少年剣士が姫になる話
見上げる程高く、手を伸ばしても届かない場所で、今日も彼女は国民の為に言葉を紡ぐ。
城の周囲に群がった人々は真っ白なルーフバルコニーに立ち真っ直ぐな瞳で演説をしている彼女を仰いで声援と尊敬の眼差しを向けた。
そして、演説の最後には決まって、背中に垂れた波打つ金髪を揺らして彼女は自分を取り囲む人々に順に手を振り、微笑みを振り撒く。その時に、目があったと感じたのはきっと気のせいでは無い筈だ。私は彼女に手を振り返して、微笑んだ。
私がその人と出会ったのは数年前、私が自分の故郷の戦争から逃げ出してこの国にやって来た時だった。命を懸けて戦う仲間を残して、逃げてきた臆病者の私は、この国でも無断入国の不届き者とされて、戦士の群がる国外への追放を数日後に控えていた。
追放されれば只では済むまい。
敵兵に囲まれて、刺され、斬られ、きっと死んでいく。私は暗く湿った地下牢の中で一人、そんな地獄を想像して涙している。
情けないと笑えばいい。
確かな足音を響かせてそこにやって来たあの人だってそうしたんだ。
「あなたが例の亡命者? 」
彼女はその美しい姿に似つかわしくない汚れた地下牢の前、私の前でしゃがみこみ、私と目線を合わせた。それから、外で起こったこと、なんで私がここに居るのかを尋ねて、私の答えに何度も頷く。彼女は一通りの話を聞くと、ゆっくり立ち上がり、胸元から鍵を取り出した。
「この国は良いところよ」
鍵が回され、鍵が開く。
その日から私はこの国の人間になった。
明日は大切な他国との交渉の日である。
周囲で相次いで始まった戦争に巻き込まれない為の、大切な交渉。
だから、もしもの為を考えた兵隊の訓練にもいつもまして熱が入り、剣術がからきしの私に特に厳しい指導が飛ぶのも致し方ない。だが、辛さからは逃げ続けていた私だ。直ぐに耐えかねて、剣の歯が欠けてしまったなどと嘘をつき、訓練場から立ち去った。
訓練場の側には広い庭がある。
普段は大勢で貴族で賑わうこの城の庭園だが、今は皆明日の準備に追われているのか、人の姿は見えない。今ならば少し休むくらい構わないだろう。私はすっかり油断して、大きな植え込みの前に置かれたベンチに腰を掛けた。
すると後ろから、深いため息が聞こえる。
まずい、と私は思った。もしも1剣士でしかない私がこんなところで、しかも訓練中にいると知れたらどんな罰を受けるだろう。私は音を出来る限り立てないように、人の気配がある生け垣の向こうを振り向く。
そこにいたのは女王だった。
いつも毅然としている女王がどうして。
驚いた私は早くその場を離れるべきなのに、じっと彼女の方を見つめてしまった。そんなことをすれば、当然、向こうにも気づかれる。だが、気がついた彼女は怒るわけでもなく、むしろ弱々しい笑顔で話を聞いて欲しいと言ってきた。
私が彼女の言葉に頷くと、彼女はここでは難だからと、自分の寝室に剣士を案内する。夫とも娘とも隔てられた、1人用の部屋。鏡台と、カーテンの付いた大きなベッドを除けば、なにもない割合質素な部屋である。彼女はベッドに座って、隣を何度か軽く叩き、私にも座るように促すと話を始めた。
「明日は大切な日だから」
明日の話し相手は大国の王で、自分は話し合いで圧倒的に不利になること。争いを避けるためには従属しなければならないかもしれないこと、隣国からも見放されるかもしれないこと。淡々とした口調だが、その言葉を聞いた私は悲しい程に彼女の心情を理解した。私は女王に助言する。
「逃げたっていいんですよ」
彼女は僅かの間目を丸くして、それから、微笑んで首を振った。
「私がやらなければいけないから」
それから、先程とは一変して明るい口調で、もしもこの交渉が成功したら、この国に平和が続くこと、隣国からの食料輸入が楽になることを話して、最後にはこうまとめた。
「私はこの国の人々が大切なの。だから、いつまでも彼らに笑顔でいて欲しい」
私は心から同意して、彼女に笑い返した。
しかし、その翌日、女王は出掛けた先で殺されてしまう。そして、彼女の予想した最悪の事態が現実となり、支配者の居なくなった国での戦争が始まった。
貴族達は大慌てで次の支配者を立て、女王の娘である姫が王国の支配を任される。国民は皆期待していた、彼女の娘であればきっとこの悪夢を終わらせてくれると。
しかし、姫は兵士たちを動かさないどころか世間に姿さえ見せず、争いは激化するばかりだ。不満を募らせる人々の口からは、姫が夜な夜な城を抜け出して他国の人間を呼び込んでいるという話まで聞いた。
私は女王の最後の言葉を思い出す。
このままで良いわけがない。
私が、やらなければ。
だが、私には金も権力も人脈もない、もしも、それが全てあったのなら、私は彼女の理想を叶えられるに違いないのに。
私は自分と年の変わらない姫を羨み、
そして、大変いいことを思い付いた。
真夜中、城じゅうが寝静まる時間に私は警備をすり抜けて城に入る。逃げ回るのには慣れている、見つかるものか。簡単だ、彼女を刺してを外に捨てるくらい。私はベッドに寝ている姫に対して剣を振り下ろした。
私は姫を近くの路地に放り捨ててから、姫の寝室に戻り、彼女のクローゼットからドレスを取り出し身につける。
もう彼女は必要ない。
これからは私が《姫》だ。
私は朝一番に女王がいつも立っていたルーフバルコニーに立ち、演説した。
「この国はまた最高の国に戻る」
今までの所業から国民の目は冷たかったが、それでもいいと思う。これからだ、これから変えていくんだ。心意気は十分だった。
しかし、そう上手くいくものじゃない。私は剣の心得はあっても、マツリゴトはさっぱりだ。どのように指示を出せばいいのか、何から始めていいのかまるで分からない。
私が困惑していると、貴族の一人が助手として少年を1人用意した。少年なんて役に立つのだろうか、私は自分と同じくらいの年の彼を睨んで言う。すると、彼は難しい政治用語を使って流暢に話し出し、今、国に侵入している賊を排斥するのが最優先であること、それからその方法を示唆した。私はそんな彼の言葉にすっかり圧倒され、彼を雇うことにした。
私が彼の言うように兵を動かすと、攻め込んで来ていた敵兵を一年の内に殲滅され、町を歩けば、国民は笑顔で私を祝福する。子供達はここに女王が居たときと同じように、私に遊びをせがむ。私は彼らに囲まれて無邪気に笑っていた彼女の顔を思い出しながら、子供の頭を撫でて、また今度だと笑った。
そうだ、今度は必ず彼らと遊ぼう。この国が理想の国になったら。
だが、理想はまだまだ遠いと、店先に少ししかない商品が雄弁に語っていた。
今この国では、気候が悪く作物が不足している。国民が満足に食事をするには、もっと沢山の作物が得られるようにしなければいけない。
私は少年に、周りの小国に戦争を挑み、全てを自国のものにしてはどうかと提案した。すると、少年はそれを聞いて青ざめ、必死に首を横に振る。
「無駄な争いは避けるべきです」
私は彼が戦争に怖じ気づいたのだと思って、自分で指揮をとることにした。
数ヶ月の戦争の末、私の作戦は問題なく成功し、私の国は5つの小国を吸収する。だが、それでも作物は足りない。何処の国も不作で、困窮していたのだ。もっと大きな土地を手に入れなければ。
悩む私に少年は提案した。
「大国に協力させてはどうか」
少年を信用していた私は彼の言葉を了承した。
少年は一人で相手の国を探し、呼んでくるという。数日後、私の城に耳を疑う程の大国が来たという知らせが来る。私は話をしようと城の扉を開けた。すると、流れ込んで来たのは武装した人間たちで、よく見ればそれはこの国の国民達だ。彼らは立ち向かった城の人間を目の前で次々と殺し、私を追いかけてきた。私は彼らから逃げるために寝室に飛び込んだ。
しかし、そこには既に見慣れた少年がいる。
私は約束が違うと彼に掴みかかった。ただ、彼の答えは帰ってこず、代わりに二人の足元に赤い液体が垂れる。少年の手には刃物があり、私の腹には大きな刺し傷があった。私は彼の顔を見る。
その顔は何故か見覚えがあり、彼の口からは悲しげな声が溢れた。
「もしも、貴方が本当に国の事を想っていてくれたなら」
高い声。男の声ではない。
そうだ、思い出した、この声は……。
偽りの姫は床へと崩れ落ちる。外からは沢山の足音が聞こえた。視界が暗転して、感覚が薄れる。
ようやく開いた瞳の先にはなぜか女王の顔があった。姫の姿をした私は女王の寝室、彼女の膝枕の上にいたのだ。私は状況を飲み込めず口を開こうとする。すると、それを止めて女王は私に言う。
「もういいの、大丈夫だから」
言葉の後、私はいつの間にか元の剣士姿に戻っていて、強い眠気に襲われる。私は女王の顔をよく目に焼き付けてからその瞳を閉じた。
女王の部屋で一際惨い殺され方をしている死体がある。血で染まった絨毯の上に倒れたそれは何故か穏やかな死に顔をしていた。