7話#聖女の選択
手当てをしながら考えてみるが、答えが出る前に援軍の討伐隊が到着し、二人は魔王城から拠点に戻った。討伐を成功させ、周りは歓喜に湧いている。鎧は砕けているものの無傷のマインラートには多くの騎士が憧れの眼差しをもって取り囲む。倒れた仲間たちは後方にいた治癒師たちに傷は癒されたが、まだ寝ていた。
「勇者マインラート様、聖女候補リタ様、この度は大変お疲れ様です」
ひときわ通る神官の声に歓喜の声は静まる。しかしほとんどの者が続く言葉に期待を高まらせるが、リタの心は不安で渦巻いていた。
「お疲れのところ申し訳ありませんが、最上層でのことをお聞きしたく。お二人は私とともに来てほしいのですが」
リタは返事ができない。まだ何が最善か、どうすれば良いのか決まってなかった。そんなリタの背にインラートの手が重ねられ、魔力が通った感覚あと腰を抜かした。リタは何が起きたかわからず、すぐに支えてくれたマインラートを見上げた。
「神官殿、このようにリタは顔色も悪く疲れ切っています。私も傷はないもの正直休みたいのが本音です。きっと寝ている他の中間も同じですし、これから後処理もあります。せめて明日にして下さい」
「…………かしこまりました」
マインラートは凄みを効かせると、神官はぐっと堪えるように去っていった。これで「痺れる魔法をつかってすまない。でも、もう少し考えられるな」とリタにだけ聞こえるように囁いたあと騎士たちの輪に戻っていった。
その夜、疲れきっているはずなのにリタは眠れずにいた。まだ答えが出せずに悩んでいた。頭を冷やそうと、眠る仲間を起こさないようそっと外に出て、近くの川に向かった。するとそこには先客がいて、その人物を苦手としていたため反射的に木に隠れた。
「ついに終わりましたね。勇者はともかく、平民の聖女候補リタの取り込みを急ぎませんと………」
「分かっている。リタは全く伴侶を選ぼうともせず、教会に属そうともしない。我々の利になる、手の届くところにいてもらいたいのだがね」
それはリタに何度も伴侶候補を紹介してきたアルム神官と何度か口説きに来た貴族のひとりだった。
「そうだ、リタの噂の恋人だと思われる人物とその居場所は判明したのか?早くその者を確保し……呪うのだ。治癒師でも解除できない……でも死なずに苦しみ、リタに助けを求めたくなるような呪いを」
「なるほど、本人が駄目なら人質を作れば良い。分かります。使うのはかけた本人にしか解けない物を選び、そいつを殺せば完璧ですね」
神官までもがネイトを利用しようとしていることに、行きすぎた神への信仰に、背筋が凍る。
「あぁ、それからゆっくりリタを取り込めば良い。不能な恋人にそのうち愛想を尽すだろう。とりあえず、お前は部下を使ってリタから目を離すな。もしかしたら恋人と連絡を取るかもしれない。神の寵愛を受けしひとり、リタを逃がしてはならない」
神官は手を胸に当て、うっとりした様子で天を見上げた。
「すべての神託者は選ばれし血筋にいれなければ。神託が無かったとしても優れたものは全て我々の手に納めたい。そして我々の神のために命を捧げてもらう。散らばってしまった神の魂の欠片を集めなければ。そうすれば神の姿を見れるに違いない」
エリクサーを作れるネイトはまさに選ばれた人間だろう。だからこそ、その分優しいネイトが搾取され続ける未来しかリタは想像できない。でも、二人でまとめてなら保護してくれるのではと淡い期待を抱き、聞き耳をたてる。
「本当はレディ・ファイブも欲しいのでは?」
「そうだな。欲しいさ。あの才能は素晴らしい………しかし、ただの貴族の魔術師であればやりようはあるが、ナンバーズだけは難しい。国王の逆鱗に触れる。神に捧げれば良いものの………今は後回しだ」
「ちなみに神の欠片を集めたあとは?どのように命を捧げるのですか?」
「まずは、ひたすら影で教会のために働いてもらいましょう。そして教会で過ごし魂が磨かれた頃、国民が教会の………神への感謝が高まった時を狙い、その名の通り命を捧げ棺に入ってもうのですよ。復活の儀式のために………」
神にとりつかれたようなアルム神官の横顔が怖くなり、リタはそっと後退り、テントに戻った。
震える体を自分の腕で抱き締める。そして必死に最善を考える。
教会の人間が全てアルム神官のような過激派ではない。でも誰が過激派ではないかは分からず、教会に頼ってしまったらいつネイトが殺されてしまうかわからない。エリクサーがいつでも作ることができれば軟禁でもされて搾取されるだろうし、できなければ棺に入れられてしまう。幸いにもエリクサーは全て使い終わって証拠はない。討伐の報告の時には絶対に隠くそうと決めた。
(つまり、私は聖女だと世界に嘘をつく………)
重圧がぐっとのしかかる。つまり候補のひとりである今以上に神格化を求められる。マインラートに言われた言葉を思い出す。逆風は強くなる上に、次は命は取られなくてもネイトは人質として狙われる。毎日怯え、自由を奪われた生活を送らなければいけない。貴族からも、協会からも祝福されない、平穏とは程遠い結婚生活。聖女であるリタと一緒になろうとするが故に、ネイトを不幸にさせてしまう未来しか思い浮かばない。
(ネイト………ネイトならどうする?)
1年以上連絡が取れていない最愛の人を思い出し、胸元に手を伸ばすがいつもの小瓶はもう無く、空気を掴んだ。ネイトが分身として渡してくれた御守りが無くなり寂しくなったその場所と同じく心にも穴が空いたような感覚になる。
(ねぇ、魔王の討伐終わったよ?ネイトのお陰なんだよ?あなたの御守りが助けてくれた………あなたが私を助けてくれた………いつも側にいてくれてありがとう。だけど………………もう終わりだね)
せめて母国に頼るために動こうと思っても、明日には見張りがつけられている。きっと途中で何者かに抜き取られ、手紙なんてものは届かない。それこと先ほど神官が狙っていたように思うつぼ。自分が帰国して、国王の謁見の前にネイトは既に敵の手中だろうと考える。
運良く手紙が届いて、ニルヘイヴで一緒になれても、やはりネイトが望んでいる平和はやってこない。常に聖女の婚約者、伴侶として貴族との付き合いに忙殺され、数多の視線に晒される。それだけではなく、粗を探され非難されるかもしれない。内気で人見知り、争い事の嫌いな優しいネイトが自分のせいで傷つけられ、我慢する………そうしたら、もう打つ手はなかった。
リタはネイトとの別れを選んだ。
※
翌日の早朝、テントの隙間からマインラートが出てくるのを確認して、あとを追った。
「マイン様、おはようございます」
「リタ………疲れは少しは取れたか?」
「はい。お陰さまで………」
そうして簡単に挨拶を終わらせ、回りをさりげなく警戒した。自分の決断の口裏合わせをしたいのだが、見張りがいないかと探すがリタにはわからない。
「おい、そこのレディ。私たちに何か用か?」
「いえ、失礼しました」
するとマインラートがリタの意図をくみ、近くにいた三つ編みの食事係の女性に声をかける。すると彼女は気付かれたことに驚きつつも、その場を離れていった。
「なんなんだ?」
「きっと私の見張りです。実は………」
人払いされた事を確認して、小声で昨夜の出来事と決断を伝えた。マインラートの顔は険しくなっていく。
「いいのか?別れるという選択はネイト殿を傷つけることになる。それは君が何より避けようとしていたことだろう。そして君が一番辛いはずだ」
「でもネイト命と平穏と比べれば私の辛さなど軽いです」
「そんな………その上で危険な思考の神官がいる教会に属するというのか?母国ではなくて?」
「ネイトを一番守れそうな方法なんです。母国に帰えるだけでは貴族も教会もまだ諦めず、逃げられないようにネイトを晒し者にしてまで私を手に入れようとするはずです。残念ながら私は母国も信じられてませんし………でも元凶の教会にはいればきっと彼らは満足して、ネイトから注目を外してくれるはずです。もう私の頭ではそれしか思い付かないんです」
「………………」
マインラートは腕を組み、考え込んだ。そして真っ直ぐ力無く笑っていたリタの瞳を見据えた。
「リタ、私と結婚しないか?」
「え?」
「私にとってリタも命の恩人だ。私はリタも守りたい」
「マ、マイン様、どういうことですか?正気ですか?」
全く予想だにしていない告白に、立ち尽くす。
「勇者であり、基盤のある公爵家の私の妻になればたいていの貴族も教会も誰も手出しは出来ない。君は平民だが聖女となれば大丈夫だ。やはり目立つから穏やかな生活はリタには与えてあげられないが……このインパクトは強く、ネイト殿は他の貴族の視線から外せるはずだ。リタの心が私にあるのなら、ネイト殿と関わるのは無意味。もう彼は狙われることはない。で、リタも見知らぬ人間と強制的に結婚させられるよりは私と結婚した方がマシだろう?と思った提案だったのだが…………何より、私はリタを愛してしまった」
「そんなっ」
「リタに他に愛する人がいると知っていても、それでも君に思いを寄せてしまった」
自分も投げやりな言い方をしていると自覚していたマインラートは、はははと苦笑いを浮かべる。いつの間にかリタに惹かれてしまっていた。真っ直ぐに人を愛する姿、可愛らしい笑顔、諦めない強い気持ちに魅力を感じてしまっていた。そんな彼女が初めて諦め、挫折している。こんなタイミングで打ち明けるなど、なんて浅ましく付け入るような話を……愚かな……と思うものの、素晴らしい青年と聞いていたネイト相手ならともかく、教会に奪われてしまうのは我慢出来なかった。
「私の事が嫌いでなければ考えてくれ。安易にまだ教会に属すると神官にはくれぐれも言わぬように。まずは今日の教会での報告は任せてくれ。リタがきちんと聖女であると皆を納得させる」
そう言って、どこか懇願にも近い視線を向けたあと立ち去るマインラートの背中を呆然と見送った。
そのあと他のメンバーの記憶があるところまでの証言と、何より治療を受けた本人マインラートの証言により状況証拠が揃ったとして、リタは正式に聖女だと認められた。
テントで洗濯済みの包帯を巻きながら、リタは悩んでいた。教会に属するか、マインラートの言葉に従うかを。きっとどちらを選んでもネイトを傷つけるということには変わらない。どちらかと言えば、マインラートを選んだ方がネイトは衝撃を受けるに違いないのは明白。でも教会に属したあとは………とふと包帯を巻いていた手を止める。
(ネイトならきっと教会に追いかけてくる…………!討伐のパーティーに連れていって欲しいと、リタを迎えにきた神官に頼み込むほどだった。きっと結婚は出来なくても私の側にいようと来るはず………………)
せっかく危険なところから遠ざけたのに意味がない。別れたからといって、教会はネイトを利用しないとは限らない。むしろネイトのポーションを作る技術の高さと生成できる量は桁違いだったと、討伐隊で配られたポーションを見て分かっている。癒しの力は教会にとってもっとも魅力的な力。強欲な神官に目をつけられたら、それこそ寝る間もなく搾取される日々。もしかしたら、その技量からアルム神官に優れたものとして結局、棺に入れられてしまうのではと考えがたどり着く。
リタはすぐにマインラートの元に走り、見つけ次第ひとけのいないところに連れ出した。こうして悩んでいる間にもネイトに魔の手が迫っているかもしれない。
「どうした?そんなに焦って」
「見張りはいそうですか?」
「姿は見えるが、話は聞こえないだろう」
「では………私と結婚してください」
「───本気か?」
突然のリタの答えにマインラートは問い直してしまう。リタは平民だ。貴族のように愛のない相手との結婚は自ら望めないと思っていた。だからタイミングを見て、リタが断れないように囲い、嫌われても手に入れようと思っていたくらいだった。だというのに、まさかリタから返事がもらえるとは信じられず、驚きの視線を向けた。だが、リタの瞳には迷いはなかった。
「私が戦ってきた理由をお忘れですか?先に提案したのはマイン様ですよ」
そう、命を懸けてきたのは全てはネイトの穏やかな日常のためだ。自分の欲求のために彼を汚い世界に巻き込みたくなかった。何をしてもネイトを傷つけるのであれば、せめて命や身を守りたかった。できるだけ、安全な世界に残したかった。
「最後にもう一度聞く。ネイト殿を選ばなくて良いんだな?」
「はい。だって私と結ばれた方が彼はきっと不幸になる。だから 離れないと………私といては駄目なんです。こんな凄い勇者様が相手ならネイトもきっと“リタは目移りした最低女”だって思って………軽蔑して納得するはず。教会を選ぶことと違って追ってくることもないはず………」
(ネイトは気付いてないけど、優しさに惚れた女の子が何人かいて、嫉妬したこともあったっけ…………大丈夫。私がいなくなっても、彼の隣には新しい人ができる。きっと可愛い子が、私よりずっと優しい子が彼には現れる。私が身を引けば……彼を解放してあげれば……彼は守られる)
鼻の奥がツンと沁み、目が熱くなってきたがリタは気丈にマインラートを見つめた。
ずっとリタの話を聞いてきたマインラートはリタの覚悟は十分に理解していた。自分よりも愛する人を優先する彼女を、せめてマインラートだけは優先してあげようと心に決めた。
「ネイト殿への愛情は忘れなくて良い。君はそのために人生を捧げたのだから。そして世界へ嘘の罪は二人で背負おう。悲しみを私にも分けて欲しい。少しだけ貴族の義務にだけ付き合ってくれ。愛している………リタ」
「───はい。すみません。あなた様の気持ちを利用して」
マインラートは小柄なリタを離すまいと抱き締め、リタはついに選択してしまった現実に涙を流した。
その涙は遠くから様子を見ていた教会の見張りに感動の涙として受け止められ、教会は神託者同士の親密な仲にほくそ笑んだ。
そうして二人は前線の片付けを終えると国すら邪魔出来ぬよう、大勢の信者が集まる大聖堂の前でプロポーズ作戦を展開した。窮地の時に危機を救った聖女と魔王を倒した勇者の結婚は国民たちの熱狂的に支持され、誰も反論などできない。
教会はおおいに祝福をした。勇者と聖女の隣を狙っていた多くの貴族はリタの婚約者乗り換え疑惑を批判しかけたものの、味方した方が利があると分かった途端、手のひらを返していった。
リタの母国ニルヘイヴすら国民である聖女をとられたことに反論できぬほど、世界の反響は大きかった。ネイトという切り札を手にしていたことが油断に繋がり、出遅れてしまっていた。
リタがこの時、ニルヘイヴと連絡が取れていれば結果は変わっていただろう。でもそれはタラレバの話で既に手遅れだった。
両親だけはネイトへの一方的な婚約破棄を残念に思っていたが、リタは心移りをしてしまったと平身低頭にして謝罪し、理解を求めた。両親も自分たちの取り巻く環境が激変し、マインラートを頼りざる得ない状況からリタの判断を支持する他なかった。だからせめてと自分達からネイトへ連絡すると協力を名乗り出た。
そうしてリタとマインラートは婚約者となった。常に多くの人に囲まれ、媚びられ、または値踏みされる日々。マインラートが優しく支えてくれるが、ネイトのいない生活は色褪せていた。
そんな時、もう会うことはないと思っていたネイトと故郷の診療所で会ったのは想定外で、動揺を隠すのに必死だった。マインラートの話によると、まだ完全に見張りは外されていない事を知らされていた。婚約ではなく、きちんと結婚するか子を生むまでは離れないらしい。ここで心のままネイトに近づいては、見張りに悟られ決断が無駄になる。ぐっと堪えて、診療所の部屋に誘った。
対峙したネイトの瞳はまだリタを諦めた瞳ではなかった。両親の手紙も、マインラートが用意した手切れ金を渡しても、まだ愛してくれている。嬉しかった………でもそれが辛かった。自分の口から別れを告げなければいけないことに、胸が締め付けられる。
(そうよね。ネイトが傷付くのに、自分が傷付くことから逃げてたなんて………ごめんね。ネイト………あなたを今から私が傷つける)
そうして、リタは自分の本当の気持ちをネイトに知られないように突き放した。窓の外から見張りに覗かれていても、リタにネイトへの心は既に無いことが分かるようにできるだけ悪女を演じる。そして最低な女だとネイトが幻滅し嫌うように…………こんな女に未練など残してはいけないと訴えるように………感情が高ぶってコントロールを失ったリタの口からは、自分の意思以上の汚い言葉が溢れてしまう。
それは扉の外で見守っていたマインラートが対峙する二人の痛々しさに聞くに耐え兼ね、止めにはいるまで続いた。
リタは彼の悲しみは一時だけだと信じ、彼の平和な日常への道を残したつもりだった。どうか愛する貴方だけは夢の世界で笑っていて欲しいと、穏やかな人生を歩んで欲しいと願った。
(ネイトには汚れた世界は似合わない。だから誰よりも優しい世界で生きて。どうか、幸せになって…………ごめんね。ごめん。さよなら最愛の人ネイト)
リタはこの選択が正しいのだと、振り向いては駄目だと心の中で泣き叫びながら、謝罪を繰り返しながら故郷を旅立った。
それからふと別れた時のネイトの悲痛な顔を思い出す度に、押し寄せる後悔に潰されそうになった。そして次第に心を守るようにネイトから目を逸らして、耳を塞いで、マインラートを愛そうとした。行動すればいずれ心も伴ってくるだろうと考え、貴族の義務を受け入れ、のちのアシュレイを身ごもった。
そして後悔から逃げた結果、2年後に突然知らされたネイトの死という本当の絶望を突き付けられ、自分に失望した。ネイトは自ら消えたのではないかと………それは自分のせいではないかと思えてならない。何のために私はやってきたのかと、私の選択は間違っていたのかと、無意味だったのかと………自分が殺してしまったかもしれないと心が折れた。
暫くは記憶が朧気だった。マインラートは罪悪感からか、せめてお墓を作ったから祈ろうと提案してくれた。だけれど、祈ったところでネイトは戻ってこない。墓石の前に立ってみたものの、むしろ受け入れきれないネイトの死を更に強く突きつけただけだった。
こんな自分はこの世に要らないのでは思うようになった。愛する人も守れず、結局不幸にした。他の男に未練を残しているのに、愛情を与えてくれるマインラートを心から応えられない罪悪感。確かにマインラートの事は愛しているが、ネイトに向けるものとはまだ違う。なら何故罪深い私はまだ生きたいと思っているの?と自問自答を繰り返していた。
「まぁーまぁー」
考え更けるリタの頬を小さな手が叩く。すごく甘えん坊で、寝る時も、食事の時も全てリタを求めてくれる自分の息子アシュレイの手だった。乳母に頼ること無く、自分の手で育てている愛しい息子は全く穢れを知らない瞳をリタに向け、懸命に手を伸ばしてリタを求める。
「あぁ、アシュレイ………気付けなくてごめんね」
「あーうー」
リタはアシュレイに応えるように抱き上げた。
(そうだわ。こんなにも真っ直ぐに求めてくれる大切な子を幸せにするために生きているんだわ。次こそ守らなきゃ………明るく元気に過ごせるように。この子が今の私の生きる意味………)
それからリタは変わった。アシュレイが幸せになるためには何でもしようと心に決め、一層アシュレイに愛情を注いだ。成長が著しく、アシュレイは日々変わっていき、リタの喜びになり、ネイトの喪失感を埋めていった。マインラートも数年たってもリタに愛想を尽かせることなく、あれから何も求めず寄り添ってくれた。
人とは現金なもので、時が経つにつれて悲しみは薄れていった。そして身近な愛情を注いでくれる人に情が芽生えるのもしかり。
気付けば、アシュレイを中心にリタとマインラートはきちんと愛し合う家族になっていた。
リタは月に一度の家族で立つのとは別に、必ず毎日墓石の前に立った。所詮は自己満足。でも何もしないよりは良いだろうと墓石の前に膝をつき、懺悔する。
「神様………私は間違っていたのでしょうか?ネイト………私の選択は間違っていたのでしょうか………」
返ってくる言葉のない懺悔は、あの日仮面を被った彼と再会するまで続いた。
追い詰められた人間はどこまで正しい判断ができるのでしょうか………他にも選択肢がいくつもあったとしても。