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ポラリス~導きの天使~  作者: ラグーン黒波
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第五章・死にたがりの【天使】~【第十節・黒猫のパンサー】~

前回からの続きです。

第一章と第二章に出てきた彼らが、久し振りにポラリスと再会します。

 人目を掻い潜りながらベファーナとエポナに連れられ、街から少し離れた夜の平原へ辿り着く。焚火の傍で座し、静かに瞑想するザガムの他、何やら激しく口論をする二人と、その間をオロオロと狼狽するシスターの衣装を纏った骸骨の姿があった。

 一人はスピカ達と共に森で暮らす骸骨のシスター。もう一人は全身青い鱗に赤い鎧、尖った魚顔を真っ赤にして獣人族の男と掴み合う魚人族の隊長――――イシュ。彼に負けじと鋭い視線で今にも殴りかかりそうな気配を醸し出すのは、見覚えのある黒い鎧に籠手、すらりとした体躯の黒豹に似た頭部を持つ獣人族の男だ。

 その光景を目の当たりにした愉快そうに笑うベファーナは、二人の間へ入ると頭を掴んでぶつけ合う。イシュが頭部に被っていた兜へ黒豹の獣人の頭部が当たり、『がつり』と重い金属音がした。


「――――いってぇなぁっ!? なにしやがるっ!?」


「貴様ぁっ!? 誇り高き魚人族の兜を、このような薄汚い猫如きに触れさせるとは何たる屈辱っ!! そこから降りて来いっ!! その首を一刀で刎ね飛ばしてやるっ!!」


「イーヒッヒッヒッ!! ヤ~ダネッ!! そんなくだらない事よりモ、君らに鍛えてもらいたい人物を連れてきたヨッ!!」


 地面へ座り、地面との距離を低くしてくれたエポナから降り、フードを取って彼らの前へと出て挨拶をする。


「今晩は。今日は御指南の程、宜しくお願い致します」


「今晩は、ポラリス司祭様。病み上がりとお聞きしていおりますけど、お身体の方はもうよろしいのですか?」


「お気遣いありがとうございます、シスター。怪我の方は問題なく完治してますが……本日はローグメルクさんや、ティルレットさんはいらっしゃらないのですね」


「はい。ローグメルクさんはスピカ嬢と何やら特訓を。ティルレットさんは休暇を取って、森の外へ外出中ですわ」


 シスターは頬骨へ右手を当て、考えるような仕草をしながら答えた。スピカとローグメルクの二人が特訓……思い当たる節が無いわけでも無いが、ティルレットが休暇を取り、単独で外出するのは少々意外だ。しかし、常日頃から情熱を求める彼女にとってよくある事なのか。それともローグメルクが話していた彼女の違和感か。

 顔色が元に戻ったイシュがシスターとの間へ割って入り、こちらの顔を覗き込む。


「久しいな、ポラリス司祭。相も変わらず慈善慈善とやっているのだろう? ご苦労なことだ」


「お久し振りです、イシュさん。あなたもお元気そうで良かった。ですが、魚人族は陸上へは長時間いられないと……」


「ああ、そうとも。俺の水分は頭上の自称・【魔女】が降らせる【雨の魔術】で補っている状態だ。魚人族の名高い魔術師達が、未だ研究を続けている魔術を指先一つで行う。……あの少女は一体何者だ?」


 イシュは腕組みをして、夜空を飛ぶベファーナを見上げる。


「お知り合いではないのですか?」


「何故誇り高き魚人族が、厄介な噂しか耳にしない【魔女】と関りを持たなければならない……。シスターが同行していなければ向こうで瞑想している男共々、掟に則り追い払う所だ。忌々しい……王都軍の黒甲冑に黒い馬。あのザガム公が【悪魔】へと転身し、首を無くしながらも生き永らえていたとはな」


 淡々と述べる彼は眉間に皺を寄せ、身体から微かに湯気を出し、殺気立った眼差しでザガムを睨む。侵略戦争時に人間側の名高い武将として前線を駆け回り、多くの同胞を殺されたイシュにとって、これ以上憎い相手はいない。未だ亡き狂王への忠義を垣間見せるザガムの言動もあり、簡単に赦せとは僕の口からは言えない。


「ですが、あの時剣を抜かずに私達の話に耳を傾け、ご同行までしてくださったのは感謝しかありませんわ」


 シスターが空気を察してか、両手を合わせてイシュへ頭を下げる。彼は身体に溜まった熱を吐き出すように一息深く吐き、シスターへと向き直った。


「……そういう取引だ。我ら魚人族も空を飛び、海を荒らす【機神】に手を焼いている現状、奴らの情報を握っている貴様らとなら応じてもいいという、族長の判断に過ぎない。俺に今を生きろと言った、こいつが鍵を握っているのなら尚更だ」


「………………」


「民や仲間を守る為に強くなりたいのであろう。その志は俺とて同じ。表立っての援助は民の目もあって未だ難しいが、影ながら司祭を鍛える程度は可能だ。あの男は信用ならないが、この決断が魚人・人間双方の為に繋がるのなら、力を貸すのも惜しくない」


「ええ、ええっ!! ありがとうございます、ありがとうございますわっ!!」


「ふん。……奴はなんだ? 司祭と面識があるわけでも無いようだが、ああもにゃんにゃんと喧しく喚かれては教えるどころではない」


 イシュは頭を下げ続けるシスターを脇目に、しゃがみ座りをしてこちらと距離を取り睨む黒豹の獣人を顎で指す。


「誰がにゃんにゃんだ魚頭。一族の誇りを棄てて、人間なんぞに尻尾振るテメェらに言われたくはねぇよ」


「海にも潮の流れというものがある。流されぬよう泳ぎ続けるには、尾鰭を振り続けるしかあるまい。我ら魚人族は自らの為に尾鰭を振るうのだ。話も時の流れも分からぬ奴らが語る誇りの重みなど、たかが知れている」


「流れなんて知らねぇよ。ムカつく奴はぶっ飛ばせばいい。一族だのなんだの、勝手に付いて来る奴らのことなんかいちいち考えてられるか。俺はあの【魔女】に半ば拉致されてきたようなもんだ。お前らと仲良しごっこするつもりはねぇぜ。だが――――」


 ――――風が吹き、目の前に籠手で固められた握り拳を突き出される。仰け反る暇も与えず、あの距離を一瞬で詰める脚力。彼が寸止めしていなければ、僕の鼻は間違いなく潰れていた。……実力を知るには充分な一突きだった。


「――――あの山羊角【悪魔】の知り合いだってんなら、面白れぇ喧嘩ができそうだ。強くなりてぇんだろ? いいぜ、舎弟のテメェを全力でぶちのめして、奴を森の中から引き摺り出してやる」


 黒豹の獣人は拳をゆっくりと引き、鋭い牙を見せニヤリと笑う。山羊角【悪魔】……ローグメルクのことだろうか。確かに戦い方の基礎とも言える立ち方と立ち回りを教えては貰ったが、舎弟関係ではない。ただ黒豹の獣人は並々ならぬ因縁があるようで、協力というよりサリーと同様にこちらを試していると考えた方がいい。彼女と同じなら、手加減は期待できそうにない。


「よろしくお願いします、黒豹の獣人さん。その前に、お名前を聞いてもよろしいでしょうか?」


「【パンサー】。本名じゃねぇが、俺を知っている連中はこぞってそう呼ぶ。好きに呼べ。それと……俺は豹じゃねぇ、猫だ。どいつもこいつも間違えやがって……」


「す、すみません。……改めてよろしくお願いします、【パンサー】さん」


 頭を下げて挨拶をすると、上空を飛び回っていたベファーナが僕らの傍へ降りてきた。


「オーケーッ!! 魔物払いも人払いもパーフェクトッ!! 君らの準備も出来たようだシ、早速特訓を始めちゃおウッ!!」


「どのような形で行うのですか? それなりの人数ですし、一度に皆さんから指南されても呑み込めるかどうか――――」


「――――ソウッ!! だから一対一でのサシ勝負サッ!!」


 パチリと指を鳴らすと、彼女の左手の中に僕の懐へしまわれていた筈の【木の銃】が握られる。


「これはボッシューネッ!! 君自身が強くなると言ったからにハ、道具に頼っちゃ意味が無イッ!!」


「それは……【銃】ですか? 木製のようですけど」


 シスターがベファーナの左手に握られた【銃】を興味深そうに見つめる。


「僕の物です。ペントラさんに作っていただいた、弾の出ないただの玩具の【銃】ですが、形が定まっていれば問題なく扱えるので。重たい鉄の剣を携えるより、軽くて持ち運びやすい。……大まかな木彫りで構わないとも言ったのですけど、色々と調べて細部までこだわって作ってくれました」


「まぁ、彼女が。そうですか……大切になさってくださいね?」


「はい。手入れの仕方も教えて頂いたので、大切に使わせていただきます」


「ンンッ!! ノロケ話はそれぐらいにして続きイイカナ? 最初はやる気満々の黒ネコチャンと手合わせしてもらうヨッ!! ポーラ君は面識ないだろうけド、彼は君が命懸けで初めて戦った獣人族達の元リーダーサッ!! 素手の格闘はローグメルクとほぼ互角カ、それ以上と考えた方がイイッ!! 死ぬ気で頑張り給えヨ?」




 お互いに距離を取り、僕は【信仰の力】で【翼の盾】を作り上げ、パンサーはゆったりとした姿勢で拳を構える。それ以外の者達は焚火の傍でこちらを見守っている。武器や道具を使わない戦闘……向こうも武装と言えば籠手と黒い鎧程度だが、こちらは素手の格闘に関しては素人。どうやって【翼の盾】だけで無力化したものか。


「……連中を殺したのはお前だったのか」


 パンサーが構えを解かずに尋ねる。僕自身が彼らを殺せた――――かまでは分からないが、関わったことに変わりない。


「子供や知り合いが身の危険にさらされている時に、彼らを鎮圧する手段を選んではいられませんでした。……すみません」


「構わねぇよ。他人の命令で人攫いして金を稼ぐなんざ、コソ泥と大差ねぇ。舎弟としての約束一つも守れねぇ奴は、ケジメとしてぶっ殺されて当然だ。手間が省けて助かったぐらいだぜ」


「元リーダー、という事は……あなたの命令ではなかったのですか?」


「おいおい、アイツらと顔や手に傷を持つデカい司祭が勝手にしでかした事だ。責任なり賠償なりは勘弁願いたいね」


「それはそうですが……あなた自身が彼らのように街の人々や誰かを傷付けるのなら、僕は止めなければなりません」


「ほう?」


 ――――滑るように地面を駆け、正面から拳を叩き込みに来る。左右の【翼の盾】を重ね、衝撃に備え腰を落とす。接触――――両翼が砕ける音と共に、後ろへ突き飛ばされる。目を細め、足裏で地面を掴むようにしながら、弾き飛ばされたパンサーを視線で追う。彼は綺麗な一回転をして足先から着地し、一息を吐いた。


「ふー……面白れぇ盾じゃねぇか。ぶっ壊した相手を逆に吹っ飛ばすなんざ、魔術の盾以外にありえねぇ芸当だ」


 牙を見せ楽し気にこちらを見る彼は、再びゆっくりと構え直す。【翼の盾】の砕けると同時に弾き飛ばす特性を接近戦で初撃から対応されたのは初めてで、姿勢制御と着地まで完璧だ。……どうする。一撃で両翼は砕かれ、ますます手に負えない相手じゃないか?

 一先ずは盾を再生成し、こちらも体勢を整える。具体的な攻略の糸口はまだ見えない。……観察して、対応を考えよう。


「だが所詮は一発芸。強度もねぇし、そうやって馬鹿の一つ覚えのように盾構えてちゃ、簡単に対応されるに決まってる」


 再び突進。今度はより低く、地面すれすれを駆けてくるが、【翼の盾】をずらして拳を受けた――……が、翼の盾は割れず、パンサーも低く右拳を打ち上げた姿勢で固まった。一体何を――――


「――――ご……う……っ!?」


 腹を下から突き上げられた重く鈍い痛みと、肋骨の軋む音が身体の中からした。視界が揺らぎ、足元のパンサーが消――――背中から強い痛みと共に突き飛ばされ、低い草の生えた平原を転――――回る視界の中、走り、追撃に来るパンサー。辛うじて右側の【翼の盾】を出し、左足の蹴り上げを受けるが――――砕けた衝撃に負け、浮遊感を感じた後、背面から地面へ叩きつけられ、一瞬意識がとんだ。

 ゆったりとこちらへ歩くパンサーの姿が、横たわった視界に入る。両腕両足が折れていないのを確認し、揺れる視界を定めながら膝をついて立ち上がった。……彼の戦い方はサリーと同じで、相手を徹底的に殺そうとする戦い方。それでいてデタラメに強いのも共通している。


「【鎧通し】。打ち付けた衝撃だけを伝えてぶっ飛ばす、魔力なんざ微塵も使わねぇ【技】だ。テメェのような盾で身を隠す野郎や、重鎧で隙間なく固めた慢心野郎にはよく効くだろ? 極めれば盾や鎧を傷付けず、ほぼそのままの威力で叩き込める」


「ひゅ……ふ――……」


「内臓がイカれて、まともに呼吸もできねぇか。判断力と目はそれなりだが、身体はひょろひょろで全然できてねぇ。構えろ、何百発でも叩き込んでやる」


 時折詰まる呼吸をどうにか整え、彼から視線を逸らさず考える。

 魔力を一切用いない純粋な【技】。本来であれば弾き返せる衝撃も、貫通してそのまま伝える武術があるのは初耳だ。受けずに躱すのが確実で妥当な手段だろうが、初撃を躱せたとして、次撃は反応出来てもこちらの身体能力では躱せない。【翼の盾】でなく、局所的な防御に切り替えるか? いや、重たい一撃を腕や胴体で受け続けるのは不可能。骨を折られ、そのまま殴り殺されてしまう。

 ……普通に受けるだけの強固な盾では駄目だ。達人ともなれば剣や槍、レイピアを緩やかな盾の曲線に反り合わせ、いなすようなことも可能。しかし、その技術さえ持ち合わせていないのは僕自身が一番知っている。……だが、普通の盾では出来なことを可能にするのも、皆の【信仰の力】で作られた【翼の盾】だ。


 そう、例えば――――硬度を衝撃に合わせ、衝撃を受けきれるよう柔軟にすることも。


 背筋を伸ばし、内臓の位置を少し整えると呼吸が楽になった。腕に伝う熱を放出し、半透明な【翼の盾】を作り上げる。今度は強固さではなく、より柔軟なゴム繊維や粘土をイメージして。


「……もう一度、お願いします」


「小賢しい考えがあるようだが、【受ける】って選択肢を取った時点でテメェの負けだぜ」


 ゆったりとした構えから姿勢を低くし、地面すれすれを素早く接近――――盾へ再び右拳を打ち上げた姿勢で止まり、衝撃――……腹部の鈍い痛みを堪え、食いしばってパンサーの目を透明な盾越しで見る。


「!?」


 彼は驚いた表情をした後、素早く右拳を引いた。今度は――――やや斜め上の角度からの左拳。右肩が外れんばかりの衝撃……これも耐えられた。先程より少しだけ軟らかくしたが、まだだ。彼の拳の勢いを理解し、衝撃を盾全体へ流せ。拳を引き、回転しながらの鋭い回し蹴り。胸への強い衝撃に呼吸が詰まる。……折れかけた鎖骨が軋む程度で、最初の一撃ほど重くはない。

 再び盾越しに目が合い、パンサーの目の動きから動揺しているのが読み取れた。


「くそ……っ!!」


 パンサーは盾を蹴って距離を取り、再び低い姿勢から接近し、拳を腹へ打ち上げるように連打する。内臓が強い衝撃を受け続けたせいか、痛みよりも吐き気や目眩の方が激しくなる。食いしばり……衝撃へ盾を慣らしていく。より柔軟なゼリー状の固体をイメージし、盾全体へ受け流す。点で受ければ集中した威力で強固な盾も簡単に割れてしまうが、全体で受ければ威力は分散する。


 【そこに有るのに無い状態】を保て。何もない宙へ拳を振るように、そこに痛みも手応えも衝撃も無く、彼の攻撃の全てを受けきるんだ。


「おおおおおおぉ――――らぁっ!!」


 正面からの右拳の正拳突き。重たく、『どしん』と地面を踏みしめる音と振動。【翼の盾】はとうとう鳥の羽毛のように柔らかくなり、拳の接地した部分を包んでいた。身体に痛みも衝撃も無い。真っ直ぐと視線を逸らさず、次の一撃へ備え彼の目を見る。お互い肩で荒く息をし疲弊していたが、白い息を吐くパンサーの抱いている感情はそれだけでは無い。


「気持ちわりぃ……っ!! 空気でも殴ってる気分になってきやがるっ!! だが盾は見えてるし、確かにそこに有るんだ……っ!! なんなんだっ、なんなんだよテメェっ!? 俺になにしやがったっ!?」


「何も……ただ、あなたの重い一撃を見極め、【鎧通し】を躱すには実力不足で……僕には、これしかなかっただけです」


「こんな、小手先だけの小細工で――――俺の拳が、軟弱な盾に負ける筈ねぇだろぉがぁっ!!」


 拳を引きながら回転し、顔の高さへ裏拳が――――『ばぁん』っと、凄まじい破裂音。パンサーの右籠手が弾け、左手で右腕を押さえてその場へ膝から崩れる。


「ぎぃ……っ!?」


「!? 大丈夫で――――」


「――――近寄るんじゃねぇっ!!」


 【翼の盾】を解き、彼の身に起きた異変を確認しようと近付くが、目を見開いて食いしばる口から牙を剥き出してこちらを睨む。右手のズタズタに裂けた傷からは出血と、指が折れたのか、握りしめていた拳は力なくだらりと開いたままになっていた。外れかかった右籠手の隙間からも血が垂れ出ており、腕全体が重症であると理解する。


「アーアー、自分から力のバランスを崩したんだネ。水面に拳を力強く打ち付けたことはあるかイ? 【柔よく剛を制す】とは言ったものだけド、柔の先に剛が無いとは限らないダロォ」


「お二人共大丈夫ですかっ!? お怪我は――――ああっ、パンサーさんっ!! これは酷い……っ!! 急ぎ施術を致しますので、その場で横になってくださいませっ!!」


 遠目で見ていたベファーナとシスターが駆け付け、パンサーの容態を見て声を上げる。しかし、彼は近寄るなと言うようにこちらを睨み、立とうとするも、痛みに顔を歪ませ背中から地面へ倒れた。


「ふーっ、ふぅーっ!! くそがぁ……っ!!」


「そのままで。左手を退かしますよ?」


「触んじゃねぇ骸骨がっ!! 魔物のテメェに世話になるなんぞ――――」


「――――右腕全体と、肩の骨の一部が筋肉に突き刺さっていますわ。直ぐに施術を受けなければ、二度とその拳を振るうことは叶わないでしょう。立てないほどの痛みもありますし、自然治癒後も日常生活をまともに送れるかすら分かりません。それはパンサーさんにとっても、望ましい選択ではないでしょう?」


「ぐっ!? な…………そんなわけ……」


「………………」


「ちっ……治療以外、余計なマネするんじゃねぇぞ……っ!!」


 シスターの気迫と施術を受けなかった場合の見立てに根負けしたのか、彼は左手を退かし、瞼をきつく閉じて食いしばる。取れかけた籠手や鎧を慣れた手つきで外す光景を言葉なく見ていると、隣に立つベファーナがニヤニヤと笑って僕の顔を見ていることに気付く。


「マータ自分のせいだって思ってるんデショ?」


「……シスターがいてくれたからいいものの……僕はパンサーさんの人生を、彼にとってなんでもない所で奪ってしまうところでした」


「事故というのハ、【なんでもない所】で起こる事象サ。彼を止めると言った君ハ、文字通り拳を振るえなくして無力化しただけじゃないカ。命までは奪っていなイ。何を気に病むことがあるのだネ?」


「生きる意味や目的というものはそれぞれで、人の数だけあるものです。拳を振るうことを止めたいのではなく、彼がニーズヘルグのような非道へ手を染め、その為に拳を振ることがあるなら止めたいとは考えました。……彼に痛みを与えないよう【柔軟な盾】を作り上げた筈が、傷付けてしまったのは誤算であり、事実です」


「【触覚】や【痛覚】は生きるのに大切な感覚サッ!! それさえも君は無くしてしまったもんだかラ、黒ネコチャンはよっぽど動揺したんだろうネッ!! だがマァ、君が現状持っているカードでやりくりしたんダッ!! ウチは悪い解答と結果じゃないと思うヨッ!!」


「………………」


 ベファーナは自分の両頬を抓って伸ばし、蛙のような顔でこちらを見ておどける。

 【痛覚】。僕がまだ【ポラリス】ではなかった頃、【味覚】と【嗅覚】を全く感じなかった。それとは逆に、今まで感じていた感覚を失うというのは、どんな気分なのだろう。色褪せて見えるのだろうか。喪失感さえも覚えられないほど、精神が摩耗してしまっているのか。

 あの時、サリーは【痛みを感じない】と言っていた。血を流すほどの勢いで頭をぶつけ、腱を切られようとも痛みに苦しむ様子一つ見せない彼女は、かつての【私】と同じ【色褪せた世界】を淡々と生きている。

 生きる為にも……生きていると実感する為にも、人によっては【痛覚】も重要な感覚の一つなのだと、今日学んだ。


「痛みや苦しみから皆を遠ざけようとしているのニ、与えなければならないことがそんなに苦痛かイ? 皆を導く【天使】の君がそんな調子ジャ、付いて行く皆も不安に思うヨ? そこで歯を食いしばってる黒ネコチャンのようにネ」


「……はい。ですが――……いずれは僕らが変に与えたり、遠ざけようとはせず、穏やかに人々の行く末を自然と見守れるようになるのが、一番なのかもしれません。万人に不自由がないのは難しいかもしれませんが、ちょうど良い距離感や均衡を保つのも、各種族の尊厳や個人の生きる意味を守ることに繋がりますし……」


「君は本当に革命家には向いてないネェッ!! それでいて【英雄】のように手の届く範囲以上のものを守ろうとスルッ!! 実に破天荒で壊滅的な考えダッ!!」


「すみません……」


「イイヤ、それでいいのだヨ? タダネ、何をするにも君以外の誰かが必ず苦しみ、血が流れル。何十、何百と繰り返されるソレを当たり前だと思イ、何も感じなくなってはイケナイ。君の純粋な【慈しむ感情】に救われる人ハ、これらからも沢山いるのだからネッ!! イーヒッヒッヒッ!!」


 小さな【魔女】は悪戯っぽく笑い、僕から預かった【木の銃】の弾丸を詰める部分を、指先の魔術でカラカラと回す。


 僕は完璧には程遠く、気弱で優柔不断。歪に歪んだ世界に何万といる【天使】の一人だ。

 こんな僕でも唯一誇れることがあるとすれば、多くの人々と友人・部下に支えられ、素のままで今を生きられていることだろう。


黒猫のパンサーは以前ローグメルクと互角に渡り合った関係ですが、その勝負は乗り気でないローグメルクの様子にパンサーの気が削がれて引き分けに終わり、その後も本気のローグメルクとの再戦を望んでいます。そのために舎弟(?)であるポラリスを痛めつけ、いやがおうにでも本気で戦うように仕向けたかったようですが、近接しかできないのが仇となり、ベファーナの目論見通りポラリスが力の応用を見出す手助けとなってしまいました。

パンサー自身はとてもシンプルな性格で、気に食わないからぶっ飛ばすと言った粗暴さと、己の肉体で戦うことに強いこだわりを持っています。本来であれば華麗に攻撃を躱す、しなやかな身体能力や素早さを生かした戦闘が可能な戦士です。しかしポラリスは自分から攻撃を行う手段を持たないので、今回は噛ませ犬っぽく終わってしまいましたね……。

次回は魚人族の隊長・イシュとの再戦です。お楽しみに。

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