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ポラリス~導きの天使~  作者: ラグーン黒波
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第一章・角の生えた聖母~【第四節・硝子の羽根】~

駆け付けたローグメルクと対峙する獣人達、そして主人公が少女を助けるために走り始めます。

「お嬢っ!! お待たせしやしたぁっ!!」


「ローグメルクっ!!」


 ドアを蹴り破って現れた彼の名をボクは呼ぶ。右肩と左目の上に一つずつ切り傷がある以外は問題なさそうだ。

 目の前の獣人二人の標的が彼に変わる。二刀流の獅子頭がローグメルクを攻撃するべく、両腕を大きく振りかぶった。しかし、それではあまりに遅すぎる。風を切る音をたてて彼自慢の蹴りが胴に入り、獅子頭が後ろにいた兎頭も巻き込んで背後の壁まで吹き飛ぶ。

 壁は二頭分の衝撃には耐えたが獅子頭の鎧は耐えられなかったようで、彼の蹄の形に凹み、ひび割れた隙間から血が流れ出ている。鎧の内側が体に突き刺さったらしい。


「おせぇってのっ!!」


 ローグメルクはキレながら、左目の上から流れる血を指で拭う。


「ローグメルクさんっ!!」


「シスターっ!! まだ壁張ったまんまでおねがいしゃっすっ!!」


 シスターの声に、彼はまだ仕留め切れていないことを伝える。

 二頭は頭を左右に軽く振るとむくりと起き上がり、武器を構える。流石獣人だ、この程度じゃあ立ち上がるか。


「……俺、兎苦手なんすよね。昔指ガッツリ噛まれたことあってぇ――」


 彼は森の野兎に餌をやろうと指を口元へ差し出し、噛まれた事を話しながら両手に魔力を集中させ、武器を生成していく。


「――あれ以来っ!! 毛の生えた小動物触れなくなっちまったんだよぉっ!!」


 叫びながら生成術で編んだダガーを六本投擲し、兎頭の右肩・右腕・左胸・腹部・両太ももに刺さった。少し怯むが、兎頭は槍を突き刺すべく構えて飛び込む。速い。が、ダガーが刺さった時点で彼の勝利は揺るぎないものであった。

 槍がローグメルクの頭に接触する直前、刺さったダガーが同時に爆ぜ、右肩・右腕・左胸・腹部・両太ももと鎧に穴をあける。血飛沫をあげながら、衝撃で後ろにゆっくりと兎頭の体が吹き飛ぶ。重量感のある音をたてて落下した兎頭は、血だまりの中もう動くことはなかった。


「こいつで三頭目、次はテメェで四頭目だ獅子野郎っ!!」


 ローグメルクは再びダガーの投擲を繰り出すために、両手へ魔力を集中させる。獅子頭は自分の間合いではないと判断したのか、右手に持っていた剣を彼めがけて投げつける。

 ローグメルクは素早く小さな移動と上半身の捻りのみで避けるが、体勢を少し崩してしまう。直後、廊下を挟んだ反対側の部屋のドアが壊れる音が聞こえた。


「おぁっ!? アブね――」


 体勢を崩したところを見逃さなかった獅子頭は左手の剣を両手に持ち替え、彼の上半身と下半身を吹き飛ばそうと踏み込んで斬りかかる。まずい。


「シスターっ!!」


 ボクの声に反応したシスターが左手で守護魔術の壁を瞬時に形成し、獅子頭とローグメルクを分断する。予想外の物体に渾身の一撃をはじかれた獅子頭は勢いそのままに大きく後ろへのけ反り、隙が生まれた。


「あざっすシスターっ!! さぁてぇ――」


 体勢を立て直したローグメルクが魔力を練り、ダガーではなくより魔力密度の高い黒い杭を一本生成する。生成し終える瞬間、シスターが壁を消して射線ができた。


「じゃぁなぁっ!!」


 彼が放った杭は獅子頭の鎧に付いた蹄の凹みの上から突き刺さり、衝撃で短い唸り声を出しながら少しずり下がる。

 直後、大きな爆ぜる音と血飛沫が天井や床、壁に飛散する音と共に、獅子頭の体は跡形もなく吹き飛んだ。……やはり彼の戦い方は賑やかです。

 目前の脅威が去り、安全を確認したシスターがボクらの周りに張った守護魔術を解く。


「皆さん、遅れても申し訳けねぇっすっ!! 書庫近くで豚と牛に絡まれたんで蹴り飛ばしてやしたぁっ!!」


 ローグメルクが元気に謝罪しながら頭を下げる。君のそういうお喋りで律儀なところが好きですよ。若干空気読めない、天然なところも含めて。それよりも――


「お兄さん、大丈夫――」


 ソファから飛び跳ねるように立ち上がったお兄さんは、そのまま獣人の入って来た割られた窓へ走って行き、窓枠を飛び越え城の外へ飛び出して行かれました。


「………………は?」


「【天使】様?」


「お嬢、客人がなんかぶっ飛んでったんすけど……」


「………………」


「お嬢?」


「追えええええええぇっ!!」


「ハァっハァイっ!?」


 ローグメルクが返事するのと同時に窓硝子を突き破り、一頭の獣人がテーブルの上へしなやかに着地する。頭部の形は……あれは豹ですかねぇ? 二頭の獣人と同じ黒い鎧を身に着け、小手で両手を保護した黒豹頭の獣人がボクらの前に立ちふさがる。

 この空気が読めないタイミングは、ボクちょっと許せないです。ただあの獣人の立ち方には妙に違和感がある。


「増援っすかね」


「かも? たださっきの奴らと雰囲気違うような?」


 ……襲ってこない。構えもしない。こちらの出方をうかがっているようでもなく、黒豹頭はボクらを見つめている。敵ではない? でも侵入してきた獣人達と同じ鎧を身に着けてますし……。


「戦える者だけこの場に残れ、あとはさっきの奴を追うなり逃げるなり好きにしろ」


 黒豹頭が口を開き、ボクらに向けて話す。

 獣人族には珍しい、知能の高い個体か。発音も滑らかで聞き取りやすいし、人間の社会で長く過ごし育ったのだろう……交渉してみる価値はあります。


「……あなたが獣人達の頭目ですかね?」


「元、と言った方が正しいか。俺の掟を破った連中だ、てめえらが勝手に処理してくれるならそれでもいい」


「ははぁ、ケジメって奴ですねぇ。同じ部下を持つ者として心中お察しします」


「どーも。ただ俺もイライラしてんだ。【天使】だか司祭だか知らんが、んな奴に飼いならされて誇りを捨てるようなマネしやがって……」


「ならボクらに当たるのって筋違いじゃないです? クソったれ野郎ぶっ飛ばす方が先では?」


「俺より強い奴が目の前にいる。もしくは根性ある奴がいる。俺がぶっ飛ばす。その後にムカつくやつをぶっ飛ばす。以上だ」


 黒豹頭は右手親指で首を切る動作をする。

 あー……駄目ですわ。自分中心に世界回ってて、言葉は通じるけど会話できない奴ですわ。ボクは戦闘向きじゃないですし、シスターは防御全振り、消去法で考えれば――


「シンプルでいいと思うっす」


「そうだろ?」


「ですよねぇ」


 ローグメルク、彼しかいない。だが獣人二頭の戦闘技術を教えたのが元頭目の黒豹頭だとしたら手練れなのは確かだ。念のためシスターにも残ってもらうべき? あまりここでうだうだしててはお兄さんが危ない。


「お嬢、シスターと窓から客人を追ってくだせぇ。あの猫野郎は俺が引き受けるっすよ」


「一人で大丈夫です?」


「ティルレットも戻ってきやせんし、今のお嬢一人じゃ獣人とカチ合ったら詰むっす。シスターの守護魔術は頼りになるっすから、俺も任せられるっす」


「私もその方がいいと思いますスピカ嬢。飛び出して行かれた【天使】様も心配ですわ」


 シスターもローグメルクの意見に賛同する。ボクも二人と同意見だ。


「……わかりました。黒豹さんに負けそうだと判断したら、全力で逃げてくださいね。敗走は恥ではないですよ」


「了解っすっ!! シスター、お嬢をお願いしゃっすっ!!」


「ローグメルクさん、あなたに神の加護が有らんことを……」


 ボクとシスターは割られていない窓を開け、外へ飛び出しお兄さんを探す。

 恐らく城の裏側の森に入ったんだと思う。耳が聞こえなくなった時、明らかに様子がおかしかった。可能性としては、獣人から逃げ惑う人間の思考が聴こえたのかもしれない。あの人はいい人だけども、自分を縛って感情を抑え込むティルレットと似たようなところがある。

 もしだ、縛り付けていたものを絶望的に悲痛な声で切られてしまったのだとしたら……爆発して走り出してしまうだろう。


 自分に何ができる訳でなくても。お兄さんの憧れたルシがそうだったように。


***


 お嬢とシスターが森の方へ駆けていくのが見える。

 客人も心配っすけど、俺の前にいる獣人は多分この場を適当にあしらって逃げても俺を追ってくる。強さにこだわるタイプは、自分か相手が折れるまで徹底的にやる。

 理屈とかそんなん一切抜きで、ただの自己満足。厄介なのがその自己満足が底なしで、満たされたと思ったらまた次の自己満足の相手を探さなきゃいけない。わかっちゃいるけど、それしか知らないから自分でも衝動を止められない。


「疲れないっすか? そういう生き方」


「なに?」


 獣人の余裕そうだった表情が、少し険しくなった。


「俺、あんたの生き方わからなくもないんすよ。難しい理屈とか抜きで周りに変な気を使う必要もねーし、モヤモヤしたらムカつくやつぶっ飛ばせばスッキリするし、強い奴と戦って俺つえーってするの気持ちーし」


「てめえは違うのか。俺と似たような奴に見えたんだがな」


「昔はそうだったっす、俺も」


「ほう」


 ヴォルガード・アーヴェイン。あの漢との出会いが今の俺の原点であり、あの人の為なら死ねるって思った。

 けど許さなかった。使い捨ての【契約悪魔】としてなんかじゃなく、俺を家族として扱ってくれた。お嬢と別れるのだって死ぬほど嫌だったはずだ。ブチギレて、俺らも巻き込んで戦争すればどうなってたかわからなかったはずだ。んでも、例え魔王と忌み嫌われても、底なしに国民大好き平和大好きで――なんでそんなにブレねーのかわかんねー馬鹿みてぇな大きな背中に、馬鹿な俺もああありたいと思っちまったんす。


「俺は馬鹿っすから、お嬢やみんながいないと駄目なんすよ。みんなには笑って生きて欲しいっすから、みんなが望むなら全力で死なない程度に、ヤバくなったら全力で逃げるっす」


「誇りとかねえのか、所詮てめえも飼い犬だな」


「憧れた人が一番大事なもんを託してくれたんすよ、それが俺の誇りっす」


 獣人は鼻で笑う。貶しているわけではない。馬鹿なりに筋が通っていると思ったからこその笑いだ。


「でも一つだけモヤってわかんねーことあるんすけど……」


「なんだ」


「あんた、猫すか? 豹すか?」


「猫だ」


 そう答えると猫頭の獣人はゆったりと構える――お嬢、こいつ猫っす。


***


アタシは今、森の中をお得意さんの女の子抱きかかえ全速力で走ってる。まだ夕日は完全に沈み切っちゃあいないが、このまま無茶苦茶に走ってると方向感覚まで狂いそうになる。

 今だって森のどの辺り走ってるかわかんねぇ、でも止まると追いつかれる。どれだけ離れても鼻と耳のいい連中を連れた顔面傷だらけのデカ男は、アタシとこの子を追ってくる。自前の魔力は尽きかけ、日頃コツコツ貯めてた貯金も、さっきの獅子頭からこの子庇うのに使っちまった。あいつに斬られた背中の傷が塞がらなくて、走るたびに血が流れてくのがしんどい。


「おねえさんごめんなさい……わたし……なんにもできなくて……」


 泣きながらアタシに抱えられた女の子――マリアが話す。

 何言ってんだい。黒い鎧の獣人共が麻袋に入れられたガキ共を、ニヤニヤとキモい目で笑うデカ男相手に、森のすぐそばで売り払ってるのをアタシが見ちまったんだ。あんたは何も悪くないさ。


「アッハッハッハッ!! 大丈夫っ!! アタシがお家まで突っ走ってあげるから、舌だけ噛まないよう気をつけてなっ!!」


「……うん」


「泣いたって疲れるだけっ!! 折角の美人が台無しになっちゃうよっ!!」


 泣き疲れて眠るのはいつだってできる。自分の無力さに嘆いて打ちひしがれて、潰れてそのまま無くなっちまうのだって。

 でもね、アタシはどんな状況でも笑って生きたいのさ。生まれてから死ぬまで、ずっと笑って生きていたいんだ。血生臭い仕事をしてたあの頃も、街の連中となんだかんだ上手くやれてる今も、あの人が死んだって知った時も泣きながら笑ってやった。

 止まるな、笑って進め。それだけがアタシにできる唯一の恩返しさ。



 獣道から外れた森の中を走り続けてしばらくすると、少し開けた場所に出た。身を隠せる場所は……ないか。どのくらい距離を離したかわからないが、留まって追いつかれるのも時間の問題だろう。


「さむい……」


 アタシの腕の中でマリアが震え、唇の色が少し薄くなっていた。まだ春に入ったばかりだ、この辺の朝と夜はかなり冷える。

 アタシはなんてことない……と言いたいけど、血を流し過ぎたせいか肌寒く感じる。アタシのイカした新作コート、両肩切り落としたのは失敗だったかな。


「しゃーない。ちょっと待ってね」


 マリアを一旦下ろし、【悪魔の七つ道具】が入ったバックポシェットからしっかりと鞘に納まった小さなナイフを取り出す。イカしたコートを脱いだアタシは血で濡れたところを避け、鞘の留め具を外したナイフですぱすぱと切っていく。……多少アレだけど、何もないよりはマシか。


「ほら、これで少しはマシでしょ?」


 小さな彼女に軽く巻いてあげると、いい感じに革のマントになった。抱えて走る時の風程度は防げるだろう。


「あったかい……」


「ん。ダサくてごめんね。今度マリアに似合いそうなイカす奴作ってあげるから、今はそれで我慢してくださいな」


「だけど、おねえさんはさむくないの?」


「アタシは薄着慣れてるからねっ!! すっぽんぽんでも余裕よ余裕っ!! アッハッハッハッ!!」


 これでいいんだ。【簡易契約】の対価も払えない少女にしてあげられることなんて、この程度――――


 背後で細く風を切る音が聴こえた。どすっという背中の筋肉に刺さる音と衝撃、激痛を感じて前に体勢が崩れる。とっさに出した右足と左手で地面を押し、倒れこむのだけは踏みとどまる。……弓矢かい。

「おねえさんっ!?」とマリアが涙目になってアタシに寄ってくる。


「あっ、ああっ!! ちが……ぼうがささって…っ!!」


「っは……っはは、だいじょーぶ。こんな矢の一本や二本――」


 再び背後で風を切る音が、今度は複数聴こえた。

 アタシは右足に力を込めて蹴りだし、両手でマリアを着き飛ばしながら前へ跳ねる。左の脹脛に衝撃と鋭い痛みを感じ、矢が刺さったと判断した。


「あがっ!?」


 そのまま地面に叩きつけられた衝撃で、背中の切りつけられた傷が広がる。痛みで一瞬視界が白くなるが、すぐに眼球に映る前方の景色が映し出された。

 アタシの視界に矢はない。放たれた矢は一本以外、すべて後ろに刺さってるんだろう。仰向けに倒れたマリアは動かない、声も上げない。気絶してるのかも。

 動けアタシ、次が来るぞ。彼女を守るんだ。獣人共だって馬鹿じゃない、今度は確実に当てられる。音が聴こえる前に、抱えて走れ。立ち止まらず、笑って進め。

 細い風を切る音が聴こえる。


 あーあ。少年、【悪魔】のアタシじゃあ人間を導くのは役不足らしいね。



 ――何か、弾く音がする。薄い硝子が小さく、徐々にひび割れていくような音もする。意識はまだある。痛みもある。あの音が聴こえたのに、アタシにも、目の前のマリアにも矢は刺さらない。外したのか? わからない。情報量が足りない。

 両手をついて上半身を起こし、背後の状況を確認するべく首をひねる。

 茶色いコートの男が立っていた。背を向けているが、あの白い髪と背格好をアタシはよく知ってる。

 両腕を重ねて顔の前に出し、殴られまいと防いでいるようにも見える。男の前には薄い硝子のような二枚の翼があり、今にも割れそうなひび割れる音をたてながら、放たれ続ける矢を弾いていた。

 一本の矢がまともに翼へ刺さり、大きくひびが入る。割れるかと思われたが、獣人達の矢が尽きたのか追撃の矢は飛んでこなくなった。茶色いコートの男がゆっくりと腕をおろすと翼は消え、刺さっていた矢が地面へと落下する。

 彼は振り返り、素早く屈んでアタシの顔を覗き込む。


「ペントラさんっ!? 大丈夫ですかっ!?」


 見知った顔とよく似た顔の男はアタシの名前を呼んだ。

 青白い硝子のような無機質な瞳が、最後に会った時よりも若干黒くなったように見え、口の周りには口内をケガをしたのか血が少しついている。アタシがニヤッと笑って見せると、少年だった彼はポロポロと涙を流し始めた。


 なんだい、そんな顔されたらもう少年なんて呼べないじゃないか。


***


 思考が大きく聴こえる場所を目指し、辿る。かなりの速さで移動しているようだが草をかき分けた形跡、決して少なくはない量の血痕をよく観察すれば追えなくはない。

 草木の匂い、土の匂い、そして自分の血の臭い。一度にこうも沢山の知識を脳に叩きこまれると頭がどうにかなりそうだ。少なくとも血はあまりいい臭いでも味でもない、どちらかといえば不愉快だ。【地上界】に生ける生物や【受肉】された肉体にもこの液体が全身をめぐり、臓器を動かす役割を担っていると思うと少し複雑である。

 だが集中しろ。逃げ惑う少女は恐らく、誰かと共に逃亡している。そして僕と同じように追っている獣人達も、どこで目を光らせているかわからない。もしかしたら僕の後ろを追う形になっているかもしれないし、彼女らの近くに潜伏しているとも限らない。


「――だが戦えるのか?」


 城を飛び出してきた直後にもすぐ湧いて出た疑問が、無意識に声となって口から出る。

 わからない。もしかしたら少女と合流したとしても、何もできないまま獣人達に首をはねられてしまうかもしれない。無残に弄り殺されてしまうかもしれない。

 恐らく以前の【私】なら不可能だ、【見守れ/見捨てろ】と判断しただろう。実に賢明な判断だ、決して間違ってはいない。人間に直接干渉するという【下級天使】の禁忌に触れようとしているのだ。【堕天】処分が下されるのが嫌で、憧れのルシに少しでも近づきたくて、ニーズヘルグに媚びへつらってまで、あれほど【下級天使】の身分に縋り付いていたではないか。


《おねえさんごめんなさい、わたし、なにもできなくて……》


 そんなことはない、君の思考が聴こえる。君が考えることを止めさえしなければ、僕は君と誰かの痕跡を追える。

 僕は魔王の烙印を押されたヴォルガード・アーヴェイン氏のような気高き誇りも無ければ、勇者のように強くもなく、ルシのように聡明でもない。だが少女の声に応えられる【天使】は、【僕】しかいないのだ。三人は自分のあるべき使命を受け入れ、抗い、後悔し、それでも未来へ選択の舵を切った。

 今ならわかる、彼らもきっとそうだったのだ。ならば僕も例え醜く堕ちようと、最後まで【導きの天使】として導こう。君の願う声が届く限り。


「……声が動かなくなった」


 身を隠し、立ち止まって休んでいるのだろうか。どちらにせよ追いつくチャンスである。獣人共に先を越される前に。


***


「おねえさんっ!?」


 木々の隙間から黒い布を巻いた少女が叫ぶのが見える。傍には背中に木の矢が刺さった赤髪を後ろで短くまとめた女性が、倒れまいと片手を地に着け踏みとどまっていた――ペントラだ。

 彼女が少女を抱え、庇いながら逃げていたのだろう。小さく風を切る音が聞こえた直後、ペントラが前に踏み出した片足の力のみで跳躍しながら、少女を突き飛ばす。ほぼ同時に彼女の後ろの地面に二本、左脹脛を一本の矢が貫く。

 地面に叩きつけられた彼女と少女は動かなくなったが、少女に矢は当たっていない。気絶したのだろう、思考がぷっつりと聞こえなくなった。


「ペントラさんっ!!」


 叫びながら木々の隙間から飛び出し、僕は倒れた彼女と少女に向って走る。僅かに指が動いているのが見え、彼女がまだ生きていると判断した。

 周囲は開けており遮蔽物がない、急がなければ次の矢が来る。飛んできた矢の本数から敵は複数いる。どうする? 立ちふさがって射線を妨げ、自分の身で矢を受けるか? 軟弱な身で受けきれる自信はないが、庇わなければ動けない彼女らは確実に射抜かれてしまう。

 彼女らを背にする形で僕は射線上に立つ。頭だけは射抜かれまいと、顔の前に両腕を構える姿勢をとると小さく風を切る音が聞こえ、木々の間から複数本の矢が、こちらめがけて飛んでくるのが見える。

 腕の隙間から見える光景は、不思議とゆっくりと動いているような気がした。



――本来交わらぬものが均衡し合う、しかして決して混ざり合えぬ情熱。不肖ティルレット、そこに生を見出したものにございます。

――――客人、あなた様はよい情熱をお持ちであります。


 あの言葉が脳裏をよぎる。死生の狭間は、こんなにもゆっくり動いて見えるのか。

 胸が焼けるように熱い、今確かに僕は【受肉】で得た肉体が【生きている】のを感じる。

 瞬きをする間の一瞬で、僕は矢に射抜かれ死んでしまうというのに。


――だからボクは彼の建てた教会で、毎日祈りを捧げながら過ごしています。積み重ねた過去を忘れないよう、今の平和に感謝し、この先再び混沌とした時代が訪れないようにと。


 誰もいない教会、窓から降り注ぐ光の中、目の前には片方の角を切られた少女が祈る姿、瞼を閉じ、微笑みをたたえて。


 焼けるような熱が、胸から両腕へ移るのを感じる。熱は僕の両腕から放たれ、二枚の薄い半透明の翼を形作る。同時にゆっくりと飛来する矢が、加速する。


 翼は飛んできた矢を弾じき、三本の矢は衝撃で回転して宙を舞い、地面へと落下した――僕はこれを知っている。信仰が形を成した天使の武器だ。

 教会の天使像へではない、【天使】個人に対しての純粋な信仰心が形となって現実に干渉する。硝子のように薄く透明なのは、僕への信仰心の数が僅かなことを表していた。

 再び風を切る音が聞こえ、僅かな時差で翼に矢が三本接触する。ひび割れる音を小さくたてながら、翼は僕と後ろの二人を守るよう再び弓矢を弾き返した。あまり長くはもちそうにないが、僕が動くわけにはいかない。奴らの矢が尽きるまでなんとか持ちこたえてくれ。

 次の矢が翼に接触する。すべての矢が翼に接触し、矢を弾き返すもひびが入ったのが見えた。木々に隠れて姿を視認できないが、それなりの距離があるここまで確実に当ててくる射手達の腕がいいのがよくわかる。

 夕焼けで反射した鉄の矢じりを光らせながら、再度三本の矢が飛んでくる。翼は二本の矢は弾くが一本は深々と刺さり、大きなひびが入った。これ以上は厳しいか。

 しかし、一定の間隔で続いていた矢は急に飛んでこなくなった。向こうの矢が尽きたようだ。顔の前に構えた腕を下ろすとひびの入った翼は消え、刺さっていた矢が地面に落下する。

 背後で動く気配に振り返ると、ペントラが腕の力だけで上半身を起こそうとしているところだった。


「ペントラさんっ!! 大丈夫ですかっ!?」


 駆け寄り覗き込むと顔色はよくなかったが、僕の顔を見て彼女はいつものようににやりと笑う。

 その表情を見た僕は目が熱くなり、液体が頬を伝って零れるのを感じる。彼女やすぐそばで気を失っている少女が生きていて感動しているのか? それとも自分が死ぬかもしれない危機から一旦脱することができたから? 僕の為に祈ってくれたスピカに感謝しているのか? 痛みに耐えながらも笑う彼女を見て心が痛んだから?

 様々な感情が入り混じった涙は、ぽとぽとと流れる。

 ああ、涙とはこんなにも温かなものであったか。


「……はは、少し見ない間に……いい男になったじゃないか」


「無理に喋らないでいいですっ!! こんな酷い怪我をしているのにっ!!」


「そうも言ってられないよ……その子を連れて、逃げな。急がないとあいつらが来る」


 彼女が視線を移した先には気絶した少女がいる。

 確かに遠距離の攻撃手段を無くした獣人達は、僕らを直接仕留めようと背後から迫ってきているだろう。重症のペントラと、気絶して動けない少女を抱えて逃げるような力は私には無い。状況的にも少女だけでも抱えて逃げる方が先決なのは明らかだ。だが――


「僕はあなたを置いていけません」


 その一言に驚いたような顔をした後、あまり見たことのない真剣な表情をしながら、苛立ちのこもった声で彼女は反論する。


「……バッカっ!! 多対一で素人が戦うもんじゃないよ……っ!! しかも、相手は獣人、ひょろひょろのあんたなんか、簡単に殺されちまう……っ!!」


「わかってますよそんなことっ!! けどひょろひょろの僕じゃ獣人達の脚力には敵わないっ!! 時間稼ぎにもなりませんっ!!」


「おいおい、勇者にでもなったつもりかい……? だからってアタシなんか庇っても――」


「救いますっ!! ペントラさんもその子も、僕だけ逃げるわけにはいきませんっ!!」


 遠くで草を踏む音が聞こえる、奴らが来る。ペントラは顔の汗を右手の甲で拭いながら、真っ直ぐと黄色い瞳で僕の目を見る。目はまだ熱かったが、涙の流れる感覚はない。

 呆れたようなため息をついた後、右手ですぐ傍に落ちている刃の黒い小さなナイフを指さす。


「そこにアタシのナイフがある。詳しい説明は省くけど、あれは一度魔力を込めてブン投げると、狙った相手の頭に【絶対当たる】。昔よく世話になったヤベー【悪魔】の道具さ。とりあえずそいつで一頭は仕留められる。だが手元に戻ってくるほど便利なもんじゃない。アタシが残った魔力込めて投げるから、あんたは刺さったあと何とかしてナイフを引き抜いて投げれば、もう一頭仕留められる……やれるかい?」


「……やります」


 僕は落ちていたナイフを彼女に渡し、後ろへ振り返る。三十歩ほど先に、黒い鎧と武装した屈強な三頭の獣人達が、ゆっくりとこちらへ向かってくる姿を視界に捉えた。

 左は片手斧を握りしめた黒い毛並みの熊頭。右には左手に鎧と同じ色の小さな盾と右手に短剣を持った、灰色で鼻の高い狼頭。間に挟まれる形で、二頭よりも奥に身の丈と同じぐらい巨大な斧を右肩に乗せた、立派な太い角を生やした鹿頭だ。

 どうやってあれほど大きな得物を携帯しながら素早く追ってこれたのか想像もできないが、獣人達を指揮しているのは鹿頭だろうか?

 ペントラは脹脛に刺さった矢をナイフで短く切り落とし、それ以上矢が刺さらないようにしながら慎重に膝を立て、座る形で獣人達に向き直り僕へささやく。


「鹿頭はダメだ、刺さったあと取りに行く距離が伸びちまう。盾持ちの狼頭も厄介だね、ナイフの軌道は直線状だから正面だと防がれるかも」


「なら熊頭を最初に狙いますか?」


「ん。なんとかして熊からナイフを抜いたら、次は鹿頭に投げな。得物がデカい分、内側に入り込めば躱しやすい。得物を振られたら絶対に避けろ、あんたの翼じゃ無理。で、仕留めたら狼とサシ勝負さ」


「一対一……」


「隙を突くしかないね、アタシじゃ手伝えない。まず引き付けて投げる。投げたら熊頭へ一直線で走って……いいね?」


「はい……お願いします」


 獣人三頭は、陣形を乱すことなくじりじりと迫ってくる。その歩みに焦りはない、余裕のある歩みだ。ペントラはまだ構えず、地面に着いた手の下にはナイフを忍ばせている。まだ投げない。

 あと十五歩。三頭は武器をゆっくりと構える。歩みは止まらない。

 あと十三、十二、十一――――地に足を付ける前に、ペントラが小さな動作で素早くナイフを投擲する。その小さな動作からは考えられない風を切る音をたてながら、彼女の放ったナイフは熊頭の眉間に突き刺さった。ぐらりと熊頭の巨体が後ろへ倒れかかり、一瞬の出来事を判断するために鹿頭と狼頭の注意は僕らから熊頭へと逸れた。


「いまっ!!」


 そうペントラが叫ぶのとほぼ同時に、全速力で僕は熊頭に向かって走る。

 あと五歩、二頭の視線はまだ熊頭に注がれている。熊頭が地面に仰向けに倒れる。あと三歩、二頭が僕の存在に気付く。あと一歩、僕は熊頭に刺さったナイフへ手を伸ばす。二頭は反射的に僕を攻撃するため武器を振りかぶる。止ま――れない。

 僕は右手で倒れた熊頭の脇を駆け抜けながら、頭部からナイフを引き抜く。熊頭を完全に追い抜いたと同時に、僕の後ろで鈍いぐちゃぐちゃとした音が聞こえた。二頭の攻撃が倒れた熊頭に直撃したのだろう。

 六、七歩で勢いと速さを殺し、振り返る。熊頭の頭部と胴体は巨大な斧の刃で両断され、離れた胴体もオオカミの剣が突き刺さっていた。鹿頭は斧を持ち上げようとしているが、狼頭の方は剣が深く刺さりすぎたのか引き抜けずにいる。好機だ。

 できるだけ最低限の動作で素早く、右手で握ったナイフを鹿頭を狙って僕は投げる。手を離れたナイフは真っ直ぐと鹿頭のこめかみに突き刺さった――が、浅かったのか、少しよろめいた後、巨大な斧を僕に振るう。斧の刃が迫る。僕は前へ飛び込み、寸でのとこで躱せた。

 コートの裾が斬られたらしく、布が裂けた音が一瞬した。両手で地面を突き、顔を鹿頭の方へ上げる。

 そこには右足を上げ、僕の頭を踏み砕こうとする光景があった。これは避けられない。


 刹那、再び時間の流れが変わり、高速で脳が回転する。ゆっくりと踏み下ろされる蹄の付いた巨大な足。避けたとしても、角度的に僕の脆い胴体が酷いことになるだろう。どうしようもないことを判断すると、腕が焼けるように熱くなる……いけるか?

 頭を防ぐようにして左腕を出した。矢を防いだ時のように、半透明の薄い翼が一枚、腕に沿う形で現れる。同時に時間の流れが戻り、踏み下ろされた足が加速した。


 蹄が翼に接触し、重みに負けて一気に巨大なひびが入り、割れる――翼が砕けた瞬間、僕は衝撃で大きく弾き飛ばされ、僅かに浮遊感を感じた後、背中から地面に叩きつけられた。受け身をとれず、衝撃で一瞬呼吸ができなくなる。直後、足元でずしりと何か重たいものを落とした音と何かがつぶれる音がした。

 なんだ?何が起こった?上半身を起こす。目の前には毛の生えた大きな拳があった。


***


 鹿頭と同時に大きく吹き飛んだ彼は、追撃しに来た狼頭に殴られ後ろへ吹き飛んだ。深く刺さった剣が抜けなかった狼頭は諦めたのか、そのまま素手で彼を襲ったのだ。

 一方鹿頭は吹き飛んだ拍子に地面に叩きつけられ、手から離れた巨大な斧が宙を舞い、腹部に重たい音と共に突き刺さっている。まだ息があるのか、低くうめき声を上げていた。


「ヤバ……っ!?」


 地面を転がった彼はよろめきながらなんとか立ち上がるが、口から大量の血を吐いている。獣人の強靭な拳をまともに受けたのだ。ただの人間と変わらない身体能力の彼にはあまりに重すぎる一撃。

 狼頭は興奮しているのか、荒く息を吐きながらさらなる追撃を仕掛ける為に彼ににじり寄る。


「おおいっ!! クソ犬っ!! こっち向きやがれっ!!」


 アタシは何とか注意を引こうとするが、狼頭は振り返りもしない。聞こえてないのかあの野郎。

 バックポシェットにはまだ使える道具は入っちゃいるが、魔力を注げなければ何の意味もない。鹿頭に刺さったナイフに注いでしまった分でアタシの魔力は底を尽きた。どうする、考えろペントラ。彼がもう一度翼を出せるかもわからない。狼頭は盾を構え、警戒しながら彼に向って進んでいる。足に刺さった矢が恨めしい、立って動けさえすれば熊が落とした斧を拾いに行けるってのに。流石に這って取りに行ったんじゃ間に合わない。鹿頭に刺さったナイフも――ダメだ、遠すぎる。


「くっそ……っ!!」


 しびれを切らしたのか、狼頭が盾を構えたまま彼に向って突っ込む。彼はそれに反応していない。

 頼む、気付いてくれ――


「お兄さんっ!!」


 少女の声と共に、彼の前に白い半透明の壁が現れる。狼頭は勢い良くぶつかるが、弾き返されて後ろに下がる。

 助かった……? あれは幾度となく見た守護魔術の壁だ、魔術師が近くにいる? 狼頭とアタシは声の主を確かめるべく、そちらの方に顔を向ける。


「……女の子と……骨?」


 右片方の角が欠けた角が二本生えた少女と、教会の修道着を着た白い骸骨がいた。骸骨の方が守護魔術を使っているらしく右手が淡く発光し、光の筋が彼の前の壁へと続いている。味方か?


「ティルレットっ!! お兄さんを助けますよっ!!」


「了承」


 角の少女の声と共に、森から巻貝のような角の生えたメイド服の女が飛び出してくる。顔の肌は白いが、両手は手袋でもしているのかと思うぐらい黒い。

 主の命を受けたメイド服の女――ティルレットは低い姿勢で走りながら、狼頭へ一直線に詰め寄る。敵だと認識した狼頭は盾を構え、向かってくる彼女に体当たりを仕掛けた。


「笑止」


 ティルレットは小さくつぶやいたかと思うと接触する直前に盾に手を添え、勢いを殺さずそのまま狼頭を飛び越えた。視界から急に消えた敵に驚いたのか狼頭は足を止め、何処へ行ったのかと素早く左右を見回す。

 ――後ろを振り向く直前、狼頭の体を光る細い剣のようなものが鎧ごと貫いた。背後に回ったティルレットが、左手に持ったレイピアのような光る剣で突き刺している。すると彼女の手にまとわりついていた黒いものが、レイピアを伝って狼頭の体に流れ込む。狼頭は叫びもがいているが、レイピアも彼女もピクリとも動かない。なんだあれは?


「不肖の情熱、畜生に理解できようか」


 狼頭の体が流れ込んだ何かによってあっという間に黒くなり――発火した。レイピアを抜かれた狼頭は凄まじい声を上げ、のたうち回る。不思議なことに周囲には草花があるにもかかわらず、青い炎は飛び火することなく狼頭だけを燃やしていた。

 火だるまになった狼頭は激しく動いていたが、やがて動くことを止め、炎が徐々に小さくなり、自然鎮火するころには骨すら残っていなかった。


***


 ティルレットの呪詛を、直接体に入れられた獣人は燃え尽きた。彼女と森の中で合流できたのは幸運で、ボクとシスターだけでは三人を守り抜くのは厳しかっただろう。状況は最悪だけど、一先ずこの場は治めることができた。

 お兄さんと向こうの背中に矢の刺さったお姉さんは重症。あの女の子は……眠っているだけのようだ。

 シスターの壁が消え、向こう側のお兄さんはうつぶせで倒れこんでいる。動いていない。


「お兄さんっ!!」


「【天使】様っ!!」


 ボクとシスターはお兄さんに駆け寄り、容体を確認する。視界の端ではティルレットがお姉さんと話しているのが見えた。向こうは彼女に任せよう。

 シスターがゆっくりと仰向けに起こす。目立った怪我は無いが、苦しそうに小さく呼吸をしながら、口から大量の血を吐いている。内臓をやられたのかもしれない。血を流し過ぎたのか、虚ろな目で血色も悪く意識がはっきりしていない。


「しっかりしてくださいませ【天使】様っ!! あなた様に人間向けの施術が通用するかわかりませんが、すぐに処置いたしますわっ!!」


 シスターは袖からポケットナイフを取り出し、お兄さんの上半身の服を裂く。露わになった白い肌の腹部には大きな打撲痕があり、紫色に腫れあがっている。酷い……。


「ああ酷い……スピカ嬢、大掛りな術式を使うので少し下がっていてくださいませ。」


「た、助かりますよね……?」


「助けますわ」


 その言葉を聞いたボクは、彼女の施術の邪魔にならないよう離れる。こうなってしまってはボクは無力だ、シスターを信じて待つしかない。

 お兄さんはシスターに任せ、ボクは倒れていた女の子とお姉さんの方へ駆け寄る。


「おいっ!? あいつ大丈夫なのかっ!? 助かるよなっ!?」


「お静かに」


「うっせっ!! アタシはいいから向こう見てくれよっ!!」


 背中に矢の刺さったお姉さんは叫びながら、手袋を付けて優しく女の子を抱えたティルレットと口論している。安静にするよう促しているのだが、興奮気味のお姉さんにはうまく伝わっていないらしい。ただ意識ははっきりしているし、すぐに処置しなければいけないほどではないようだ。


「お姉さん、大丈夫です?」


「あぁっ!?」


「お、お兄さんはシスターが何とかしてくれますっ!! だから落ち着いて……」


 彼女は一転して静かになり、こちらを見定めるかのように睨む。背中に矢と斬られたような大きな傷があり、左の脹脛にも矢が刺さっているようだ。


「……あんたらが、魔王の残した遺産か」


「へ? なんでお姉さんがそれを――ああっ!! お兄さんが言ってたペントラさんってあなたですかっ!!」


 お兄さんの飲み仲間で、ボクの領地が描かれた地図を渡したのが本人だった。直接こうして会うのは初めてですがシスターの話通り、血気盛んな女性ですねぇ。


「【片角の紫髪】、間違いねぇ。魔王の娘だな」


「は、はい。スピカ・アーヴェインです。彼女はティルレット、ボクの【契約悪魔】です」


「……そうか、悪りぃ。あいつがボロボロなの見てちとキレてたわ」


 悪びれた表情をしながらペントラは俯き、謝罪する。彼女にとっても、お兄さんが大事な人なのだろうことがわかる。

 冷静になったところで、何が起こったのか事のあらましを彼女から聞いてみましょうか。黒豹さんの話と結びつくかもしれません。


「ペントラさん。わかる範囲で構わないので、何が起こったのかお話していただけますか?」


「……ん。少年と酒場で別れた後、そこに転がってる奴と同じ鎧を身に着けた獣人連中が、大荷物の荷車引いて街から出ていくのを見たんだ。別にその時は何とも思わんかったんだが、駐在やらお得意さんやらが血相変えてウチに駆け込んできたもんでね。話を聞いてみると子供がいなくなったとか、獣人にさらわれたとか……で、アタシは獣人達の出て行った方向を探してみたわけ。轍の跡を追って行ってみれば傷だらけの顔したデカ男と獣人達が、子供を売買してるときたじゃないかっ!! ただ……その子だけしか助けられなかったけど……あとはこのザマさ」


 繋がった。獣人達は街で誘拐した子供を売買していて、邪魔しに割って入った彼女を追い、ボクの領地に入って来たんだ。黒豹さんは部下の獣人達がそんなことをしているのを知って追ってきたと。助けられなかった子供らも心配ですが……その傷だらけのデカ男がハッキリしませんね。


「その傷だらけのデカ男って、何か心当たりがありますか?」


「あるも何も、町はずれの教会にいる神父さ。少年の上司で胸糞わりぃ汚職まみれの【中級天使】。何企んでたか知らないが、堕ちるところまで堕ちてやがるな」


「ははぁ、お兄さんの話していたクソったれ上司の方でしたかぁ」


「アッハッハッハッ!! ネタとかならまだ笑えるんだがねぇっ!! あー背中痛ぇっ!!」


 気の毒なくらいなお兄さんの社畜っぷりには驚かされてましたが、本当に今の【天使】社会って腐ってるようです。ルシ公、仕事してください。


「……少年には全部話したんだろ?」


 ペントラは少し寂しそうな顔で尋ねる。彼が変わったのを彼女も察したようだ。


「ボクの父、現国王の勇者、ルシについて。ボクらが知る限りのことを話しました。驚いていたようですが」


「あいつ、ルシに憧れてんだ。それだけを支えに十年近くもクソ野郎の下で働いてて……少しでも、自分の生きる意味について真剣に考えて欲しかったんだ。いつ見てもつまらなさそーな顔で同じ物飲み食い、てめぇ感情あるかってぐらい笑うとこも泣くとこも見たことない。んまぁ、顔に出にくいってだけで、汗かいたり嫌そうな雰囲気はなんとなくわかるんだけど…」


「お兄さんのことよく見てるんですねぇ。好きなんです?」


「バッカッ!! んなもんじゃねえってっ!! ニヤニヤすんなっ!!」


「色恋悪魔」


「うっせっ!!」


 図星だったのか、感想を述べたティルレットをペントラは顔を真っ赤にして睨む。愛されてますねぇお兄さん? 実感なさそうですが。


「――――そこまでですよぉっ!! 悪魔の皆さんっ!!」



戦闘描写は展開の速さをかなり意識しています。

敵も味方も主人公も平等、お互い全力で立ち回るので派手さとかは意識して無いです。

次節、例の上司が出てきます。

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[良い点] ストーリー構成なんかもしっかりしてて普通に好きです [気になる点] 何で賞がもらえないか不思議なレベル 視点が少しわかりにくいのが残念 [一言] 面白いです 色々してて大変だと思うけど身…
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