第二章・四人の【天使】~【第四節・プライド~前~】~
視点が変わって三つ編みの【天使】となります。
節通りにプライドの高い彼は、シスターやティルレット、街の人々と分かり合えることは出来るのでしょうか?
ニーズヘルグが教会から退いたあの時、【中級天使】として継ぐのは本来なら私だった。
業務始業時間や階級の上下関係は厳守、的確な【お告げ】のみを行い続けて教会信仰へ貢献し、報告書も漏れなく記載して速やかに提出。業務後は剣や槍の鍛錬へ励み、【堕天】した元上司・ニーズヘルグの腹立だしい妄言にも十年間耐え、精神面も鍛えられた。階級制度に縛られていることもあり、身体能力面に急激な成長こそなかったものの、【下級天使】としては上位者であると自負できる。完成された理想的な【天使】として、振る舞い続けてきたはずだった。
だが選ばれたのは、たまたま【ルシ】と通じていた奴と知り合ったという理由のみで、【中級天使】になったポラリス。私の後輩である金髪は体格に恵まれ、粗暴さが目立つが特異な才能を持っている。新人の丸眼鏡もまだ若いが、情報吸収力・成長には目を見張るものがある。
だがポラリスには何も無い。漫然と日々の業務のみを淡々とこなし、特異な才能を持つわけでもなく、それ以上の結果を求めて努力をするわけでもない。あるとすれば、私と共にニーズヘルグの下で十年間、【下級天使】として仕えた経験ぐらいだ。
何一つ取り柄も無く、才能も無い平凡な同僚が上司になった時、私はポラリスと奴を選んだ【ルシ】を恨んだ。歴史の真実を知り、受け入れた……奴がしたのは、ただそれだけではないか。自己意思の無い空っぽな傀儡を【地上界】へ据え置き、自分の手足と使うとしてもだ。私の方がもっと上手くやれる。奴以上に教会への信仰を集められる。ニーズヘルグのように汚職へ手を染めることもなく、部下の指導も抜かることもなく【ルシ】の要求に応え、階級制度内で使える手段は全て使い、更に【天使】としての高見を目指せる。
神々の為にも、【地上界】に住む人間の為にも、【ルシ】はあの場で私を選ぶべきだった。
……ならば、私は貴様の選んだ傀儡を【堕天】させ、その地位から引きずりおろしてでも、【天使】としての役目を全うしよう。
交易については学べるものがある。そう考えポラリスに同行したはいいが、まさかこんな化け物と組まされるとは想像もしなかった。領地の主である魔王の娘や執事、メイドは角や足の蹄など、一部の身体的な特徴を除けば人間となんら変わらない。
だが目の前にいる骸骨だけは、自分の頭がおかしくなったのかと錯覚してしまうほど、視界に入れたくない存在だった。
「ええと、こちらの紙に書かれている内容の物と、穀物を交換してくださるかしら?」
時刻は十七時二分。彼女らが顔馴染みだという街で、修道服を纏った骸骨は、ふくよかな交易商の男に要求する品の書かれたリストを手渡す。私の同行者は渦を巻いた角の生えた、【ティルレット】と呼ばれるメイドの【契約悪魔】と骸骨……自称教会信仰熱心の【シスター】だ。
私とシスターは交易商が商業区で構える、大きな交易所内で取引を行っている。ティルレットは建物の外で、交易品の積まれた手押し荷車の傍で待機し、交易商人が要求する品物を見積もって手渡ししていた。
屋内には一般買い物客もちらほらと見えるが、敷物や木製テーブルの上に品物を広げている交易商人の方が多い。私の勤める街ではたまに品物の並ぶ小さな交易所がある程度で、ここまで立派な建物でもないが、やはり利用者はあまり多くはない。
「穀物か。この時期にしては珍しいね。いつも思うが、おたくらの畑は冷害も季節も関係ないって感じだ。高騰しているから嬉しいんだけども、冷害の被害は受けなかったのかい?」
ふくよかな交易商の男は、左手で板へ乗せたリストを持って眺めながら右手でペンを走らせ、見積もりを計算している。過去の取引記録にもあったように、農作物の相場は冷害の影響で上昇傾向にある。周辺の人間の街では品薄状態が続いているようで、交易品として秤にかける品物としては肉や酒、調味料以上に高価なものだろう。
「収穫は何度かお手伝いしたことがあるのですけど、どう対策をなさっているかまでは私もわかりませんわ。外観はいたって普通の畑や農園のように見えますし、お世話や管理している方は別にいらっしゃるので……【バックス】さんも、実際いらしてご覧になられては?」
「行きたいのは山々なんだが、俺にもこっちの商売があるんでね。それにおたくの【魔女】には嫌われてる。のこのこ行ったら、今度は豚にされるだけじゃ済まんだろうしなぁ……」
【バックス】と呼ばれたふくよかな交易商の男は、渋い顔をしながらリストをシスターへ返却する。あの領地には【悪魔】だけじゃなく、【魔女】もいるのか。
「うちの肉や酒だけじゃ釣り合わないし、消耗品一式はサービスしてやろう。他に欲しい物あるならまけといてやるよ。俺としても、穀物や野菜は確保しておきたい」
「まあっうれしいですわっ!! ありがとうございますっ!!」
「なぁに、助かってるのはこっちの方だシスター。他の奴らに取られる前に、押さえられるだけ押さえとくのさ。俺も根っからの商売人だが、乞食から高値で商品を買わせるような真似はしない主義でね。なるべく安く仕入れて、回してやりたいんだよ」
頭を下げて礼を述べるシスターに、バックスは照れくさそうに鼻の頭をかく。どうやら彼は相場の値段よりも安く民衆へ商売をしているらしい。利益が見込める今だからこそ、お互い相場よりもやや高値で値段で販売するべきではないのか?
私はシスターの追加注文を聞くバックスの思考を読む。
<肉類や保存の利く酒、いつもの消耗品だけじゃ割りに合わない。売り過ぎると商会から目を付けられちまう……だがお得意さん相手に、損させるわけにもいかねぇ。いくらかは無償で【あばら家】へ回してやるかな。……朝晩はまだ冷え込む。せめてまともなもん食ってもらわねぇと。浮いた分は娘の学費に回すとして、次の仕入れまで資金も稼がねえとなぁ――>
流石は商人、思考の回転が速い。意識していないと、聞き逃しそうになってしまうほどの情報量だ。だが、彼は利益を独占するわけでもなく、貧困層に安く得た商品のうち、いくらか無償で回していることはわかった。娘がいるとも聞き取れたが、独り身でないのだとしたら、生活するにしてもそれなりの資金が必要だろう。子供の為にも将来を見据え、今からでも貯蓄をしておいた方がいい。
もっとも、今は【天使】としての業務管轄外。【下級天使】の階級制度に触れる可能性もある、余計な【お告げ】は控えるとしよう。
「では、足りない分は他の店舗にも尋ねてみますわね。一周したらまた来ますわ」
「あいよ、こっちもその間に準備しておく。良い商売をっ!!」
シスターは一礼し、バックスの隣で品物を広げる交易商人の元へと移動する。彼に魔王の娘やシスターについてどこまで知っているか、さり気なく聞き出してみるか。
「すいません。シスターさん達とは、いつ頃からお付き合いをなされているのですか?」
「うん? 十四年……いや十三年前くらいだったかな? 元々付き合いのあった、魔物混じりに紹介されてね。クーデターでみんなごたごたしてた時にふらっと現れて、『いい客がいるよ? 魔王の娘さんなんだけど』って、いきなり切り出された。当時は物資不足で略奪なんかも頻繁に起こってたし、とにかく食えなくて食えなくて……藁にも縋る思いで、この街の人間はあいつの提案を受け入れたのさ」
「それが嘘ではなく、本物の魔王の娘だと知っても……ですか」
「【狂王】だろうが神だろうが、魔王だろうがなんだっていい。物が回らなきゃ、生活は成り立たねぇ。俺もティルレットやシスターに初めて会った時は驚いたが、それ以上に豊富な食料を見た時は宝の山に見えたもんだ。命の恩人ともいえる人らを邪険に扱えるほど、俺達は腐っちゃいない。付き合いが始まったのは、それからだなぁ」
バックスは腕を組んで目を瞑り、当時の事を思い出すように語る。
クーデターが起こった直後、軍からの離反者や【狂王】を快く思わない過激派の一部が暴徒化し、彼らの窃盗・殺人・火災・大規模な略奪で、国内の治安が著しく悪くなったと聞いたことがある。物資不足で弱っているところへ恵んでやれば信用もされやすいし、彼らも怪しむだけの余裕がなかったのだろう。戦争商売まで心得があるとは……誰だかわからないが、以前から人間と繋がりのある者がいるらしい。
「当時の仲介役となった方は、今どちらに?」
「さあねぇ。スピカ嬢の領地に拠点を構えちゃいるが、本人は冒険家でふらふらしてるし、俺も今何処にいるかまではわからんなぁ」
「……そうですか」
「それより、あんちゃんは初めて見る顔だ。スピカ嬢の領地に新しく引っ越してきた口かい?」
【天使】である私が、あんな所に住むわけないだろう。【悪魔】や魔物混じりと同一扱いされ、思わず口に出そうになるが、面倒なことになるのは目に見えているので堪える。不審に思われたくもない、今だけは話を合わせてやるか。
「はい、今日はシスターさんやティルレットさんに同行し、人付き合いを勉強させてもらっています」
「ほほう、そいつぁ感心。見た目は人間に見えるが、あんちゃんも【悪魔】か魔物混じりかね。どっちにしても、あの人らに拾ってもらえたのは幸運だ。世間じゃ悪者扱いされちゃあいるが、ここの連中はいつでもあんちゃん達を歓迎するぜ。困った時はお互い様さ」
ぽんぽんと私の右肩を気安くバックスは叩いてくるが、余計なお世話である。私を貧乏くじを引く側と勘違いしている目や態度が気に食わないし不愉快だ。だがまだ引き出したい情報はある、もう少しだけ堪えろ私。
「ところで、この街には教会がどこにも無いようなのですが……」
「ああ、珍しいか? 【勇者】が王になってから、各地の街や都にゃ次々と教会が建ったが――まだ建っていない、もしくは立地的に建てられない場所ってのはちょくちょくある。【お告げ】を必要とする人間がいるか、人間に対して排他的な部族でないか、神を信じるか。……いろんな条件があるって噂は聞くが、この街はなにかしらの条件を満たしてないんだろうなぁ。まぁ、俺はよくわからんもんに頼るより、自分で考えて生きる方が気楽だぜ? 神様も【天使】も、俺らに構ってられるほど暇じゃないだろうしなっ!! はっはっはっ!!」
下品に笑う男め、お前には理解できまい。【天使】とは、人間の軍隊以上に洗練された組織だ。信仰がロクに集められない場所へ、教会を建てるわけがないだろう。
信仰とはすなわち神々や【天使】の存在を認めることで、神々が【天界】から【地上界】へ干渉する力を得る手段に過ぎない。秀でた部分の無い人間へ導きの【お告げ】をするのは、単純に総人口が多く、他種族よりも圧倒的弱者だからだ。混沌の世であれば、【狂王】や【勇者】のような自分よりも力の強い者へ簡単に縁下る。神々と【ルシ】はその弱みを突いたに過ぎない。
別に人間でなくともよかったのだ。家畜が運良く生かされているのを、勘違いされては困る。
どう皮肉を言い返したものかと思案していると、シスターが用事を済ませたらしく戻ってきた。片手には黄色い林檎が握られている。
「随分早いじゃないか、忘れ物かい?」
「いいえ、隣の交易商人さんから林檎を頂きまして……はい、どうぞ」
シスターは骨しかない細い手と指で握られた林檎を、私へ差し出す。何のつもりだ。
「皆で昼食をとった時、あまりお食べになっていないように見えました。余計なお世話かもしれませんが、少しでもお食べになった方がいいですわ」
筋肉も皮膚もない無表情の髑髏、目も無く舌も無ければ鼻もない。しかし、瞳ではない視線が真っ直ぐと自分に注がれているように感じ、身震いしてしまう。声帯が無いにも関わらず、顎の骨をカタカタ鳴らしながら声を出し、舌が無いのに味覚があり食事もとる。……生物として成り立ってしまっている、矛盾しかない光景を見せられては、食事どころではない。
あなたのせいで食欲がないんですよ、シスター。
「お、お気遣い、ありがとうございます。……ですが結構です。今朝から胃の調子が悪くて、あまり食べたくないのですよ……」
演技ではない、ストレスによる腹痛の痛みと冷汗が出てくる。
私は【天使】という完成された身でありながら、幽霊やおどろおどろしい見た目の魔物が昔から苦手だ。肉体を鍛えようとも、精神が強くなろうとも克服することが出来ず、私が抱える唯一の欠点と言っても過言ではない。腐った腕や骨しかない腕が地面から飛び出し、足を掴んでくるのではと想像してしまい、未だに教会裏の墓標へも近寄れない。魔王の娘や【契約悪魔】の二人が、まともな姿だったのを見て安堵したが、どう考えても目の前の骸骨はまともじゃない。存在そのものが理解できないのだ。
シスターは私の返事を聞き、少し考えるような仕草をした後、林檎を白いハンカチで包み、修道服の袖にそっとしまい込む。
「バックスさん、胃腸の痛みに効くお薬などはございますか?」
「あるとも。薬草を粉末にした粉薬だがねぇ」
「では、それを一ついただけますでしょうか? 御代は私が払いますわ」
「いいって、これもサービスで付けといてやるよ。あんた達はお得意さんだ、これぐらいやったってバチは当たらねぇよ」
バックスは背後に積まれていた小さな桐箱の中から、三角に畳まれた茶色い薬包みを取り出し、私へ突き出す。本来なら不要だと言い張るところだが、胃が捻られるようなこの痛みも耐え難い。渋々、彼から薬包みを受け取った。
「粉を飲むのがきついなら、交易所の外にある樽を使うといい。横になってる取っ手を手前へ引けば水が出る。ちゃんと煮沸消毒してある飲料水だ、変な心配はしなくていいぜ」
「……ありがとうございます」
「私からも、お礼を言わせていただきますわ」
***
時刻は十七時二十分。貰った薬を服用し終え、胃が落ち着くのを交易所の外にあるベンチへ座って待ちつつ、【契約悪魔】のティルレットを観察してみることにする。
用がない限りその場から微動だにしない彼女だが、時折やってくる交易商人や街の人々と何やら話をしている姿が見えた。城や道中、昼食を通して、最低限の事しか話さない無口なメイドだということは理解した。固い口調で話す彼女と意思疎通が滞りなくできるか不安にも思えるが、注文を聞き、リストへ書き込み、二台の荷車に積まれた農作物を丁寧に仕分けて渡しているのを見る限り、問題はなさそうだ。
薬が効いてきたのか、それともシスターから離れたのがよかったのか、胃の捻れるような痛みが徐々に和らいできた。どうして私がこんな目に……交易取引の勉学とはいえ、やはり自分もポラリスへ付いて行くべきだったと、後悔している。交渉ならば、内気な新人の【天使】を同行させるより、弁の立つ私の方が向いているであろう。街の取引は【優秀な部下】に任せる。そう命じた奴より、優秀であることを証明するいい機会だと捉えていたが……城を出発する間際の魔王の娘の表情を見た時に、気付くべきだった。奴が無能なのをいいことに、苦手とするシスターと組ませる形で、私を嵌めたのだ。
「――親が親なら、娘も娘か」
「左様でございます」
……独り言を呟いたつもりだったが、いつの間にか私の隣にはティルレットが座っていた。彼女は手帳で筆算をしながら、計算結果をリストへ書き写している。視線は手元にあり、こちらを見ていない。
何気ない相打ちなのか、それとも真に受けたのか、嫌みだとわかったのか……その表情からは読み取ることができない。
「………………」
「………………」
それ以上話を切り出すわけでもなく、彼女は黙々とペンを走らせる。こちらから尋ねろと待っているようにも見えず、興味がないか、他人のような態度を続ける彼女の横顔に少し苛立ちを覚えた。
もう一人の【契約悪魔】、ローグメルクは口が軽く、比較的話しかけやすいが、正反対なティルレットとの距離感がわからない。あの中身の無いポラリスも、何を考えているかわからない時があるが、彼女の場合は興味を持ったかと思えばすぐに引いてしまう。弄ぶ性の悪さでも無く、こちらに会話を合わせるわけでもない。不気味な女だ。
「三つ編みの客人。不肖ティルレット、質問がしとうございます。許可を」
作業が終わったのか手帳を閉じ、リストを折りたたんで姿勢をそのままにこちらへ顔を向ける。感情の無い青い瞳が真っ直ぐと、こちらの目を見つめて放さない。私は彼女が自主的に何か行動を起こす際、周囲に許可を求めていたのを思い出す。
「許可を」
質問など勝手にすればいいだろう。気を利かせたいと思うのなら、許可を求めるよりも先に動けばいいだろう。その程度の事も判断できないのか、この【悪魔】は? だが、返答をしなければしつこく許可を求めてくるだろうし、断ればあっさり引くと分かっていれば単純な分、やり取り自体には苦労しない。
「――いいでしょう、私が答えられる範囲であれば」
「感謝。失礼ながら客人はスピカお嬢様、シスター、ポーラ司祭に対し、恐怖を抱いているようにみられます。それは何故でしょうか?」
遠回しに尋ねるわけでもなく、自分の直感を前提に質問する奴は嫌いだ。礼儀も知らないとは、哀れみすら感じる。恐らく彼女程度では【天使】について語ったとしても、到底理解できないだろう。適当にはぐらかすか。
「恐怖心……というより、劣等感に近いですね。私よりも皆さんの方が優秀ですし――」
「否、客人の目に映る情熱は自信家・野心家のそれにございます。隙を見せれば足元をすくう、牙を研ぎ続けている者の目でございます」
「そんな、滅相も無いっ!! 私は神々と人間の皆さんの為に――」
彼女は私に顔を近づける。その視線は表情ではなく、直接瞳を覗かれていると知り、私は目線を彼女から逸らす。
先程まで他人のような距離感だった。それが私の思考を見透かしたような、心理を突くような言葉で的確に距離を詰めてくる。【悪魔】の魔術か? それとも尋問なのだろうか? これも魔王の娘の命令か? 目を逸らしても、望む答えを出せと言わんばかりに、視界外から横顔へ視線が刺さる。本心を告白しろというのか、【悪魔】め。
「客人、不肖はその恐怖を否定は致しませぬ。得体の知れぬ者を訝しむ、それは賢い生き物の性でございます」
臆病だと言いたいのか。違う、私のこれは劣等種に対して抱く嫌悪感のそれだ。神々に遊ばれるだけの豚や牛と同列の家畜を、【天使】が恐れるわけないだろう。
「褒められているんですかね? まるで私の頭の中を見透かしたような言い草ではありませんか。確かにポラリス司祭から聞いた話しか知らない私は、皆さんを怪しんではいました。しかし、上司であるポラリス司祭に恐怖を抱いたことは一度もありません。彼は純粋ゆえに、良心の塊のような人ですから」
「純粋とは底の無いもの。深い洞の奥がどれほど明るくとも、入口の一寸先は闇。客人は照らす情熱にあらず、ただ我が身を焦がす情熱にございます。どれほど激しく燃えようとも、その情熱で洞を照らすことは出来ませぬ。一方、我が身を焦がしながらも洞を照らし、進み導く。ポーラ司祭の情熱は、眩しくも美しい。死に近い、危うい情熱ほど、美しいものはありませぬ」
美しいとは思わないが、死に近いという言葉は正しいだろう。ポラリスは愚かにも恐れを知らない。教会へ来る信者をニーズヘルグのように切り捨てず、【天使】でありながら得体の知れない【悪魔】や魔王の娘を簡単に信用し、偉大な生みの親である神々を否定する。
【ルシ】のような神々と並ぶ、【特別階級】でもない一介の【中級天使】風情が。不敬ではないか。
彼女の方を見ると、私が目を逸らした時と姿勢は一切変わっていなかった。だがその表情は無表情ではなく、高揚した猟奇的な笑みを浮かべていた。
喉元へ刃物を突き付けられたような危機感を覚え、ベンチから立ち上がって再び彼女を視界に入れないようにする。なんだあの顔は。愛おしい男を想う顔ではなく、追い詰められつつも楽しんでいる狂人の顔だ。嬉々として、無邪気に人を殺める殺人鬼の顔にも見えた。
鼓動が早くなる。背後の彼女が音も無く立ち上がり、何かしてくるのではと。落ち着け、命令さえしなければ彼女は勝手な行動をしないはずだ。動揺すれば、つけ込まれる。
「客人。不肖ティルレット、是非情熱的に指導しとうございます。許可を」
耳元で無機質な抑揚のない声がする。だが私はポラリスのような無能とは違い、引き際も立場も弁えている。
貴様ら【悪魔】に、【天使】が簡単にのまれると思うなよ。
「て……丁重に、お断りさせていただきます」
そう静かに背後のティルレットへ告げると、気配が消える。警戒しながら振り向くと、そこにはベンチに座って筆算の続きを無表情で行う、彼女の姿があった。まるで先程のやり取りなど無かったかのような振る舞いに、私は静かにその場を離れて交易所屋内を散策することにした。
ティルレットは怖い。
生と死の狭間に立ち続ける彼女は、美しくも死神のそれに近く感じる節でした。




