら、この言葉の意味を理解できたでしょう。……けれど、今は――――」
――――【信仰の力】を解放し、首周りから鎖に繋がれた六本の鎌を出す。体感速度を限界まで引き上げ、奴が戯言を言い終える前に首・腕・脚を胴から離してやる。二本目の剣を抜刀しながら捻りをつけ、低く飛びかかって多方向から同時に斬りかかるが――――ゆっくりと流れる時間の中、ポラリスは【十字架】を規則的に、両手首だけで振り回す。
力の込めていない刀身を鎌へ掠らせ、軌道を逸らす紙一重で最低限の防御。だが、六本の鎌の軌道を全て逸らせたとしても、左右から首を狙う二振りの剣までは――――奴と目が合う。奴の瞳の中には、何重層と光る円が見えた。肩幅まで剣が迫った時、奴の姿が消え、腹の下から刺された【痛み】が走り――――視界の端に【銀の杭】が映る。体勢を崩して背面へ倒れると、時間の流れが戻り始めた。
叩きつけられ、軟らかい地面だというのに背中が酷く痛んだ。一瞬、呼吸が止まり、全身から冷汗が噴き出る。眠っていた神経を叩き起こされたような衝撃。叫びそうになるのを堪え、上半身の反動を使って跳ねるように素早く立ち上がり、腹部へと手を当てた。
「はっ……はぁっ……? どう、なんだってんだ、こりゃあ……?」
怪我や出血も無ければ、服に穴が開いているわけでもなかった。これは幻覚か? だが一瞬見えた【銀の杭】は……あの時の――――
「――――ひゅ……げっほっ、けほっ!!」
咽ているのか、咳き込みながら【十字架】で地面を突いて身体を支え、よろめくポラリス。奴の首筋からは血が滲み、淡い紫の混じった【十字架】へと垂れた。
「……【痛み】を忘れた、今のあなたでは……皆さんの無念を晴らすことも、ミーアさんを導くこともできない。それどころか、自分自身の死を軽く見たことで、彼らの託した想いや願いまでも……無下にしようとしている」
ポラリスは姿勢を正し、肩で息をしながら【十字架】を両手で握り、こちらへ構えた。奴の周囲を漂う光の粒と同調するように、アタイの身体から離れない光も強くなる。
「忘れてしまったのなら、もう一度取り戻せるよう【痛み】を与えます。記憶の中のサリーさんや皆さんの感じた痛み、僕の感じる痛み……失った感覚を補い、何故あなたを皆が庇ったのか、サリーさん自身の在り方を思い出させますっ!!」
「ふ、ふふっ……吠えるじゃないか……幻覚だって分かっちまえば、こんなの……」
理解している。背中や首周りの千切れそうな痛みも、腹に刺さった【銀の杭】も、全て奴の幻覚だと頭では理解している。でも……手足が僅かに震え、後ろ髪引かれる感覚が続いていた。大した運動量でも疲労しているわけでもないのに、不愉快な汗が止まらない。こんなにも周りは眩しいのに、奴の攻撃はアタイを傷付けられないのに……恐れているのか、過去と向き合うのを。
落ち着け。相手は文字通り全力で、こっちは体力にも【信仰の力】にも余力はある。どうにかして――――
<――――なぁサリーっ、聞いてくれよっ!! 昨日【お告げ】をした子が、お礼を言いにまた教会へ――――>
<――――あなたは【天使】としても、人としても真っ直ぐで羨ましいわ。私なんて引っ込み思案で――――>
<――――まぁた人間と酒場で喧嘩しおったのかっ!? 百歩譲って争いの仲裁は許そうっ!! だが怪我をさせずに捌けぬなど――――>
――……ああ、やだやだ。耳元で皆の声が聴こえるよ。全て忘れて無かったことにしようと思って、今までの勤務記録から日誌、稽古道具まで全部燃やしたのに。教会から離れて、小さく汚い兵舎勤めの神官にまで成り下がったのに。幻聴で安心しているアタイがいる。歯を食いしばり、溢れ出そうになる涙を堪えながら、両手の剣をポラリスへ構える。
「……サリーさん。僕もとても……痛いです」
<俺達はもっともっと強くなって、人間や王都、種族関係なく【地上界】を守らなきゃいけないんだっ!! 不要な争いを起こさせないよう、抑止力になるのも【天使】の務めさっ!! へへっ、ゼインの爺さんが聞いたら怒るだろうけどよっ!!>
<セル、その考え方はとても素敵な考え方よ。でも……ゼイン神官長を爺さん呼ばわりはちょっと……。ああ見えて、まだ任期十年なのよ? 貫禄はあるけど、人間の十歳は若い方だし>
「……バッカじゃないの。アタイらからしてみれば、ゼインは爺さんだよ。頑固でうるさくてやたら厳しい癖に、人間にもアタイらにも親身で……温かくて、親みたいなもんさ」
<サリーっ、腰が引けておるぞっ!! 一度肩の力を抜き、剣を構えよっ!! あんな小童如きに手こずるなど、お前らしくもないっ!! 私はそんな情けない構え方を教えた覚えはないぞっ!?>
「……うん……うん……わかってる。わかってるから……今は少しだけ、静かにしててくれませんかねぇ……?」
<さぁ来い、サリーっ!! 今度は負けないぜっ!!>
<どっちも頑張ってっ!!>
<勝った方に臨時収入をくれてやるぞぉっ!! 負けた方は今週の飯当番をしてもらおうっ!!>
<げぇ……こいつの作る飯は酒の肴ばっかだってのに。……ああもう、しょうがねぇっ!! これもボーナスの為、泣くほど痛くても許してくれよなっ!?>
潤んだ視界、セルの立ち姿とポラリスが重なる。手の甲で涙と汗を拭い、首の傷を指先で撫でた。出血はしていないが、酷く腫れて熱を持った傷がじりじりと痛みを発する。息を吐き、うるさい心音を少しだけ落ち着かせると手足の震えは止まり、あの頃の必至だった緊張感を思い出した。
「お手柔らかに頼むよ、セル。……痛いのは……嫌だからさ」
***
サリーの猛攻を紙一重で防ぎ続け、半透明の【十字架】で反撃を入れるポラリス。お互い凄まじい速さの立ち回りだが、ポラリスに関しては小手先で弾き続けているものの、徐々に押され始めている。接触さえすれば重い攻撃も防げる【十字架】の特性を生かし、最低限の動きをしているのは見て取れるが、消耗が激しいのか時折立ち止まり咳き込んでいた。
しかし、対するサリーの立ち回りも徐々に変化が出ていた。あれ程正確だった攻撃が空振り始め、半歩、一歩と間合いが遠ざかっている。怪我や出血をしている様子はないが、ポラリスの周囲を漂う光に触れてから顔色が悪く、反撃を受ける度に何かつぶやきながら振り払うように頭を振り、マフラー越しに首を指で撫でていた。
ポラリスの方から攻める事は無い。あの【十字架】は【翼の盾】や【銃】と違い、相手の特性や【信仰の力】を引き継ぐわけではないらしく、切り返しや柄で腹を突こうとも、出血や服が破れているようにも見えない。光の中、二人は舞うように戦い続ける。息絶え絶えに、涙を流しながらも、手合せは終わらない。どちらかの心が折れるまで。
「……綺麗です。けど……お二人が、とても辛そうです。司祭はどうして苦しんでまで、変わらずに強くなろうとするのですか……?」
新人が行き場のない両手で手帳を抱きしめ、目の前の光景の見て呟く。その言葉を聞いたアポロは腕組みをし、渋い表情で唸る。
「んー……司祭は昔からああだったわけじゃないみたいで、どっちかって言うと、他人との接触を極力避ける性格って言うか……まぁ、色々あったんだよ」
「色々ですか……」
「適当な事を吹き込むんじゃない。私もポラリスも、ニーズヘルグの下で働くうえで、奴の機嫌を損ねないよう振る舞ってきたんだ。以前の奴は些細な面倒事も、教会の為にならないと判断すれば避けてきた。……私もそうだ」
些細な悩み事から、明日命を絶つか絶たないかの言葉でさえ、教会の利益にならないと判断した場合、流してきてしまった。本当に命を絶つ者や街から出ていく者、今なら救えた筈の大勢の人々も、我が身可愛さに見逃していたのだ。【天使】として、あるまじき行為だと自覚していたとも。結果として私の中では憎悪と憤怒の感情が積もり、ポラリスは感情を学ぶことなく個として希薄になった。
「……引き摺っているんだ。今となっては彼らに直接贖罪のしようも無い。この十年……何度思い返しても後悔ばかり。今と未来を変えることは出来ようと、過去は決して変わらない。我が身を挺し、一人でも多く救おうとする奴の行動力は、そこから来ているのだろう」
「ははぁ、司祭にもそんな時期があったんですねぇ」
「ポラリスもあまりこの話はしたがらない。奴の事を想うのであれば、下手に掘り返さないことだ」
「すみません……アダム副司祭」
「いや、過去があったからこそ今がある。今更私へ気を遣う事でもないさ」
頭を下げる新人を脇目に、二人の動きを追う。サリーが空振るのもあって攻撃を受ける頻度も下がりはしたが……ここにきて、逆にポラリスの動きは洗練され始めていた。【信仰の力】で作られた鎌を捌く度、取り込んだ力の影響で首からの出血は酷くなるが、本人はものともせず剣を振られる前に反撃へ出れるほど鋭くなっている。
「限定的な【未来視】、もしくはサリーの【思考】が読めているか……どちらにしても、長くあの状態を維持出来まい。それまでに勝負をつけられるかだ」
「ご心配なくっ!! 仮にそうなったとしても、また俺が助けに入りますよっ!!」
「違う。問題はサリーではなく、ポラリスの方だ」
「へ?」
呆けた表情をするアポロを睨み、警句をする。
「あの【十字架】は【盾】を更に強化した代物。ポラリス自身の力が他者を傷付ける事は無くとも、蓄積されていくサリーの【信仰の力】がそうとは限らない。侵食や汚染に近い力で支配されきる前に奴から切り離すのは、この場に居る私達にしかできないんだ。少しでも変化があればお前達で取り押さえろ。サリーの方は私が対応する」
「あの……そうなるのは、あくまで可能性の一つ……ですよね?」
新人の質問に頷いて答える。私もそうならないと信じているさ。だが素人剣士ではなく、十二分な実戦経験を積んだあの動きを見ていると、どうしても不安を抱いてしまう。ポラリス、お前はどこまで先が視えているんだ?
***
手の感覚がなくなり、手首と腕が痺れ、足がもつれそうになる。息が止まり、意識が数秒飛ぶ。サリーの太刀筋を表す赤い線は少なくなり、防ぐための青い線と反撃に転じる【紫の線】が増えていく。限界などとうに超え、全体が紫に染まりつつある【十字架】の重さに半ば振り回されていた。【十字架】は僕が手放すことを許さず、常に左右どちらかの手のひらへ張り付き離さない。
咳き込み、立ち止まる。赤い線が手足や頭部、肩へ走り、同時に青い線・紫の線が交差するよう走った。サリーの視線はこちらではなく一歩前を見ているようで時折空振るものの、油断できない。全身を使い、線の導く筋で【十字架】の剣先をなぞり、二本の剣・六本の鎌・両足による足技を躱し、防ぎ、反撃する。攻撃の重みや衝撃は感じないものの、サリーと光は休むことを許してはくれない。
左右へ円を描いて鎌を逸らし、後ろへ跳ねて両脚を狙った剣筋を躱す。筋繊維がブチブチと身体の中で千切れる音を聞きながら、空振りの僅かな隙に踏み込んで左肩から反撃で斬りかかる。手応えと振り抜けはできれど身体・服へ傷一つ付けることなく【十字架】の刀身はすり抜ける。しかしサリーは【痛み】を感じるのか、跳び退いて斬られた部分を手で押さえ、顔を苦し気に歪めた。
「づぅ……――まだ、まだ……っ!!」
「っ!?」
赤い線が八本、青い線は――――上段二本の鎌を【十字架】で捌き、下段が――――間に合わず、左右の太腿へ鎌が一本ずつ刺さる。中段二つ、緩急つけて頭上から両肩への剣が来る。鎌は片方躱せない――――胴へ刺さらないよう左腕で鎌を受け、右腕一本で残った鎌と剣二振りを【十字架】で受け止めた。
「よう、やく、入ったねぇっ!!」
「い…………っ!!」
鎌は抜けない。この距離で、次が来る。赤い線――――青――――目がちかちか――――右手を線に沿って回し、逸らす。反撃――――じゃない、更に赤い線が一本。僕と――――彼女の頭上へ、真っ直ぐと伸びて――――
「――……う、え……」
「!?」
「――――――!!」
頭上の円を描いた星が消え――――高く、独特な鳴き声……巨大な爪に掴まれ、地面から離れていく。轟々と吹く風を感じ、見上げた先には……左右と額に宝石のような光る目、鮮やかな七色の羽毛、大きな顔と太い嘴――――七色……鳥。
***
腹へ爪を食い込まされ、無理矢理折り畳まれた右腕が折れる痛みと振動を感じながらも、左腕一本で太い右脚を叩き、身を捻らせてもがく。この前【機神】を叩き落とした七色鳥の亜種だ。ポラリスとアタイの身体に付いた光に魅かれ、獲物と認識して襲ってきやがったのか。左脚にはポラリスが力無くぶら下がる。意識は……無いか。呼びかけようにも声が出せず、奴が握り続けている【十字架】には手が少しばかり届かない。
地面から離れ、夜空へと登り続ける七色鳥。【信仰の力】も……駄目。ポラリスに吸われ過ぎて、内臓の止血に精一杯だ。ああ、くそ。畜生、こんなのってないよ。あと少し、もう一太刀で過去へ勝てたのに。幻覚だとしても、セルに勝てた筈だったんだ。痛い……痛いな……風の音が遠のき意識が飛びそうになるが、更に強い痛みで現実へ引き戻された。
「――――――!!」
「あ…………ぁ……」
奇声と共に力を込められ、肺に空気が入らない。唯一自由な左腕も力が抜け、下へ垂れ下がる。
終わる時は……本当に、何もかも一瞬だ。死にたくない、生きようと必死にもがく自分が惨めで、涙が止まらなかった。何もできない、変えられない。使い捨てられ、誰にも知られることなく死んでいく。それでもいいと思えていたのに、こいつのせいで……あいつらやティルレットのせいで、【痛み】やあの日の【恐怖】を思い出してしまった。
ああ……怖い、怖い。【天使】が死んだら、【受肉】の中身であるアタイの魂は何処へ逝くんだ? セルやウール、ゼインと同じ場所へ……いいや、アタイはきっとそこへは逝けない。皆の想いを無駄にし、目を逸らしてあいつらとの思い出に蓋をした。悪徳貴族や王都の裏仕事も引き受け、堕ちるところまで堕ちちまった身だ。今更【堕天】されたとしても、文句は言えないよ。
【悪魔】を恨み――――幸せを嫉み――……奴らへ復讐もしないで、末端や無関係の【悪魔】を憂さ晴らしに殺し続けた中途半端なアタイには、お似合いな最期かもねぇ。……気掛かりなのは、ミーアくらい……か。高飛車なお嬢様が、王都で一人やって行けるかどうか――――でも、【ルシ】やこの街の連中が、いれば――――
「いいいぃやああああああああぁっ!!」
「――――――!?」
衝撃。七色鳥の痛々しい奇声、下がる高度。解放され、空から地面へ向け真っ逆さまに頭から落ちていく。隣にはポラリス――――間を追い抜き、急速に落下する金髪と鎧の小さな姿。彼女は地面へ落ちる寸前で反転し、つま先から音も無く着地した。アタイとポラリスも減速しながら落下し、平原の芝生へ背中からゆっくり降ろされる。
「ミ……ア……?」
血に咽ながら絞りだしたのは、背を向ける彼女の名前。どうしてここに? 振り返った彼女はキラキラした少女の表情や、気にくわないクソガキの膨れっ面でもなく、あの日アタイを庇ったウールと同じ表情だった。
「無理に話さないでくださいな、サリー神官。右腕がおかしな方向へ曲がって、お腹に穴が開いていますのよ? 自分の身体を見ないで、そのまま私の背中を見ていなさい。酷い骨折や四肢の欠損は目視で認識してしまうと、最悪痛みを脳で処理しきれず死にますわ」
「………………」
「七色鳥の亜種は一羽落としましたけど、上空にはまだ首領らしき人物の乗った個体含め、全四羽いますわ。その眩しい光をまずなんとかしていただきたいのだけど……流石に無理そうですわね。アダムさん達が到着するまで、周辺の魔物の相手も含め持ち堪えますわよ。ティルレットさん、ペントラさん」
「了承」
「あったりまえさねっ!!」
身体に布のようなものをかけられ、頭部に巻き角が二本生えた白髪の女と、後ろで短く纏めた赤髪の女が横を通って行く。守るべき存在と、忌むべき存在。彼女らは各々の武器を構え、月を背に高度を下げる七色鳥の集団を見上げる。
何もかもがあの日と重なって……結末までも同じになるのではと、アタイは目が離せなかった。
ポラリスの【十字架】による反撃時の【痛み】は、サリーの記憶や自身の経験からくる【痛み】であり、実際に怪我を負っているわけではなくただの幻覚です。星のような光の粒子へ触れることでより強く作用します。この世界の【未来視】は【今】から派生する【結果】への分岐が少なくなればなるほど答えを導き出すのが早くなるので、ポラリスがとったカウンター気味の動きも場合によっては生じます。
身体能力も僅かに侵食側のものが適応されているのか、長く持ち堪えるほど鋭くなるので、ポラリスの素の体力・身体能力・自浄能力が勝負のカギとなります。サリーが容赦なく強いのもあるのですが、新しい力を身に着けても無双できないですね……。
次節、皆との出会いを通して成長したミーアが戦います。お楽しみに。




